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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ローレル・クラウンは鋭く笑う

作者: 宥木

 廊下側からふすまを開け放つと、夜風が足元を撫で去っていく。

 外縁の戸は閉じられていなかった。


 差し込む月光に数瞬目が眩んだ後、彼女の姿を見つける。

 最初は、笑っているのだと思った。

 私を見下ろし、肩を揺らし、くつくつと声を出していたからだ。

 しかしすぐに気付く。その矮躯が私を見下ろすはずはなく、体は脈打つように跳ね回り、軋む音は口から発せられたものではない。そしてその足は、畳から二尺ばかりの宙を掻いていた。



 七月に入り、四度目の金曜。日々に暑く、年々長くなる夏とは裏腹に、いつの間にか短くなっていく夏季休暇を今年も迎えた。

 休暇前後の風物詩となった重い鞄と、日を遮るもののないあぜ道。びっこを引くようによろよろ歩く。

 こうならないために、事前に荷物を減らしておくべきだ。なんて言われるよりも先に、なぜ毎回持ち帰らせるのだとか、この荷物のうち何割が本当に必要なのかとか、そんな文句を言いたくなる。

 ただでさえ重い荷物と足取りに気分まで重くなりそうだったので、脳内の仮想敵との口論は取りやめ、つい先刻幕開けした、一年に幾度とない大型連休に思いを向ける。


 おおむね毎年あるとはいえ、今年の夏、今日この日は一度限り。休息も勿論、刹那すらも有意義に過ごしたいものだが、生憎私には、休暇を共に過ごすような恋人は当然、友人と言える間柄の者もおらず、家族との折り合いも悪い。

 一人で充実した日々をこなせる人間ならよかったのだが、例年通り空虚で堕落した生活を送るほかなさそうだ。

 幼少の時分には兄と野山を駆け回ったものだが、先に述べたように兄と言葉を交わすこともめっきり無くなり、数か月前、兄がこの故郷を離れる際にも、顔を合わせることすらしなかった。

 兄も兄で、家業の云々で親と揉め、それが元となって家を飛び出したらしく、蛙の子は皆等しく蛙なのかと思わされる。


 そう考え、気が付く。長男の兄が継がないのであれば、次男の私に声がかかるのではないかと。

 私の家はそれなりの規模の神社、の分社の分社であり、この時代に家系図が残されている程度には続く家柄なのだが、実際の所、父は製材所務めのブルーカラーで、母は主婦の片手間、ごく小規模の農業に精を出している。

 宮司らしき仕事といえば、時折社の掃除をし、季の節目に行われる祝祭で式辞を述べるぐらいだ。

 しかしどうやら、祝祭におけるあがりは、それなりの額になるらしかった。


 表向きは神事であるが、そもそも運営は町内会が行っており、出店が立ち並ぶいたってありふれた祭と変わりない。

 そしてそんなありふれた祭と同じように、場所代として出店から町内会へ、町内会から家へと金銭が巡ってくるわけだ。

 事前の準備から事後のごみ拾いまで、貴重な時間を持て余す町内会のご老人方と、半ば強制的に参加させられる未来があるのかないのかわからない小さな学生達によって行われ、こちらは労せずして金を得ることとなる。

 そう単純な話でもないのだろうが、私としては、住み慣れた土地を捨て去る理由になるとは思えなかった。

 きっと兄にとってはきっかけに過ぎず、長年積み上げた鬱憤が、神社を継ぐことをさも当たり前のように語る高圧的な父の言動によって弾けたのだろう。兄は私と違って聡明であったから、外へ出てもうまくやっていけることだったろうし。


 兎も角、私としては、安定はせずとも不労所得があり、何より神職ならば信用はまずまず、人に言ってもそう渋い顔はされない社会的地位を手に入れられる、というのは魅力的で、陰鬱な気分をいくらか紛らわすことができた。

 思い立ったが吉日。近く催される夏の祝祭までに、それとなく父にお伺いを立ててみるとしよう。



 結果は火を見るよりも明らか、だと思っていた。


 一晩寝て起きると、昨日の展望はどこへやら、すっかり興奮も冷めてしまった。

 私が突然家業を継ぐなどとのたまっても、一蹴されるのがオチだろうし、仮に快諾してもらえたとしても、父のことだ、礼儀作法がどうとか、祝詞がどうとか、披露する場も無い技能を伝授するのに躍起になることだろう。

 そんな考えが頭によぎり、巡りながら、当初の懸念通りに孤独と惰眠とアルバイトで休みを浪費しているうち、祝祭の準備が始まろうかという時期が迫ってきた。

 今となってはもはやどうでもよかったのだが、何一つ計画性なく日々を過ごしていることに僅かながらの焦燥もあり、せめてこれぐらいはと、祝祭が始まってしまう前に父に掛け合うことにした。


 いや、掛け合おうとした。その時に見たのだ。居間の隅で、父にも、私にも、あまりに小さい松葉色の袴を縫う祖母の姿を。

 思わず声を掛けると、成長して素っ気なくなった孫が、興味を示したことが珍しかったのだろうか、嬉々として教えてくれた。


 曰く、父は神社のあと継ぎを決めたと。

 曰く、それのために研修用の袴を縫っていると。

 曰く、それは年端もいかぬ私の妹であると。


 茫然としたとはこのことか。

 あまりにも突飛、あまりにも不合理。あのような幼子の、ましてや女児に。

 百歩譲って本人の同意があるならば良しとしよう。しかし次男の、次兄である私の意思を確認もせずに決めるとは。

 今更継ぐ継がないはどうだっていいが、私の、自分の存在をまるで無き者のように扱われている。その事実に、怒りや悲しみを覚える間もなく、ただ自分が無力であると感じた。



 時は流れ、夏の祝祭初日。

 毎度碌に顔を出さず、祭の喧騒に顔をしかめながら自室に籠りきり、時が過ぎゆくのを待ち焦がれるのだが、今回は少し出歩くことにした。

 どうやら此度の式辞を述べる際、後継についても周知するらしく、家では夕刻になっても着付けだ下稽古だと慌ただしく、居づらかったためだ。

 社の規模の割には広い境内では、舞台の設営が終わったようだった。外周にあるくじ引きや型抜きの屋台では、準備を終え既に子供が群れているものもある。

 十分ほどかけて一周見回ると、白点病の小赤が泳ぎ回る金魚掬いや、駅前のパチンコ屋の親父謹製のスマートボールなど、お馴染みの出し物から、町内会の出し物だろうか、ポン菓子にうちわ、草冠やミサンガを配る小学生もいた。


 そのままあてどなく数週回り、大半の屋台が準備を終えただろうか。ギャリギャリとノイズ混ざりで、境内にて町内会長と神主による挨拶がある旨のアナウンスが流れる。このアナウンスが実質の開祭宣言であり、本格的に人が増えるのはこれからである。



 町内会長によるありがたい長話が終わる頃には、陽は半分以上が沈み、街灯や電飾が光を放ち始めていた。

 この後の妹の晴れ姿ぐらい拝んでやろうかとも考えていたのだが、歩き疲れ立ち疲れた私は、町内会長が舞台から降りるよりも先に、自室へ戻っていた。



 飛び起きる。

 臭い。

 そのすえた汗の臭いは、私のものだった。

 戻ってすぐ、風呂にも入らぬうちに寝てしまっていたようだ。ほとんど時間は経っていなかったが、壁に寄りかかっていたせいで、体の節々が痛む。そして何より体が臭い。

 浅い眠りから未だ覚めえぬ瞼を擦り、洗面所へと向かう。


 廊下を歩いていると、足首に冷たいものが走る。

 外縁に面した物置部屋、そのふすまから廊下へと風が漏れている。誰かが戸を閉め忘れたのだろうか。


 廊下側からふすまを開け放つと、夜風が足元を撫で去っていく。

 外縁の戸は閉じられていなかった。


 そしてそこには、装束を纏い、頭に草冠を頂く妹がいた。



 挨拶を終え、舞台を降りると、町内会のおばあちゃんたちに囲まれて、一緒に写真を撮ったり、いろんなものを貰った。頭には冠を乗せられて、いつの間にか左手にミサンガが巻かれている。

 なんとかおばあちゃん包囲網を脱出するころには、袴にはうちわが差しこまれ、手のひらは駄菓子ではちきれそう、ミサンガは両手についていた。


 この後、友達と祭を見て回る約束をしている。

 装束を汚したくないし、動きやすい服に着替えるため、いったん家に戻る。

 縁側の戸が開いたままになっていたから、そこから上がることにした。

 履物を脱いで、部屋に入ると、廊下側のふすまが開け放たれた。


 そこには中兄(上が大兄で、下が中兄。小兄って呼ぶと怒られるから)が立っていた。


 なんとなく目をそらす。

 私は正直、中兄が苦手だ。

 何考えてるのかわかんないし、ブアイソーだし。私を子ども扱いするし。後継ぎだって、中兄がふがいないから私がやらされることになったらしい。まあこれは大兄にも原因があるけど。

 このぶんだと、祭にも参加しないで、つまりはお父さんと私の挨拶も聞いてないんだろうな。でもこんなんでも兄妹だし、ただいまくらいは言っておいたほうがいいかな。

 そこまで考え、視線をもとに戻すと、何かが腐ったような、そんな臭いが近くにあった。


 私は宙に浮く。数秒で目がチカチカしてくる。暑い。何かがめのまえにいる。苦しい。かおが熱い。



 私の前にいる何かが、笑っているような気がした。


 つきのひかりのかげえが?痙攣する肉塊が?


 月桂樹の冠が、笑っているように見えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても巧みな文章から思わず夏の情景が、特に夏休みの休暇期間の終盤に差し迫った日常が目に浮かぶようでした。 実家のあと継ぎを巡っての主人公の葛藤と、やってきたお祭りの情景に様々な思いを馳…
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