死の理由
近しい間柄でもなかったこともあり、歩は自分の体が焼かれる斎場には出席はできなかった。まぁ、行ったところでさらに現実を突きつけられるだけなのだが。もう二度と自分の体に戻ることができないという現実に。
史也の父親が車を取りに行く間、会場から少し離れたところで史也の母親と待っていたが、話題という話題がないため重苦しい沈黙が続き、居たたまれなくなって歩はトイレに行ってくるとその場を離れた。
「お別れは済ませられたみたいですね」
一人になって安堵していたところに、急に背後から声を掛けられて歩は声にならない悲鳴を上げる。驚きで心臓が煩いぐらいに早鐘を打っている。胸を抑えながら、恨みがましい眼差しを声をかけた相手に向けた。
そこには昨日会った胡散臭い自称天使のイザナが飄々とした顔で立っていた。
「何しに来やがった」
「ご挨拶ですねぇ。ちゃんとした別れをされたのか確認に来たに決まっているじゃないですか」
イザナは歩以外には見えないし、もちろん声も聞こえない。そのせいか、突然悪態をついた歩に通りすがりの人が変な目で見てくる。それに気づいて歩は壁際に寄った。イザナは楽しげにその後に続く。
「歩さん、意外に愛されてましたね。周りのひとたちに」
「うるせぇ」
「泣きそうになったの見てましたよ」
「な!? 趣味悪すぎだろっ」
「いやいや、実に面白く楽しく拝見させていただきました」
ニコニコと笑いながら感想を述べるイザナに、歩は「こいつ絶対性格悪い」と感じた。
「まぁ、冗談はこれぐらいにして。これから貴方は遠藤史也として生きていくことになるわけですが、いきなり他人になるのも難しいでしょう。私の勝手な判断のせいもありますし、しばらくは貴方のサポートをさせていただきます。なにか困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「サポートって、なにができんだよ」
「そうですね、アドバイスとか、応援とかですかね」
「ちっとも役に立たねぇじゃねぇか!」
なんせ見えるのは歩さんだけですからね、と営業スマイルで説明するイザナの頭を殴りたいが、実体のない彼にやったところで無意味な気がした。
「そういや、気になってたんだけどよ」
「はい?」
「史也は誰かに線路に突き落とされた感じはなかったんだが、そこんとこはどうなんだよ」
線路に飛び降りた史也の顔をハッキリ覚えているわけではなかったが、少なくとも事件性を感じなかった。彼の周りには歩と、買い物帰りらしい女性しかいなかったと記憶している。
「……そうですね。突き落とされたりはしていません」
イザナの一瞬の間が気になった。
「なにかあんのか?」
イザナの反応に歩は眉を潜めて、さらに声を小さくして訊ねた。するとイザナは、少し躊躇ったような表情を浮かべる。
「……事故とかか?」
「私からは教えることはできません」
「なんでだよ」
「それはあなたが遠藤史也さんではないからです」
ーーは?
これからその遠藤史也になるというのに、違うから教えられないとはどういうことだ。納得ができない。
「簡単に言うと個人情報だからです。史也さんのことは他人である歩さんには教えるわけにはいかないのですよ。ただ、歩さんが史也さんの死の真相に気づく分には問題はありません」
「死んだ人間には人権なんてないだろうが」
「それは現世だけのことです。常世ではそれは通じません。ですから私から史也さんに関する情報を歩さんに与えることはできないのです」
「なんだよ、それ」
「私から言えることは、史也さんの部屋に行けば何か分かるかもしれませんというぐらいです」
意味が分からない。これだけ振り回されているのに、何も教えてもらえないのはおかしくはないか。イザナは本当に申し訳なさそうな表情をこちらに向けている。たぶんこれ以上聞いたところで、彼は何も教えてはくれないだろう。聞かないでくれという雰囲気が滲み出ている。
歩は小さくため息をつくと、渋々ながら納得することにした。教えてもらえないのならば、自分で探しだすしかない。幸いヒントみたいなものは貰えた。
分からないことをそのままにしておくのは性に合わない歩は、決意を新たにした。
当面の目的は、史也の死の理由だ。
イザナとの会話を早々に済ませて、歩は史也の両親と共にこれから生きていく史也の家へと向かった。
史也の家は、葬儀会場から車で三十分ほど走った住宅街にある。退院したときに初めて訪れたが、歩はかなり驚いた。住宅街の中でも一際目立つ大きな家。団地に住んでいた歩が、あまりの大きさに体が固まってしまったのは言うまでもない。
ーーまさかのお坊ちゃんだとは思わなかったよな。
普通の一軒家が三つぐらい余裕で入るぐらいの家だ。しかも庭もある上に、母親の趣味なのかガーデニングと家庭菜園がある。息子としていなければならないので、父親の職業を聞くわけにもいかない。まぁ、これほどの豪邸なのだから、それだけの役職についているのだろうと、歩は勝手に推測している。
さすがに母親が専業主婦ということもあり、家政婦はいない。車が二台置けるぐらいの広さがある玄関から中に入って、歩は自分の部屋となる史也の部屋へと向かう。母親はお茶の用意をするとダイニングへと向かい、父親は駐車するために車庫入れしている。
まだ他人の家の感覚が抜けない中、歩は史也の部屋に入って辺りを見回す。退院した時は、体の痛みでそのままベッドに倒れ込んだため、なにもしていない。とりあえず適当に制服から部屋着らしいものに身を包んで机に近づく。
史也は几帳面な性格だったのか、机は綺麗に整頓されている。まだ中学に上がったばかりなのか、教科書は真新しい。ノートを開けば、男の子にしては可愛らしい文字が綴られている。
「さすがに筆跡を真似るのは無理だな」
歩にこんな可愛らしい文字を書く腕はない。だからといって、みみず腫みたいな読めない字を書くわけでもない。母が煩かったので、徹底的に直されただけだ。
「……ん?」
机の引き出しを開けようとして、鍵がかかっているのか動かすことができない。辺りには鍵らしきものはない。すると歩はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、ポケットから何故かヘアピンを取り出す。
「こういうものって、開けたくなるよな」
隠されると暴いてみたくなる。歩は器用に引き出しの鍵穴にヘアピンを差し込んで、カチャカチャと動かした。数十秒の格闘の末、解錠に成功した歩はまるで宝物でも見つけたような輝いた瞳をして、ゆっくりと引き出しを開けたが、中にあったのはdiaryと書かれた分厚い本だった。
「日記?」
取り出して表紙と裏表紙を確認。白色のハードカバーの日記のようだった。中身を確認しようと開こうとした時、視界の端でスマートフォンが通知を知らせる。
「あ、そういえばケータイ見てなかったな」
日記を机の上に置いて、スマートフォンを操作してみる。ロック解除は初期のままなのか、スライドだけで簡単に解除できた。
「不用心だな。ま、おかげで助かってんだけどな」
なんて言いながら通知の確認。どうやらLIMEからの通知らしい。線路に落ちた時から二、三日確認できていなかったわけだから、友人からの心配コメントかもしれない。
「…………これは」
通知のあった部分を開いた瞬間に、視界に映った文字の羅列に歩は言葉を失った。
スマートフォンの画面に映し出された文字。どうやらクラスのグループのようだ。そこに記された文章の全ては、読んでいて気分の良いものではなかった。
『遠藤助かったんだってよ』
『マジかよ、そのまま死んでしまえばいいのに』
『でもさ、死んじゃったら金蔓居なくなっちゃうじゃん?』
『たしかに』
『あれはあれで使えるもんな』
『けどさ、代わりに助けたやつが死んだんだろ?』
『そうそう、バカだよな』
『死に損(笑)』
「…………」
数名のクラスメイトによる陰湿なイジメだと、歩はすぐに理解した。まだ中学に入って長くない。この流れからすると、小学生の時から受けていたに違いない。
歩は幸いにもイジメというものを経験したことがない。周りに恵まれて過ごしてきたのだ。テレビなどでよく取り上げられるソレを、他人事のように受け止めていた。それが、こんなにも近くで起きている。
歩は机の上に置いた日記に視線を移した。もしかしたら日記に書かれているかもしれない。そう直感が働いた。
スマートフォンを置いて日記を手に取り、ページを捲る。最初のページは今から半年前の日付。まだ史也が小学生の時だ。
そこにはあの可愛らしい文字は並んでおらず、震えたような文字が短く並んでいるだけ。どの日にちも、誰に何をされたのか、時刻まできっちりと記されていた。ざっと目を通すかぎりだと、特定の人物数人によるイジメに遭っているのだと分かった。
「日付が三日前。……線路に飛び込む前の日か……」
『もう疲れた』
たった一言。
それだけで史也がどんな心理状態だったのか推測できる。
「ずっと親にも話さずに一人で抱え込んでいたんだな……」
それでも日記を見る限りだと、史也は彼らに半年間だけで百万円近くお金を渡している。さすがに親は不審に思わないのだろうか。あれだけ心配してくれる親なのだから、何かしら史也に聞いていなかったのだろうか。
文也が自分が死んだと思い込んだ理由は、自殺だからだろう。助けてもらったと認識していなかった。電車に轢かれれば苦しみもなく死ねると思ったのだろうか。
「……イザナが口ごもった理由はこれだな」
個人情報だと言っていたが、彼なりの史也に対する配慮だったのかもしれない。
日記を閉じて引き出しに仕舞うと、歩は再びスマートフォンを手にした。あのグループの履歴をを遡ると、史也が自殺した前日に何人もの生徒が、史也に対して「早く死ね」などの辛辣な言葉を投げつけていた。史也を擁護する生徒は誰一人いない。味方が誰一人いない中で、史也はこの言葉の刃をどう受け止めていたのだろう。
「こういう場合、教師は役に立たねぇだろうし。史也の異変に気づいた大人はいなかったのかよ……」
これはあまりにも史也が不憫すぎる。
歩は普通に過ごせばいいと思い込んでいたが、どうやら簡単には過ごせないようだ。厄介ではあるが、なにもなく淡々と過ごすよりは刺激があって面白いかもしれない。
クラスの生徒たちは、史也の体に他人が入っていると知らない。自殺未遂をしたイジメられっ子が、学校に復帰と同時にガラリと変わったら、彼らはどんな反応をするのだろうか。
「いいじゃん、史也のお礼参り。やってやろうじゃん」
史也を自殺まで追い込んだ生徒たちに対して、歩からの敵討ちだ。
「そうと決まったら、どんなイジメをされてきたのかもっと知らないとな」
歩はうきうきとした気持ちで、引き出しに隠された何冊かの日記に目を通すことにした。