出会いは突然に2
「親に敬語はしっかりしなさいと、指導されていたので。おかしいですか?」
なんてその場限りで誤魔化してみたが、納得してくれるだろうか。背中に嫌な汗を感じつつ、歩は目の前にいる背の変わらない千晴の顔を窺った。
「そうなん? 立派なご両親やねぇ」
感心したようにうんうんと頷くところから、どうやら信じてくれたようだ。
--単純で助かった。
自分でもどうなんだというぐらい苦しい言い訳だったので、内心ホッと安堵する。
「ホンマありがとうなぁ、なんか困ったことあったら言うて。力になったるし」
歩が差し出された袋を受けとると、千晴は笑顔で拳を作ってみせる。それを聞いて歩はならば使えるものは使おうという邪な考えが頭に浮かんだ。女はいざというときに暴力には勝てないので換算していなかったが、情報を得るには申し分ない人材ではある。断ることも考えたが、今の歩には情報が足りなさすぎるのだ。
--ここは贅沢を言っていられねぇ。一人でも味方を増やすべきだ。
そう決断するや否や、教室から離れようとしていた千晴を呼び止めた。
「どうしたん?」
呼び止められて千晴は不思議そうに目を丸くする。歩は迷った素振りを見せつつも、彼女が話を聞く態度を見せたのを確認すると、申し訳なさ気な表情を作り上げた。
「いきなり先輩に甘えるのは気が引けるんですけど、俺すごく困ってて……」
一瞬一人称をボクにしようか迷ったが、後で気が弛んだ結果、バレるのも面倒なので、いつも通りに徹底する。
--てか、ボクってガラじゃねぇしな、俺。
迷った自分に内心ツッコミを入れて、千晴がどう反応するのか窺う。
「うちにできることやったら、なんでも言うて」
千晴は気を悪くした様子を微塵も見せずに笑顔で力になると言ってくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。実は俺事故で入学してからの記憶が曖昧なんです。先輩が良ければ昼休みでも案内してもらえないでしょうか」
人を騙すには、半分の本当のことを入れるのがベストだと、昔どこかの本かテレビで知った。まるごとが嘘だと怪しまれるが、本当のことを交えることで信憑性が増すということだ。歩としては教師以外全員が年下の中学校に通っている時点で、騙しているような罪悪感を抱いている。不可抗力とはいえ、すでに騙しているのだから、今更嘘の一つや二つ増えたところで、罪悪感を抱く必要はない。
--はずなんだけどなぁ、良心の呵責がすげぇわ……。
そっと静かに左胸に手を当てて天を仰ぐ。
「事故なんて、ホンマ大変やったんやなぁ。ええよ、ええよ。うちで良ければ案内したるよ。せっかくやし、二時限始まるまで少しあるから、今から案内するわ」
「え、でも。それじゃあ先輩に自由ないじゃないですか」
休み時間に自分だけで探険するつもりでもあったので、千晴の提案は助かりはするが。さすがに毎休み時間を付き合わせるわけにはいかない。
「構へんよ。別に友達と約束してるわけやないし。むしろ後輩の面倒見るんは先輩の仕事やろ? 史也くんがずっとうちといるんが嫌なんやったら昼休みだけでもええけどね」
--春日井千晴。イイ人過ぎるだろ。
千晴の厚意に歩は思わず内心で涙ぐむ。こういう親切な子ほど、損してしまう世の中なのが実に悲しいが、歩はその優しさに全力で甘えることに決めた。
出会った当初に、女は使えないとか思ってごめんなさい。なんて内心で謝りつつも、時間勿体ないからと、率先して歩き出した千晴の後を慌てて追った。
千晴と共に校内を回り始めてすぐに、歩は不可解な気持ちに陥る。横を歩く三年の千晴に対して、二年だけでなく三年までもが同じ反応を見せるのだ。ソレに当の千晴は気にしたようすは全くない。
「千晴様!」
「千晴様、おはようございます!」
すれ違う生徒だけでなく、教室からも聞こえてくる固有名詞に、歩は不可解な瞳を千晴に向けざるを得なかった。
「……先輩」
「なんや?」
「一つ聞いていいですか?」
「ええよ」
廊下を歩きながら、どうしても気になるこの状況を千晴に投げ掛けることにした。
「先輩は生徒会長かなにかですか?」
「ちゃうよ。うちなんかが会長になってもうたら、この学校終わるわぁ」
真面目に聞いたら、ケラケラ笑いながら返事をされた。生徒会長でも一生徒を「様」呼びするのは如何なものかとは思うが、どうやら会長ではないらしい。ここでまた一つ疑問が湧いた。
ならばなぜ、一生徒の千晴がそう呼ばれているのか。
「まぁ、気になるやんねぇ。昨日会ったばかりの先輩が変な呼ばれ方してるん。別にイジメとかやないんよ。うち自身は大したことはしてへんつもりなんやけど、噂に尾ひれがついてもうて」
「何したんですか」
「うちが一年ときに、三年がちょっとやんちゃやっとっててな。先生とかも手ぇ焼いとったんよ。うち曲がったこと好きやないから、一年やのに三年に「恥ずかしいことせんと、先輩らしいことしたらどないやの」って啖呵切ってもうて」
「……勇気、ありますね」
まさかの話に歩は苦笑いする。
「まぁ、相手は怒るわな。年下のしかも一年に言われて黙ってられるわけがないわけや」
「でしょうね」
歩だって年下に偉そうなことされたならカチンとくる。ただこちらに非がなかったなら、の話だ。非があるのに指摘されて怒るのは単なる逆ギレだ。
「暴力に走ろうとした三年を、しゃあないんで止めるつもりで、のしてもうたら「春日井千晴にケンカを売ったら殺される」ていう変な誤解が生まれてもうて。噂を止める間もなく当時の全生徒に広まってしもうたんよ」
落胆したんように説明する千晴に、歩は同情するしかなかった。
「当時は恐怖から「千晴様」呼ばれてたんやけど、今はあれやなぁ。あだ名みたいになってもうてるんよ」
--いや、そうは見えなかったぞ。二年に至っては尊敬の眼差しのが強かったと思う。
二年も学年が違う相手を簡単に打ち負かしたなら、仕方ないと言えば仕方ないとは思うが、ソレを今じゃ受け入れている千晴の胆が据わっているだろう。
「先輩、強いんですね」
「並の男子よりは勝てる自信あるで? これでも小さいときから合気道と空手を習ってるから」
--可愛い顔して恐ろしいな、この子……。
えへん、と笑顔を浮かべながら自慢げに話す千晴の言葉に冷や汗を覚えた。千晴に勝てる気がしない。力で捩じ伏せるつもりなど毛頭ないが、下手な真似はできないのだけは理解できた。
「でもまぁ、それだけではないんやけどな」
苦笑混じりにそう口にする千晴。
「え、腕っぷしだけじゃないんですか?」
「悲しいかな、そうやねん。たぶん大半はそっちが強いかもしれへん」
頬を指でかきながら千晴は言う。しかしその雰囲気は聞くことを拒絶しているように見えた。話したくないことなのだと瞬時に歩は直感し、それ以上は深く追求することを止める。
そうこうしていると休み時間が終わりを告げようとしていた。短時間で回れる場所は限られる。千晴はまた次の休み時間に、とそれだけ言って自分の教室へ向かっていった。その後ろ姿を見送ったあと、視線を自分の後ろへやる。
「なんか用か、変態」
「うわ、いきなり酷いですね」
千晴に案内をされてすぐ辺りから、背後で野次を飛ばしたり冷やかしたりと鬱陶しいことばかりしていたイザナをジトリと睨む。
呼んでもいないのに来るとは迷惑極まりない。
--暇なのか、こいつ。
自分の本来の仕事もせずに、歩の傍をうろうろしている。歩がそう思ってしまうのも仕方がなかった。
「今度はなんだよ」
「歩さんの元へ来るのに理由が必要ですか?」
「仕事しろよ。俺に構ってないでよ」
「あはは、ですよねぇ。でも残念ながら歩さんの傍にいるのが仕事なんですよ」
「は?」
「上からの命令でですね。勝手に人間の魂を動かしたことがバレちゃいまして、罰として歩さんの監視と管理を言い渡されちゃいました」
--つ、使えねぇ。マジ使えねぇ。
可愛く説明してきたイザナを、歩は殴りたくなる衝動に駆られつつも、そこは抑えて拳を降ろす。バレるとか、元々全部報告してなかったことが、歩にとって信じられなかった。
「てか、あんたらって会社とかあったんだな」
「それはありますよ。じゃなきゃ現世は今頃幽霊だらけですよ?」
それは想像したくない。
「とりあえず俺は、あんたの独断による被害者なわけか」
「言い方は気になりますが、概ねその通りですね」
--な、殴りてぇ。
降ろした拳を、再び静かに掲げそうになる歩であった
遅くなりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。