■第16話 数学の教科書
それは、ショウタがすっかり目をつけられている数学教師の授業が
ある日のこと。
次の授業がはじまる前の短い休み時間に、教科書を忘れてきたことに
気が付いたショウタ。
それでなくとも散々その教師からは叱られ、次なにかヤラかしたら本当に
マズい状態なのにも関わらず、最低限あって然るべきの教科書が無い。
遅刻・居眠り・早弁・白紙解答・赤点・口答え、エトセトラ・・・
ありとあらゆる事をしでかし単位を貰えないのではというギリギリの境界線だった。
『さすがに・・・ ヤバいっ!!!』 慌ててイスから立ちあがり、気怠そうに
机に突っ伏すツカサの元まで駆け寄り数学の教科書を借りようとして、
『俺だって数学だ、バカ!』 一蹴された。 当たり前だ。
(ホホホホヅミさん!!!)
ショウタは教室をすごい勢いで駆け出して、シオリの2-Cへと向かう
廊下から既にその名前を叫んだ。
『ホヅミさぁぁぁあああああん!!!』
廊下中に響き渡るその声。 移動教室やトイレへ行く生徒がショウタを
不思議そうに振り返る。
やけに遠くから段々近づく自分の苗字に、シオリはどこか他人事のように
その聞き慣れてきた声に耳を澄ます。
(新しいパターンだわね・・・。)
すると、いつもの教室後方出入口に飛び込んで来たショウタは、
そこで留まらずにシオリの元まで一気に駆け込み、初めて見せるような
切羽詰まった顔を向ける。
『ど、どうしたの・・・?』 そのひっ迫感に顎を引き背をのけ反るシオリ。
イスの背が痩せた背中にグっと食い込む。
『すすすす数学の教科書かしてぇぇぇええええええ!!!
ヤバいんだ、俺・・・ 3年に進級できなくなっちゃうから!!!』
涙目で訴えかけるその必死感に、シオリに笑いが込み上げる。
緩みそうになる口許をギリギリで堪え、ジロリ。睨んだ。
『わかった、わかった・・・
貸すから・・・
貸してあげるから、その代わり。 あとで私のお願いもひとつきいてね。』
『そんな・・・ ホヅミさんの頼みなら今すぐでもきくよ?!』 更に身を
乗り出して覗き込んでくるその屈託のない善人顔。
やたらと近付いてくるその顔に更に後退り両手で遮って、シオリは机の引出し
から数学の教科書を差し出し、『今じゃないから!』 と顔を背けた。
その時、始業のチャイムが鳴り響いた。
『さんきゅー!』 教科書片手に、大慌てでショウタが自分のクラスに
走って戻って行く。
一度、教室戸口で振り返ってシオリに向かってニヤっと口角を上げ、
踵を返して駆けてゆくその背中。
その落ち着きのない後ろ姿を目で追い、シオリはクスリ。小さく笑った。