第7話:アニキの目覚め
「ようこそ、わたくし達のオフィスへ。ここは世界の英知を管理する、司書の聖地……“世界図書館 中央管理室”ですわ」
少々誇らしげに胸を張り、自分のオフィスを紹介するデクス。
目を細めた微笑は大人の女性特有の美しさを持っていたが……その裏には、小さな満足感が見え隠れしているようだ。
「にょあああ!? す、すごいすごい! 何ここ、本の巣!?」
リースは瞳をキラキラさせながら部屋の中を飛び回る。
リリィはゆっくりとした歩調で部屋の中に入ると落ち着いた動作で周りを見回した。
円柱状に作られた部屋の壁にはぎっしりと本が敷き詰められ、リリィたちが立っている底面部には書類やらデスクやらが並び、スーツに身を包んだ職員達がせわしなく働いている。
吹き抜けの天井の真ん中には、建物すべてを……いや、この世界のすべてを支えられるのではないかと思えるような巨大な大黒柱。
白塗りのそれには埃一つ付いておらず、日頃の手入れの徹底ぶりが伺える。
広い広い部屋の中には宙に浮いた床が縦横無尽に飛び回り、担当の職員達を本の元へと運んでいく。
部屋の四方には荘厳な服を着た能力者らしき人物達が、厳しい表情で動く床を見つめていた。
「なるほど、念動力系の能力者が動く床を操作し、実際の本の管理を一般職員が行う……というわけか。おそらく壁面をいくつかに分け、発行された大陸ごとに本を管理しているのではないか?」
リリィは一通り部屋を見渡した後、その管理システムを推測する。
その言葉を聴いていたデクスは、両目を見開いてその姿を見つめた。
「え、ええ。確かにその通りですわ。もっとも、管理する膨大な本の量に、職員の数が足りていないのが現状ですが……」
デクスは部屋の中を見渡すと胸の下で腕を組み、ため息を落とす。
確かにこれだけの設備が揃っていながら、職員達はせわしない様子で駆け回ったり、書類の山と格闘したりしている。
「そうか……ともかく。この馬鹿を解凍するのが先だな。リース、無闇にその辺りを走り回るんじゃ―――あれっ?」
頭に手を置こうとしたリリィの手は空を切り、隣に立っていたはずのリースの姿が無い。
その時デクスの立っていた辺りから、甲高い声が響いた。
「ああああっ!? こ、これ、有名な創術の本だよ!? うわぁ、僕ずっと読みたかったんだぁ!」
「きゃっ!? で、デクス女史! なんですかこの子!」
リースは驚いている職員に構わず、机の上に無造作に詰まれた本を手に取り、既に読み始めていた。
「こっこら、リース! 失礼だろう! きちんと職員さんに許可を取ってから読め!」
リリィは慌てた様子で声を荒げ、リースへと注意を促す。
一方リースはよほど読みたかった本なのか、脅威の集中力でページをめくり、リリィの声はまったく届いていない。
鼻歌交じりに本を読み、ぱたぱたと足を動かす。
持っている本が絵本や童話ならまだわかるが、創術の理論書というのはなかなかミスマッチだ。
「ふぅ。別に、構いませんわ。場所は移動してもらいますが、本を読むくらいなら良いでしょう」
「そうか。それなら良いのだが……こらリース、ひとまずそこから移動しろ。邪魔になるぞ」
リリィは一旦氷塊をその場に置いて剣を抜き鞘に納めると、職員の足元で本を読み始めてしまったリースに近づいて手を伸ばす。
その手がリースの体に触れようという刹那、本棚の本全てを吹き飛ばすような大声が部屋全体に響いた。
「うぶるあああ! 冷ってえええええ!」
「なあっ!?」
手を伸ばしていたリリィの耳をつんざく、馬鹿でかい野獣の咆哮。
背後にあったはずの氷塊はその周囲に四散して湯気を立ち上らせ、その中心には、鮮やかな“赤”。
部屋が広かったおかげで、幸い書籍類に氷は接触していないようだが……少なくとも危機的状況であることに変わりは無かった。
「うおあああ! このクソ女あ! てめえ俺に何したらくさあ!?」
アニキは盛大に噛みながら、ずんずんとデクスに向かって近づいていく。
周囲の職員達は突如現れた半裸の男にパニックになり、キャーキャーと騒ぎ出す。
街全体の守りが強固ゆえに、突然の侵入者には耐性が無いのだろう。
デクスはそんな職員たちを見つめると、一般職員にも嗜み程度の戦闘訓練は必要かと考え始めていた。
「ふう。自力であの氷塊を破壊するなんて、相変わらず目茶苦茶ですわね……まあ解凍する手間が省けましたし、良しとしましょうか」
「良くねええええええ! クソ寒いんだよクソが! てめえぜってえぶっとばす!」
アニキは両拳に炎を宿し、ずんずんとデクスに向かって歩みを進める。
デクスは近づいてくる団長に欠片も動揺することなく、冷静な様子でため息を落とした。
「ちぃっ。拘束する準備が出来てから解凍するつもりだったが……解けてしまったなら仕方ない!」
リリィは体勢を低く取り、瞬時に抜刀の姿勢へと移行する。
アニキはなにか思いついたように目を見開くと、歯を見せて悪戯に笑った。
「いや、でもまあ、もういいや。それよりてめえも強えんなら、俺と思いっきり勝負しろやゴラァァァァ!」
「!?」
アニキは歩いていた足を止めると膝を曲げて力を溜め、足元から力強い炎を噴き出す。
その体は炎の勢いに押されたまま空中で横回転し、遠心力を付けた右拳を突き出す。
いくつもの炎を纏った拳は轟音を上げながら、デクスの腹部へと吸い込まれていった。
「くっ……! まずい!」
リリィは渾身の力を込めて跳躍し、デクスとアニキの間へと飛び込んでいく。
空中で抜刀した剣がアニキの拳を受け止めようとした、その刹那―――
「ふう……そんなにもう一度、されたいんですの?」
「うぐっ!?」
デクスは自らの唇に軽く触れ、冷たくも挑戦的な瞳でアニキを睨みつける。
アニキは寸前のところで拳を止め、踏みとどまると、歯を食いしばってデクスを睨み返した。
その結果―――
「は……? うあああああああああああああああ!」
全身全霊で跳躍していたリリィは予想外の事態にバランスを崩し、天井まで伸びた本棚へと見事に衝突する。バラバラと落下してきた無数の本が、リリィの頭へと降り注いだ。
「きゃああああっ!? 剣士さん、大丈夫ですか!?」
職員は慌ててリリィへと駆け寄るが、無数の本たちがリリィの上に降り注ぐ。
中には百科事典級の大きさをした本もあり、普通なら確実に死んでいるような状況である。しかしアニキは、ある意味それ以上に大変な事態に陥っていた。
「ちっ、ちちちち近付くんじゃねえ! こっちくんな!」
アニキはジリジリと後ろに後退し、その視線はデクスから外れることはない。
その両手足には赤々とした炎が根付き、戦闘の意思は萎えていない。
しかしながら―――
「い、いい、いいか、よく聞け! それ以上俺に近づきやがったら、てめえマジでぶっ飛ばすからな!」
言っている内容は、そこらの悪ガキよりもひどい。
戦闘の意思はあれど、戦闘の意欲はとうに萎えてしまったようだ。
「はあ。何を言うかと思えば……」
デクスはやれやれといった様子で頭を振り、アニキに向かって歩みを進める。
ピカピカに磨かれた図書館の床に、高いヒールの音が響いた。
「てっ、てめえ、聞こえてねえのか!? 俺に近付くとぶっ飛ばすぞゴラアア!」
アニキはまるで獣のようにデクスを威嚇しながらも、ジリジリと後ろへと後退する。
しかしデクスが、その歩みを止めることはない。
「その両手両足の炎、消火させてもらいますわ……というより、図書館内で炎を出すなんて、一体何を考えてますの?」
デクスは呆れ顔で歩みを進め、アニキへと近づいていく。
アニキは顔から血の色が消え去り、絶叫するように叫んだ。
「ぬがあああああ! こっちくんなあああああ!」
「…………」
本格的に背中を向けて走り出したアニキの後ろをデクスは無言のまま追い掛ける。
やがてアニキの進行方向には乱雑に積み上げられた本の山が見えてきた。
「ぐっ……! あの馬鹿団長、絶対に許さん……!」
「ひあああああああああ!? け、剣士さん生きてた!」
リリィは突然本の山から頭を出し、わなわなと拳を震わせる。
間違いなく死んでいると思っていた職員は、まるで幽霊でも見たかのように後ろへとすっ転んだ。
「うおああああああ! どけどけどけどけどけえええええええ!!」
「は?」
怒りに震えていたリリィの視界一杯に広がる。鮮やかな赤。
リリィは事態を理解できず、そのまま―――
「「うおぐっ!? ああああああああああああああ!?」」
全速力で走ってきたアニキと、頭と頭で正面衝突。
リリィはまるで木の葉のように宙を舞い、山積みだった本はボーリングのピンのように四方へと弾き飛ばされた。
『コロス……! あの男、絶対に、絶対にいつか殺す……!』
思い切り頭を打ったリリィは薄れゆく意識の中……
あの赤頭を丸刈りにしてやろうと、心に誓っていた―――