■第34話 重なった想い
『あれ・・・ 雨だ・・・。』ショウタが空に向かって右手の平を広げ見上げる。
急に広がった雨雲は、先程まで見事にふたりを照らしていた夕陽を呆気なく
隠してしまった。
アスファルトからは湿ったにおいが立ち込め、次々と落ち始めた雫が小さな
グレーのシミをそこかしこに広げる。
困ったようなしかめ面をするシオリが、肩をすくめ頭の上に手をかざした。
『ぁ。 ちょい、待ってて。』
そう言うと、ショウタは目の前の八百屋の裏口から自宅に入り、
程なくビニール傘を持って戻って来た。
『1本しか無かったんだけど・・・ いい?』 ショウタが申し訳なさそうに
呟くその意味がイマイチ分からずシオリが返事出来ずにいると、それを差し掛け
ようとアタッチメントに指をかけた。
すると、実は壊れていたその傘。
次の不燃ごみ回収日に捨てようと、母親が玄関先に避けておいた物だったようで。
突然、破裂音とともに大きくその骨を広げ、それは広がり過ぎて逆方向にまで
折れ曲がる。 マンガにある台風の時にさした傘のように全く使い物にならない
形に変形してしまった。
それを呆然と見つめるふたり。
一瞬、何が起こったのか分からずぽかんと口を開けて立ち竦み、そして顔を
見合わせて大笑いした。
一向に笑いがおさまらず、腹を抱えてケラケラ笑い続けるふたりはどんどん
降りそそぐ雨に髪も制服の肩も足元も濡れて冷たくなってゆく。
『ちょ、店の軒先で待ってて!』 そう言うと、シオリの背中をやさしく
押して八百屋の軒下に促したショウタ。
そして再び自宅の奥へ駆けてゆくと、真っ新の手ぬぐいと探し当てた別の傘を
持って戻って来る。
シオリの濡れた頭に広げた新しい手ぬぐいで、動かせる方の片手で不安定に
やさしく雨の雫を拭くショウタ。
自分だって濡れているのに、シオリを拭く用の手ぬぐいしか持って来なかった
ようだ。 向かい合って立つその至近距離と、ショウタの大きな手にシオリは
面映さを隠せない。
目の前に垂れた手ぬぐいになにか書いてあるのを、ふと手に取り見てみると
”八百安 ”と書いてある。
『これ、お店の?』 クスっと笑いながらショウタを見上げた。
『あぁ・・・ うん。
正月の挨拶用に作ったんだわ。
腐るほどあるから、あげようか・・・?』
クククとまたふたり、顔を見合わせて笑った。
すると、ショウタを濡らす雨の雫が短い前髪から滴るのが目に入ったシオリ。
ショウタも拭いてあげようとそっと手ぬぐいを掴む手を伸ばそうとして、
しかしどうしても照れくさくてまごついていた所、自分の雫なんか気にして
いないショウタが再び持ってきた傘のアタッチメントを恐る恐る慎重に押して、
今度は大丈夫か確かめようとしている。
手ぬぐい片手にシオリもじっと息を呑んでそれを見つめる。
すると、普通に広がった傘。
振り返りシオリを見るショウタがにやり口角を上げた。
そして、『行こっか。』 顎で促したショウタに、コクリと頷いてシオリが
微笑んでその傘の中に飛び込んだ。
ふたり、薄暗い雨の中、寄り添って歩いていた。
今までで一番近い距離で。
ショウタがビニール傘の柄を握る右手が、歩くリズムでシオリの左腕に
小さくコツンと触れる。 狭い空間にふたり、どうしようもなく高鳴る鼓動を
必死に隠して。
ショウタはシオリが濡れないように、気持ちシオリ寄りに傘を傾けた。
シオリは首に ”八百安 手ぬぐい ”を掛けたままだった。
誰もが振り返るような黒髪美人の女子高生が、首から白地に黒文字で
”八百安 ”と書かれた不格好な手ぬぐいを下げていることにショウタは
なんだかソワソワと落ち着かない。
『ハズいでしょ?・・・ダイジョーブ??』
顔を覗き込むように不安な目を向ける。
しかしシオリは、
『ぜんぜん。って言うか、コレ、ほんとに貰っちゃっていいの?』
目を細めて笑顔を向ける。
『・・・も、もらってくれるなら・・・ 喜んで。』
ふたり傘で寄り添い歩くショウタに、シオリの長い黒髪からやさしい香りが流れ
もっと近付きたいという想いが溢れる。
触れてみたい。その頬に、その手に、その唇に。
どうしようもなく胸が熱くなり、なんだか鼻の奥がツンとじんわり痛む。
今までで一番、近い距離で。
今までで一番、胸が締め付けられて。
そして今までで一番、喉がつかえるような息苦しさが込み上げる。
(やっぱ・・・ すげぇ、好きだ・・・。)
(ヤスムラ君のことが・・・好き、かもしれない・・・。)
『ホヅミさん・・・』 ショウタが立ち止まり、シオリをまっすぐ見つめた。
狭い傘の中で向かい合い、ふたりの距離なんて30センチも無い。
しとしと降り続く雨の雫が傘にぶつかりスタッカートを付けて踊る。
アスファルトに落ちては小さく跳ね返る透明のそれは、ショウタの汚れた
スニーカーとシオリのローファーをしっとり濡らし、靴下までもわずかに冷たい。
『やっぱ・・・ 俺、さ・・・
あの、前に言った夢とかそんな、アレじゃなく・・・
ほんとに、すげー・・・ すげー、ホヅミさんのこと・・・
・・・好き、なんだけど・・・。』
その真剣な眼差しと言葉に、シオリは慌てて目を逸らした。
真っ白で艶々な頬がどんどん赤く染まってゆく。
心臓がドクドクと音を立て高速で脈打つ。
薄いレースを広げたように、目の前がなんだかぼんやり霞む。
そっとシオリが顔を上げた。
そして、まっすぐショウタを見つめる。
一生分の勇気を出して、震える喉の奥から小さく絞り出すシオリ。
『わ、わたし・・・』
言い掛けた時、『シオリ~・・・?』 誰かに後ろから呼び掛けられ、
慌てて振り返った。
従兄弟のコウが傘をさして、そこに立っていた。




