プロローグ
人は誰しもその奥底に不安を抱えながら生きている。
そう思って生きてきた。その不安をかき消すように人は世界を知ろうとする。
これは一体何なのか、なぜこんな風に世界は存在するのか。なぜ自分は生まれたのか。人生とは。命にはなぜ終わりがあるのか。様々な問いを巡らせていく。そんなことを考えると怖くてたまらなくなる。だから見ない振りするために人間は色んな仕組みを作ってきた。その歴史を知る。そして段々と世界には秩序なるものが存在することを学んでいく。
だけど秩序とは脆く壊れやすいことも知る。
僕らが歩む先に終着点はあるのか。それはどこ?いつ辿り着く?
そもそも僕らは前進しているんだろうか。
二〇一七年七月一日土曜日
秋月実香は毎週土曜日午前十時、喫茶「楓」に足を運ぶ。喫茶「楓」はJR中央線西荻窪駅の北口を抜け、住宅街に差し掛かったところを左に曲がり三軒の住宅を過ぎて右側の細い道を入った先にある。特に看板も出していない。地元の人でもその存在を知らない人は多い。店構えも至って地味だ。客はいつも常連ばかりで、そこまで混み合わない。店舗の入り口近くに十席程カウンター席があり、店の奥に四人掛けのテーブル席が二つある。これといって物珍しい珈琲を提供しているでも無く、どこにでもありそうな平凡な喫茶店だ。店主は五十代後半の男性だろうか。寡黙な人で注文以外の会話をしている様子を見かけたことはついぞない。
実香が喫茶店「楓」に向かうのは遅めの朝食も兼ねた毎週土曜日の決まった習慣だ。だが最近彼女が喫茶店に向かうのにはもうひとつの目的がある。それはある青年に会うためだ。
その青年は実香よりいつも少し早めに来店している。実香が店に着いたときは既にカウンターの一番奥の席に腰掛けてホットケーキとアイス珈琲を手にしている。
実香は彼と一席分だけ空けてカウンター席に座り彼と同じ物を注文する。
そして彼と他愛も無い話を大体1時間程する。彼が先に店を出る。その後は少しばかり日経新聞の電子版をスマートフォンで気になる記事をいくつか読んで店を出る。
彼は今日も素っ気無い出で立ちだ。白いシャツにジーンズにサンダル。180cmはあるだろうか。高身長と割に整った顔立ち。色白でつやのある肌。日本人にしては高い鼻。彼の横顔はなんだか雰囲気がある。彼には恋人はいるのだろうか。実際のところ彼については未だほとんど何も知らない。ただあるときから同じ時間に同じ場所でいつもそこに彼をみかけるようになった。勤め人で独身であれば土曜日は少し遅めに起きてブランチを兼ねて外で済ます習慣がある人間がいてもおかしくない。たまたま実香と同年代と思われる青年がそこにはいた。
別に恋人が欲しい訳じゃなかった。だけど、何のコミュニティにも属さない、たった二人だけの世界をこの世界で持ちたいとそう思った。だからその青年に実香は話し掛けてみた。普段の実香を知る人間からすれば意外かもしれないけども。さしたる勇気も必要とせず、不思議なことに彼には自ら近づくことができた。
「今日は夏の匂いがする。あぁ少し憂鬱」
彼は同い年らしい。だから実香は彼に対して気楽に話せるようになった。夏は暑くて嫌だ、とはそこまで思わない。生来寒がりだから暖かい分には別になんとも気にならない。だけど冬とはまた違った意味で、夏は孤独を際立たせる様な気がする。まだ始まったばかりだというのに、終わっていく夏を思い浮かべては憂鬱な気分になる。
「憂鬱か」
その青年はぼそっと一言呟いた。実香がこの青年と会話を交わすようになったのはつい最近の事だ。彼は基本的に寡黙な人だ。返事のほとんどは相槌ばかり。だけど時に多くを語るときもある。だから彼はけして何も語ろうとしない訳ではない。その時による。ただそれだけだ。だけど彼とはまだかなり心の距離がある気がする。甘酸っぱいそれとは違うけど彼のことをもっと知りたい、と思う。
「過ぎ去っていく感じをつい想像してしまうの。あっという間に私の人生も過ぎ去って跡形も無く終わりを告げるようなそんな気分になるんだ。なんか月並みだけど切なくなるから。だから夏は好きで嫌いな季節」
彼は特に何も答えない。正解不正解を求めず、ただありのままの私を受け容れてくれるような気がする。そんな彼との会話を実香は気に入っていた
彼との初めての会話はとてもぎこちないものだった。
「あの余計なお世話かとは思うんですけど気になるので聞いてもいいですか。なんでホットケーキに何もかけずに食べるんですか」
「ホットケーキに何かをかけるのが当然だってのが僕には不思議だね。僕にはそこに疑問の余地は一切無いです」
「あっ、すいません。つい自分のこだわりというか当たり前だと思っていることを人に指摘されると、なんだかむずがゆくてついぶっきらぼうな言い方になってしまうんです」
確かにものすごく感じの悪い受け答えだったけど、なぜだろう。そこまで不快には思わなかった。実香は話し続けた。
「ちょっと面倒な方ですね」
「面白い人ですね。初対面でいきなり面倒な人って。まあ図星なんですけどね」
「話しかけても大丈夫ですか」
「ええ、もう既にあなた話かけていますから、どうぞ」
「昔大好きだったバンドがいたんです。でも段々と売れなくなって。当時はヴィジュアル系ってよばれるバンドが沢山売れてた時代で。私まだ小学校低学年だったんですだけど。たまたま父が気に入って借りてきたバンドを私も気に入ったんです。ボーカルの子が割と美形だったからそれなりに人気だった。だけど万人受けしないというか少し暗いところがあって。だから段々ブームも過ぎ去っていった頃には、コアなファン以外は離れていきました。高校一年生の初夏でした。彼等が出したシングルでこう唄ってたんです。『何処まで行っても孤独はあるよ』と。それから夏をこんな風に唄ってました『綺麗で優しくて悲しいね』と」
実香は二十五歳になった今も高校一年生の夏に聴いたあの時の切なさを忘れられず、毎年夏が来るたびに、この言葉とメロディーを思い出すのだった。
「彼は生まれ持ったその整った容姿でバンドとしてもそれなりに成功して、綺麗で若くて良い家柄のお嬢さんをお嫁さんにもらって。はたからみたら、順調すぎる位の人生を歩んでいるようにみえました。だけど彼の唄はどこまでいっても僕は孤独だって、そう叫んでいたんです。皆が家族だったり友達だったりとの関係を見つめ直すような夏に彼はいつも孤独を感じてたのかな。でもそれを綺麗で優しいと言いながら悲しいね、と唄ったんです」
その青年は黙って彼女の話を聞いていた。きっと彼女はそのボーカルの彼に自分を重ね合わせていたのだろう。
「悲しい、って言える彼はきっと幸せなんだと思う。今日を生きている人の言葉だから」
その青年ははボソッとそう言った。孤独から目を逸らさずに向き合う人間は脆いが強い。
「じゃあ僕帰るわ、お先に」
そう言って彼は席を立った。
今日を生きている人って、どういうことだろう。明日もきっと楽しいことが待ってるに違いない、と思えるような人は夏を悲しいと形容したりはけしてしないってことだろうか。明日はどうなるかわからぬわが身、と思って悔わぬよう今を生きる人は悲しい、だなんて思う余裕すらないんじゃないか。
彼がどういう真意でそう言ったのか、少しだけ心に引っかかった。今日を生きているというのは仏教的な思想なのだろうか。明日私は交通事故にあって命を終えるかもしれないし、いつどうなるか分からない。だが来るべき死に向かって淡々と向かって入ってるのは事実だ。その事実に私は小さい頃から怯えてる。そんな臆病な自分を知っている。
そんな世界で真に尊いものは一体何だろうか。やはり普遍的には愛なのだろうか。愛って一体なんだろう。
帰り道。土曜日だから皆動き出しは遅く今から駅に向かう人が多い。私は来週1週間分の食糧をスーパーで買い込んで帰路につく。毎週のようにその繰り返しだ。
約一年前、それは夏も終わりを迎える頃だった。
二〇一六年八月二二日
「彼女」は自らの手で二十四年の生涯を終えた。