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四章・八節 発生

 一か月が経過した。


 五月となり世間はゴールデンウイーク(GW)を迎え、どのテレビ局も各地の帰省ラッシュやこの長期休暇を楽しむレジャー施設やグルメなどを取り上げている。


 五輪高校も例に漏れずに休みとなり、短い旅行を計画している生徒もちらほら。


 生憎と天気には恵まれずに、GW初日は朝から雨が降り出していた。


 窓を叩く雨音と季節外れの冷え込みで雀はベッドの中で身を震わせる。


 温度計も兼ね備えるデジタル時計を見れば、この時期にしては容赦のない気温を叩き出している。神崎邸は鬱蒼とした原生林に囲まれているために、普段から気温が低いのでこういう日は一層辛い。


 外はこの雨模様に相応しい灰色であり、日の温かさは期待できそうにない。


 頭が低気圧でキリキリと痛み、空腹で身体は速やかな栄養補給を要求しているが、雀は二の次と切り捨てる。


 せっかくの休日なのだ。せめてあと二時間は惰眠を貪っていたい。


 毛布を被り眠気に身を任せれば、直ぐにとろりとした眠りへと誘われる。


 スマホが着信に震えたのはその直後。


 相手によって着信音を変えているために画面を見ずとも誰かは分かる。ちなみに夜鷹は携帯電話を持っておらず、必ずロビーに設置したダイヤル式の固定電話にかけて来る。


 いまの着信相手は、無視するには少々面倒な相手だ。


「ああもう!」


 被ったばかりの毛布を跳ね上げ、雀はサイドテーブルで震えるスマホを引っ掴み、通話ボタンを乱暴にタップ。


『おはよう神崎。朝早くから済まないが、少しいいか?』

「……なに?」


 聞えて来たのはやはり宵波涼の声であった。


 時刻は八時。朝早くというには微妙な時間帯ではあるが、雀は不機嫌さを隠そうともせずに話を促した。


『確認と連絡が一つずつだ。まず確認からだが、君たちは実家に帰省はしないのか?』

「しないわよ。いま街がどうなってるのか知ってるでしょ。そう言う宵波君は東京に帰るの? 連絡ってそれ?」

『いや違う。俺も帰省はしない……というか帰れない。戻れば怖い先輩に叱られるからな』


 随分キツい発破をかけられてきたのか、涼の声は最後僅かに震えていた。よほど恐ろしい先輩なのだろうか。


『まあそれは置いておこう。連絡というのは俺が一週間ほど監視から外れる、という旨だ』

「はあ? なによそれ」

『済まないが詳しくは言えない。ただ俺が外れている間の監視は倉橋さんに一任しているから、何か問題があれば倉橋さんに頼ってくれ』

「アンタねえ、その倉橋はいま照と──」


 言いかけた時、ロビーの方から口論が聞こえて来た。声こそ張り上げていないが、穏やかさとは無縁の刺々しいもの。


 ここ数日繰り返されてきた衝突だ。


『どうした?』

「……何でもない。一週間アンタとは連絡はつかないの?」

『極力電話だけは繋がる状態にしておくが、全く対応が出来ない日が出て来る。どうしても連絡が必要な場合は、済まないが直接俺の所へ出向いてほしい』


 生返事をしながら雀は不可解なものを覚えた。


 街に留まっておきながらも、直接会う以外の連絡手段が限られるとは一体如何なる理由か。


 詮索するべきか逡巡したところで、階下の口論が激しくなり始めた。声を張っているのは一方のみだが、無視出来るような声音では無かった。


『……今のは倉橋さんか?』

「そうよ。ここ最近の照の夜歩きが随分気に食わないみたい。もうしばらく様子は見るけど、あんまりエスカレートする様ならこっちも考えがあるからね」

『分かった。倉橋さんには俺から話を聞いておこう。事情は承知しているが、君も夜更かしはほどほどにしておきなさい。では失礼する』


 最後に忠告を残し、涼は電話を切った。


 手鏡を手に取ると雀の眼元にはここ数日の徹夜でうっすらと隈が浮かんでいた。


「余計なお世話だっての……」


 思わぬ形で自分がしっかりと監視されていることを明かされ、雀は手鏡をベットに放り投げた。


 未だ眠気はしぶとく残っているが、寝直す気分には到底なれそうにない。


 潔くベッドから降りて着替えに服を脱げば、室内の冷え切った空気で意識は研がれていく。


 自然と思考が至るのはここ二週間前後の出来事。


 事の発端はスポーツ大会の翌日に那月が学校を休んだことだ。


 学校でも一、二を争う健康優良児である那月が学校を休んだことだけでも驚きであったが、その理由が病院に搬送されたと聞き、雀は大層驚いた。


 百瀬はスポーツ大会や生徒会業務で負担を掛け過ぎたのかと、珍しく随分と気を揉んでいたほどだった。


 しかし病院への搬送に立ち合ったという砂純建人から話を伺うと──実際は百瀬による殆ど脅迫であったが──事態は一気にきな臭くなって来た。


 その日、朝早く市内の公園で若い女性の変死体が発見されていたのだ。その公園というのが那月が救急車に担ぎ込まれた場所。


 数時間の差があるとはいえ、無視するにしては物騒な共通点だ。


 雀は直ぐに那月へSNSでメッセージを送ると、那月は既に自宅に戻っているという。


 警察が動き出す前にどうしても確かめたいことがあった雀は、無理を承知で那月に直接会いに行った。


 途中、規制線が張られている例の公園を大きく迂回しつつ、那月の自宅を訪れた。


 出迎えた那月は昨日と変わらない様子であった。自分が病院へ搬送された理由も判然としておらず、気付けばベッドの横で親が心配そうにしていたという。


 短いやり取りではあったが雀は確信する──暗示の術式が掛けられていると。


 那月自身無自覚の様であったが、救急車に搬送される以前の記憶も僅かに飛んでいるようであった。建人の名前が挙がらなかったのがその証拠。間違いなく術式による記憶阻害だろう。


 憶測の域は出ないがまず間違いなく那月はスポーツ大会の夜、あの公園で魔導犯罪に巻き込まれかけたが、犯人に不都合な何かが起きたことで難を逃れ、記憶処理に留められたのだろう。


 案の定、公園からは奇妙な霊力反応が検出された。何処かの術師がこの五輪市に土足で踏み入った動かぬ証拠である。


 いずれ警察は事情聴取で那月の元を訪れるだろうが、暗示はかなり強力に働いているらしく、簡単には解けそうにはない。警察も那月が殺人犯と疑い無理な詮索をするほど無能ではあるまい。


 何しろ発見された変死体というのが、どうあっても小娘の手に余る凄惨な状態だった。


 雀も百瀬から伝え聞いただけであるが、耳を塞ぎたくなる様な有様。


 女性の遺体は右腕が全損。断面からは全身にかけて無数の微細な傷が奔り、スポンジ状になっていた。それだけの傷を負いながら出血は殆どなく、周囲に血痕も発見されていない。


『まるで植物に侵食されたようだ』


 現場検証に立ち会った五輪警察の籾蠣刑事はそう零したとか。


 雀は直ぐにこの事件を照と響に共有し、その日の夜から謎の術者の捜索に乗り出した。


 術師が関わっている可能性が濃厚な以上、これを撃滅するのは霊地の管理者たる雀の役目。それは霊地を分譲された照も同様だ。


 瞬く間に二週間の時間が過ぎ去り、無情にも手掛りはほぼなし。その間、新たに二人の犠牲者が発見された。


 メディアは無責任にも連続猟奇殺人と名を打ち、不必要に市民の不安を煽っている。凄惨な事件、犯人の正体が不明という共通点からあのジャック・ザ・リッパーと重ねるネット記事も出てくる始末だ。


「一体何が目的……?」


 着替え終わった雀は姿見に移る自分に疑問を投げる。


 今までも外部の術師が侵入してきたことは間々あった。照もその内の一人だ。


 その誰もがやり方に違いはあっても、霊地の利権を奪いに土地に敷かれた結界を解きにかかるか、手っ取り早く雀を襲撃するかの二パターンである。


 しかし今回の術師はそのどちらでも無く、一般市民ばかりを殺して回っている。ただの愉快犯と片付けるには殺しに手が込んでいるのも不可解だ。


「──待て雨取照ッ! 俺の質問に応えろッ!」


 人のものではない胴間声が屋敷の冷え切った空気を打ち鳴らす。次いで玄関が開け放たれる音の後に、窓から照が傘も差さずに出ていく所が見えた。後を追うように倉橋が飛び出していくが、既に雨に解けたように照の姿は見えない。


 ここ数日、照は屋敷に帰らない日が続いている。鏡魔術で倉橋の監視の眼を誤魔化しているらしく、着替えに帰っては問い詰められている。


 何処に行っているのかは把握していないが、照の夜歩き自体は特別珍しいことではない。少なくとも雀と出会った当初から習慣になっていた。


 ただ連続猟奇殺人が起きてからその頻度は明らかに増えているのは確かだ。普段から顔を合わせる事は少ないとはいえ、最後に会ったのは三日前であったか。監視官の眼から逃れているとなれば、要らない疑いを掛けられるのは必至であろうことは、照とて重々承知している筈。


 何にせよGWに突入したことで、雀も魔術師として動く時間は大量に確保出来る。侵入した術師を討つためにも、何処かでもう一度照とは話をする予定だ。真意はその時にでも問いただしても遅くはあるいまい。


 そう結論付け部屋を出た雀であったが、扉の前で待つ人物に脚が止まる。


「随分と照は焦っているみたいだね。君はどう動く、雀?」


 いつものワイシャツのみの響が雀の瞳を覗き込んで来る。万人を虜にする歳不相応な艶然とした笑みは、今朝の薄暗い空模様のせいか、何処か怪しげな影が落ちている様に見える。


 交差する視線。


 雨脚が強くなり、ロビーの採光窓を叩く音が浸透していく。薄っすらとした陰影に染まる雀と響はお互いから視線を逸らさず、動かない。


 どれだけの時間そうしていたか。


 先に静寂を破ったのは響の方であった。


「今夜あたりに四件目が出ると思うよ。照の事が心配なら、早めに捕まえることだ」


 雀から彼の中で満足するものを汲み取ったのか、響は小さく笑みを溢して不吉な予言を残して、自身も雨の中へと出かけて行った。


「ちっ……」


 舌打ちを一つ。雀は朝食を五分で済ませて一分とかけずに支度を整え、雨に煙る外へ繰り出した。


 その晩。響の予想はピタリと当たり──照が行方を完全に眩ませた。


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