■第55話 線と点だけで出来る顔
楽しかった修学旅行も終わりまた気怠い日常生活に戻っていた
ショウタとシオリ。
しかし、ふたりの距離は少しずつだが確実に進み、ショウタはもう
”ストーカー ”から昇格していたし、周りからもふたりは完全に
”カップル ”という扱いで見られていた。
とある日の、3時間目と4時間目の間の短い休み時間のこと。
シオリが4時間目の数学の教科書を机上に準備しようと引出しをまさぐるも、
それが無い。
(ぁ・・・ 昨日の夜・・・。)
シオリは、以前ショウタに数学の教科書を貸した時に描かれたパラパラ漫画を
昨夜遅くまで自室でめくり、ひとりクスクス笑って眺めていた事を思い出す。
(あー・・・ 机の上に置きっぱだ・・・。)
几帳面なシオリは、今まで忘れ物など殆どしたことがなかったというのに。
慌ててイスから立ち上がると廊下へ駆け出し、2-Aの教室へ向かう。
2-A教室後方の戸口で背伸びして、その姿を探す。
休み時間の為、立ちあがって教室内を歩き回る姿が邪魔をして中々お目当ての
その姿が見えない。
すると、やっと見つけたそれは机に突っ伏して寝ているようだ。
『ヤ、ヤスムラくぅ~ん・・・。』 戸口から呼び掛けるもきっと眠る
ショウタの耳には届かないだろうと困った顔をしていたシオリ。
(どうしよう・・・。)
すると、ガバっとその大きな背中は起き上がり、キョロキョロと周りを見渡す。
雑踏でも夢の中でもシオリの声だけには無意識に反応する体になってしまっているようだ。
『ぁ。 ヤスムラくぅ~ん!』
もう一度呼び掛けたシオリを寝ぼけた顔で戸口に見付けると、細い目を最大限
パっと見開き嬉しそうに慌てて駆け寄ったショウタ。 勢いよく立ちあがった時
イスの脚がギギギと床に擦れて嫌な音を立て、ショウタの後席のクラスメイトが
苦い顔を向けているのに、そんな迷惑には全く気付かぬままにこにこと朗らかに
頬を緩めている。
『どしたの~?』 シオリが訪ねてくれた事に嬉しくて仕方なさそうに笑うと、
『数学の教科書貸してくれない・・・?』 申し訳なさそうにシオリが上目遣い
で見る。
『・・・珍しいな~? ホヅミさんも忘れモンなんかすんだな?』
クククと笑いながら、『ちょい待って!』とショウタは自席の机の引出しから
それを持って小走りで戻って来る。
『全然ベンキョーしてないからキレイだよ!』 なにも褒められたことでは
ないのにどこか自信満々に言い放つショウタに、『ダメじゃない!』 と
シオリも笑う。
その時、教室に廊下に、短い休み時間が終わるチャイムが鳴り響いた。
小さく微笑み軽くひらひらと手を振ってシオリは自分の教室へ慌てて戻って行く。
その後ろ姿を戸口に佇んで体を傾げ、見えなくなるまでずっと見守っていた。
自分でも気付かぬうちに、目を細めて頬も口許もだらしなく緩んでいたショウタだった。
シオリのクラスでは4時間目の数学がはじまり、シンと静まり返る教室内には
数学教師の声と黒板に白色チョークがぶつかる音だけが響いている。
退屈そうにひとり、小さく溜息をついたシオリ。
塾に通うシオリはハイペースで数学の勉強を進めていた為、学校の授業で教わる
時には既にそこはとっくに勉強済でだいぶ遅い復習をしているようなものだった。
手持無沙汰に闇雲に教科書をペラペラとめくっていたシオリ。
ふと、ショウタが描いたパラパラ漫画を思い出す。
シオリはあのパラパラ漫画が大好きだった。 あれを見るとなんだかほんわかと
心があたたかくなって、昨夜だって何度も何度もめくっては笑っていた。
(私にも描けるかな・・・?)
ショウタのまるで新品のようなまっさらな教科書の右下隅に、シオリはシャープ
ペンシルで情けない垂れ目の顔を描いてみる。
すると、思わずぷっと吹き出したシオリ。線と点だけでショウタだとすぐ分かる
似顔絵が出来上がってしまった。
何枚も何枚もそれを描き込み、試しにパラパラとめくってみる。
思ったように上手に動かず不満気に小首を傾げて消しゴムで一旦消す。
そして、再び真剣に眉根をひそめて描き続けた。
シオリの長い黒髪が、突っ伏す机に落ちて広がりパラパラ漫画の邪魔をする。
片方の耳に髪の束をかけて、数学なんかそっちのけで夢中になって描いていた。
もの凄い集中力で入り込みふと我に返って見渡すと、もう4時間目の終業の
チャイムが鳴り昼休みに突入していたようだった。 クラスメイトが騒がしく
昼食をとりはじめていたり購買に買い物に行ったり、そこはもうすっかり授業の
静かなそれとは別物だった。
先程の数学の授業など、なにひとつ耳に入っていなかったシオリ。
しかし満足気な顔で、それを一気にめくってみた。
嬉しそうに愛おしそうに、カタカタとぎこちなく動くショウタを机に片肘を
付いて目を細めて見つめていた。