第97話:カナデ
夜の帳が落ちた星空の下、陽山家の玄関の前でセイは微笑みながら片手を振った。
「じゃあ、ここまでだね。二人とも、また明日」
笑顔で手を振るセイに対し、寂しそうにその顔を見上げるアスカ。
やがてセイの着物の裾をくいくいと引っ張り、言葉を発した。
「おにいたま。あしゅかがいーっぱいねたら、おにいたまとずっといっしょ。なんだよね?」
「ん? あ、ああ……そっか。許婚のこと、アスカも知ってるんだね」
セイは少し恥ずかしそうに頬をかき、困ったように眉を顰める。
カレンはにっこりと微笑みながら言葉を発した。
「アスカちゃんはセイ様が大好きですから……私とセイ様の結婚を、心待ちにしています」
「ふふっ。そっか。ありがとう、アスカ」
「えへへぇ~」
セイは少し屈んで、アスカの頭を優しく撫でる。
その様子を見たカレンは俯き、頬を真っ赤に染めながら、小さく言葉を発した。
「あ、えと、わ、私も…………こころまちにして、います」
「ん? カレン。何か言ったかい?」
セイはカレンの言葉が聞こえていなかったのか、頭に疑問符を浮かべながらカレンの顔を見つめる。
カレンは頬をさらに赤く染めると、ぶんぶんと手を横に振った。
「あ、いや! なんでもないですじゃ!」
「???」
ぶんぶんと手を振るカレンの様子に、疑問符を浮かべて首を傾げるセイ。
やがてセイは空を見上げると、踵を返して歩き始めた。
「さて、今度こそ行かないと。じゃあ二人とも、また明日ね」
セイは穏やかな笑顔を浮かべながら、夜道へと歩いていく。
しかし数歩進んだところでセイはカレンへと振り向き、その様子に疑問符を浮かべたカレンに対し、言葉を発した。
「―――カレン。僕も、心待ちにしているよ」
「っ!?」
月明かりの下に映る、セイの笑顔。
本当はさっきの言葉を聞かれていた事に気付いたカレンは、冷めかけていた頬を一瞬にして火照らせた。
「―――っもう! セイ様! からかわないでください!」
カレンはセイに一本取られた事が悔しいのか、握った手をぶんぶんと振って返事を返す。
セイは「ごめんごめん。じゃあ、おやすみ!」と言葉を返し、そのまま夜道へと歩いていった。
「おにいたま! おやしゅみ~!」
ぶんぶんと両手を振るアスカの大きな声に反応し、一度だけ振り返ると、片手で手を振るセイ。
カレンは恥ずかしそうに微笑みながら、夜道を歩くセイを優しく見送った。
“君乃塚”と表札のかかった大きな門。月明かりに照らされた古めかしい門は、年季が入っていることを感じさせる。
セイはそんな門を片手でそっと開くと、玄関へと進み、草履を脱いで廊下へと上がった。
「……ただいま帰りました」
セイは少し大きな声で言葉を発するが、家の中から返事はない。
小さく息を落とすと、セイは真っ直ぐに、中庭の見える廊下へと歩みを進めた。
中庭には小さな池とよく手入れされた造園が月明かりに照らされ、虫の鳴き声が彩りを添える。
そんな空気に触れたセイは少し安心したように深呼吸すると、中庭横の廊下を早足で進んだ。
「……カナデ。僕だ。今帰ったよ」
セイは中庭の見える部屋の前で止まり、障子を挟んで部屋の中へと言葉を発する。
やがて部屋の中から、細く美しい声が返ってきた。
「おにいさま、おかえりなさい。どうぞお入りになってください」
いつもと変わらない声色に安堵のため息を落としたセイは、穏やかな笑顔を浮かべながら、ゆっくりと障子を開いて部屋へと入る。
部屋の中央ではカナデと呼ばれた一人の少女が布団に入っており、セイが障子を開けるのと同時に、その上体を起こした。
カナデは美しく長い髪を手ぐしで整えると、にっこりと微笑む。
「おにいさま。今日はとても良い夜ですね。虫達の声がとてもよく聞こえます」
カナデはその小さな口を動かし、セイに向かって言葉を発する。
セイは微笑みながら後ろ手で障子を閉めると、カエデの横に腰を下ろした。
「うん。本当にそうだね。月も良く輝いていて、とても綺麗だ」
セイはにっこりと微笑みながら、カナデに向かって言葉を紡ぐ。
カナデはそんなセイの言葉を受けると、そわそわとしながら視線を左右に巡らせた。
「あ、えっと……おにいさま。それで今日は、一体どんなお話を聞かせていただけるのでしょうか」
カナデは落ち着かない様子で、セイへと言葉を発する。
生まれながらに“弱化病”という病に冒されていたカナデは、部屋から出ることもできず、こうしてセイの話を聞くことが唯一の楽しみだった。
セイはそわそわとしたカナデの頭をそっと撫でると、微笑みながら言葉を発した。
「ん……そうだな。今日はカレンと一緒にアスカも来てね。赤色に色づいた森の中で遊んだんだ。その時の話をしようか」
「まあ、素敵……! 是非聞かせてください、おにいさま」
カナデはキラキラとした瞳で、セイに向かって体を乗り出す。
セイはそんなカナデの様子に微笑みながら、今日の出来事をゆっくりと語り始めた。