■第33話 橙色の名前
その日の部活終わりの帰り道。
ショウタとシオリ、ふたりは並んで夕暮れの通学路を歩いていた。
相変わらず少しだけ微妙にあけている距離は、アスファルトにしっとり落とす
暗い影までもどこか照れくさそうに進む。
まだ左腕をアームリーダーで吊って不自由なショウタは、シオリから部活を
休むことを勧められるもそれに素直に従うはずもなく、何処吹く風といった
顔で右手に筆を握っていた。
しかし、左手で半紙を押さえられないという事は思った以上に厄介で、
いくら文鎮で半紙上部を押さえても筆先を動かした途端に容易にそれは
ズレてしまう。
それでなくても力任せなショウタ。 結構な圧をかけて落とす筆先と共に
半紙まで同じ方向に動いていた。
『今日は上手に書けないな・・・。』
ぶつくさと呟く隣席にシオリが目線を向け、”今日は、って・・・。” と
心の中で突っ込むとデフォルトで汚いショウタの字が更に流れ乱れて、
もう何を書いているのかすら分からない程だった。
『・・・なんて書いてるの?』 思わず声を掛けると、即答で 『まゆ毛。』
一瞬ギロっと鋭く睨んで、すぐ自分の半紙に目を戻したシオリ。
いつも心の中だけでする舌打ちが、うっかり出てしまいそうなのを慌てて堪える。
アホなショウタのことなど放っておいて、自分の書に集中しようと思った
のだけれどひとつ溜息をつくと一旦筆を硯の上に置いて体を屈め、
シオリの書道セットのカバンから予備として持っている文鎮を取り出した。
そして、なにも言わずショウタの半紙左側にそれを置いた。
突然書くやすくなったそれに、目をぱちくりとさせて嬉しそうにシオリを
見つめるショウタ。
すると、
『 ”まゆ毛 ”はヤメテ。 他の、書いて。』
『じゃあ、”シオリ ”にするっ!!』 照れくさそうに顔を綻ばすショウタへ、
ジロリと再び一瞥し、ふんっと鼻でも鳴らすように息を吐いてシオリは
そっぽを向いた。
ショウタの八百屋がある商店街に差し掛かった。
この時間帯は仕事帰りに夕飯の買い物をする人が多くて、店のアチコチから
元気な太い声が飛び交い、夕空の下、商品を照らすライトの眩しさも相まって
最も明るく賑わって活気がある。
『安くするよ!』 『まけとくよ!』 『今日の献立は決まってんの?』
そんな声にまじって、
『ショウター!』 『噂のカノジョかー?!』 『生意気な!』
商売とは関係のない掛け声もいつも通りに飛んでいた。
しかし、そのからかう声は皆一様に嬉しそうで、言われる側は照れくさいのは
否めないが本音を言えば嫌な感じはしていなかったショウタ。
ほんのり熱い頬を誤魔化し、聴こえないフリをして歩みを進めるふたり。
シオリはやはり笑ってしまって、なにをどう頑張っても肩が震えてしまう。
ショウタの実家 ”八百安 ”の前を通りかかると、今日は父親が店先に立っていた。
噂の彼女を目の当たりにして、目を真ん丸にして驚き固まっている。
慌てて後退った瞬間、茄子のカゴに手が振れてしまいひっくり返しそれは
足元に散乱した。
えへへとひとり小さく情けなく笑ったその顔。 ショウタは父親似のようだ。
やわらかく穏やかな雰囲気が全身から溢れ出ている。
『送ってから戻るから。』 ショウタは照れくさそうにボソっと父親に告げると
足早に立ち去ろうとする。 シオリは頬に笑みを浮かべペコリと会釈してそれに続こうとした。
すると、店先の脇に花の鉢植えが並ぶスタンドラックが目に入った。
3段のラックには所狭しと色とりどりの花が丁寧に植えられ手入れされ、
みずみずしくて目映いほど愛らしい。
『お花・・・ お母さんが手入れしてるの?』
数歩先に進むショウタの背中に声を掛けるシオリ。 振り返ったショウタへ
指を差してそれを示す。
『ああ、そうそう・・・
母ちゃんが花好きで、なんか色んなの植えてんだわ。
家の中もごちゃごちゃと花だらけだよ。
俺もなんか知らんけど、気付いたらそこそこ詳しくなっててさ~・・・。』
『そうなんだ・・・。』にこやかに相槌を打って再度鉢植えに目を向けたシオリ。
その中の溢れる程に咲き乱れる橙色に、何気なく目がいった。
『アレは、なんて花・・・? なんか、華やかで可愛いね・・・。』
すると、ショウタが一瞬驚いた顔を向けクククと肩をすくめて笑った。
可笑しそうにどこか嬉しそうに、いつまでも笑っている。
『ん?』 その笑う姿をシオリが不思議そうに眺めていると、ショウタは言った。
『俺さ・・・
ホヅミさんに花あげるとしたら、”アレ ”だなって思ってたんだよね~』
そう言ってまた頬を緩め目を細める。
『あの花は、ミムラス。
ちなみに、花言葉は・・・ ”笑顔を見せて ” 』
夕陽に照れされたショウタの顔は、なんだかやけにやさしくてあたたかくて、
シオリは胸に込み上げる感情に身を任せ、ぼんやりとただまっすぐその笑顔を
見つめていた。