第一章
神山悟はプラントエンジニアリング業界の一角である東亜エンジニアリングの財務部財務第一課に所属している。大学に入るにあたって一年浪人をした。三月生まれだからまだ二十五歳だが同級生にはもう二十六歳の者も出てくる。
神山悟は生真面目で自己主張が強く時に他人と衝突することも厭わないために、人間関係には昔から苦労してきた。自身の性格からいってコンサルティングファームかシンクタンク辺りに就職するのが妥当だと思っていた。だが、一方で何かを生み出し作り出すといった創造的な活動に関与している実感を得たい気持ちもあった。高校一年生の時に総合商社とプラントエンジニアリング会社を題材にした小説でプラントエンジニアリングという業界を知った。世界中で石油ガスプラントや製鉄所、発電所、水処理施設、ゴミ処理施設を作る壮大さに惹かれた。プラントエンジニアリング会社の舞台はグローバルだ。世界各国至るところ僻地に赴き国の発展に貢献するプラントを作っていく。
神山はエンジニアとして現場目線でプラント業界に携わりたいと思い理系クラスに進学した。だが数学は何とかなるものの物理や化学がどうしても苦手だった。だから結局文系で受験し一年浪人して早稲田大学政治経済学部経済学科に入学した。
自分でも人間関係を構築するのは苦手だと分かっていたし、そういったことへの期待はなかった。だから特にサークルに入るでもなく、淡々と自分の好きなことをして四年間を過ごそうと思った。
その頃、やたら世間ではコミュニケーション能力が大事だと喧伝されていた。就職活動に当たっても企業はコミュニケーション能力を重視する、と。神山はそしたら自分はどうにもこうにも、世の中から必要されない側の人間だな、と感じていていた。
そんな世論に呼応して神山のように他者と自ら進んで関係を構築するのが苦手な人間を『コミュ障』といった言葉で呼ぶことが流行っていた。だが神山にとっては正直そうした世論や流行に怒りを覚えることもなく、どうでも良かった。自分が他人を傷つけることさえなければそれでいい。ある意味で自分は利己的だとそう割り切っていた。大学では友人関係を築けず常に一人で行動するような人間を『ぼっち』と呼ぶようになったのもこの頃からだったと思う。だけど、実際にはぼっちと呼ばれるような人間も大学には多数いるはずで、逆に言えば今までは無視されてきたその存在を手意義付けるようになった。その意味では、誰かと群れていなければ不安になる自分を自覚して、孤独を耐え抜ける人を羨ましいと思っているのかもしれないな、と自分に都合の良いように考えたりもした。大学も最低限四年間で卒業要件を満たす程度で、後は自由に自分のしたい様にしようと心に決めた。だから『楽単』と言われる様な最終講義の試験で何かしら記述すれば単位がもらえるような講義をひたすら受けるでもなく、自分の興味のままに講義を選択した。教授の話はとても興味深い講義もあったし、中には執筆した教科書は面白いのに、話し下手で九十分間とても耐えられないような講義もあった。そういった講義は気が向いたら出席する程度で試験だけはきちんと受けるようにしていた。
就職活動は自分でも苦戦するだろうな、と自覚していた。自分は万人受けするタイプではない。だけど毎日少なくとも最低週に五日間七~八時間にもわたって拘束される場所だから、適当な気持ちでは決められないと考えていた。
いわゆる高学歴層の進路は大学にランクがあるのと同じようにヒエラルキーが存在する。まず医者や弁護士、公認会計士といった士業を目指すものがいる。そして生真面目で国の将来といった壮大な問題に対峙することを求める人間は官僚を目指す。 民間企業で働く場合の最高峰は外資系投資銀行だ。続いて外資系のコンサルティングファームと続く。経団連(一般社団法人二本経済連合会)の指針に従う必要に迫られない外資系は大学三年生の夏頃から学生のリクルーティングを開始する。こういった外資系企業は若いうちから高収入が得られるが募集数は少なく、国公立大学の最高学府出身者であっても中々入ることは難しい。だが入れずとも日系の大手企業の就職活動の前哨戦としての位置づけでチャレンジする者も多い。神山も自分は苦戦するだろうから、少しでも面接慣れしとこうと早い段階で外資系の選考に挑戦していた。
外資系投資銀行の面接は自分の能力のアピール合戦で辟易した。帰国子女で3カ国後操れます、といったようなツワモノ達ばかりで神山はまるで場違いだったからだ。だが外資系のコンサルティングファームは違った。外資系のコンサルティングファームではまず筆記試験でふるいにかけられた後、集団面接に移る。
神山は筆記試験は割に得意だった。頭の良し悪しよりも事務処理能力を問われるような内容だったからだ。そしてその後の集団面接も健闘した。例えば「缶コーヒーの市場規模を推定した上で、原価六十円定価百円の缶コーヒーを売値百五十円で売るにはどうすれば良いか」といったお題に対して与えられた制限時間内で議論し結論を導く。面接官はその過程を見て、コンサルティングファームの業務で求められる論理の一貫性といった要素を測っていた。既にそういった面接が行われることは世間でも知られていて対策本も多く本屋に置かれていた。だが神山はあえてそういった対策本はあまり鵜呑みにせず、自分の頭で自分の言葉で対応できる練習だけをして臨んだ。勉強だけができるタイプの人間は口々に対策本通りの模範解答をなぞった。だが面接官もバカじゃない。そういった模範解答を崩す問いを途中で入れてくる。そうした時、通り一遍の方法論しか身につけてこなかった彼らのような人間は、簡単にその自信満々な態度が崩れ落ちていく。そういう意味では、与えられた課題に対して、ゴールに至るまでの思考プロセスを細分化し漏れなく一貫した論理で結論へと導くことに長けた神山は相対的に評価された。だが最終面接ではやはり力負けすることが多かった。神山には他人に誇れる経験も能力もさしてなかった。とはいえこうした就職活動を続ける中で外資系のビッグ4とよばれる会計系コンサルティングファームから内定を得る事が出来た。だが公認会計士の資格がある訳でも無しに会計系コンサルティングファームに入ってもたいしたスキルは得られないと思いあくまで日系企業が上手くいかなかった場合に行く滑り止めと捉えていた。
日系企業の面接が始まると筆記試験やエントリーシートはどこも通過するが面接がことごとく上手く行かない。面接官と話しが噛み合わないのだ。例えば大量採用で知られるメガバンクでは、君は銀行員には絶対向かないからやめたほうがいい、とどこに行っても言われた。一方で老舗のメーカーからは必死のリクルーティングを受けた。国内を主力市場に据えていたが市場が縮小する中で海外展開を推進するにあたり若い力が必要なんだ、と訴えていた。そうした相手に大しては淀みなく論理的に話す神山の姿勢は概して好まれた。神山に声を掛けてきた会社は国内最大手の農業機械メーカーや建設機械メーカーをはじめに投資家としての観点から見れば優良企業ばかりだった。だが、だからといって待遇が特別いい訳ではない。
現実的にはやはり待遇は重要だと神山は考えていた。そんな折、自己分析と称して神山も自らの二十一年間を振り返ってみた。そこで高校生の時、小説で読んだプラントエンジニアリング業界を舞台とした小説を思い出した。これだと思った。自分は論理的なやりとりを好むが、無形のサービスよりも有形の構造物を構築する事のほうが生きている実感を得られる気がした。そしてプラントエンジニアリング業界はメーカーよりも給料が高いといわれていた。総合商社程ではないがそれに順ずる位置にいる。例えば大手海運や大手酒造メーカー等に匹敵する水準だ。無論それでは利己的に聞こえてしまうから「チーム一丸となって一つの構造物を完成させる」ことに浪漫を感じる、と言って面接には臨んだ。日系企業は組織の論理を大事にする割には、面接といった場合では最後は感情で判断する傾向がある。だからできるだけ情熱的に、あえてところどころつっかえながらも話して、不器用ながらも熱意がある。育て甲斐がある、そう思ってもらえるように工夫して面接に臨んだ。神山の意図は見事に的を得て、思い通りに日系プラントエンジニアリング最大手の東亜エンジニアリングから事務系社員として内定を得た。
だが、長期間の工事を完遂するマネジメント能力に対する対価として報酬を得るビジネスモデルのプラントエンジニアリング業界で求められる能力と神山の資質には合致しない面もあった。プロジェクトではエンジニア、事務系社員が更に細かい段階で分業体制を敷いて各々の役割を果たしながらも密な連携をとることが必要とされた。それはすなわち協調性やコミュニケーション能力が必要ということだ。
だから神山はそれに対応するように演じる必要があった。だから面接で話したエピソードは嘘八百だし、なんとなく内定を貰った後は後味の悪さだけが残った。それでも他の多くの学生も同じように就職活動というゲームを潜り抜けてきたんだと。社会とはそういったゲームで成り立っているのだ、と自分を納得させた。
神山悟は東亜エンジニアリングに入社し財務部財務第一課に配属された。東亜エンジニアリングが対峙する顧客は世界に名だたる石油メジャーや政府機関、国営企業など大物が中心だ。だからまず以ていきなり営業に配属されることはない。事務系社員はまずバックオフィスとよばれるような間接部門あるいは調達部門といって資機材や保険契約の手配を取り仕切る部門に配属される。神山は経済学科出身であったことも影響したのか財務部に配属となった。
財務部は財務第一課から第五課からなる。第一課は主に各事業部の収益管理を担当する。東亜エンジニアリングは事業部制度を採用しているので、各事業部門ごとにそれぞれ専属の収益管理担当者がつく。加えて会計監査対応や海外での納税業務、資金調達や資金管理といった他の課と連携をとりながら共同で進める仕事もある。第二課は上場企業に義務付けられている有価証券報告書の作成と納税業務を担当する。つまり会社の成績表を世の中に公開すること、そして法人税納税等、各種納税業務を取り仕切る。第三課は日々の入出金対応を行う。また会社の現預金の管理も業務対象にあたる。続いて第四課は資金調達の窓口部署だ。プラント建設に当たりプラントエンジニアリング会社側が一旦資金調達して建設を行い、プラント建設の完工と操業段階で顧客から代金回収を行うケースが多いことから、最初に資金を用意するのは当社側になることも多い。そういった場合の所要資金を各金融機関から調達を図るのがメインの業務だ。最後に第五課は神山が入社後に新設された部署だ。国際的な納税業務や現地税制の問い合わせ窓口の機能を担う。従来各海外拠点が単独で納税業務を行っていたが、本社でまとめて納税業務をとりしきることで正確な納税により課徴金をとられるような事態を減らす、また二重課税を極力避けるための手続きを駆使して節税を測り、納税後の最終的に会社に残る利益を極大化するのが目的だ。
神山悟は財務部第一課のエネルギー事業部門担当チームに配属された。チームを取り仕切るのはシニアマネージャーとよばれる課長の一歩手前段階の階級の沢登豊だ。続いて入社七年目の若狭哲、入社四年目の白石美織、そして入社三年目の神山悟で構成される。沢登は語学力に長け財務部や調達部門など間接部門を渡り歩いてきた。担当者の若狭と白石は神山と違い文系社員では珍しく院卒だ。神山の指導員には年次が一個上の白石があてがわれた。エネルギー事業部門は三年前の組織改正で新設された事業部門であるため、財務部担当チームと事業部門との間のやり取りも試行錯誤の段階にあった。若狭も白石も長期の留学経験があり語学力に長けていた。指導員の白石は年次では一次の差だったが、年齢では三学年分の差があった。加えて概して女性の方が精神的に成熟しているから、白石の目には神山はとても幼く映ったのだろう。それに加えて生来の性格が正反対だったから、二人の馬は合わなかった。白石の指導は神山には納得がいかない場面が多くあった。白石は走りながら考え行動し細かいことは気にせず要領よくリズムよく仕事を捌いていこうとする。一方、神山は業務の最終目標や本質的な目的を明確にした上で、ゴールに至るまでのステップを細分化した上で着手するタイプだった。だから白石の神山への指示は、神山にとってはいつも場当たり的に映った。とはいえ優秀な白石の対応は実際には考え抜かれた正しい答えだった。成熟した大人であればそれでも、あるところで妥協するものだが、神山の頭にそういった選択肢は無かった。
例えば、事業部門に所属する営業担当者から当年度の代金回収および支払計画を回収するにあたり、従来は事業部門側で記入様式を各人が作りたいように作成して財務部に渡していた。そのようなやり方では必要な情報が網羅的に記載されず、追加で確認をせねばならない場面が多く発生する。加えて、事業部門の間でも事業分野によって記入様式が異なるために、統一して事業部門全体での代金回収および支払計画を把握可能な資料をわざわざ、回収した各々の資料から転記する作業が財務部側に生じていた。神山は様式を統一して事業部門に記入を依頼すれば、互いの作業工程が軽減し効率化が図れるのではと白石に提案した。だがあっさりと、その案は却下され、従来どおり様式任意と記して事業部門に依頼することになった。それはどちらが正解で不正解という問題ではない。白石の様に走りながら考えるタイプであれば、多少の手戻りがあったとしても早く業務に着手し次の工程に早く進むことが重要だと考えている。一方、神山のようにゴールを設定しそこに至るまでのプロセスを明確化することを重視するタイプにとっては白石のような仕事の進め方は思考停止に映った。そんな風にして互いに嚙み合わないことを最初から感じていた。そして周囲も彼らは水と油のような存在で、組み合わせの分が悪いと考えていた。神山も頑固者で融通が利かないところがあったから己が良き改善で必要と考えたらしつこくその改善にこだわった。無論勝手にやってしまえばそれまでなのだが、白石は神山の一日の業務を分単位で管理し把握していたため、白石の許可無く従来と異なる手法を取るには必ず彼女との議論が必要になるのだった。
だが彼らを統括する沢登はそうした部下の相性といったことに疎く、特に何とも考えてはいなかったのだろう。今年の新人は理屈っぽくて少し厄介だな、とそう思っていた。沢登は典型的な事無かれ主義で前例踏襲を基本とするタイプの上司だった。それだけであれば、自分を抑えて彼に従い無難にやり過ごす事さえ意識していれば万事上手くいく。だが問題は彼が全てを把握したがるタイプの上司であることだった。会社には一定数いるであろう「僕は聞いてないぞおじさん」なのだ。どんな瑣末な事でも彼の耳に入っていないことが発覚すると、途端にそれ以外の仕事も疑いだす。そうなったら後の祭りだ。他の業務も全て彼への説明会を行うことが求められる。そうなると定時を過ぎてようが会議室に子守り二時間、いや時には三時間と彼への説明会が開催されるのだった。
なんて不毛な時間を過ごしているのだろう、そう神山は思っていた。彼の部下の業務を全て把握しておきたいという性格ゆえに、ただでさえ立ち上がったばかりの事業部門ゆえ課題が山積しているにも関わらず、神山達担当者の時間は奪われるのだった。そして何より納得できなかったのは彼への説明会を充分過ぎる位に行ったにも関わらず。事業部門の事業本部長への予算や決算など計数の説明にあたって、沢登は何か漏れやミスを指摘されると必ず担当者のせいにするのだった。
そんな中、間をとりもってくれたのは若狭先輩だった。だが若狭先輩はエネルギー事業部門担当チームと全社部門を兼務していたから繁忙を極めており彼に間を取り持ってもらうのには少し躊躇われる場面も多かった。全社部門での業務は事業開発部門といった未だ売上げを上げず費用のみ発生する部門と各事業部門から報告された計数を合わせて会社全体としての計数を把握するものだ。だから実態としては若狭先輩はエネルギー事業部門担当チームからはほとんど外れているといっていい状態だった。
神山の実家は世田谷区豪徳寺駅から徒歩五分程の閑静な住宅街にあった。会社へ通勤するには実家からでも十分近かったが、東亜エンジニアリングは総合職であれば実家の場所に関わらず社員寮を用意してくれた。神山はJR中央線西荻窪駅が最寄の社員寮に入居していた。神山の起床時間は朝七時。起きたらスマートフォンの睡眠アプリで今日の睡眠の質はどうだったか確認する。今日はまあまあ深く寝れたみたいだ。目覚めの感じもよい。そして朝の目覚めをよくするため軽くストレッチをする。そして身体を内臓から温めるため白湯を飲む。
洗面所に向かいハンドソープで丁寧に手を洗った上で、洗顔に移る。朝は洗顔料は使わない。朝晩二回とも洗顔をすると過剰に肌の皮脂を落としすぎてしまうと聞いたからだ。特に鼻や頬を中心に手で円を描くようにしながらすすいでいく。タオルではなくティッシュペーパーで軽く当てるようにして水を拭き取る。続いて髭剃りだ。以前は剃刀を使っていたが、肌荒れがひどく、敏感肌用の回転式シェーバーを最近購入した。シェービングホームをしっかり当てて、その上から円を描くように剃っていく。
次は髪だ。ぬるま湯を地肌からなじませるようにかけて、ドライヤーで髪を乾かす。六対四の割合で前髪は分ける。まずは左側の前髪をドライヤーで立たせる、続いて右側だ。最後に櫛を使って横や後ろを頭の裏側の中心に向かうように流していく。整髪料は使わない。髪に異物が混じりベタベタしたあの感覚が不快だからだ。程よく癖っ毛だからいい感じに仕上がっていると自分では思っている。
神山は新陳代謝が活発なせいか髪がのびるのが早い。だから3週間に1回必ず散髪に行く。散髪はなじみの格安カットだ。美容院は苦手だ。自分とはまるで生きる世界が違う人間が集まっているような世界に思えて怖気づいてしまう。なじみの散髪屋は以前は流行の千円カットだったが、最近値上げして千三百円となった。回転率よりも顧客一人一人のサービスの質を維持したいからという事情だそうだ。千円カットでは沢山の顧客を相手にするから美容師の質は高いと神山は感じている。
注文する時は「耳周りが耳に掛かり始めたので、ここは全部出すように。それから襟足が正面から見ても見えてきてしまっているのでここも見えない位にきってください。それから頭の上はボリュームが多くなりがちなので梳いてください。前髪は今みたいに左側に流す感じで。普段から整髪料はつけないので朝ドライヤーで乾かせばこんな感じになるように、他の箇所と合わせて切ってください」と伝える。こう伝えれば大体イメージどおりに仕上げてくれる。適度に段を入れてくれる等の気遣いもある。
次は歯磨きだ。朝はとにかく口内が不快だ。丁寧に丁寧に磨く。
続いて朝食。神山が暮らす社員寮には部屋にキッチンが無い。だから同じフロアにある共有キッチンに向かわねばならない。他人とこの憂鬱な一日の始まりを共有するのは不本意だが、まともに朝食をとろうとする奴はほとんどおらず大抵は1人だ。
この社員寮は自分の会社だけでなく複数の会社が入居する一風変わった社員寮だ。
高校生の育ち盛りまでは家族の中でも唯一ご飯派だったが、社会人になり1人暮らしになってからは食パン派に切り替わった。やはり忙しい朝の時間にさくっと食べれるのはありがたい。これから始まる憂鬱な一日を乗り切るために少し高価だがバターがたっぷりしみこんださっくりとした食感の食パンを食べることにしている。肌が弱いからビタミンCを摂取するためにグレープフルーツを食べる。グレープフルーツは夜のうちに半分に切って、皮と実の間に切れ目を入れて食べやすくしてある。加えてヨーグルトはブルーベリー味一筋だ。ヨーグルトは一ヶ月に一回安売りの日があるので買いだめしている。朝食は大抵七分で皿洗いまで完了する。そして部屋に戻り冷蔵庫から米麹から作った甘酒と豆乳を取り出して一対一の割合でかき混ぜる。ある有名な女優が甘酒は飲む点滴で健康にも美容にも良いと話しているのをネットで見てから習慣となった。朝に飲むと代謝が一日中良くなってダイエットにも良いらしい。最後にまた歯磨きをもう一度する。
ワイシャツ、ネクタイの組み合わせは毎日決まっている。ネクタイが綺麗に結ばれているのを鏡で確認し革靴を履く。革靴は国産のブランドを愛用している。職人が丁寧に一足ずつ仕上げたものだ。甲革とよばれる靴の上部と縫いしろの役目をするウエルト、足裏が接する中底の三つのパーツを一本の糸ですくい縫いすることでできた靴だ。
この社員寮は妙にしゃれ込んだ設計だが不便な箇所が沢山ある。その一つが玄関だ。段差がないため座って靴を履くことができない。どうしても耐え切れず靴を履くための座椅子を用意した。
木型を外して紐を結ぶ。さあ今日も代わり映えしない一日の始まりだ。
最寄のJR中央線西荻窪駅には徒歩で向かう。満員電車を少しでも回避したくて総武線各駅停車に乗る。御茶ノ水駅まで向かい御茶ノ水駅で中央線に乗り換える。東京駅で下車すると長いエスカレーターを下る。そして更に地下へと向かうエスカレーターに向かう。神山が勤める丸の内セントラルビルディングのエレベーターは一階からでは何本も待たないと乗れないからだ。地下からの入口へ向かうべく地下通路へと向かう。フロアに向かう前にビルの地下街にあるコンビニで昼飯用のざるそばを購入する。神山の勤める財務部第一課は二十四階建の十階にある。大体八時半には自分の席に到着する。始業時間は9時半なので一時間前倒しでの出社だ。
デスクに向かうとまずパソコンの電源を入れ、続いてデスクの上をウェットシートで綺麗にする。神山のデスクの上には気味が悪いくらいに最低限の物しか無い。パソコンにログインすると、今度は温かいお茶を取りに向かい、一息つく。身体を温めると脳が一旦深く深呼吸してくれるような安心感があるからだ。そしてすぐに便所へ向かう。神山は昔から体調に関わらず快便で朝昼晩と一日三回欠かさない。
神山は1年目から忙しい毎日を送っていた。神山の主たる業務は担当事業部門の収益管理だ。普通は予算決算と分かれて行うケースが多いがエネルギー事業部門担当チームは予算決算双方を一手に担う。繁忙の主な要因は年に四回も行う予算編成だ。また決算業務は月次、四半期、年度とこちらも短い間隔でやって来る。加えて担当するエネルギー事業部門は東亜エンジニアリングが新規部門として一昨年に立ち上げたばかりの事業部門であり、手がけるビジネス形態も他の事業部門と違う。設計E(ENGINEERING)P調達(PROCUREMENT)C建設(CONSTRUCTION)までを担うEPCだけでなくO&MといってO操業(OPERATION)とMメンテナンス(MAINTENANCE)まで一貫して提供する形をとっていた。顧客にとってはエネルギーの確保を自前で行うことができ、一方でエネルギー供給の維持管理は外注することで工場の本来の業務、例えば生産計画の立案や生産の流れの改善といった業務に集中できるメリットがある。また蒸気など熱多少費型の工場にとっては電気、蒸気、純水などを一つのガスタービンやガスエンジンで同時に供給するコジェネ型とよばれるエネルギー供給手法は価格優位があった。
神山は昼休みは必ずフロア共有の冷蔵庫に保管しておいたざるそばを毎日食べる。毎日同じざるそばを食べる。そばが単純に好きだからだが、それ以外にも理由はある。昼に炭水化物を摂取すると血糖値があがり午後一番で急激に眠気が襲ってくる。だから昼食は成人男性には少し物足りない寮のざるそばが適量なのだ。そして蕎麦には健康美容効果もあるそうだ。入社直後は同期達と連れ立ってランチに出かけていたが、業務が本格化すると前の会議が延びて昼休みの開始時間が後ろ倒しすることも増えたこともあってか、同期と連れ立ってランチする機会は次第に減っていた。でも神山にとっては有難かった。毎日同じ物を食べることで安心できるし、外食せねば節約にもなる。神山は日常の生活での習慣に変化が起こることがとても苦手だ。
家に帰宅するとまず手をしっかり洗い、次いで風呂を沸かす。風呂を沸かしている間に夕食を済ます。夕食は既にカットされた野菜にコンビニで調達してきたサラダチキンを切って野菜の上に載せてゴマドレッシングをかける。後は白いご飯に納豆。そして豆腐を温めて食べる。たまに時間がある時は焼きそばといった簡単な自炊をする事もあるが大抵は質素なメニューで終わる。食事を終え皿洗いを済ますと寮の自室に戻り風呂に入る。風呂では髪から洗う。顔の表面にシャンプーがつかないようにシャワーを使って丁寧にシャンプーとリンスで洗う。続いて体を洗う。摩擦でこすりすぎないようによく泡立てて撫でるように洗う。そして女性用のクレンジングオイルを鼻と頬を中心に浸す。ここまでで大概十分掛かる。そして湯船に十分間つかる。この時時間だけは意識せずとも何も考えずボーっとできる大切な時間だ。この時間のために生きている。そんな気がするくらい、神山は一日の中で湯船につかる時間を楽しみにしていた。
そして湯船からあがるとまずクレンジングオイルを洗い流す。そして手をハンドソープでもう一度洗い皮脂を落とす。皮脂を落とすことでより泡立ち易くなるかだら。愛用している洗顔フォームを手にのせる。水を少しずつかけていき生クリームを泡立てる要領で丁寧に泡立てていく。大きな泡が出来ると顔を包み込むようにして泡を顔の表面に吸い込ませる。そして直接手が皮膚に触れないように注意しながら、頬や鼻を中心に泡を転がして毛穴汚れや角質をとるように意識している。そして最後に水で丁寧に注ぐ。洗顔は泡立てに八分。すすぎに二分程。こうして三十分程お風呂で時間を過ごす
お風呂から出るとバスタオルで身体を包み込むようにふき取っていく、神山は必ず毎日バスタオルを交換する。おかげで週末は洗濯物でも一仕事だ。。
お風呂からあがると真っ先に必ずその日の家計簿を更新する。神山は学生時代にエクセルで自作したフォーマットを今も使い続けている。日付、内容、費用、費目等を記帳シートに入力すると、別シートに用意してある年度、月間それぞれの会計期間での収支が自動計算される仕組みだ。またカードを使用した場合は負債として分類し預金や証券口座の買付余力、保有株式等を含めた総資産から控除することで、純資産の推移を記録し計画と実績の対比を行っている。これはライフプランに応じてお金で困ることがないように着実に貯蓄を図ることが目的ではあるが、何よりもこのルーティン作業を行うことで安心感が得られるのだ。家計簿を更新した後は日記をワードに入力する。その内容は会社でできるようになったこと、不満に思ったこと、今後改善していきたいこと、といった内容から時事問題への意見などその日の気分で変わる。だが不特定多数の目にさらすことへの抵抗感が強いため、けしてブログのような手段で公開を図ることは無い。こういったメモを積み重ねることで、いつか小説やエッセイ、あるいは批評本を出すのが神山の小さな夢だ。
神山は高校では私立の名門進学校で国公立の最高学府東京大学への合格者数で上位を競うような男子校で自由闊達に過ごした。変わった奴の方が大勢で各々がアイデンティティを保てる環境に身を置いていた。勉強は上には上がいて少し苦戦した。ちょうど真ん中くらいの成績だったから一浪すれば東大も夢じゃない立ち位置だった。 皆が東京大学と滑り止めに早慶だけを受けるのが当たり前のような風潮だったから、良く考えもせず神山もそれに倣った。だが東京大学はおろか早慶も全滅だった。どこにも行く先がなかったので必然的に浪人することになった。浪人時代は予備校でも高校時代の仲間が予備校での多数派を占めていたから人間関係で思い悩むことはなかった。だが、無駄に時間ばかりあるものだから人生の意味だとか生きるってどういう事なんだろうと漠然とした問題に悶々と頭を悩ます夜が続いた。結局、たいした情熱もなく惰性で勉強を続けた結果、第一志望の東京大学には落ち、私立大学の早稲田大学政治経済学部経済学科に進学することとなった。
神山は小さい頃から納得がいかないことには異を唱えるタイプだった。だが時に答えようのない問いを投げかけて大人を困らせることも暫しあった。
また人間関係においても融通の利かないところがあり、「こうであらねばならない」という思いが強すぎる節があった。小学校の通知表には「しっかりしているが友達に対しても同じように要求してしまう。まだその段階に至ってない子もいることを理解できるといいですね」と書かれた。何か諍いやいじめといった問題があると暫くは静観を図るも、最後の最後は正論をぶちまけてしまう。その結果、正しいことを言ってもまるで神山が悪者かのような雰囲気になってしまう。だからなんとなく居心地の悪さは感じていたし、周囲も彼を気難しいと感じていた者も多かった。
けれども神山はその正義感をなりふり構わず振りかざしていた訳ではなかった。
誰かが傷ついたり悲しみや苦しみを抱えていたら、誰も見ていない場所でそっと耳を傾け、支える優しさがあった。だからけしてクラスの中心人物になることは無かったけれど、密かに好意を寄せる女子は多かった。
地域柄、ある程度勉強が出来る子はほとんどが中学受験をする小学校だったが、神山が自分も中学受験したいと言い出すことは無かった。両親は道を決め付けることなく神山に選ばせてくれる理解があった。実際のところは塾に行く事になれば大好きな野球の練習にいけなくなるのが嫌だっただけで、その好奇心の旺盛さから勉強のほうも自ら先取りしていく自発性を既に身につけていた。加えて小さい頃から夜20時にはエネルギーを使い果たして就寝していた様な子供だったから、どの道夜遅くまで授業を聞き毎日塾大をこなすような生活を強いられる中学受験が向いているようなタイプでは無かったのだ。
財務部には財務部題三課に一人だけ神山と同期がいた。一般職の山本飛鳥だ。山本は神山の不器用な優しさを好意的に捉えていた。きっと生来の性格で正論をふりかざしてしまい時には誰かを傷つけてしまうときもあるのだけど、彼は心根はとても優しいと山本は思っていた。ぶっきらぼうだけど、何も言わずに手を差し伸べてくれる。相手を慮って、けして踏み込みすぎず。だけどもけして放って置くこともしない。異性として見てるかと問われるとどうだろう、良く分からないけど、もし彼がそういった気持ちでいるならきっと私は受け入れると思う。だけど何もなくてもいいと思う。人生にはそういった定義できない相手が必要だ。今日もそんな神山君の不器用な優しさを象徴する出来事があった。
それはお昼休み明け、ちょうど睡魔が襲ってきて社内の空気が少し緩む十三時半過ぎごろに起こった。入社一年目の男の子が社内で実施された経理講座の紙資料を部全体にPDF化して配布するよう言われ、コピー機でスキャンしメールに添付して財務部全員宛に送信した。だが彼はファイルの中身を確認しないまま部全体に送信してしまった。受信したメールの添付ファイルを開くと上下逆様で画面上で見るには困ってしまう有様だった。そんな時、神山君はさりげなくその男の子を手招きしてスキャンの方法をコピー機の前で丁寧に教えていた。だが彼がそんな事をしているとは露知らず沢登は自身の立場上権限を許可されているソフトを使い修正版をその男の子に送付していた。
その男の子は席に戻ると沢登が修正版を送ってくれた事に気づき、立ち上がって礼を言った。一方でわざわざ時間を割いて手取り足取り教えてくれた神山君には罰の悪そうな表情を浮かべていた。神山君は滅多に見せない笑みを浮かべていた。彼なりに気まずい立場の男の子を慮ったのだろう。
沢登は心根は悪い人じゃない。だけどなんというか相手の本当にためになることや相手が本当に欲しているものが、おそらく本当に理解できないのだ。だから以前にも多くの部下を傷つけ退職や休職に追い込んできた。今回の件も沢登は機転を利かしてあげたつもりで満足気だ。だがその男の子は、その指導では一生自分では正しくスキャンする事ができない。だから本当に意味があったのは神山君の指導だ、と私は思う。
無論神山君にも至らない点はある。反りの合わない沢登や白石に正論で真っ向から対立してしまうから、そのせいでエネルギー事業部門担当者チームはギクシャクしている。組織では白黒はっきりつけない方が万事上手く事が運ぶこともあるし、そういった按配を理解して動くことも会社員としては必要なスキルだ。だけどそれでも自分が正しいと思ったことを主張できる神山君はやっぱり羨ましい。私には到底無理だ。
神山は入社一年目、他の同期に先駆けて真っ先に業務に本格参入した。他の多くの総合職の同期は各担当の事業部門のプラントで現場感覚を知るため、一ヶ月から三ヶ月に渡る長期の現場研修があった。だが神山の担当する事業部門ではまだ運転開始したばかりであったり、海外で建設途中の発電所だったりと新人の面倒を見る余裕のある現場は数少なかった。だから当社が手がけた最古の発電所で一週間だけ研修に参加して五月の早々には本社に戻っていた。入社して二ヶ月が過ぎ六月頭からはもう毎日終電という有様で、繁忙期にはタクシーで帰宅し休日も返上で働いていた。神山なりに一生懸命に取り組んでいた。だが時々自分の主張が過ぎることもあった。加えて忙しさのせいもあってエネルギー事業部門担当者チームの雰囲気は次第にギクシャクしていった。
例えば一年目の研修発表はチーム間の団結を図る目的で行っている節があったのだが、建前上はそういった狙いは示されていなかった。だから時間内に充分に発表準備ができている、と神山は考え徹夜をするなど考えもしなかった。だがエネルギー事業部門担当者チームは毎年、何度も発表内容をチーム間で吟味し合い徹夜をする事で団結を図っていた。要は昔ながらの同じ時間を長く過ごせばチームの力は上がるもの、という哲学に基づくものだ。体育会的な考え方に馴染めない神山は残業は当たり前だとする彼らの姿勢に疑問を抱いていた。無論、経験値として時間を積み重ねる必要はあると神山も理解していたし残業を真っ向から否定していた訳ではない。だが会社の利益を最大化する最終目標に照らしたとき、不合理な残業を積み重ねて残業代が跳ね上がることには疑問を持っていた。沢登に対しても、直球でそのように主張したが、沢登には残業を拒むやる気の無い若者と映ったのか課長にもそのように報告していたようだ。
そして二年目となり初めての年度末決算を乗り越えた四月下旬、少し余裕が出来た頃のこと。その年の就職活動の面接開始時期は六月に後倒しになっていたが、東亜エンジニアリングはリクルーター制度といって社員が一対一で面談を行い、目ぼしい学生を年次の上の社員に引渡していて最後に人事課長が面接する制度を取っていた。一対一で面談を行うからどうしても人手が必要になり必然的に若手は採用シーズンには全国津々浦々と動員されて面談をこなす必要がある。神山も例に漏れず採用活動に狩り出され4月最終週の週末に大阪出張となった。正直この一年で肉体的にも精神的にもボロボロになっていた。今の自分は自分が入社前に思い描いていた姿とは違っている。そんな自分が学生相手に何をいったい語れるのだろう、そう思っていた。グローバルにプラントを建設するこの業界は近年就職活動を行う学生の間で急速に認知度が高まり、エントリー者数は毎年右肩上がりで伸びていた。神山が担当した学生は目を輝かせて神山の話を聞いたが、神山はなんだか、また就職活動の時の延長線上で自分を繕い大きく見せているような気がして、少しだけ嫌気が差した。
大阪での採用活動を終えて帰京する新幹線の中のことだった。ふと吐き気がこみ上げてきて、お手洗いに駆け込んだ。何度も吐いた。全て吐き出した後、何かが彼の中から抜けていった。なんとか寮の自室に戻ると倒れこむようにして眠りについた。
次の月曜日の朝、身体が金縛りにあったみたいに全く動かなかった。とりあえず枕もとの携帯電話で会社に電話した。財務部は残業が多いこともあって朝は皆ギリギリに出社する。だから神山が電話をかけたとき、直属の上司は誰もいなかった。代わりに電話に出たのは遠方から通っている同期の山本飛鳥だった。東亜エンジニアリングは総合職は実家がどこにあるかに関わらず借り上げ社宅の形で寮を用意してくれるが、一般職にはその制度はない。彼女は神奈川の橋本駅から約1時間半かけて通勤してくる。橋本駅から実家までも徒歩十分あるから、かなりの時間を通勤に費やしている。遠方から通勤するから必然的に早めの出社となる。
「山本、ごめん今日僕体調悪いみたいで、ちょっとまた電話するのもしんどいから申し訳ないんだけど沢登さんに今日は休ませてくれって伝えてくれないか」
「うん、わかった。くれぐれもお大事にね。気にせずゆっくり休むといいよ」
山本はなぜか神山には優しい。同期だからという事もあるが、お互いに大人しいけど言うべきことは言う、そんなスタンスが同じだからだろうか。なんとなく馬が合う。彼女に言わせれば神山君のように自分の主張を口に出来たら良いのにという。
そこから何時間寝たのだろうか。起きたときには日付が変わっていた。むしろここまで寝れるのは体力がある証拠だ。年齢とともに早起きになるのは体力がなくなるからと聞いたことがある。寝れるということはまだまだ体力がある証拠だ。
それから火曜日、水曜日と熱は摂氏四十度前後を行き来していた。何かを食べる気力もなく、なんとかコンビニまで足を運んで調達したポカリスウェットをひたすら飲んだ。そして熱も平熱近くまで下がった木曜日の朝のことだった。起きようと思ってもまた金縛りにあったかのように身体が動かない。やがて金縛りがとけて動けたのは良いが強烈な吐き気と動悸に襲われた。そこから一時間近くはお手洗いにこもっていただろうか。
「すいません。今日も熱が下がらなくて休ませてください。ご迷惑おかけします」
今日も会社に行く気力がない。だから熱が下がらないことにしよう。そう言って電話を切ろうとしたとき、沢登が何か話しかけてきた。
「大学病院には行ったのか」
神山は一瞬何を言っているんだろうかと思った。
「いえ。吐き気も無いので感染するような病気でもないと思いますし、ゆっくり寝て過ごそうと思っています。念のため近くの内科でインフルエンザの検査を受けましたがただの風邪のようです。高熱が続いているので解熱剤を処方してもらいました。」
恐らく仮病を疑って大層心配している振りをしているのだろう、と思った。面倒だからそれなりの理由を繕っておけばよい。神山はそうやって誰かの言葉を深読みして負の方向に勝手に解釈してしまうきらいがある。実際のところ沢登は本当に心配していた故の発言かもしれないし。実のところは神山にはわからない。たまたま沢登が選んだその言葉が今の神山にはすこし優しくない言い方だった、だけのことかもしれない。
翌日の金曜日、週も残り一日と思えば何とかなる、と思い出社した。
まずは沢登に挨拶せねば、といつ沢登が出社してくるか、神山はチラチラと部の入口に目を向けていた。以前、風邪で一日有給をとった日の翌日、沢登が出社した際に、すぐに昨日のことは触れず「おはようございます」とだけ言ったら、その後すぐに
「ちょっといいか」
といわれて会議室に連れて行かれた。
「お前は昨日突然休みをとって仕事に穴を開けた。それなのに今の態度はなんだ。ご迷惑おかけしましたの一言もないじゃないか」
「すみません」
神山はそういうのが精一杯だった。沢登の言っていることはもっともだ。だけど、自分もその言葉を言おうとは思っていたのだ。だけど、沢登が一息落ち着くタイミングを見計らって、昨日の休みの件に触れようと思っていたのところ先を越されてしまったのだ。
僕が職場で上手く行かない人間関係は、こういったほんの些細な意思疎通のズレや立ち振る舞いの不器用さによるものだった。どうしてもっと要領よく上手く立ち回れないんだろう。そうして自己嫌悪のループにはまっていく。そして沢登に叱られた日は、どうしたってどんよりした思いが一日中続く。例えば熟練のエンジニアに厳しく一喝されても、その場限りと思える。その後は、また平気で彼らと意思疎通を図りながら仕事を進めていくことができる。だけど沢登との間では距離が余りに近すぎるせいか、どうしても気にしてしまい切り替えることができず、感情のしこりが残ってしまうのだ。無論、一社会人としてはそれでも割り切って、業務上の意思疎通は図らねばならないのだが。どうしても萎縮してしまい話しかけられない。そうすると部下の業務進捗状況を出来る限り全て把握したい沢登への報告が遅くなりまた叱られる。負の連鎖だ。自分でもそれは改善すべきことだと気づいているし、どうにか割り切るしかない。だが何かあった後は彼へ話しかけようとしても声が出なくなってしまう。
だからこそ今回は先回りしてちゃんとお詫びの言葉を真っ先に言わねば、と朝から身構えていた。そして沢登が出社するとすぐに
「この四日間、お休み頂きありがとうございました。お蔭様で熱も下がりました。この度は大変ご迷惑おかけしました」
言えた。よし、と思った。
「いやー年度末決算も締まった段階だったから業務上の問題は無かった。初めての年度末決算がし締まってホッとして熱が出たんだろう。知恵熱ってやつかな」
と笑いながら答えた。今日一日分の気力を使い果たした気がした。良かった、少しだけ前進した気がした。
会社はこうしたメンタル不調の兆しには慣れていた。遅刻や病欠が多くなると人事が会社の保健師や産業医との面談を斡旋して来る。神山は一度一年目の冬に残業時間が百時間を越える月が十一月、十二月と二ヶ月続いてたから、一月中旬頃に産業医面談を一度経験していた。だがそれは型どおりなやり取りしかなく、あくまで会社としてチェックはかけてますよ、という証を残すためだけのもののように思えた。
入社二年目の四月下旬、先の欠勤を受けて上司は産業医に面談を行うよう依頼した。産業医は常駐しているわけではなく週二回来社しているのだが、ほとんどいつも面談の予約でいっぱいだった。だから先の欠勤を受けてすぐではなく、暫く時間が経ってから神山の面談は設定された。
それだけ過重労働を強いられている現状があるということだ。無論その背景にあるのは人それぞれだが、大抵は行き着くのは職場の人間関係が上手く回らない、そして自分の目標を見失ってしまっている状態にあること、が大概の心身不調の背景だ。
産業医は三十代後半位の女性だろうか。快活そうで、どちらかというと神山とは対極にいるような人の様に見えた。天気や花粉症といったとりとめのない話から始まり、いよいよ本題に入ったようだ。こうしたストレスチェックを目的とする問いでは、よく考え込まずに直感で答えてください、と言われることが多い。だが今回はそもそも神山が身構えてやってきた様子を察知したのか、そういった形式的な前置きは省かれた。
「会社正直しんどい?」
「しんどいどきもあれば、そうでもないときもあります」
「そっか、しんどいときは何が原因かな。仕事が多くていっぱいいっぱいになっちゃうとか。上司や仕事で関係する人とうまくいかないとか」
「指導員の女性とまず馬が合いません。彼女は走りながら考えるタイプで、僕は考えてから走り出すタイプです。だから僕のやることなすこと全てが彼女にとっては不可解に映るようで、その苛苛っとした感情を僕は敏感に察知してしまいます。また直属の上司の沢登さんも苦手です。いつも報連相が足りない、と怒られるのですが、自分ではどのようにどれ位足りていないのか、どうすれば正解なのかが本当に分からす、そのまま聞くと自分で考えろ、とつき返されます。またプライベートを含めて僕の全てを知ろうとしてくるきらいがあるのですが、遠回りに聞いてくるので僕も答えに窮してしまいます。とにかく会話がかみあわないんです。仕事の量は多いですが、仕事の内容自体は自分が希望していた分野ですから辛くはありません。むしろ指導員の方と比較して指導員の方が僕と同じ時期に担当し始めた仕事をまだ任されていないことに焦りを感じています」
神山は淀みなく今の状況を産業医に伝えた。
「そうですか。それはつらいですね。孤立無援だなって感じることはありますか」
「そうかもしれません。正直言って自分は人間関係を構築するのが苦手で、その中でも割に苦手な方だと思っているタイプの方々とチームを組んで仕事をしているため、毎日が憂鬱です。仕事自体は興味深い分野でやりがいも感じていますが、やはりチームの方々が味方ではなく敵だと勝手に思い込んでしまうところがあって、やり辛さを感じています」
「そうですか。仕事は面白いけど今の人間関係はしんどいのね。どうしたらいいのかね。でもその仕事はし続けたいんだよね」
「はい。今はエネルギー事業部門を担当していて、僕は元々エネルギー事業のビジネスをやりたくてこの会社に入った経緯があります。ですから今のポジションで仕事をして事業部門の方に評価してもらい、事業部門に移って営業等の仕事をしたいと思っています」
「そうですか。とりあえずは今のチームのままで、どうやったら上手くやれるかを考えていくことが神山さんには必要そうですね。それでは今後一ヶ月間隔で定期的に状況を教えてもらいたいなあと考えているのですが、差し支えないですか」
「ええ」
そうして面談は終わった。時間にして十五分程度の簡易なものだった。きっと一年経過して少し疲れが出ただけなのだ。少し悩みはあれど、また元に戻れる。神山はそう思っていた。
四月末になると研修を終えた新入社員が財務部にも配属されてきた。仕事のほうは五月の連休明けから六月の上旬にかけて昨年の秋ごろから冬にかけて策定した今年度の予算の大幅な見直しを行う時期がやってきた。また業務負荷は増えていった。そして終盤のもう少しで予算業務が完遂する間近の六月上旬、神山はまた高熱にうなされた。一番忙しかった五月最終週の週末から発熱して土曜日の午前中に近くの医者にいった。解熱剤を医者に処方してもらったが一向に熱が下がらず、今回は結局三日間の休みをもらった。ほとんど予算策定業務は策定し終えていたが、やはり今回も完遂には至らず、一つの山場を完遂することができなかった。そしてその事実を沢登から、遠回しに何度か皮肉られた。どうしてだろう、後もう少しというところで力尽きてしまうのだ。
入社二年目の六月中旬。四月から六月にかけて二度も高熱にうなされ会社を休んだ。人間関係でも議論を通り越して口論のようになってしまう場面が増え、沢登は何かしらの対応を迫られたのだろう。組織では労務管理と称し、できるだけ鬱病になって休職にまで追い込まれる前に何かしらの対応を図る。神山の業務負荷は徐々に減っていき、早くに退社できる日が増えていった。
それに伴ってアキさんのところに寄る頻度も増えていった。アキさんとは西荻窪駅にある神山が馴染みに通っているBAR「鈴蘭」の店主だ。アキさんの所に寄るのは必ず月曜日だけだ。会社に行くのがどうしてもしんどくて、何か楽しみをみつけようと思ったのが発端だった。神山は規則的な習慣を作ることで安心するタイプだ。そして憂鬱な月曜日もアキさんに会って話ができると思えば、何とかちゃんと会社に行ける気がした。その一日に楽しみを自ら抱えれば一日をスタートさせようと思えるのだった。
今日は予算策定シーズンも一段落し、策定結果をまとめ経営会議にかける資料を一通り策定するのが主業務だ。フォーマットがあり、既に数字は確定しているので、転記して間違いがないかチェックし、事業部門の責任者に確認をもらって終わりだ。もう何度もやっている作業だからそれ程時間は掛からず十九時頃には退社できた。
今日はBAR「鈴蘭」に寄っていこう。「鈴蘭」は西荻窪駅南口から徒歩五分ほどにある雑居ビルの二階にある。定休日は金曜日。店主のアキさんが一人で切り盛りしている。カウンター席が六席ほどの小さなBARだ。金曜日は翌日を気にせず遅くまで飲む人が多いだろうから売上の観点からも営業したほうがいいのに、そうしないのはなぜかと聞いたことがあった。
「金曜日に酒を飲みにくるような客は至極真っ当なの。だからつまらないじゃない?」
アキさんはあっさりそう言った。確かに金曜日に飲み歩くような人間は翌日が休日だから羽を伸ばしてやろうという気持ちで連れ立って楽しい時間を過ごそうとするような人達だろう。
「いらっしゃい」
アキさんの柔和な声が優しく響いた。
「今日も相変わらずいい感じに目が死んでるわね」
アキさんはいつも思ったことを率直に述べる。でもそんな所が神山は気に入っていた。
「それって褒め言葉?」
「そうよ。謎めいた男って雰囲気があって。もっとあなたの事を知りたい、そんな女の子がいてもおかしくなさそうね」
「そんな物好きはいないさ。それに僕ただの根暗だからね」
といって神山は笑い、アキさんもニコッとした。
「入社二年目になった四月上旬に少し体調崩して四日間と少し長めの休みをもらったんです。そしたら産業医面談だ何だって大事になっちゃって。でその後の五月連休明けから六月上旬にかけての予算見直し業務でも最後の最後で高熱出しちゃって。穴を開けちゃったんです。で最近は定常的な業務すらも若干はしごを外されている感覚があるんです」
「もう慣れた業務も含めて減らされているってこと?」
「そうなんです。だからなんというかリズムっていうんですかね。そういうものがなくなってしまっちゃって。なんか自分の存在意義が分からなくなってきちゃったんです」
「負担が軽くなって早く帰れる。よし羽伸ばしてやるぞってならないのが悟ちゃんなんだもんね。きっとその上司は労務管理の責任も負ってるから、必要以上に保守的な対応に出ちゃっているのかもね。ただそのあたりの按配ってのがあまり上手な人じゃないのかもしれないね」
アキさんは普段はふざけた下衆な話ばっかり吹っかけてくるが、時々まじめな話をすると的確な意見やアドバイスをくれる。
東亜エンジニアリングでは八月下旬を目処に再度予算策定を実施する。入社二年目の七月下旬、神山は沢登と白石とで予算見直しのキックオフミーティングを行っていた。お盆休みを挟むこの時期になぜまた予算の再編成をやるのか甚だ疑問だが前例踏襲で誰も異を唱えない。六月に行った予算見直しでは計数に大きな変動があるが、八月の予算見直しは以後の実績を置き換えて微調整する程度だ。時々事業部門の方針で研究開発費を大きく削減するといった事態があれば計数は大きく変わるが、大概は六月の予算見直しから大した変動はない。
四月に体調を崩して以来、毎週末のように起きても何かをする気力がなく、ただひたすら週末は寝るだけの生活が続いていた。無論そんな生活をしていれば、日々に張り合いは無くなり、みるみると気力が無くなっていくのが自分でも分かった。平日も朝起きれず寝過ごして遅刻することも増えた。とはいっても、うちの会社はフレックス制をとっているから十時までに出社すれば勤怠記録上は遅刻扱いにはならない。
遅刻の頻度があからさまに増えていったのを理由に七月の下旬頃からは毎月の決算業務や日々の細々とした業務も含め一切合財担当を外されるところまで落ちぶれてしまった。とりあえず定常的な業務のマニュアル策定、そして九月に行われる二年目の研修発表の準備だけをしていればいいと沢登から言われていた。
だからここ最近は定時退社だ。
それは神山が無力感に苛まれ何もする気が起こらず、ぼんやりとしていた夏のことだった。
お盆を含む八月の第三週の夏休みが終わった連休明けの月曜日にそれは訪れた。
彼女の母親から夜十八時頃電話が来た。
「あの子死んじゃった。死んじゃったの」
最後は消え入るような声でこう神山に告げた。
「悟君、気を確かにね」
本当だったら、それはこっちの台詞だ。だけど僕はその電話に何も答えられなかった。
大切な人がある日突然いなくなる。そんなこと予想だにしていなかった。
それでも日常はとめどなく続いていく。
そして例えば僕が今会社から突然去っても会社は特に困ることなくそれなりに穴埋めがされて続いていく。
なんてあっけないんだろう。なんて寂しいんだろう。なんて悲しい世界なんだろう。
神山は喪服を持っていなかった。急ぎで調達した喪服を身にまとって彼女に逢いに行った。どうしてだろう。悲しくてたまらないのに。涙が全く出ない。その人への想いが強いほど悲しみも強いとするなら、それはどんな風にして示されるのだろ。
彼女の亡き骸を見て唇にそっと口付けした。冷たかった、とっても。
僕は彼女の前で彼女の大好きだった唄を歌った。
井上陽水と玉置浩二がコラボした『夏の終わりのハーモニー』
それはこの夏、初めて彼女と二人きりで見に行った花火大会の帰り道、彼女が突然口ずさんだ唄だった。神山も玉置浩二は好きだった。特に『夏の終わりのハーモニー』は彼女が口ずさむ前から好きだった。夏も終わりに近づいていて熱帯夜はもう過ぎ去っていた。
「彼がね『唄は優しいんです』って言ってたの」
彼女がそう言って今度は『メロディー』を口ずさんだ。
僕らの夏はとても儚く淡く優しく悲しいものだった。
彼女は中学校からの腐れ縁だった。
彼女はいつだってクラスの中心にいて神山とは遠いところにいるような存在だった。けど何故だか、彼女は彼と親しくようとした。神山が教室で一人本を読んでいれば、彼女は取り巻きに先言っててと声をかけて悟のもとにやって来た。
「悟君、何読んでるの」
「何でも良いだろ」
思春期真っ只中の神山は彼女に自分の胸の裡を知られるのが恥ずかしく、ついそっけない態度をとってしまうのだった。
「もしかして恥ずかしいの?」
「ちげーよ。何だって良いだろ。早くあいつらんとこにいけよ」
「いいの。悟君がどんな世界に生きているのか知ることのほうが私にとってはよっぽど大事だから」
彼女は真剣な眼差しでそう言った。
「ずいぶん大人びた物の言い方をするんだな」
「えっ、それてもしかして皮肉?悟君でも皮肉とか言うんだ。ちょっと意外」
「わかったよ。じゃあ今は悟君の世界は邪魔しない。だけどいつかきっと悟君の心の鍵を私開けるから、ね」
そう言って彼女は去っていってた。彼女はひとめあったときから他の女子とは一線を画していた。少し神秘的だけど、周囲に上手に溶け込んでいる。だけどどこか儚げで今にも崩れ去ってしまいそうな脆さを神山は感じていた。
神山は規則的な毎日を好むが人間関係においては別だ。いつも同じ仲間と常に一緒に行動するようなことは無かった。昼休み、時には外に出てサッカーに参加することもあれば、文学少年と純文学談義に花を咲かせることもあった。また時には空き室の南の窓付近に机を並べて昼寝をすることもあった。時には屋上で一人ぼーっとする事もあった。彼女はそれを知っていて、たまに神山のもとへやってきた。
「物思いに耽る俺って感じ?」
「嫌味な物言いだな。物思いに耽られたらいいけど。俺なんて空っぽだから」
「ほらまたそういう大人っぽい物の言い方をするんだから」
思わず見とれた彼女の横顔は儚く美しかった。彼女との会話の間が好きだった。少し鼓動が早くなる瞬間。それをけして悟られないように。理性を保って。
「偏屈なだけだよ。学校も面倒くさいけどさ、自分が一番面倒くさくて、もう何もかも嫌なんだ」
「悟君が面倒くさい人ってのは同意。でもそんな悟君が面白くて。悟君がいることが唯一学校って場所があって良かったかもって思えることなんだ」
鼓動が速まる。生きている。
「物好きだな」
「そうだね」
それから会話は交わすことなく昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
自分といても彼女は一体何が面白いんだろう、と最初は思った。だけど彼女は神山の潔癖だけどどこか抜けていて、ちょっと面倒くさい性格をとても面白がってくれた。
彼女は一生懸命勉強して母親に親孝行したい、と常日頃から口にしていた。彼女の父親はエリート銀行員で、母親は専業主婦だった。都内で一戸建て住宅を構える絵に描いたような幸せな家庭に育った女の子だと勝手に思い込んでいた。だからなぜ彼女が母親への親孝行をそう頻繁に口にするのか不思議に思っていた。だけど彼女の口から話すことが無い限り、けして触れないようにしようと思っていた。
一方で、神山は温室育ちでなんとなく過ごしていたから彼女の真っ当さが痛いくらい眩しかった。
彼女と神山は長い間、その関係性にラベルをつけず過ごしてきた。思春期に感じる心細さだったり孤独を共に抱えたまま。都会で一般的に成功と呼ばれるような人生像を達成する者同士として。
つまりどちらかといえば「親友」として、お互いの欲深さや嫉妬心とかそういった根源的なものも全部ひっくるめて未来への希望を共有しあう「相棒」だった。だからこそお互いの関係性は続いたといえる。少しずつ社会の中で階段を上っていくなかで、その区切りごとに人間関係は断ち切られまた新しく再構築される。その中でも二人の関係性が途切れることはなかった。
二人は別々の進路を進んだ。彼女は都立の進学校に神山は私立中高一貫校の男子校に進学した。二人とも中学時代は携帯電話を持っていなかったが、卒業式の日に連絡先を交換できるようにと三月中に購入してくれたから二人は連絡先を交換することができた。
そういえばある日屋上で携帯電話について彼女に聞かれた。
「神山君は携帯欲しいって思わないの?」
「いや、特に。面倒臭いし。俺部活終わって夕飯かき込んで塾行って帰って風呂入ったらもう倒れるように寝ちゃうから連絡なんて出来ないし。休みのときも誰かとあえて連絡をとりたいなんて思わない。何か言いたいことがあれば直接言うさ」
「それだけ?なんか悟君はそんな簡単な感じじゃない気がする」
「それって褒めてるけなしてる?」
「どっちでしょ」
彼女はいたずらっぽく笑ってみせた。
「まあどっちでもいいとして。世界は制約があったほうが自由だと思うんだ。今日の夜メールで連絡すればいいと思ったら先延ばしにするだろ、人間って。でも可能性は低いかもしれないけど人間はいつ例えば交通事故にあって死んじゃうかもわからない。だからちゃんんとその制約を自覚して生きないと人生面白くない、って思うんだ」
「俺はおまえとこうやってたまにしょうもない話をするの、好きだよ」
そう言うと彼女は少し上を見て足をジタバタさせて言った。
「分かってるのに大事なことほど、なかなか言えないってのが人間って愚かで面白いところだよね」
そう言い残して彼女は去っていった。
出会ってから約十年経って社会人への一歩を踏み出す直前の三月下旬。神山は彼女と逢う約束をとりつけた。彼女は一年浪人して東京大学に進学しS商事から内定を貰って、神山と同じくこの春に社会人一年目を迎えようとしていた。僕たちが学生から社会人へと別の舞台へ移るその前に、今まで聞けなかったことを聞いてみようと思った。それがきっかけだった。
「どうしていつまでも僕なんかと付き合ってくれるの。僕さ、大学でもつまらない自尊心のせいで結局全然友達出来なかった。でもそんな孤独に酔いしれて強がっていたい自分もいる。利己的でだけど淋しがり屋でどうしようもなく面倒な奴なのに」
「私達共有できるから、色んなことをひっくるめて」
「色んなことか。そっか」
「ねえ、私好きだよ。ね、わかるよね」
そう言ったときの彼女はいつものおどけた彼女とは少し違ってどこか寂しげだった。
「僕は君の何者にもなれないと思う。だけど気づけば僕はいつも君を想っていた。ずっと。気づいていたけど。自信が無かったから口にすることはできなかった」
彼女の勇気のおかげで、僕達は恋人という関係性のラベルをつけることができた。そして僕達は恋人という関係性のラベルをつけ、その関係性のうちで誰かと共に生きている肌触りを得ること、それは喜びであることを知った。それとともに言えないことや、今までだったらどうとも思わなかったことも、何かにつけて気になるようになった。
「どうして僕みたいなつまんない奴といつまでも付き合ってくれるの」
神山がそう聞くと彼女は大笑いした。
「私は付き合ってあげてるわけじゃないよ。私神山君が本当に好き。恥ずかしいけど好きって真っ当に率直に言える。それに神山君はつまんない奴なんかじゃないよ。神山君が見ている景色をもっともっと見たいって思うんだ。嘘じゃないよ」
彼女はそう言って、ピクニックデート用に作ってきたお弁当からウサギの形に皮をかたどった林檎を差し出した。
「はい、変なこと言うのはおしまい。これ可愛いでしょ。幼稚園のとき、お母さんは必ずウサギの形にしてくれたんだ」
その時の彼女の無垢な笑顔が脳裏から離れない。
だけど日に日に彼女との記憶が薄れていく。それが怖くてたまらない。
彼女は大学でも遊んで過ごすことなく、ひたすら勉強した。かといって全く友達がいないという訳でもなく、数人の気の合う友達を見つけていた。
社会人になっても交流が続いた彼女の友達のなかには彼女が神山と交際していることを不思議がる者もいた。。
「早稲田大学の政経卒じゃなくても東京大学の有望株を青田買いしとくことだって出来たでしょ。なのに何で彼なの?」
彼女は知的で活発でそして元々が美人だったからもう少し有望株を狙えるのではないかと周囲が思うのは自然なことだった。今になって思うと少し幸薄そうな美人で神山の好みに見事に合致してた。無論、歩けばほとんどの男性が目線を寄せる。
「やっぱりさ、自分たちよりも学歴が低いと、どうしたって気まずい時があるじゃん。それに尊敬できる人じゃないと私は付き合えない」
ある女の子がそういったとき、彼女は珍しく強く主張した。
「彼とは長い付き合いなんだ。彼は正直なの。人間臭いというか。ちゃんと人生をかみ締めて生きている。私には到底真似できない。だからね、皆がいう『尊敬』ってやつ?私ちゃんと彼に対して抱いているよ」
僕らのデートは至って平凡で、天気がよければ公園でおしゃべりをした。透き通る青空の下で手招きする彼女はとても美しく、艶やかで、儚げだった。、時には映画館や美術館に行ってみたりした。二人とも人ごみは苦手だったからあまり繁華街や遊園地で過ごすことは無かった。加えて遠くに行くことも余り無かった。ただただ沈黙が続いても同じ時間を共有するだけで充分だった。
彼女は快活だけど落ち着いていて大人っぽかった。だけど悟の前では時に自己主張をすることもあった。
「よく大学で『意識高いねえ、あの人達』って言う人がいるの。で私はすごく不快になるんだけど。どうしてだろうって考えてみたんだ」
「それ僕もよく思う。僕の場合はちょっと苦々しい思いなんだけど。意識が高いだけで結果に繋がらず、空回りしていることを自覚していてコンプレックスに感じているからなんだ」
「偏見かもしれないけどそういう人達ってたぶん学生時代に『あの人勉強ばっかしているよね』って後ろ指差していた人だと思うんだ。でもね勉強した結果受験に失敗しようが、私は努力できる人は無条件に素敵だと思うし、その姿勢を笑って足を引っ張ろうとする人が心底嫌いなんだ」
彼女が誰かの悪口というか否定的な言葉を使ったのはこのとき位だったと思う。
大学二年生の夏、神山は一人で約一ヶ月ほど欧州に行った。大学二年生に進学する春休みに初めて海外に行った。その時は東南アジアを周遊した。そして次の夏休みはユーレイルパスを買って欧州を隈なく廻った。イタリアのヴェネチアを訪れたとき、ヴェネチアには安宿がなかったから、他の町に移動する予定だった。だけど突如イタリア国鉄が事故で列車が全線運行停止になった。神山は仕方なしに駅前で野宿することにした。不安じゃないといえば嘘だったけど。少しワクワクした。なんか本物の旅をしている。そんな感覚になったからだ。だけど一人じゃなかった。様々な国の若者たちが同じようにバックパックを抱えて、夜が明け始発列車が発つのを待った。若者たちは自然に打ち解けて沢山話をした。
生きるって一体どういうことだろう。愛って何。幸せとは。僕らがいる世界の意味。
それは高尚な話なんかじゃなくて。皆がそれぞれ願ったり。思い描いたりする。そんな普遍的な話だった。
夜のヴェネチアで僕は見知らぬ誰かと孤独を共有した。そして大切な人を想いだした。
ある時はカンボジアを訪れた時の話をした。そして一緒に「キリングフィールド」をみた。卓越した報道や文学・作曲に与えられる米国で最も権威あるピュリッツァー賞を受賞した作品だ。
「必死で生を求めその意義を見出すこと。それが僕らが欲しているものなのかな」
「そうね。満ち足り過ぎている様に見えて何かが欠けている。その欠けた何かを必死に私たちは追いかけようとしいているのかもしれないね」
ある時、家族の話を聞かれたことがあった。
「悟君は両親のこと大事に思える?」
「ああ。両親の喜びは僕の喜びで、両親の悲しみは僕の悲しみで、それが大切な人ってことだとおもうんだ」
「小学四年生のとき、ある日学校から帰ったら母親の様子がいつもとちょっとだけ違ったんだ。家族ってそういうのわかるんだよね。どうしたの?って聞いたらおじいちゃんが亡くなったのって。僕には父方の祖父しかいなかったから、父方のおじいいちゃんってすぐ分かったんだけど。で、僕はおじいちゃんが亡くなった事実も勿論悲しかったけど、それに加えて悲しむ父の姿を思い浮かべて悲しくなったんだ。それでね、通夜や告別式の間、ずっと泣いていた。ワンワンというより、とめどなく涙がこぼれていく。そんな感じ。それは色んな感情だった。人って皆いつかは死んで灰になるんだって実感したこと。寡黙だったけど父が時折思い出を語ってくれた祖父が無くなって悲しいと思ったこと。父が涙を流しているのをはじめて見たこと」
「それからね、いつか落語に興味を持ったことがあって母に寄席に連れてってと頼んだことがあったんだ。母のことだから快諾してくれると踏んでたんだけど。とても悲しそうにごめんね、それはちょっと難しいかな、って言われて。どうしてって聞いたら、『寄席にいたときにお父さん、あなたにとってはおじいちゃんね、が急変したんだ。だから今でも思い出してしまうからちょっと難しいかな』って言われて。母方の祖父は五十代前半で亡くなったから未だ母は今の僕らよりも若い位のときだったんだよね。きっと色々と折り合いをつけて乗り越えてきたんだろうけど、完全に昇華できるものではないから。母の悲しみをみて僕も悲しくなった」
「そっか、悟君は大切なものがちゃんとあるんだね、それってとっても幸せなことなんだと思う」
彼女は寂しそうにそう言った
彼女とは男女の仲によくあるようなちょっとしたすれ違いとは無縁だった。例えば連絡の頻度もお互いに決まりを設けたりすること無く、その時々で頻繁にすることもあれば連絡の間隔が空くこともあった。連絡の間隔が空いているときは何かに熱中しているんだとしか互いに思わなかった。かといって二人の愛情が希薄だった訳ではない。お互いに純粋に惹かれあっていた。だけど恋人として関係性を定義づけると、言えなくて言葉を飲み込むことが増えた。
でもそれはきっと相手を慮るからだ。近いからこそ大事に大事にする、そういう感覚だと知った。
そして僕は本当の孤独を知った。孤独は悪いものではない。
孤独は誰かが自分と同じものをみて同じときを過ごしながら生まれるものなんだと。
だけど何かが彼女を飲み込んでしまった。
彼女は神山の家族を羨ましがった。彼女は父親が表向きはエリート銀行員で出世街道を歩んでいたが、家庭では妻に罵詈雑言を浴びせるような人間だった。彼女の母親は彼女と同じく凛として美しい女性だった。だが彼の父親は常に自分の妻を見下して満足しているそうだった。それでも専業主婦で手に職もなかった母親は自分の娘に苦労させまいと、外で稼いでお金を運んでくる存在と父を割り切ってみなし、なんとか離婚せずに彼女を育て上げた。彼女は自分が努力して高収入を得ることで母親を自由にしてあげたいとそう考えていた。だけどその事を悟に話すことは無かった。悟の家庭があまりにも綺麗で優しかったから、こんな暗い話を話すのが躊躇われたからだ、そうだ。それは彼女が亡くなってから初めて知った事実だった。
神山の家庭はとても温かだった。父親は穏やかで家族思いだが少し抜けたところがあって、でも誰かの痛みに寄り添える少しの繊細さも兼ね備えていた。母親は礼儀といった最低限の教育を施すのみで、僕らの赴くままに人生を歩むよう委ねていた。僕らというのは神山には妹がいた。妹は真っ直ぐで明るく誰からも愛され自己肯定感に優れていた。神山の家庭は幸せに満ち溢れていた。まさに健やかなるときも病めるときも皆で支えあって人生という航海を皆で渡っていく運命共同体だった。
小さい頃夏休みに家族旅行で出かけた軽井沢の保養所からの帰り道、この幸せに満ち溢れた時間が終わりを迎えようとしている事に気づいて車の後部座席で涙を流したことがあった。小さかったけど、世界の恐ろしさや生の恐ろしさを感じ始めていた神山にとって、幸福に満ち溢れたその時間はいつか終わりを告げるという残酷な事実をもって悲しみへと変わったのだった。彼女にこの話をした時、私は悲しくてもそうやって悲しいと涙を流してみたい、とそう言った。彼女はとにかく足りない何かを常に探してさまよっている、神山にはそう見えた。
社会人になってからは神山のほうが残業も多かったから、会ったり連絡する頻度は減った。その代わりに彼女は神山と交わしたある約束を死の直前八月だけっだったけど毎日守っていた。
「ねえ僕らそれなりに一生懸命勉強した結果として、それなりの収入が約束された大企業に入社できる。だけど所詮は会社員で組織の中で与えられた役割をひたすらこなしていく人生がこれから始まって、それが四十年以上も続くのかもしれない。もちろん自分の姿勢次第で主体的に新たなビジネスモデルを構築する、といった感じで何かを作り残す感覚は少しは味わえるかもしれない。でもそれは結局、僕らじゃなくて組織の足跡として残るだけなんだよね。そんな風に考えたら少し虚しいなって」
「だからさ、僕らは僕らの人生をもっと彩り豊かだったものだって言えるように生きていきたいと思うんだ」
神山は彼女の前なら、ちょっとすかした言葉も口にすることができた。
「そうね。私もずっと思ってた。私は何かを創り誰かの胸の裡に何かを残せるのだろうか。私という人間が生きた証をどこかに残せないかって」
彼女はあいも変わらず真摯に神山の言葉を受け止め、自らの思いを口にした。
「僕ら今は有り余る大学生活の中でこんな風に人生の意味だとかたいそうなことを考えているけど、社会人になって日々の忙しさに忙殺されるようになったら、そんな思いもどこかへ置いていってしまうような気がする。だから今のうちに習慣化してしまおうって決めてしまおう。どんな面倒くさいことでも習慣化してそれをする事が当たり前になるとハードルがぐんと下がるんだよね。僕帰っていつも家計簿をつけるんだけど、その際に一言でもいいからその日考えた事だったり、怒りを覚えた出来事だったり、誰かの悲しみや苦しみに寄り添った想いだったり、愛する人を想う気持ちだったり、そんな何かを言葉にして記録することにしようと思うんだ」
「そっか。やっぱ悟君って面白い。私が思いつかないようなことをどんどん思いつく。もしかしたら悟君はたいしたことじゃないって思っているかもしれないけど、悟君は日常を彩り豊かなものにすることに長けているの、と思うの。だから悟君といるとああ生きてる、ちゃんと生きてるってことを五感で感じてああ悪くないなあ、生きるってってそう思うの。ちょっと大げさかな」
彼女は少しおどけながらそう言った。
あるとき仕事が忙しくなってきてタクシー帰りが続いて週末直接会ってデートするのは体力的にしんどくなった頃、電話でこんな話を彼女とした。
「僕、今仕事が忙しいけど例えば文化祭の準備のときのようなあんな高揚感が胸の裡にひとかけらもないんだよね。ただ生活のために時間を消費しているような感覚なんだ。そういえば誰か忘れちゃったけど昔こんなことを言ってた人がいるって聞いた。『働くために生きていると人生はつまらない。生きるために働くと人生は楽しい。仕事に追われると人生はつまらない。仕事を追いかけると人生は楽しい。現実から逃げることに夢中になると人生はつまらない。現実に夢中になれば人生は楽しい』だって。なんかさその通りなのかもしれないんだけど、そんな立派なこと言われちゃうと自分が惨めで仕方なくなっちゃうよね。考えてみると僕が今いるのは全部つまらないほうだと思うから。生きるってそんな簡単に割り切れるもんじゃないような気がするんだよね。大体面白い人生、つまらない人生、損な人生、得な人生、勝ち組負け組だとかそんな風に生きることを評価すること自体がどうしようもないことのような気がするんだよ。生きることってそんな評価や損得勘定じゃなくて。その時々の気持ちに従って道無き道を必死に拓きながら進んでいくことが大事なんだと思うんだ」
「そうね、そもそも私たちが生まれた意味だとか、生きるってどういうことだろう、とかってこと。私達人間は多少なりとも色んなことを考えてしまう脳みそを持って生まれてきちゃったもんだから、つい余計なことまで考えちゃう。だけど下品な言い方になるけど、若い時期に父親と母親が互いに好きになって、セックスをしてたまたま生まれてきた動物に過ぎないんだよね。そう考えるとさ、生活に追われるだとか追いかけるだとかそんな高尚な話を考えること自体おかしいんだよね、きっと」
「ああ、僕達は見えもしない将来に振り回され、躍起になって勉強したり身体も心もボロボロになるまで働いたり、そんな風に今を犠牲にしてまで動き回ってきた。そんな人生ってなんなんだろう。今を犠牲にして将来をとるか、それとも今を楽しんで将来は貧乏でも最低限食えるだろうとたかをくくるか、そんな後か先かで人生の皮算用をすること自体がおかしいのかもれない。だけど結局わかんないし不安だから皆と同じように平均点はとれるように、って終着しちゃうのかもしれないね」
そう言えば彼女は悟との将来の話に触れることはなかった。何歳までに結婚したいだとか、何歳までに何人子供を産みたいとか。それは悟との未来が想像できなかったのではなく、きっと彼女の性格なんだと神山は勝手に思っている。彼女は将来こうありたいといった話をする事はなかった。だからといって彼女が将来を悲観していたり世界に絶望しているといった様子も見受けられなかった。だからどうしても解せないのだ。なぜ彼女は自ら死を決めたのだろう。
彼女は実は何かと戦っていたのだろうか。それは僕の与り知らぬ処の話なのだろうか。それとも僕との間にある孤独を埋められなかっただからなのだろうか。それとも彼女は覗いてはいけない自分の深淵を覗いてしまい、何かに引き込まれ困ってしまったのだろうか。
彼女は死んでしまったけれど、それでも僕たちが勇気を出して一歩踏み込んで恋人になって短い間だったけれど色んなことを共有できたことは幸せだった。いつも彼女が僕の心の中の絶望や悲しみを、少しばかり喜びや優しさで満たされる心へと変えてくれた。だから彼女の死を認めることはできないけど。だけど彼女がそうして誰かの人生に足跡を確かに残したことを僕は忘れない。そして生きていくのに大事な愛ってやつを、ちゃんと見つけてやる、そう誓ったんだ。
彼女が亡くなってからしばらくは会社でボーっとしてしまうことが多かった。誰かに声を掛けられてもその声に気づかなかったりすることが頻繁にあった。余りに上の空に見えたのか沢登がちょっといいか、といって神山を会議室に呼び寄せた。
「このところ意識が飛んでいるときがあるようだけど、どうしたんだ」
神山は彼の目を見ることができなかった。
「話したくないなら無理に話さなくていい。ただ余りに目に余るようだったら少し業務の負荷を下げてみることも検討せざるを得ないからな」
彼はそう言った。そう言い残してじゃあ仕事に戻ろう、と声を掛けるでもなく、その後は黙って目を伏せはじめた。神山は沢登のそういった態度をとても苦手に思っていた。口では話したくなかったら話さなくていい、といいながら半ば言わざるを得ない空気を自ら作り出そうとするところがある。だけどこちらも頑なに何も言わなかった。あまりに埒が明かないと思ったのか、沢登は十分程経ってから、
「俺には話したくないってことだな。わかった」
そう言って、会議室を出て行った。神山が彼に悩みを打ち明けなかったのは極めて私的な事情であるから、というのもあるが、かつても似たような経験があり嫌な目にあったからだった。
それは社会人一年目の十二月のことだった。予算策定に伴う繁忙期が一段落した頃だった。高校のときの同級生から同じクラスの級友が亡くなった、との知らせがあった。交通事故だった。接点はそれなりにあった友達だったから最期の別れをしたいと純粋にそう思った。だから通夜に出席しようと沢登に事情を話して十八時までには退社したいと前日に伝えた。
「それは絶対行かなきゃいけない用事なのか?そうじゃなかったら予算策定の事業部門長の二次報告に向けて本来は徹夜する日だぞ。それでも行きたいって言うのか」
沢登は冷たくそう突き放した。
「二次報告で説明が必要な箇所はもう限られています。説明用資料も既に作成済みですので、後は明日午前中にチームで再確認して、午後一番で説明する手はずですから、明日徹夜をする必要はないと思います。それでも難しいでしょうか」
神山は理路整然とそう答えた。
「神山、お前本当に分かっているのか。事業部門長が何か宿題を出してきたら対応しなきゃいけないだろ。何だ。それとも俺らに任せて自分は一人抜け駆けしたいってか」
沢登はそう詰問した。神山はこれ以上話しても無駄だと思い、一応喪服を用意して明日出社し、明日結果的に行ける状態になれば行けばいい、そう考えた。
結果的には、特段事業部門長から追加の宿題は課されず、その日じゅうに済ませばならない業務は無くなった。神山は十九時開始の通夜に向かうため十八時には退社した。特段何も言わず、いつもどおり「お先に失礼します」とだけ述べて退社した。
そんな経緯があったから神山は社内の誰にも彼女の死を話すことは無かった。沢登に変に配慮されたり彼女が死んだ経緯を聞かれたりするのは勘弁願いたいと思ったし、誰か一人でも話してしまえば結果的にはまた誰かに話が伝わり、社内中で知られることになるからだ。神山が勤める東亜エンジニアリングは会社の規模の割に社員数は少なく、こうした社内の噂話は瞬く間に皆の知るところになることを神山は心得ていた。
彼女の死後から一ヶ月後、秋の大型連休後のことだった。また憂鬱な日々が始まると暗い気持ちで身支度を整え玄関を出ようとした時、また胸が苦しくなった。急いで洗面所に向かった。吐けなかった。とりあえず口をすすぎ寮を出ることにした。通勤の電車の中でも気持ち悪さは続いた。そして会社の最寄駅の東京駅に着いた途端、明らかな吐き気が襲ってきた。急いでトイレに駆け込んだ。個室は満杯で列をなしてたが神山の明らかに吐きそうな様子を見て、先頭にいた五十代ぐらいだろうか、会社員が譲ってくれた。言葉は出せそうに無かったので会釈だけして駆け込んだ。何度も吐いた。全て吐き出した時には始業時間近くになっていた。今からでは始業時間には間に合わない。だが連絡さえすればフレックス出社扱いで遅刻にはならない。だけど、どうしても携帯電話のボタンが押せなかった。会社の人間と話すのが怖い。泣きそうだ。何度も電話をかけようとしたけど無理だった。
もう限界だ。
神山は寮に戻ることにした。フレックス出社の期限の時間である十時を過ぎると、沢登から何度も電話が掛かってきた。だけど怖い、怖くてたまらなくて、結局一度も電話をとれなかった。エネルギー事業部門担当チームでは電車遅延などで遅れる場合は電車内で電話は出来ないだろうということでLINEグループへ投稿することで連絡を図っていた。確実に沢登の気分を害すると分かっていたが、どうしようもないと観念し、LINEを使って休みたい旨を伝えた。すぐに既読がついた。
「わかりました。お大事にどうぞ」
とだけ返ってきた。ああ、僕は来るところまで来てしまったのだ。一度超えたらもう戻れない一線を越えてしまったのだ。
彼女が亡くなって悲しみも癒えぬまだ秋の頃、世間では僕らと同学年の大手広告代理店の女の子が昨年のクリスマスイブに会社の寮で自殺を図り、その原因が会社の過重労働にあるとして裁判が行われ、その事が世に明るみになった。亡くなった女の子は当時入社一年目で僕らと同学年の女の子だった。まった東京大学出身だったからもしかしたら彼女と何かしらの接点があったかもしれない。
世間は概ね自殺した彼女の味方だった。事件が明るみになると、会社側は糾弾の対象となった。通称「かとく」とよばれる過重労働撲滅特別対策班による立ち入り検査が行われた。世論では彼女が可哀想。新入社員の段階で自殺に追い詰められるほどまでに過重労働を強いた会社は悪いという構図で語られた。
だが実際のところ人々の本音は人によってそれぞれだ。会社の経営者や管理職層には、若手のうちは残業して当たり前、経験を多く積むことが重要なんだと、先輩たちから説かれ従属してきた者たちも多い。そして先輩にしごかれてきた奴らが後輩に同じようにしごく、やられたら次の世代にやり返す、の論理で同じように過重労働を強いていて、何も悪いことだと思っていない者も実際には多いだろう。だけど本当は間違っている、そう思って苦しむ若手をみて少し手を差し伸べてくれるおじさんも時にいたりする。だけど彼らも彼らの人生があり、その救いの手だけで、絶望する者を食い止めることはできない。
また人はどうしてだろう。辛いことの我慢比べの自慢大会が大好きだ。自分はもっと残業した。それでも負けずに歯を食いしばって生きている。彼女は弱かったんだ、甘えていたんだ、と言わんばかりに。
今週の月曜日もBAR「鈴蘭」に向かった。
「最近世の中で働き方改革だなんだって急に盛り上がりをみせて、世論も大きくその流れに乗っかって、会社もそれなりに対応はしてますよっていうアピールが必要になってきてるじゃないですか」
「だけど、労働時間だけの問題じゃないってことは薄々皆気づいている。だけど声を大にしてもっと本当のところを叫ぶ人はいない。息苦しさ。不寛容。右へ倣えの毎日。皆で首を絞めあっていること。」
「僕新入社員のとき本当に毎日辛いだけでした。何も面白いことが無い毎日だなあってそう思いながら終電で帰宅して、でその帰り道に、その当時は社員寮だったからたまたま同期と一緒になって。今日は星が沢山見えるんだなあ、って言って」
「一人で帰るときは足早に下向いて歩いてたから気づかなかったんです。で同期に何お前いきなり感傷的になってんだよって笑い合って、それがすごく救いでした」
「素敵な話だけどあんなことがあったから簡単には笑えないわね」
「そうなんです。不謹慎な話、あの彼女も同じようなことをSNSで呟いていたそうです」
「職場で孤立無援の中、働く意味ってなんだろう、なんでこんなに苦しくなるまで働いているんだろうって思いながら過ごす毎日で、季節の移ろいとか夜の明るさとか、ちょっとしたことを話せる相手がいただけで多くの人が救われているんです」
「あの報道があって自分もそうなる一歩手前だったって感じている人、きっと僕だけじゃなかったと思うんです」
神山は胸の裡で彼女のことを思った。彼女は残業はそこまで多くなかったけど、何か寂しさを抱えていたのかな。それなりに勉強して大企業に就職してそれなりに順風満帆で、だけど何かが足りなかったのか。彼女は独りだったのか。拭っても拭ってもとめどなくこぼれてくる涙のように、そんな思いが神山の頭を駆け巡るのだった。
初夏の夜は生温くて残酷な匂いだ。
今日は彩さんに会う日だ。神山は少しだけ胸を躍らせていた。
「揺れているの皆、私もあなたも世界も、きっと彼女も」
彼女のことは洗いざらい彩さんには話していた。というかこの悲しみをどうやったら昇華できるか、と考えたとき話せるのは彩さんだけだった。
彼女が亡くなって以来、神山に恋人はできなかった。それは彼女の死をまだ受け容れられないから、といった感覚とはちょっと違う。人は誰かと別れても生きている限り寂しくて誰かと繋がりを求めてしまうのだ。だから彼女がなくなってからも好きな人はいる。彩さんはその一人だ。
高校生の頃、正直言って惰性で付き合っていた女の子が言ってた。
「私の事ずっと好きで居てくれる?とか聞いちゃったらきっと悟君私の事嫌いになっちゃうよね。悟君はいつか、とかいつまでも、といった言葉から遠いところにいる人のような気がするから」
「永遠に誰か一人を好きで居続けるって自信を持って言えちゃうなんて、ある意味でどうかしているよね。私達ある意味動物なんだもん」
「そうかもしれないな」
としかその時は言えなかった。
彩さんは大学生三年生の夏に外資系戦略コンサルティングファームのサマーインターンで出会った。彼女は今年三十七歳になるらしいが、とても三十代後半には見えない。激務で有名なあの世界で要領よく働き、いつも完璧な位に美しく自分を彩っている。
「彩という名前が好きです」
神山はサマーインターンが終わった後の解散会の終盤、彩さんの隣にいってそう呟いた。彼女の目を真っ直ぐ見ることはできなかったけど。
「あら嬉しいこと言ってくれるわね、私も気に入ってるわ」
「でも珍しいわ。大概の男は綺麗だねとか私の容姿をまず褒めるの」
そりゃそうだろう、と神山は思った。彼女は並外れて美しかったからだ。
「僕の初恋の人の名前なんです。だから勝手に彼女に重ねてしまっているんです」
「どんな初恋だったの」
「妹の友達のお姉さんでした。四歳違いくらいかな。小学校低学年位の時期だったんですけど、当時プロフィール帳が流行ってて。でその彩さんから『悟君も書いてね』って渡されて。で、長所の欄に『人の痛みがわかるところ』って書いて、好きな異性のタイプはって欄に同じく『人の痛みが分かるところ』って書いて。で、渡したんです。彼女は気づいたのかな。正直年も離れていたしその後接点が無かったから彼女がそれに気づいたかは分からずじまいです。でも確か中学にあがった頃、ある先生に言われたんです。彩さんが『今度とても実直で可愛らしい男の子が来るから楽しみにしてくださいね』って言ってたそうです。僕はそれで充分だと思いました」
「なるほどね。その人とは結局その後は何もなかったの」
「えぇ、今何処で何をしているかも全く知りません」
「でたまたま名前が同じだったから、私の事があなたはちょっと気になっている?」
「ええ、そうです。、随分直球ですね。まるで恋に慣れた人みたいな言い方」
「あら悟ちゃんも皮肉を言うのね。好きよ。あなたは真っ当ね。まぶしい位に」
どこかで聞いたことのある台詞だ。
「以前にもある人に言われたことがあります。でも僕は真っ当なんかじゃ全然なくて、とても浅はかで弱い人間です」
「やっぱりあなたは真っ当よ。至極」
そんなやり取りを交わした。そして彼女とは半年に一回程度の付き合いだけど、たまに二人で会ってとりとめのない会話をする。そこには何のドラマも起こる気配は無いのだけれども。だけどいつも神山の胸は高鳴っていた。死んだ彼女のことが胸に迫って苦しくなる日もあれば、こうして新たな恋の予感に胸躍らせている日もある。なんてしょうもないんだろうね。でもそうやってなんとか生きていけるのかな。
「彼女は死ぬ前も仕事が辛いだとか残業が多いとか、そんな愚痴は言いませんでした。ただ何気ない毎日のちょっとした出来事だったり、時には友達にはいえないような人生の意味とはみたいな哲学的な話だとか、僕らが話す内容は学生のときから大して変わりませんでした。そして表情や仕草も変わらずだったし。社会人になったから急に外見が華やかになったり高価な服や鞄を持つように、といった事もなかったんです。何か少しでも変化があったら気づけたと思うんです。だけど正直言って何も心あたりが無いんです。だから彼女が何故自ら死をあの夏の日に選んだのか未だに全く分かりません」
神山は彩さんに胸の裡をぶちまけた。彩さんは少し考えこむような素振りをみせてこう言った。
「彼女はあなたのことを大切に大切にし過ぎたのかもしれないね。嫉妬やさみしさだとか、誰かの悪口だとか、そういった女の嫌なところを見せずに、ただ男同士の親友みたいなさっぱりしているけど濃密な関係を理想として、それをなぞっていたのかもしれない。でも誤解しないで。それはけして無理をしていた訳じゃないと思う。彼女はあなたとそういった関係性でいられることに満たされていたと私は思う。だけどね、それと一人の女性、いや一人の人間として生を全うする、ってことは論点が全然違うの。彼女は人生に絶望したというより、無だと思ってしまったのかもしれない。そして底なし沼に吸い込まれてしまった。私は本当のところはわからないけどそんな感じなんじゃないかなと思うんだ」
彼女の四十九日を終えた後、彼女の母親から連絡があった。彼女は遺書らしきものは残していなかったが、PCに日記をつけていたそうだ。その日記にはあなたのことが多く書かれていたから読んで欲しい、と印刷された紙を渡された。
「あなたと付き合うことになってあの子はとっても喜んでた。初めて本気で好きになった人と恋人になれたって。幸せだったはずなのに。どうしてあの子は自分で命を終えてしまったんだろう。どうしても解せないの。その日記を見ても、少し考えすぎてしまっているあの子の性格は相変わらずそのまま投影されていたけど。でも辛くてたまらないって感じの文章ではなかった。一体どうしてなんだろう、ね」
悟は何も答えられなかった。
梶間諒は香月航太と付き合っていた。香月とはゲイ専用の出会い系アプリを通じて出会った。香月は東亜エンジニアリングのLNGプラント営業本部営業第三課で、主に米国でのLNGプラントの受注を目的とする営業活動を担っていた。一方、梶間はモデル活動で生計を立てながらプロのピアニストを目指すべく高級フレンチ料理店で週に三回演奏をさせてもらっていた。
梶間は生まれたときからこの子はきっと将来とてもハンサムな青年になるだろうと周囲にもてはやされて育った。中にはジャニーズ事務所に応募したらどうかと囃し立てる親戚も居たが梶間の家庭は厳格でとてもそういった世界に入ることを許すような家庭ではなかった。梶間の父親は大手鉄鋼会社の営業部長で、将来は役員、また社長へと抜擢されるのではと目されていたエリートだった。
梶間は美少年で、加えて少しエキゾチックな雰囲気を持ち合わせていた。当然女子からはモテにモテたが、誰とも付き合おうという気にはなれなかった。家が厳格なせいもあって、自分がもしかしたら人とは異なる性的嗜好があるのではないかと疑うことすらあってはならないこと、と思い込んでいた。
それは香月の社員寮にお邪魔したときのことだった。香月が手料理を振舞ってくれると張り切っていて、共有フロアで料理が出来上がるのを待っていた。その時、香月の会社の同期の神山悟が夕食を済まそうと共有フロアにやってきた。梶間の目は自然と彼を追いかけていた。人に惚れるってこんな感覚なんだ、と身体が身震いした。彼はきっとゲイに好かれるタイプのノンケだ。ゲイはその辺りの嗅覚に鋭い。だからどんなに俺が想いを寄せたところで片想いのままだ。だけどなんだろうか、彼が纏っている雰囲気がどこか投げやりで刹那を感じさせて俺の気を引いた。
香月は少しぽっちゃりとしている癖にやたらお洒落だとか美にうるさい。ちょっと面倒くさいけどそんなところが梶間からみると可愛く映った。たが付き合ってみると梶間とは正反対の性格連絡がマメなタイプで正直その点は辟易した。香月は料理が得意で毎食料理の写真を送ってくる。離れていても共に生きている、と実感したいのだろう。だけど段々と面倒になってきた。俺は冷たい人間だ。
そんなとき神山悟に出会った。彼との最初の会話のトーンというか距離感が、俺にはとても気楽だった。神山の話し方はボソボソっと喋るけど意思がこもっている感じだ。
「手が凝ってますよね、香月の料理」
彼はそう話しかけてきた。この一言で彼が全て知っていることを梶山は一瞬で理解した。
「ええ」
「僕は彼とは正反対で。出来合いのもので簡単にすませちゃうんです。一度、自炊に挑戦してみたこともあったんですけど。香月にぼろくそに言われちゃいました。やっぱり性格なんですかね。料理は向いてないみたいです」
彼はそう話しながら、出来合いの夕食をさっと用意して先に食べ始めた。
「いただきます」
食事は手抜きだが当然のように、手を合わせていただきます、と彼は言った。きっと育ちが良いのだ。
食事の途中、神山は気を遣ってる訳ではない、といった感じで神山が話しかけたいときに話しかけるといった感じで梶山と会話を交わした。神山は最近電子ピアノを買ったという話を持ち出した。小学生の途中までしか続けなかったから、なかなか感覚が戻らず苦戦しているらしい。ピアノの話に触れたのは偶然?それとも香月が神山に詳細を話していた?女子気質な香月ならその可能性も無きにしもあらずだ。
香月に疑われない程度に神山のことを今度聞いてみよう。
香月は愛に飢えていていつも誰かの愛を渇望している感じがする。神山は何か大きな喪失感ゆえ、どこか諦めたそんな感じを受ける。梶間は初めて愛した人が自死して以来、どこか投げやりな恋ばかりをしてきた。だからどこかいつも投げやりに映るらしく、愛に飢えた彼らとの恋はいつも長続きしないのだった。神山はどんな恋をしてきたのだろうか。
入社二年目の年末、悟は実家に二度帰った。クリスマスの三連休と年末年始。クリスマスイブの日。悟は父と一緒に父方の祖母が入居する老人ホームへと出向いた。実家から車で2時間ほどかかるところに老人ホームはある。
悟は父が大好きだ。それは世でいうファザコンというレベルのそれかもしれない。社会人になって何度も父を誘って飲んだりカラオケで一緒に弾けたりした。この先あと何回こうして楽しい時間を過ごせるのだろうといつも思いながら僕は父と過ごしている。祖母が老人ホームに入ったのはつい二ヶ月前位のことだった。夫に先立たれて長く一人暮らしをしていたのだが、祖母は孤独な生活に耐えられる人ではなかった。誰かと世間話をして、季節の移ろいだとか天気の話とかご近所さんの話とか内容はそんなとりとめのないものだ。それでも誰かと会話を交わすことで、ああ私は生きている、そう実感するタイプなのだろう。そんな祖母が僕は羨ましかった。
悟の性格はある部分では父親似で、ある部分では母親似だった。父親は基本的には寡黙で喜怒哀楽を表現することは滅多になく、いつも何かに耐えているかのように口をつぐんでいるような人だ。無論、まったく言葉を自ら口にする事がない、という訳ではないけど。今日会った身近な些細な出来事を詳細に語る母親や妹を前にすると、それを聞くのに精一杯で、自分から割って会話を自分のほうに引き寄せるようなことを敢えてするようなタイプではなかっただけのことだ。日常の中では喜怒哀楽を示さないが、何かあったときは、それはそれはびっくりする位感情をあらわにした。高校受験で合格するのは難しいと思われていた有名私立進学校の合格発表で僕の番号を見つけたとき、父は涙ぐんで喜んでくれたそうだ。悟は滑り止めの学校を受験しにいってたから合格発表にはいけなかったのだ。当時は携帯電話も持たせている家庭もあれば持たせない家庭もあってまちまちという時代だった。悟たちの両親は携帯電話を中学生のうちは持たせることは無かった。妹も含めてそのことで反抗することはなかった。それぞれの家庭に応じてルールはあるものだと、妙なものわかりの良さがあった。だから家に帰るまでは合否は分からなかったが、不思議と受かっているだろうなあという妙な自信があった。家に帰ると家の前で父と妹がバドミントンで遊んでいて。母親は洗濯物を取り込んでいた。真っ青に晴れた二月中旬のことだった。
一方で、妙に潔癖だったり繊細だったりする部分は母譲りだった。常に部屋が綺麗な状態で維持されないと気が済まない。また物の置く場所は指定位置が存在して、そこからずれていると、どうしても気になってしまい元に戻してしまう。また家族の中で本を積極的に読むのは母と悟だけだった。悟と母は本を読むたびに批評を語り合った。ドラマや映画といった映像作品に対しても批評を述べ合った。
妹は本当に同じ両親から生まれたのかと疑ってしまいたくなる位、神山と正反対の性格だった。素直で優しく、物事を深く考えすぎて心を病むようなことも無く、そして要領よく人間関係を渡り歩く強さがあった。それは父方の祖母譲りの性格だった。そして自己肯定感にとても秀でていた。父方の祖母は年老いると、いかに自分が皆から慕われていたか愛されていたか、と語るようになった。妹もまるで世界は私を中心に回っているかのように常に生き生きとしていた。どう私可愛いでしょ?って平気で言えるタイプだった。
父方の祖母に会いに行くのは二つ理由があった。一つは後何回祖母に会えるだろうかと考えてしまったからだ。そしてもう二つは寡黙な父と二人きりで会話がしたかったからだった。
道中、早めの昼食をチェーンの牛丼屋さんで食べた。土曜日だったから土方の人は働いているようで客はほとんど土方の兄ちゃんからおじさんまででひしめき合っていた。そんな場所に似合わず、店内はオルゴール調のクリスマスソングが流れていた。なんだかおかしくてつい笑みがこぼれた。
祖母は今はまだ認知症の初期段階だから悟を孫だと認識できるし、遠くからわざわざ来てくれてありがとう、と言ってくれる。そして祖母は父方も母方も悟るにとっては偉大な僕の太陽なのだ。確かに同じ話を何度もしたり話のつじつまが合わなかったり色々あるけれども、絶対的に悟の全てを肯定してくれる。
「悟ちゃんは本当に昔から変わらず可愛いね。それにハンサムになった。それでいて人の痛みの分かる優しい子だ。お前はいい家庭を築いたね」
そう父に語りかけた。そしてとびっきりの笑顔で祖母は言った。
「皆が来てくれて嬉しいよ。私は幸せものだ」
ちょっと大げさだけど、その笑顔とその真っ直ぐな言葉に、悟はきづいたら少し涙を浮かべていた。すると父はそっと部屋を出て行った。
「ありゃりゃー」
と祖母は笑って、大丈夫よと僕の頭を撫でてくれた。
悟の心は一気に氷解した。そして気づいた。やっぱり僕は無意識に見返りを求めない真っ直ぐな愛を求めていたのだ。そして思うのだった。いつかまた僕は誰かを愛し抜こうと思えるのだろうか。
それから父を含めて少し談笑した。そして父と祖母と二人の時間を作ってあげたいと思って、ちょっと温かい飲み物を買ってくるといって祖母の個室を出た。
帰り道、コンビニによった。その日はクリスマスイブだったから、店の外でチキンを売っていた。折角だからと大の男二人でチキンを一緒に食べた。その時食べたチキンは今までで一番ほろ苦いけど最高に美味しかった。
道中、父には洗いざらい話した。彼女の死が未だ受け容れられないこと、会社で上手く立ち回れないこと。父はそうかと言うだけで、別に何かアドバイスをくれる訳ではなかったけど、父に話を聞いてもらえるだけで自分の心は少し晴れやかになった気がするのだった。後はとりとめのない話だ。最近はやっぱり日本で一番唄がうまいのは玉置浩二だよね、とか。今度コンサートがあったら一緒に言ってみようよとか。後は会社でゴルフをすることがあるんだけど、ゴルフのルールって何?とか。そんな感じのどうでもいい話を沢山した。
父はけして何かこうしろだとか言う人ではない。でもいつだって無条件に愛を注いでくれたのは分かっていた。小さい頃恥ずかしくて観に来ないでくれと言っていた野球の試合も全部見に来てビデオに収めてくれていたこと。そして僕にばれない様にと遠巻きに観ていたけども、悟は気づいていた。だけどそれ以上は何も言わなかった。本当は嬉しかったのだ。
悟はどうしても父のほうに肩入れしてしまうけど、同じ位に母親も無条件に愛情を注いでくれた。だけど、父とはあと何回だろうと考えてしまうのに母親はそんな風に考えた事は無い。例えば明日交通事故でなくなってしまう可能性はお互いに同じなのに。
その理由は父方も母方も祖父が若くになくなっていたからだ。母方の祖父は僕が生まれる前に五十代前半で亡くなった。父方は僕が小学校四年生の頃、六十代後半で亡くなった。だから僕らの家系は男は早死にすると勝手に思い込んでいて、どちらかといえば父のほうに肩入れしてしまうのだった。
九月の二年目の研修発表が終わってからはもう実質エネルギー事業部門担当チームの梯子は完全に外された。ただひたすらマニュアルを策定し定時退社するだけの日々そしてもうすぐ入社三年目を迎えようとする三月一日付で、沢登率いるエネルギー事業部門担当チームを離れ、財務部第二課への異動を命じられた。
神山のメンタル不調を察した財務部長の計らいで財務部内での異動、つまりは配置転換が行われ、異動後はかつてのような忙しさは無くなり、定時までの時間が十時間、二十時間と、とてつもなく長く感じられた。毎日毎日さしてやることもないのに退社前には本日やった作業を事細かに日報として上司にメールせねばならない。与えられる課題は漠然としたもので、特に考えることもなく勝手に手は動く。そして淡々とレポートを書き上げていく毎日だ。
異動後の神山の目下の仕事は朝、日本経済新聞を中心に当社の事業に関連する記事を検索し、いずれかを拾い上げて所感を添えて上司に報告する。それ以外は簡単なお題、例えば当社の関連会社の事業内容について等が与えられ、それを文書化する。定時近くになるとその日の作業内容を日報としてメールにベタうちして上司に送信する。上司がいてもいなくても定時になれば直ぐに帰る。
入社三年目になるが完全に窓際族みたいな生活だ。
神山は課題を発見し改善策を検討し実行に移す、そういったプロセスを好むタイプの人間だ。だから抽象的な問いが苦手だった。だが意図的にか、仕事を振るのも面倒くさいのかわからないが、与えられれる仕事は当社のビジネス概要だとか、当社の財務部の役割、といった内容だった。無論こういった仕事でも、どうやったらわかりやすく伝わるだろうか、と考える部分はあるものの、今までこなしていた仕事に比べれば思考の質は格段に下がることは否めない。人は考えることで生きる実感を得るのだ、と神山は気づいた。単調な課題しか与えられず、その一方で作業内容は事細かに報告を要す、縛られて身動きできない今の状況は神山にとって苦痛でしかない。だが恐らく上司はそうした苦痛を神山に与えたいがために、そうした仕事しか与えていない訳ではない。
神山がさらに音を上げて休職や退職にまで至るようであれば、上司として労務管理を問われかねない。だから、メンタル不調の兆候を察知したら極端に仕事量を減らして定時で帰らせることで対策を講じた、という事実が欲しいのだ。
神山は彩さんにまた「会いたいです」と直球に連絡した。
彩さんは「私も。じゃあ今週末の金曜日にね」
独身で美人な彩さんを華の金曜日に独り占めできるなんて、なんて幸せ者なんだと思いながらも、僕らの関係はそんなに華やかなものではなくて。互いにないものねだり、の関係なんだろうなと思う。悟は彩さんのその見かけとは裏腹に抱えている屈折した感情を見ることで安心する。彩さんは僕の不器用で面倒でしょうも無いけど、愛すべき人間臭い心に触れることで安心する。僕らは結局どこまでいっても孤独で寂しがり屋で面倒くさい生き物だと。だけどだからこそ明日も生き抜ける、と思えるのだ。
「新しい恋の予感はあるの」
「恋どころか仕事がどん詰まりで。梯子を段々と外されて、何を目標にしていいのか分からなくなってしまったんです」
「そっか、人はここだよ、ここまで来てよーって、呼び寄せられ続けないとしんどいんもんね」
その日は結局、最近はまっている音楽やドラマ、映画など他愛も無い話に終始したけど、それでも彩さんの仕草だったり表情をみてホッとした。
入社三年目になった四月一日、神山の電話が珍しく鳴った。電話の主は井上さんだった。井上さんはすごく良い人なのだけど神山は少し苦手意識があった。頭の回転が速いから早口でまくしたて、だべん調のちょっときつい人。見方を変えれば竹を割ったような性格の話をする人だった。
「神山、今日一緒に昼飯行くぞ。十一時五十分に一階ロビー集合な」
そう一気に言い立てて、神山の返事を聞く間もなく電話は切れた。
井上さんは神山が担当するエネルギー事業部門の海外電力供給事業課の若き課長で、異例のスピード出世を果たした人物だ。彼のような人間がなぜ神山を可愛がるのか分からないが、彼は頻繁に神山の様子を探って何かと絡んでくる。
そして決まっていつもこう言う。
「お前は生真面目だけど真面目じゃない。まあ面白い事が言える訳でも気が利く訳でもないしな。まあ温室育ちのボンボン。お坊ちゃまだな」
「僕は中学出てすぐ島を出て親元を離れてそこから一人で生きてきたんだ。だからお前みたいな奴は虫が好かない」
井上さんは歯に物着せぬ物言いを平気でする。だけど悪意はなくて分かり易いからけして人から嫌われることは無いし、社内の多くの人間は彼の賢さを素直に認めてる。
「だけどさ、お前さ。きっと色々無理して嘘っぱちの自分を演じて何とかやってるのかもしれないけどさ。人ってその根っこは隠せないんだよ。お前が仕事しているとき、お前の目はけして死んでない」
「去年、入社2年目の研修発表あっただろ。僕こっそり見に行ったんだよ。お前の発表。内容はまあ文句の付け所だらけだったけどよ。でも本気でやったことは充分伝わった。それにお前自分ではアガっちまって記憶にないかもしれないけど、すごく活き活きとした表情で話してた。お前この仕事好きなんだろ。妙にお勉強できちまうから余計な事考えちまうんだ。もっとシンプルになれたらいいのな。だけどお前みたいなやつにシンプルになれっつったって、また堂々巡りで哲学的に考えちまうんだろ。だからさ無理に変わんなくてもいいのかもな。僕もさこんなんだけど、本当のところは滅茶苦茶面倒くさいの。だから結婚できねえのかな。まあしたいとも思わないけどよ。ちょっと話が逸れちまったけど、いいか。お前つまんない事でうじうじしてつまんない理由で屈するなよ。逃げるなとは言わない。風向きが悪い時は誰だってある。そんな時は逃げるなり何なりしてやり過ごせ。そしていざって時の準備を怠らず日々を過ごせ。僕はお前と一緒に働いていることにはちゃんと意味があるんだって思ってるんだ。僕が言いたいことはそれだけだ。」
井上さんはマシンガンのようにまくし立てながら注文した掻き揚げうどんも完食していた。
「じゃあ俺は先行くわ。飯食ったら僕すぐ大きいほうが出るんだよ。お通じが良いってのは健康な証なんだってな」
井上さんはそう言ってさりげなく神山の分の伝票も持って会計し、そそくさと店を出て行った。井上さんのように目にかけてくれて、そしてお節介だけどこうやって言葉にして伝えてくれる人がここにはいる。ある意味古き良き日本の名残みたいな文化なのかもしれないけど、そんな存在かいるからこそ僕はなんとかやってこれたのかもしれない。
だけど、だけど僕はもう限界だ。何を目標に何を理由に会社に行けばいいのか分からない。
今日も定時になると誰が聞いてるか分からない「お先に失礼します」を言って退社する。定時の時間までは働いたのだから退社することは誰に咎められる事でもない。だが少しばかりの罪悪感と重過ぎる惨めさのためにエレベーターは使わず非常階段を駆け下がってビルを出る。このあたり神山は結局自尊心が大切なのだ、と自分に辟易とするのだった。
東京駅はこの時間でも帰路につく沢山の会社員で溢れている。不景気と世論の流れもあって、残業を極力回避する傾向にある会社も多いのだろう。定時で退社する会社員は別に珍しい存在ではないのだ。
今日は月曜日だ。BAR「鈴蘭」に寄る日だ。
「最近暇で暇で。こんな時間からお酒飲むなんて少し罪悪感感じちゃうね」
「何言ってるの。気兼ねなく飲みなさいよ。罪悪感なんてものは虚構よ。誰もたいして悟ちゃんがいつ帰ろうが気にも留めてない。堂々としてればいいのよ」
アキさんはどこか達観しているのか、年の妙なのかわからないけど肝がすわっている。
「僕さ、今完全に窓際族状態なの。前はのんびり仕事している同期が羨ましかった。だけどしんどいね。これさ。ただ給料もらうためだけにそこに座り続けてなくちゃいけない感じ。いてはいけない場所にい続けなきゃいけない感じ。隣の芝は青く見えてただけだったんだなあ」
まだ早い時間だから他の客はいない。なんとなく今の境遇を今日は誰かに聞いてもらいたい気分だったから好都合だ。
「でも悟ちゃんは社会に出て一年目のまだまだひよっ子の時期に一年間懸命に働いたんでしょ。だったらいいんじゃない。いつも全速力で走ってたら息切れするどころかいつか倒れちゃうわよ。走って休んで走って休んで。そんな感じでも案外人生なんとかなるものよ」
アキさんに言われるとなんだか自分を少し肯定してあげられるような気分になる。
「今ね、まともな仕事は振られなくなって。で、自省せよってことなのか分からないけど、そもそも社会人としての基礎に立ち返ろうって今の新しい上司に言われて」
「でね、なんか哲学的な問いを投げられたの」
「働くってあなたにとって何ですか、と」
「でね、その上司延々と自分語りしていた。自分の学生時代から入社の経緯、入社後してきた仕事の苦労話。バブル入社でたまたまもぐりこめたけどうちの会社に入社にできたのは彼にとっては誇らしいことだったらしいんだ。だけど会社の中でどんな風に活躍したいっていうこだわりは特に無くて、言われるままに仕事して、でもその中で創意工夫したら案外仕事って面白くできるもんだなあ、って思うようになった。って。それで一時間半は経っていた。で君の場合は?って」
「途中からもうそろそろ好きなアイドルの新曲が出る季節だなあ。今回は誰がセンターだろうとかそんなことしか考えてなかったから、困っちゃったよね」
「で、結局どう答えたの?」
「僕にとって働くとはという問いは無意味だと思ってました。だって働かなくていいなら誰だって働きたくない。でも食べていくには働かざるをえない。だから僕にとって働くは働くです。労働を提供して対価を頂く、それだけです。それ以上でもそれ以下でもありません、って」
「あちゃーだね」
「はい、あちゃーです」
「その人、自己啓発本とかやたら薦めてくるタイプでしょ」
「はい、まさに」
「その上司もあんたも、違う方向で生き辛い側の人ね」
「かもですね」
「アキさんだったらなんて答えます?」
「嫌いで嫌いで嫌いで、だけど行かないでねえあなたって存在」
「何それ。ちょっと詩的。それって要は必要悪ってこと?」
「必要悪とはちょっと違うかな。例えばあんたとの会話もとてつもなく面倒くさいけど、もしあんたが来てくれなくなったら私はきっと寂しくなる」
「なるほどね。ありがとう。面倒くさくても、続けられるには何かがあるんだよね。それはきっとたいそう真っ当なことじゃないんだろうなあ。例えば小さな成長が日々実感できるとか、職場に思いを寄せる女の子がいるとか。きっとそんなレベルでいいんだろうね」
神山はわかっている。そんなに難しく考えず思考停止状態に敢えて陥ったほうが毎日を楽に過ごせることを。だけどどうにもならないのだ。どうしたって少しでも前に進みたいし自分の殻を破りたいともがきたいのだ。だからある意味で折り合いをつけて、淡々と会社に行ってそれなりにお給料をもらって、と割り切ることが出来ないのだった。
「そうよ。人間そんなにまともに出来てるもんじゃないわ。偉そうな事行っている人もその実、お金だとか自尊心を満たしてくれる地位だとか、そんな不純な動機で動いているものよ。じゃなきゃ組織なんて辟易して投げ出したくなるものだもの」
そう言ってアキさんは新たに入店してきた離れたカウンター籍に座る会社員二人組みのほうへと向かっていった。神山はちょうど1時間程度滞在し店を出て帰路についた。
「ただいま~おかえり」
帰宅するとまず革靴に木型を入れる。そしてお風呂に湯を張ってまたいつもと同じような夜を過ごす。
夜はいつも寂しい。だけど夜が明けるのはもっと怖い。もうずっと夜だったらいいのに、と思う。
神山悟は今日もアキさんのところによることにした。
「いらっしゃい。今日も相変わらずいい感じに目が死んでるわね」
アキさんは真っ正直すぎる位に本当の事を言ってくる。だが神山はそんなアキさんが好きだ。
「ありがと、ってことにしとくよ」
「僕さ、前にも言ったとおりさ、今完全に窓際族状態なの。忙しかったときはのんびり仕事している同期が羨ましかった。だけどしんどいね、これ。ただ生活するために、ただそれだけのために、ただそこにい続けなきゃいけない感じ。ありきたりな言い方になるけど、隣の芝生は青く見えてただけだった」
「それに当時、僕は偉そうにその同期に仕事は自分から掴みに行くものだ。僕らみたいな若手は経験を積んでナンボだ、なんて説教垂れてたんだ。今の僕の立場を見てどう思うんだろう。でもさ、あいつはそれでも僕の事心配してくれる訳。なんか自分の器の小ささに本当に嫌気が差しちゃうよね」
アキさんは、皿洗いをしながら悟の話を聞いてないような聞いてるような曖昧な感じを装っていた。
「悟ちゃんってやっぱ可愛いわね。過去の自分を客観視して分析して反省しちゃう感じ。なんていうのかなあ。必死にもがきながら生きてるって感じで。だから私からみた悟ちゃんは会社の愚痴を駄々こねてるしがない会社員じゃなくて、生きる事に生き生きとしている人間臭い悟ちゃんだよ」
アキさんはそう淡々と述べた。けして慮った上での発言じゃないわよ、と言いたげだ。
「人間臭いか。なんかさ、泥臭くても踏ん張り続ける姿がかっこいいとか言うじゃん。僕全然そんなんじゃないの。会社で上手く立ち回れなくて。それをなんだか人のせいにして。そして結局信頼を失って今に至ってるんだ。だから全然這い蹲ってるわけでもなく、会社からすればお荷物。ただの金食い虫なんだ」
今日は自分でも至極面倒極まりない客だ。でもアキさんは無下にはせず他の客のオーダーもそつなく応えながら悟の話に耳を傾けてくれている。
「悟ちゃんだけじゃないよ。私も同じ。いつも誰かのせいにしてなんとか生きてこれてる?でもそれだけで大仕事だと思わない。人間いつかは焼かれて灰になっちゃうのよ。皆怖くて怖くて堪らないから目を背けて毎日を送ってるけど、事実淡々と死に向かって入ってる。そう考えたらさ、そんな残酷な生きるって闘いの中で生き抜いているだけマシ。悟ちゃんは上手くいかないって思ってしまう自分からも逃げないで戦ってる。だからね、私の中では悟ちゃんは格好いいのよ。こうやって、あっ今日は真っ直ぐ家に帰らず、誰かに自分の胸の裡を話してみようって思うことができて。それが私だって。そんな風にして私は生きたいと思える意味を見出せる気がするの。だから悟ちゃんはけして格好悪くなんかないよ」
アキさんはいつでも味方になってくれる。そして押し付けがましくない範囲で背中をそっと押してくれる。
「確かに不安で堪らない毎日でその不安をぶつける相手がいるだけでも御の字なのかもね」
手探りでどうにかこうにか扉の在り処を探し、扉を開ける鍵を探して、扉を開いた先にはまた新たな扉があって。そんなことの繰り返し。出会いと別れの繰り返し。それが人生だ。時に逃げたくなることが沢山起こる毎日だ。波にのまれながら心はさ迷い時に見失い時に取り戻し時に開いたりして。
「こないだ若くして女優が亡くなったときに、人ってあっけなく死ぬんだ。人生って有限で、その長短は自分で決められないって一瞬実感しました。その時に思ったのはそれだけだった。けして、だからって自分の人生を見つめ直して新しい一歩を踏み出そうとか、そんな風に思えなかった。それは僕が冷めてるだけなのかもしれないけど。なんとなく誰かの不幸をだしにしているようで、自分勝手に美談に仕立て上げているようでそんな風に彼女の死は無駄なんかじゃない、誰かの救いになったんだって語る誰かが僕にはとても不快に思えた。だから自分はそうじゃない。そうやって、誰かを軽蔑している自分に気づいてしまったんです。そこからは負の連鎖です。自分とは違う感性や価値観で歩んでく人達と自分を比較して、自分は彼らとは違う。まだ少しだけ現実的で人の本当の苦しみや悲しみへの思いやりを残してる。そう思ってしまうんです。なんかとっても惨めですよね」
悟は左腕をカウンターについて左手の親指と中指を合わせてはこすって、といった仕草でそう語った。小さい頃から何か思い詰めて少し彼方にいる誰かに呼応している感覚で話すとき、彼はそんな仕草を繰り返す癖がある。
「何かを機会にして人生や世界とか大きい事に置き換えて考えてしまう人も、それを自分勝手に自己陶酔に浸っているだけじゃないかとて気づいてしまう人もどちらも生き辛い人なのかもね。でも生き易い人生なんてもっと惨めよ。誰も嫉妬してくれないし、誰もあいつらとは違うとも思ってもらえないの。ただ無なの。だから意味はあるんだと思う。というか思わないとやってられないわよね」
アキさんは淡々とだけど丁寧に言葉をつぐむ。その言葉の糸はいつも嘘がなくて美しい。アキさんの言葉があるその世界に一瞬浸るだけで、なんとく自分を少しだけ認めてあげることが出来る気がする。アキさんと話すことで憂鬱な月曜日をやり過ごし深い眠りにつけるような気がしている。
小さい頃、少し気があった子に言われた。
「神山君はなんだか違う世界を見ているような時がある」
当時は彼の言っている意味が分からなかった。世界は世界であって同じだとか違うだとか、そんな風に切り取られるような類ではない、と思ったからだ。
だけど、だからといって彼が言っていることに反感を覚えたわけじゃなくて。少しの違和感だけが残った。彼は何をもって僕のことをそう形容したんだろう。その時は深く考えもしなかった。そんなの当たり前だ。違う人間だから世界が同じように見えるはずがない。
そう、子供のときは世界とは一つで何故それが違うだとかと議論になるのだろう、と思っていた。その違和感がいつの間にか、世界が違って見えるのは人がみなそれぞれ違うのだから当たり前のことだ。その何が問題なのだろう、という疑問に変わっていったのだ。こうした小さな違和感が折り重なっていく事で、僕の脳の容量はパンクしパニックを起こす。
だから時々、衝動的にジャージに着替えて夜道をひたすら駆ける。ただ夜の中に灯る明かりや車のヘッドライト、風の音、そんな感覚だけを研ぎ澄ませて、後は何も考えず飛び出す。けして、あの歩道橋までいって折り返せばちょうど七km位だなとか、そんなことは考えない。体が赴くままに駆けて、もう戻らなきゃこれ以上いったら引き返せない、そんな思いに駆られたら引き返す。僕は懸命に自由になろうとしている。もう自由になることすら苦しいけど。
入社三年目の五月連休明け。
僕はついぞ会社に行くことが出来なくなった。
かつて通院していた会社近くの心療内科ではなく最寄の心療内科にとりあえず診断書を書いてもらわねばとの思いで駆け込んだ。事情を話して診断書を書いてもらった。会社の保健師に電話して事情を話したら、診断書は郵送でかまわない、ゆっくり休んでください、とだけ言われた。ずいぶんとあっさりしたものだった。
それから心療内科には毎週水曜日に通った。ジェイゾロフと呼ばれる抗うつ剤を処方された。一週間ごとに増量し四週間後に百mgになった時点で規定の量に達するという。下痢や胃痛、頭痛、神経痛などの副作用をもたらすため徐々に身体に慣らしてく必要があるからだそうだ。特に腹痛や下痢の副作用が強いことが多いから、副作用を抑える薬も併せて処方された。加えて睡眠薬も処方された。とにかく睡眠を薬の力を頼ってでもとることが欝にはまず重要なんです、とその医師は話した。
休職期間に入ってからも月曜は毎週のようにBAR「鈴蘭」に入った。休職に入って気づいたのは休めば楽になれるわけじゃないということ。時間があればどうしても自分があの時こうしていれば、と過去に原因を求めてしまい苦しくなったりする。特に月曜日は世の中が一斉に動き始める中で、自分だけ取り残されているような感覚に陥る。休職に入ってから一週間の中で一番憂鬱な時間は日曜日の夕方から月曜日の夕方に変わった。
「いらっしゃい」
アキさんの顔をみるとなんとなく休職中の身分だとか、そういう自分の肩書き的なことを忘れることが出来た。
「僕が働いている会社は多くの社員が恒常的に残業していて、心身のバランスを崩して休職したり退職したり転職したり、なんてのは日常茶飯事なんです。だけど冷静に考えれば経営者の目線で言えば、人的資源というリソースが安定していない状況って会社の経営の観点からみれば、とても危機的な事態ですよね。だけど、誰もそこにメスを入れることは無いんです」
「まあ、今経営者になっている人のほとんどは残業は当たり前、あるいは若手のうちは経験を積むチャンスだと美徳としている人がほとんどなのかもしれないわね」
「ある先輩がとても忙しいチームにいて、あれだけ残業していたら残業代だけでも基本給を上回るだろうなあなんて思っていたんだけど。彼は残業は仕事ができないことの証左だから恥ずべきことで、だから残業代を申請するなんて僕にはできない、って言ってて。ゾッとしました。そして言外にだからお前ら程度の残業で残業代もらったりするなよ、って聞こえました。それはこちら側が感繰りすぎているだけかもしれませんけど」
「皆が互いに、自分の首を絞めあっているみたいな感じだね。組織って残酷なものよ」
「そう!そうなんです。組織ってけして正義じゃないって気づいてしまったんです。入社して右も左も分からないからこそ感じた違和感をそのままぶつけて欲しいって最初言われて、真に受けて思ったことをそのまま言ったんです。そしたらどんどん自分の立場が無くなっていきました。最後は課長に呼ばれて。その人体育会系出身の人だから大柄で強面でただでさえ威嚇されているように感じるんですけど。二人っきりで会議室に呼ばれて立ちながら、俺たちは組織で動いているんだ、組織に所属して対価を貰う以上、組織の秩序に反するような振る舞いをするな、と言われました。だけど僕は全くピンとこなかった。素っ頓狂な顔をした僕を見て、お前は何もわかっていない、と言い残して彼はその場を立ち去りました。僕は組織の秩序の線引きがどこに引かれているのか未だに良く分かりません。普通の人は何となく察知するのかもしれないけど、僕は明確に言われない限り『察する』ことが出来ないから、余計な口出しをしてしまうみたいです」
「悟ちゃんは生真面目すぎるのよ。組織の秩序なんて偉そうな事言っているけど、前例踏襲を壊さず保守的に出世の階段を上りたいだけ。そう考えると組織の秩序なんてのは大層立派なものでもなんでもなくて、彼らの免罪符にしか過ぎないのよ」
アキさんの指摘はいつも端的で鋭い。
「なるほどね、考え出したらキリが無いからね。もうどうでもいいやって思いながらなんとか生きていこう、そう思うことにするよ」
「それが賢明よ」
今夜は山本と会うことになっている。正直休職中の身分で職場の人間に会うのは気がひけるが山本なら割り切って話ができる気がした。彼女は新宿で京王線に乗り換えるから、たまには外出しようと新宿駅南口で待ち合わせることにした。
山本は意識してか分からないけど会社での話はほとんどしなかった。
「少しやせた?」
「うん、ちゃんと食べてはいるんだけど、少し強い薬を飲んでるから少し気だるい感じがあって。どちらかというと食欲を増進させる作用があるらしいんだけど、今のところは普通だから。自分はちょっとした不安感があるとすぐ頬がこけるタイプだからそう見えるのかも」
「そっか、私が言えた事じゃないけどとにかくゆっくり休んで少し適当さが出てくれたら本望だと思えたらいいと思うんだ」
「ありがとう。僕本当社会適応力に欠いてるって会社に入って分かった。だけど正直言うとあんまり反省して無くて開き直っている自分がいるんだよね。例えばさ社会に出たら時間だけは守ろう。遅刻は相手の時間を奪っているに等しい。一瞬で信用を失うってよく言われるでしょ。自己啓発本なんかでも必ず時間を守れない人間は非国民扱いみたいな感じ。でもさ、現実的には皆さ必ずしも時間に正確であることが正しいとは限らないよね」
「僕の両親は母は時間に厳しくて、父は時間にルーズ。母はよくその事を話題にするし時間にルーズな人間って本当信じられない、ってそう言うけど、なんだかんだ時間にルーズな父を許している」
「職場だって遅刻には皆うるさいけど、会議への遅刻はしょっちゅう」
「もっと言うと始まりの時間は守らなければならないのに、終わりの時間は守らなくても構わない。そんなのってよくよく考えたら道理としてはなってないよね」
「神山君はさ、他人の痛みや苦しみ悲しみが分かる優しい人だと思う。だけどそれって結構窮屈なんだよね。世の中には色んな人がいて、それぞれに生き辛さだったり、悩みや苦しみを抱えていることが分かってしまうって」
「だからさ私はね、いつもこう思うことにしているの。現実で起きていることは実は物語なんだって。だから家に帰ってその現実で起きてることの原因を探るんじゃなくて、現実をもっと誰もが楽しめるような娯楽に昇華しちゃえば楽だなって」
「だからめんどくさい上司は、いつも嫌味な上司を演じる俳優さんに置き換えてみたり。で、ムカつく事も面白いことも書き留めていつか小説のネタにでもしてやろうって思っているの」
山本は神山といるときは饒舌だ。山本はイマドキの可愛らしい女の子で、お洒落にも気を遣っている。だが会社ではけして目立たず大人しくしていて地味なポジションでいようとしている節がある。彼女が職場で演技をしているのか、それも彼女の一面なのかはわからない。
だが山本は神山の前ではいつも自然体だ。だけど、男女としてどうこうなりそうな気配は微塵もない。いや起こそうと思えば互いに拒みはしないと思える。だけどこの距離感をお互いに気に入っているのだ。神山には人生のどのステージでも必ずといっていいほど、こういった子が傍にいるのだった。
「山本はやっぱすごいわ。僕は他人の悲しみとか苦しみとかも自分事のように思って胸が苦しくなったりする。でもその実そんな自分に自己陶酔しているんじゃないか、と嫌になる。なんて面倒くさい人間なんだろうね」
そんな面倒くさい話を山本には自然とできていることに驚いた。山本は確かに心開いた仲だけど、ここまで言えるんだ。
思い立って母方の祖父の墓参りに行くことにした。母方の祖父は五十代前半である難病で亡くなった。だから神山は祖父を目にしたことはない。遺影や写真で見る祖父の顔しか知らない。祖父はとてもハンサムな人だったそうだ。たしかに写真に映る祖父は背筋がピンと伸びて、彫りが深く外国人のような相貌だった。孫たちにはその輪郭や鼻の高さは遺伝されたが、残念なことに眉と目と間の彫りの深さまでは受け継がれなかった。それでも孫たちは祖父の血筋を引いているから、どちらかといえばイケメンという形容よりもハンサムという形容のほうが似合う容姿をしていた。
母方の祖父の墓参りに行くことは母には内緒だ。そして近くにある祖母の家には寄らず帰ろうと思っている。母方の祖母は時代のせいか、すこし偏見が強いところがあるから休職している事情を話す訳にはいかない。無論、孫のことなら全てを肯定してくれる祖母のことだから優しく応援してくれると思うが、母が体裁を失ってしまう。ここは面倒事は避けようと思いこっそりと祖父のもとへだけ行くことにした。
「おじいちゃん。社会に出てすぐに、もう自分でもびっくりするくらいあっけなく、挫折しました。小さい頃から僕の心にはなぜか深い憂鬱があって、それはいつまでも埋まることなく大人になりました。ぽっかり空いた僕のこの心の穴をどのように埋めたらいいのか分からず僕は今途方にくれています。でもこの心にあいた穴をなんとかして埋めようともがいて生きることが僕の生きる情熱や原動力になりうるのかもしれないといった期待をしている自分もいます。実は大切に想っていた人が自ら命を断ちました。普通はそういう出来事がきっかけで心にぽっかり穴に空くものだと思うんだけど、僕はそのとき既に心はぽっかり穴が空いていたから、これ以上空くところもなかったんだ。だから悲しかったけど、それはとても悲しかったけど。大きな喪失感が僕を包んだみたいな感じはなぜだか無いんだ。不思議だね。話は変わるけど、おじいちゃんはとても良く本を読み好奇心の強い人だったと聞きました。大学生のときは小説に出てきた地を訪ねて巡るような一人旅をしたそうですね。僕はおじいちゃんの血を色濃く受け継いでいるのかもしれません。でも好奇心の行き着く先に答えは無くて。いつもいつも何かを探し続けるのが人生なのかもしれませんね。僕は自分のふがいなさにうなだれているだけじゃなくて、本当に自分の情熱を捧げられる生き方を模索したいと思っています。僕はそんな生き方を体現する人を勝手に『今日を生きる人』と名づけています。僕は限りある生の中で早く今日を生きる人になりたいです。だからね、彼女が自ら死を選んだという事実も昇華させて乗り越えるんじゃなくて今日を生きる原動力に変えられるんじゃないかな、なんて勝手に思っているんです。随分自分勝手な話だけど、人間なんてそんなもんだよね。ね、また自分勝手だけど、心に空いた穴を見つめて止まずどうしようもなく胸がざわついて仕方ない時がきたらまたここに来ようと思います。じゃあね、その時までまたね」
休職中医師から昼夜逆転だけは絶対ならないように工夫しようと提案された。朝昼晩のタイミングでは必ず起きて食事をとる。それ以外は薬の副作用からくる眠気や倦怠感があれば睡眠をとっても良いし、元気があれば散歩など外出をする。その日の体調に応じて日々の過ごし方を決めれば良いと言われていた。
平日の昼間から外出する様子に隣に住むおじいちゃんが気づいていたのか、ある日隣のそのおじいちゃんから話しかけられた。お隣さんは老夫婦でつつましく暮らしていた。夕食時になるといつも良い匂いがした。奥さんは料理を、ご主人は洗濯物を担当しているようだった。とても仲睦まじい理想の老夫婦だった。時々友人達がやってきておしゃべりに興じていた。絵に描いたような幸福な老夫婦の姿だった。
「良かったら一緒にお茶に付き合ってくれないか」
それは初夏の気持ちの良い晴れの日だった。
「妻にこないだ突然先立たれてしまってね。長く闘病していた訳でもなく。あっけなくあの世に逝ってしまった。よく家内に先立たれた老人が私も早く追いかけたいとかって愚痴を言ったりするでしょ。でもね私はちゃんと自分の寿命を全うしようと思うんだ。死んだって愛する妻に会えるわけじゃない。ただ焼かれて灰になるだけだ。ならば与えられたこの人生をちゃんと全うしようと思うんだ。でもそれは私の意志であって。それが正解だって訳じゃないんだ。生きるっていったいどういうことなんだろうね。私ももう九十年以上生きているのに未だにわからないんだよ。きっと答えはみつからないまま一生を終えるんだろうな。でもこうやってあんなに小さかった君が大きくなって。ああ生きているあの少年は立派な青年になって生きている、そうやって時々見ていたんだ」
「時に思い悩むこともあるだろう。それも含めて大切に思える人がいれば人生はそれだけで万々歳、大成功だ。君はとても愛されている。そしてちゃんと誰かを愛せるだろう。だから大丈夫だよ」
「この波の向こう側にはどんな世界があるんだろうね」
「私ね、まだ一度も海外に行ったことないんだ。パスポートすら持ってない」
「この海の向こうの世界を悟君と一緒に見に行きたいな」
そう言って海をみつめる彼女が隣にいた。
そんな夢をもう何度みたことだろうか。