青天50
「久方振り大笑いをした。俺もまだまだということだな」
哲人は薄ら笑みを浮かべて言った。
潤はそんな彼の姿を見てから、次いで天を見上げた。
その様子を見ていた哲人も彼に続いて上を見上げる。
今日の空は比較的に穏やかで、澄んだ空気が辺りを支配していた。
暖かな空気。
静かな音。
空は黒い雲に覆われても、優しい風景が街を支配していた。
「綺麗な空だ」
空を見上げていた潤は、そんな感想が口から溢れた。
その言葉に反応して哲人が笑いながら言う。
「お前は本当に空を見上げるのが好きだな」
彼は昔を思い出すかのようなそんな気分に浸る。
その横顔は幼い頃からよく見かけることがあった。
潤は何かある度に空を見上げていた。
彼の横顔からは何を考えているか分からない。
ただ不思議と彼の顔は、仏のように穏やかな表情で空を対面に見つめる。
哲人の言葉を聞いた潤は、嬉しそうに微笑む。
「まぁね。こればっかりは昔から辞められないんだ。空を見上げているとさ、その時間だけ考えることを放棄出来るんだ」
「つまり、お前が空を見上げている時は何かを考えているということか?」
「そうだね。僕は考え事をしていた」
「話せる内容か?」
「話してほしいの?」
その問いかけに哲人は、首を横に振って応じた。
「まぁ、見上げることの出来る空があるというのは良いものだな」
「本当は、当たり前の事なんだけどね……」
悲しそうに彼は言う。
そう。
空を見上げることの大切さを本来なら知ることはなかっただろう。
いつの時間からか。
この世界での空は貴重なものになった。
どこまでも広がる空は、この世界にあるどれよりも大きなものだ。
その広大さを拝めなくなると、人々は一体どうなるのだろうか。
哲人は彼の顔を一度見て、口を開く。
「仕方ないことだ。この世界では当たり前ではなくなったということだ」
その言葉は的確で、まさに的を射抜いていた。
「そうだね……。昔は何でもない時でも空を見上げていたけど、今じゃ黒く覆われる空を見るばかりだ」
彼の瞳は真っ直ぐ空を見つめていた。
その様子に哲人は、一緒に空を見上げながら
「この景色がいつまでも続くと思うか?」
と、潤を試すように聞いた。
問いかけられた潤は哲人の方を見る。
彼の瞳はどこか悲しげだ。
潤は数秒置いて口を開いた。
「分からない。分からないよ哲人。そればっかりはどうしようもないくらいに言い表せない」
潤は分からないと答えた。
彼の口からは語ることが出来ない。
哲人の問い。
その答えを知る者は、この世界のどこにもいない。
「愚問だったな」
「哲人はどうなんだい?」
「俺も分からないからお前に聞いたんだがな……」
「哲人も苦労してるね」
「お前に半分分けてやろうか?」
「それは嫌だな〜」
二人は再び大きな声で笑う。
そのやりとりは楽しそうに笑う二人だけにしか伝わらない。
二人の間に流れる時は早い。
穏やかな時間はあっという間に進み、次第に終わりを告げる。
「さて、俺は仕事に戻るかな」
彼の言葉に潤が反応する。
「何かあるのかい?」
その素振りがなかったので聞いてみた。
「最近、西国の方で厄災の活性化が始まっているらしい」
「西国で?」
彼の言葉に潤は眉をひそめた。
西国は東国の隣国である場所だ。
東国とは違い、黒い雲の侵食に対してさほど影響を受けていない。
東国に比べれば、比較的に厄災の発生率が少ない国である。
しかし、その西国で厄災の活性化が発生しているということは、生態系の異常を示したいる。
「それは……一大事だね」
「あぁ、情報確認のためにこれから西国に連絡を取るつもりだ。入り次第お前にも話そう」
「分かった。僕の力が必要になったらいつでも言ってくれ」
「あぁ。元からそのつもりだ」
哲人は潤に背中を向けてその場を去っていく。
その姿を見送り、潤は帰路に着く。
帰る途中で哲人の言葉を思い出す。
「西国で厄災が活性化か……」
何やら不穏な気配がする。
何事もなければいいがーーー
不安を抱えつつ、自身の住まう場所へと辿り着き、玄関を開ける。
「ただいま」
玄関の扉を開ければ、中から香ばしい香りが漂ってきた。
「いい匂いだ……」
思わずお腹の虫が鳴ってしまいそうになる。
生唾を飲み込むと、廊下からこちらに向かって駆けてくる足音が聞こえる。
「お帰りなさい潤さん。ちょうど晩御飯を食べていたところです」
そう言って目の前に現れた薫がエプロン姿で潤の前に立つ。
それはまるで新婚さんのような雰囲気だ。
「いい匂いが玄関まで届いてるよ。お腹が空いちゃったな」
「すぐに潤さんの分も用意しますね」
そう言って薫は元来た場所に戻っていく。
潤は靴を脱いで廊下を進み、ラウンジに入る。
ラウンジには、先にご飯を食べている蓮と詞
の姿が目に入る。
「潤。遅かったな‼︎先に飯食べてたぞ」
「潤先輩こんな時間までどこに行っていたんですか?」
二人の姿に思わず笑みが溢れる。
「ちょっと野暮用でね。外に出ていたんだよ」
「何か嬉しそうだな」
「そうかな?もしかして顔に出てた?」
「出てた」
「蓮は人の変化に鋭いね」
「お前が分かりやすいんだよ」
顔を抑えて笑みを隠す。
「潤さんご飯お持ちしました」
「ありがとう薫」
目の前に出されたご飯は光り輝いていた。
黒い雲の侵食を受けてなお、これほどのご飯にありつけることに潤は感動しながら、席について食す。
スタミナをつけて明日に備えることにしよう。
明日もまた厄災の討伐が待っているのだからーーー。




