四章・十五節 即断即決
「遅かったかっ」
京都駅の真正面でその惨劇は唐突に起きた。
弓削監視官に寄生していた月下美人の花が、彼女に言い寄った一般市民二人を新たな苗床と欲した。
男二人に絡み付いた花達は右足に根を伸ばすと、皮膚を突き破り安々と体内へ侵入。
毛細血管の様に張り巡らされた根はそのまま腿から内臓へと悍ましい勢いで駆けあがる。
「あああああああああッ!!????」
「だ、誰かッ! い、痛い、入って! 俺の身体に入って……!」
それを黙って見過ごす涼ではない。
「──ッ!」
判断は迅速であった。
月下美人の寄生性質を見抜いた涼は走りながら愛銃コルトSAAに手を伸ばし、逆の手で同時にレッグホルダーの金行符を起動。回転弾倉に装填された弾丸に術式を賦与。
抜銃から薙ぎ払うようにして男二人の右脚のつけ根へ二発撃ち込んだ。
弾丸は狙い過たず着弾し、術式がその威力を発揮。着弾と同時に弾頭は薄い刃へと変貌し、右脚を根元から断ち切った。
「ああぁッ!」
「いぎゃあっ!」
再びの悲鳴。夥しい出血。
だが涼の判断は的確であったと言えよう。
切断から数瞬遅れて、右脚の断面から月下美人の根が胴体目掛けて手を伸ばしていた。
やはり五輪で起きる連続猟奇殺人と同様だと刹那で涼は確信した。同様であれば四肢の次は内臓に花達は達すると睨んだのだ。
そしてその判断は正しい。
奇しくも同時刻に倉橋が涼の知恵を求めたのは皮肉と言えよう。
更に立て続けに土行符を放ち、月下美人と男二人の間に即席のアスファルトの壁を形成し分断。再びの寄生を阻む。
その隙に涼は男二人を抱えて駅へ走る。急いで止血しなければ出血多量で失血死してしまう。
だが壁に阻まれた月下美人は恐ろしい勢いで壁を迂回し涼へ殺到。周囲の人々にも地面を這うようにして迫った。
弓削監視官に寄生していた影響か、かなり早い。上空から俯瞰すればその様子は、さながら蜘蛛の巣自ら獲物を絡め捕りに行っている様に見えるだろう。
栄養を欲しているのか、新たな宿主を探しているのか、もしくはその両方か。
駅前にはまだかなりの数の人がおり、皆状況を理解出来ていない。逃げる者の姿は疎らだ。
無論、監視官といえど涼一人で守り切れる人数でも範囲でもない。フランの煙草で幾分回復したとはいえ、今まさに迫る花達から負傷者二人を守れるかも怪しいほどだ。
判断を迫られ、涼は即断した。
「全員今すぐ散れッ!!!」
大声を張り上げ、涼は弾倉の残弾を全て空に向かって撃ち尽くした。
銃声が轟いた途端、駅前は悲鳴に埋め尽くされ、其処に居合わせた人々は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
涼一人で守り通せないのなら、彼等自身でこの場から離脱させるだけだ。
銃声に加えささやかながら言霊で恐怖を煽った事で、目論み通り戦場から一般人を遠ざけられた。
涼もまた花たちを躱し、負傷者二名を担いで駅構内へと逃げ込んでいた。
「お、おい。そこのお前、両手を上げてその人たちから離れなさいっ」
駅内に入るなり、騒ぎを聞きつけて来た派出所勤務と思われる警官が二名怯えながらも涼に詰め寄って来た。本来であれば身分を明らかにして協力を求める所であるが──
「煩いッ! こいつら抱えて今すぐ病院に駆け込めッ」
「は、はいっ!」
今度こそ本気も本気。洗脳紛いの言霊で警官を黙らせ、涼は二人の負傷者を押し付ける。
少々乱暴ではあるが肉体代替の技術で止血している。重傷ではあるが少なくとも失血死はギリギリ免れたはずである。
言霊で強制されながらも警官はその負傷者に血相を変え、涼のコートに刺繍されたアストレアの意匠を見ると、曖昧ながらも事態を察した様であった。
「任せたぞ」
「り、了解しました。おい行くぞ!」
勘のいい警官だ。男性らを担いで反対側の出口へ駆けていく警官に涼は背を向け、再び外へと走る。
駅内へ向け殺到してくる月下美人だが、既に周囲に人影は無い。
涼は飛び出す間際に駅の電気系統に干渉し、入口のシャッターを下ろした。
先程月下美人がアスファルトで形成した壁を迂回した事から、この花達に物理的突破力がないことは容易に読み取れる。出入り口を遮断してしまえば、駅内の人間に被害が及ぶことはまずないだろう。
その目論み通り月下美人はシャッターに跳ね返された。
小癪とばかりに鎌首を擡げて来た花を涼は跳躍を繰り返して躱し、花の攻撃範囲外に逃れると一際大きく跳躍して適当な街灯の上に降り立った。
「一先ずこれ以上市民に被害が出ることは無いな」
周囲に人影がないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
新しい煙草を咥え、深く肺に送り込んだ紫煙から欠乏する霊力を補う。
遠くなりつつある悲鳴はもう雑踏に呑まれつつあり、ここに警察のサイレンが届くまでが涼に許された時間だ。
人払いの結界を張るほどの余力は未だ無く、余計な手間を掛ける余裕もない。
ただそれ以上に今の涼には周囲に気配りが出来る程、冷静では無かった。
「どこの馬鹿か知らないが、うちの義兄の花嫁候補をよくも弄んでくれたなッ!!」
怒髪天を貫くとはこの事か。
仲間が眼の前で凌辱紛いに殺されたことで、その形相は猛虎の如き。抑えきれない殺気で毛髪が逆立っている様に見える。
口を突いた言葉こそ私情が大半を占めるが、放たれる怒りは本物だ。
かといって冷静さを欠いているわけでもない。
煮えくり返る感情の手綱を完璧に握っており、先程までの対応にそれは十分に表れていた。
激情の熱だけを残し、鋭利に研がれた双眸が月下美人を注意深く観察する。
養分を捉え切れなかった事で月下美人たちは小康状態に陥ったのか、弓削の骸に群がり気紛れに吹く風に揺られている。その様はまるで葬儀に手向けられた献花の様で腹立たしい。
「右脚か……」
最初に眼についたのは股のつけ根から失われた弓削の右脚。月下美人は確かに弓削の右足から解き放たれていた。先程襲われた男性二人もまた右脚から寄生されたのは無関係ではないだろう。
五輪市発見された遺体は右腕、そして左腕と欠損部位に差異はあれど、無関係ではあるまい。
術式自体は恐らく式神などに多く見られる術師からは独立した自立起動術式。
強力な術式であることは疑いの余地はないが、一般人であれば兎も角として、それだけで監視官である弓削が不覚を取るとも考えづらい。
寄生型である事に疑いの余地は無く、また物理的突破力が乏しいのなら宿主である弓削ごと閉じ込めてしまえば月下美人たちは弱っていくのだろうか。あるいは宿主である弓削そのものを始末してしまえばいいのか。
弓削と調査に当たっていたもう一人の監視官の安否も気掛かりだ。もしやもう花共の養分になってしまったのか。
「まあいい。いまは伐採を優先するべきか」
即断即決。
涼は弓削に小さく謝り、再装填を済ませたコルトSAAを発砲。
銃口から迸るのは発砲炎ではなく、眩い一条の雷光。
アストレア謹製の霊具・インドラの鎗弾。破格の貫通力と熱量を誇る雷は彼我の距離を一息で埋め、弓削諸共に月下美人を貫かんと欲した。
しかし──
「なにっ!?」
雷の槍が月下美人に触れた直後であった。青白い熱線が一瞬極彩色に代わったかと思えば、インドラの鑓弾は即座に霧散した。
月下美人は数輪花を散らしたのみであり、弓削に纏わりつく群れは未だに健在。寧ろ慈雨を浴びたが如く活気づき異様な妖気が立ち昇る。
「あああああああああああああああッ!!?」
骸となったはずの弓削から発せられる苦悶に満ちた咆哮に呼応し、月下美人が涼目掛けて再び殺到する。
飛び退き際にもう一発インドラの鎗弾を撃ち込んでも結果は変わらず。やはり花達に養分を与えるだけの結果となり、更に勢いづいた。
「生命力喰いの類か」
吸血鬼などに見られる他者から生命力を喰い、己の活力に転じさせる能力。もしくはそれに似て非なる能力をあの花には宿っている。
インドラの鎗弾は銃弾という性質上瞬間火力に優れた武器だ。当然連射を重ねればその分だけ威力は上乗せされていくのが道理だが、立て続けに二発蹴散らされるのは完全に予想の埒外。
霊力が欠乏している今の涼にこれはかなりの痛手──とはならない。
アストレアの術師の側面は顔の一つに過ぎない。その本質は術師ではなく、兵士に近しい。
術式が通じなくとも戦い方は幾らでもあり、既に涼は手を打った後である。
「やれッ!」
涼の号令に呼応して、駅前に置き去りにされたバスやタクシーが一斉に始動。十台を超える車両が唸りを上げて弓削目掛けて走り出した。
無論、どの車両の運転席にも人影は無い。代わりに栗鼠型の式神が数匹ずつ中に潜り込みハンドルやアクセルを操っていた。
以前観賞した映画ト〇・ストーリーから着想を得た遠隔操作の特攻。質量と速度にものを言わせた物理の暴力をお見舞いしようというのだ。
片足を失った弓削にこれを回避する術は無く。一番槍を切ったバスとタクシーに月下美人ごと左右から挟み潰され、後続の車両が次々にそこへ突っ込んだ。
「爆ぜろ」
漏れ出るガソリンに放たれた一発の銃弾。
直後、大爆発が京都駅を揺るがした。
眼も眩む閃光に一瞬遅れて熱線を孕んだ爆風が駆け抜け、瓦礫が散弾銃の様に四散。ガソリンによって生み落とされた灼熱は凄まじい上昇気流を巻き起こし、轟々と渦を巻く火柱が屹立した。
摂氏二千度を優に超えるであろう爆炎の中心、折り重なる車両の中で弓削と月下美人は苦悶の悲鳴を上げていた。
最早炎の奥に弓削の影すら見えないが、弓削共々爆炎に投獄された月下美人は瞬きの間に炭化した事だろう。涼に追い縋っていた花達にも炎の手は伸び、純白の花弁は文字通り消し炭となって崩れた。
「すみません……弓削さん」
こうなってしまえば彼女の亡骸を回収することも叶わない。市街地での戦闘に加え、花の解呪が叶うか見通せなかった故の判断であったために、涼は自らの判断に誤りはないと思っている。
しかし魔導犯罪の犠牲者というのは場合によっては死後も脅威を振り撒く事もある。検視の結果によっては遺骨すら遺族に返すことが叶わないかも知れない。その事が仲間を殺された事実と折り重なり、涼の胸に重く圧し掛かる。
魔導犯罪に立ち向かうアストレアにとってこれは珍しい事例ではない。
現に涼も巻き込まれた三年前のハイジャック事件では、殉職した監視官候補生の亡骸はアストレア上層部の判断で遺族に帰ることは無かった。
奇しくも先日の倉橋との一件が脳裏に過り、殊更に冷静に努めていた涼の心中を掻き乱していた。
それはさながら頑強な壁に奔った小さな亀裂であり、決定的な『隙』を生んでしまった。
故に近くのマンホールから噴き出した月下美人に致命的なまでに対応が遅れた。
「なにっ!?」
どうやってあの爆発から逃れたのか。刹那の間に浮上した疑問は直ぐに氷解した。恐らくは涼が負傷者を抱えて駅内に退避していた時だ。数分と無い僅かな時間に地下に潜ませていた群れがあったのだろう。
反射的に全力で後ろに飛び退くが、余りにも遅すぎた。
月下美人は難なくと涼の右脚に絡み付くと、即座に根を下ろし貪欲に涼の霊力を貪り喰らいに掛かる。
着地と同時に涼は右脚の切断に踏み切るも、どういうわけか霊力の制御が乱れる。それどころか右脚から波及するように全身の霊力が乱れ始めた。
「──いや違う。霊力が喰われているんじゃない、変質しているっ!?」
右脚から汚染されていく自らの霊力に気付き、涼は先程のインドラの鎗弾が無力化された絡繰りがこれであると直感する。
無力化ではなく、この花によって術式そのものが滅茶苦茶に狂わされ、効力を失ったのだ。汚染された霊力は結果として花に吸収され、増長したに過ぎない。
「だがそれだけで弓削さんが遅れを取るか?」
涼とは異なり弓削は万全であったはず。敗れた要因としてはいま一つ頷けない。弓削はもう一人の監視官と行動をとっていた筈であり、なおさら腑に落ちない。
涼が今全力で抵抗出来ている様に、弓削も事切れる寸前までは花に抗っていた様子であった。致命傷となるような外傷が見受けられなかった事からも、敗因はもっと別の所にある。
湧き上がるその疑問への答えは存外に直ぐにもたらされる事となる。
轟々と燃え盛る炎の向うから小さな人影が近づいてきた。
「火は人類最初の文明にして、魔術においては四代元素の一つ。小細工たっぷりのこの花を宿主ごと滅却するには火葬は効果的だね。……にしても雀並みに思いっきりが良すぎるな~。驚いちゃった」
「……っ! 何故貴様がここにいるッ!?」
一秒ごとに身体が汚染されていく苦痛を押しのけ、涼は銃を構えた。
現れたのは見知った人物であった。それも五輪市で現在倉橋が監視している筈の術師だ。遠く離れたこの地にいるはずが、いていいはずがない。
五輪で何かあったのか。
ただならぬ悪寒に涼の首筋に大粒の冷や汗が伝う。
銃口を突き付けられて尚平然と歩を進める人影──七榊響は隠然とした笑みを浮かべ涼と相対した。
「こんばんは、宵波監視官。それともお久しぶりと言った方がいいかな?」