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四章・十節 籾蠣刑事の受難

「籾蠣刑事、四人目の検視結果が出ましたよ」

「……んぁあっ」


 五輪警察署刑事課捜査一課の籾蠣警部は部下のその声で眼を覚ました。


 起きて早々眼に入ったのは黄ばんだ天井。まだ分煙という概念すら無かった時代に諸先輩方のヤニが染み込んだ仮眠室のものだ。枕代わりの綿が潰れた座布団から頭を引き剥がすと、鉛の様だった身体は幾分マシになっていた。


 窓を見れば陽はとっくに沈み、夜の帳が降りていた。


「すまん。寝すぎたようだ」

「いいですよ。本当は一度帰って休んでもらいたいぐらいなんですから」


 開口一番謝罪を口にする籾蠣に部下は首を横に振る。籾蠣の体調を気遣っているが彼の眼元にはくっきりと隈が浮かび、髪はバサバサだ。


 それは籾蠣も同様であり、部下に負けず劣らずに隈が浮かび、何日も剃っていない髭は口と顎が繋がっている。よれよれのスーツの下からは自分でも顔をしかめる香しい臭い。


 ここ数日、籾蠣ら捜査一課は署内で寝泊まりを繰り返している。


 言わずもがな市内で発生する連続猟奇殺人の捜査ゆえだ。


 GWに予定は軒並み吹き飛んだ。家族旅行を計画していたが、この事件のお蔭で籾蠣家は父親不在の旅行を敢行。仕事に理解がある妻は別として、子供たちは当然と言った様子であったのがショックであった。


 別に家族を疎かにしているわけではないのだが、事件が起きればそちらを優先しなければいけないのが刑事というもの。父親としての存在感を削いだ殺人鬼を豚箱に叩き込むため、使命と私怨に奮起した籾蠣たちは徹夜続きの捜査に尽力していた。


 しかし凶悪犯罪を主として受け持つ捜査一課であっても、捜査は難航していた。


 今回の事件はいささか毛色が異なるのだ。


 検視報告書の封筒を受け取った籾蠣は中身を取り出し、部下に向き直る。


「お前、中身にはもう目を通したか?」

「ええ。検視官から直接説明も受けながら」

「どうだった?」

「……同じですよ。これまでの三人と被害者と死因も欠損も、中身のスカスカ具合もね」

「そうか……まあ、予想通りと言えばそうだが」


 重い溜息が零れる。マシになったと思った身体に圧しかかかる目眩にも似た落胆。一応報告書に眼を通すが、やはり目新しい情報は無い。


 捜査は難航していた。


 その最たる理由が手掛りの乏しさだ。


 僅か二週間足らずの短期間に四人もの被害者が出ておきながら、犯人らしき目撃証言は皆無に等しい。現場付近の監視カメラを片っ端から当たっても、それらしい容疑者さえ見付かっていない。


 現場には遺体の他には血痕どころか髪の毛一本転がっていない。遺体はどれも右腕が全損し、内臓も激しく損傷していたにも関わらずだ。


 間違いなく同一犯であるはず。しかしこれだけ派手な殺人でありながら、証拠という証拠が一切ない。


 重要参考人と思われた第一被害者の発見現場。そこで数時間前に緊急搬送された女子高生と通報者のその知人の男子高校生も空振りが濃厚。籾蠣の刑事としての勘はあの二人は無関係と断じてこそいないが、精々が犯人とニアミスした程度だろうと告げている。


 あまりにも不自然。殺人鬼を指して称する言葉ではないと承知しつつも、籾蠣は人間味が乏しいとすら感じていた。


「どう動きますか籾蠣さん?」

「……」


 目頭を強く抑えて、籾蠣は押し黙る。


 正直、今の時点では対症療法しか思いつかない。地道な聞き込みを続け、巡回を強化するのが精々か。犯行は全て深夜に人の眼の付きにくい場所で行われているため、夜中に出歩かなければ被害は出ないはず。


 無論それは不可能だ。人間が夜を克服したこの時代、人気が完全に途切れる事はありはしない。裏を返せば今後も被害は出続けるということ。それは何も一般市民だけではなく、次は警察関係者かも知れないし、あるいは未成年にまで被害が及ぶのも時間の問題だ。


 このままでは本当にネットで騒がれているように《第二のジャック・ザ・リッパー》になってしまうかもしれない。


 縋る思いで籾蠣はもう一度検視報告書に視線を走らせると、ある項目に眼が付いた。


「左腕……?」


 四人目の被害者はこれまでとは異なり右腕ではなく左腕が無くなっていた。多忙のあまり四件目は片腕の欠損と処理してきたので、気付くのに遅れた。


 何か重要な手がかりかと淡い期待が過ったが、残念ながら他は全て同じだった。


「ええい、くそっ」


 勢いよく立ち上がった籾蠣は仮眠室から出ると捜査一課の事務所に駆け込み、自身の机の引き出しからセロテープで雑に復元した一枚の紙を取り出した。


 そこにはとある携帯番号が達筆な筆文字で綴られており、籾蠣は逡巡するもその番号を呼び出す。


 できればこの手は使いたくなかったが……仕方ない。


 相手は中々出ない。しかし辛抱強く待っているときっかり十コール目で繋がった。


『アンタから俺に連絡してくるとはなあ。こりゃあ十八年越しにノストラダムスの大予言が名誉挽回を図りに来たか?』


 声を聞いて早々危うく籾蠣は電話を切りそうになった。挑発的な口調とは裏腹に、こちらの用件を見透かしているようで腹が立つ。あの赤と銀のカラーリングと憎たらしい顔が眼に浮かぶようだ。


 これだからあの小僧の手は借りたくなかったのだ。


 だが落ち着かなくては。相手のペースに乗ってはいけない。今は少しでも情報が欲しい。


「面倒臭いやり取りは無しだ。例の殺人事件は知ってるな? 何か有益な情報があれば寄越せ」

『さて、お生憎様だが俺は警察に無償協力するような善人じゃねえ。それにアンタが欲しがるものが何か、俺には皆目見当がつかんね』

「よくもまあ、いけしゃあしゃあと抜かしやがる」


 話しながら籾蠣はスピーカーの辺りを三回叩く。


『おいおい、嫌がらせなら切るぜ? 夜もいい感じにふけてきた来たこの時間だ。おしゃべりするならおっさんより美女だろ』

「女好きは親父からの遺伝ってわけか。てめー等みたいな男に靡く女の気が知れんな」


 今度は間隔を縮めて五回叩く。


『金と女は幾らあってもいい。特に金で釣れる女は良いもんだぜ。男の気を引くために外見も中身も相手に寄せる。何より後腐れが無いのが良い。ところでさっきから殺音が多いな。地下にいんならせめて外に出てから連絡してくれや』

「ちっ……ゴロツキめが。いつかテメーら親子に素敵なブレスレットをくれてやる」


 こっちの捜査に進展がないことを知って足元を見やがって。


 だがここまでの口振りからして何も掴んでいない訳ではなさそうだ。裏の世界に精通するならず者だからこそ、籾蠣たち警察が辿り付けない情報(やみ)を知っているもの。


 仕方がないと割り切り、籾蠣は二回指を素早く鳴らした。これ以上の出費は明日からの昼飯が二段階グレードダウンに加えしばらく禁酒だ。


『あ~、それは勘弁してえな。自由のない生活ってのは退屈極まりねえ。で、何が聞きたいって?』


 一転して電話相手は態度を改めた。捜査進捗どころか籾蠣の財布事情まで筒抜けらしい。クソが。


「最近街を騒がしている連続猟奇殺人についてだ。容疑者を絞り込もうにも、手掛りが余りにも乏しい。そっち側(・・・・)なら何か掴んでるだろ」

『期待して貰ったようで悪いけどよ、俺はなんも知っちゃいないね』

「おいふざけんな!」


 椅子を蹴飛ばして籾蠣は電話相手に怒鳴り散らす。


 やはりこの餓鬼に頼ったのが間違いだった。怒りに任せて電話を切ろうとしたが、先回りするように『ただし──』とスピーカーから呼び止める声。


『GWが明けてから俺の学校で登校してない生徒が二人いる。一人はまあいいとして、もう一人の一年坊主と全く連絡が付かない状態でな』

「何、どういうことだっ?」


 慌てて携帯を耳に当て直し、メモにペンを走らせる。


 長期休みを挟んで不登校になる子供自体はそう珍しくはない。しかし聞けば登校していないのはその生徒のみならず兄妹も同じであり、両親も無断欠勤を繰り返しているという。


 電話相手の情報筋が確かであるならば、既に同じように連絡が付かない市民が他にもいるかもしれない。


 籾蠣の脳裏に最悪のシナリオが過る。


 残念ながら現代においても殺人事件というのは発生後直ぐに発覚するわけではない。白昼堂々の犯行か、あるいは周囲の目や耳が無ければ数日遅れで遺体が発見される事などザラである。


 例え行方不明者の届け出があったとしても、事件性が乏しいと判断されれば後回しにされるケースも珍しくない。


 その特異性に目を奪われがちであるが、これまで発見された遺体は全て外で発見されており、見た目だけは通り魔殺人のそれだ。


 出歩く獲物が少なくなり、狩りがやり辛くなれば獣はどうする?


 決まっている。この手の殺人鬼は最後には必ず家の中へ入る。


「おいっ、知ってること全部吐きやがれ!」

『待てよ。アンタとは腐れ縁だ。別に教えてやってもいいが、個人的にはあまりお勧めはしない。はっきり言ってあんた等警察じゃ今回は役不足だ』

「ああッ!?」

『気付いてるだろ? 今回の殺しは人間業じゃない。つまりいわゆるあっち側(・・・・)の世界のいざこざだ。下手に首を突っ込めば次仏になるのはあんた等になる。出来れば手を引きな……つっても無理か』

「当たり前だ!」


 事件から手を引く警察がどこにいる。


 しかし事態は警察が把握しているより更に深刻になりつつある。いや、もう成っているかもしれない。


 頭が来るほど腹立たしくはあるが、電話相手が言うように警察ではどうにもならない事件というのは確かに存在する。


 三十年程前に近隣の山中で発生した修学旅行生の失踪事件などが正にそれだ。籾蠣に刑事としてのイロハを叩きこんでくれたベテラン刑事が引退まで真相の究明に奔走したが、ついぞ糸口すら見付からなかった。


 警察署を去る彼の無念の背を籾蠣は一生忘れることは無いだろう。


 この猟奇殺人も間違いなくその部類だ。しかしだからと言って警察が第一線から退いてどうする。そんな腑抜けになるようであれば籾蠣は今すぐ自分の頭を撃ち抜いた方がマシだ。


 腐れ縁というように、それは電話相手も承知していた。嘆息を挟むと、マウスのクリック音とタイピングの音が微かに聞こえてくる。


『どうしても関わるってんなら、いま送った連絡先の男を頼りな。さっきも言った通り、唯の人間が関わる案件じゃねえ。二次被害を被らない様に上手く使われる事だ』

「おいちょっと待て。散々ぼったくっておいて、ふざけてんじゃないぞ」

『忠告はしたぜ? んじゃ、あばよ』

「あ、おい、百瀬っ──あの野郎……!」


 制止も虚しく、スピーカーは沈黙。電源を切ったのか、電話を掛け直しても今度は呼び出しすらされない。代わりに一通のメールの受信通知だけが虚しく響くだけ。


 危機感を煽るだけあおって、最後には引けだと? 冗談ではない。


「おい、捜索願の出ている行方不明者を洗い出すぞ」

「わかりました」


 即答した部下は直ぐに事務所を飛び出し、籾蠣は百瀬から聞かされた生徒の安否確認のために五輪高校に電話を掛けた。


 職員が残っているか微妙な時間帯ではあったが、幸いにして件の生徒の担任が当直で残っていた。


 詳しい話と生徒の住所を聞き出し、直接向かおうと上着に手を掛けた時だ。


 固定電話が鳴り響いた。


 嫌な予感を覚えつつ、受話器を取った籾蠣に突きつけられる《五件目》の知らせ。


 しかしこれまでと違い、間もなくその現場からは一つの有力な目撃情報が寄せられた。


 五輪市に住む人間ならば誰もが知る有名高。


 王陵女学院の生徒が付近で目撃されたと。


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