■第36話 顔なし
”ホヅミさんが誰かと付き合ってるっていう事と、
俺がホヅミさんを好きってのは、
基本的に、別問題だと思うんだよねー・・・”
以前、シオリに脳天気に言い放った自分の言葉を思い返していたショウタ。
いまだ降りしきる雨の中、小さくなってゆくシオリの赤い花柄傘とその隣に立つ
ネイビーのそれを見つめたまま。
安っぽいビニール傘を掴む手から力が抜けた瞬間、いとも簡単に透明なそれは
アスファルトにコツンという音を立てて転がり傾げ、意地悪く雨粒に打ち付け
られている。
ショウタを濡らす雨は止むことを知らない。
”だからー・・・
・・・俺、気にしないからさっ!!”
あの時の、お気楽で本当は何も深く考えてなどいなかった自分に
ほとほと嫌気が差す。
『なにが ”気にしない ”だ・・・ バカか・・・。』 自分に腹が立って
仕方ない。
今までは、シオリの ”カレシ ”はショウタの中で真っ黒な ”顔なし ”だった。
本当にいるのかいないのか分からない、まるで幽霊みたいな架空の世界の人。
だから正直なところ、現実的にシオリの隣に立つ顔なしを想像する事など
出来なかったし、その人の前でシオリがどんな顔で笑うのか、照れるのか、
不貞腐れるのか全く想像出来なかった。
考えたくないことは自動的に排除して、ただ楽観的に目先のことだけ見ていた。
しかし、今夜。 生身の人間として、本当にこの世に存在する ”カレシ ”を
この目に見てしまった。 声を聴いてしまった。 言葉を交わしてしまったのだ。
大人の佇まいで落ち着いた振る舞いをし、『シオリ』 と呼び捨てにし、
家族も公認らしいその雰囲気。 カバンから見えた医学書が、ショウタに更に
追い打ちをかける。
(学校での数時間のホヅミさんしか、知らないんだな・・・ 俺。)
シオリをどんどん好きになればなるほど、敢えて考えない様にして目を閉じ
耳を塞いでいた現実が今夜、確実にハッキリを顔を出していた。
”好きな子には、付き合っているカレシがいる ”
そして、
”その相手に、きっと自分は敵わない ”
自信満々にシオリに放ったあの日の言葉。
”すんげー がんばってがんばってさ~
ホヅミさんの気持ちを変える可能性だってゼロじゃないじゃんっ?”
恥ずかしいったらない。
穴があったら突き落してほしい。
自分の馬鹿さ加減に、ほとほと呆れ泣けてくる。
『そんな、カンタンじゃねぇよな・・・。』 いまだ雨の中ひとり立ち竦む
ズブ濡れのショウタがぽつりひとりごちたその声はか弱く震えて、
冷たく降りしきる雨音に呆気なくかき消された。
あの日の考えなしの言葉が雨の雫と相まって、頭に頬に肩に冷たく嘲笑う
ように伝ってゆく。
その夜、ショウタは眠れずに溜息ばかり落とし天井を見つめていた。
いつも大切そうに抱きしめて眠る枕には触れずに、そのままに。
生まれてはじめてこんな気持ちを知った。