第55話:アリスタシアのこころ
旗取り合戦の最中、女子校舎の体育倉庫の中で、運動会実行委員の女子二人が、次の競技“魔力球”転がしの準備のためごそごそと体育倉庫を探る。
魔力球とはその名の通り魔力に反応して転がる大きな玉であり、競技者は自らの魔力を注入して魔力球を転がし、そのままゴールを目指す競技が魔力球転がしである。
「うーん、あと一つが見つからないな……どうしよう」
「まずいですわね……もうそろそろ競技が始まってしまいますわ」
二人は焦った様子で魔力球を捜すが、最後の一つがどうしても見つからない。
そろそろ先生に相談しようかと考え始めていたその時、実行委員の一人が嬉しそうに声を上げた。
「あっ!? ねえ、これじゃない!?」
「な、なんか古くて汚いですわね……本当に大丈夫ですの?」
実行委員の一人は嬉しそうに声を出すが、その魔力球のあまりの古さに、もう一人は心配そうに頬に手を当てる。
しかし古ぼけた魔力球を見つけた女生徒は、それを転がしながら言葉を紡いだ。
「大丈夫大丈夫! ほら、時間無いんだから急がないと!」
「まあ、それもそうですわね。急ぎましょう」
次の競技開始まで、時間が無い。
こうして実行委員の二人は、古ぼけた魔力球をグラウンドへと運んでいった。
その裏に新品の魔力球が置かれていたことに気付くこともなく―――
「シルフィ。次の競技はなんだったかな?」
「えっと……次は魔力球転がしですね。アリスタシアさんの出番です」
シルフィは運動会のしおりを読みながら、リリィへと返事を返す。リリィはシルフィの言葉を受けると、アリスタシアの席へと視線を移した。
「そうか。アリスタシアは……あれっ?」
先ほどまでアリスタシアが座っていた場所に、その姿はみとめられず、 リリィはキョロキョロと辺りを見回すが、やがてアスカの声にその動きを遮られた。
「どこ見てんのさリリィっち。アリスタシアちゃんならもう入場ゲートにいるよん」
「あっ……そ、そうか。ありがとうアスカ」
微妙な態度のリリィの様子にシルフィは、心配そうに言葉を紡いだ。
「リリィさん……やっぱりアリスタシアさんのこと、気になりますか?」
「ああ……そうだな。まだ話を聞けていないのは彼女だけだし、こうあからさまに嫌われていてはな……」
リリィはぽりぽりと頬を搔き、どうしたものかと思案に暮れる。
「そうですね。できれば私も、アリスタシアさんにはお話を聞きたいのですが……」
シルフィは残念そうに頷き、リリィは小さな声で「すまない」ともらす。
そんな会話をしている間にアリスタシアは、魔力球転がしのスタートラインに立っていた。
アリスタシアの前の魔力球はかなり痛んでおり、古ぼけていた。
スタート前にアリスタシアはかなりその様子を気にしていたが、魔力球はただ目の前にそびえ、アリスタシアの身長よりも大きな体で、プレッシャーをかけ続けてきていた。
「位置について、よーい……!」
スタート係の教師が、空砲を天に掲げる。
その合図に、慌ててアリスタシアは右手を目の前の魔力球に掲げた。
「スタート!」
パァンという空砲の音と共に、魔力球への魔力注入をスタートする各クラスの代表者たち。
彼女達の掲げた手のひらはそれぞれの属性の色に輝き、そこから魔力球へ魔力が注入されていった。
アリスタシアも例外ではなく、黄色の光がアリスタシアの手の平から発生し、その光が目の前の魔力球へと吸い込まれていく。
しかし、目の前の魔力球は微動だにせず、動揺したアリスタシアはさらに多くの魔力を魔力球に注入した。
しかしそれでも、魔力球は動かない。
「くっ……何故動かないんですの!? 動きなさい!」
魔力の注入を続けられた魔力球は、微かに動くそぶりを見せる。
その後多くの魔力を注入された魔力球は、まるで警告するかのように赤く輝き、その場で回転を始める。
ただし、その回転する方向はゴールではなく、魔力を注入しているアリスタシアへと向けられていた。
「えっ……きゃあああああああああああ!?」
アリスタシアの担当する魔力球は真っ赤に輝き、そのサイズを大きく肥大化させる。
元々身長よりも大きかった魔力球は伸長の倍ほどの大きさになり、アリスタシアを押しつぶそうと転がってきた。
アリスタシアを魔力球が押しつぶそうという刹那、リリィはアリスタシアの前に向かって、思い切り跳躍する。
「!? くそっ……間に合え!」
空中を進みながらリリィは声を荒げ、アリスタシアの位置まで到着すると、アリスタシアをその体で抱きしめる。
柔らかな感触と共に、花のような香りがアリスタシアを包み、アリスタシアは驚きに両目を見開いた。
「あっ……えっ……!?」
「くっ……!」
リリィはアリスタシアの体を抱きしめ、巨大な魔力球からその体を庇う。
魔力球はリリィの体に激突するも、その回転を止めることは無く、リリィの背中を削り続けた。
アリスタシアはその事実に気付くと、動揺した様子で声を荒げる。
「どっ……どうしてですの!? わたくしはあなたにあんな、冷たい態度をとっていたのに……!」
アリスタシアはリリィに抱きしめられたまま頬を紅潮させ、声を荒げる。
リリィは背中に感じる痛みに耐えながら、言葉を返した。
「関係、ない……友人を守るのに、いちいち理由など必要ないさ」
「……!」
リリィの言葉を受けたアリスタシアは、両目を見開いて驚く。
その後、駆け足で到着したアスカの抜刀術により、魔力球は真っ二つに切り裂かれた。
「リリィっち、アリスタシアちゃんも大丈夫!? 怪我はない!?」
「ああ、私は問題ない。アリスタシアは大丈夫か?」
リリィはアリスタシアの体を離すと、真っ直ぐにその瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。
近距離でリリィから話しかけられたアリスタシアは、耳の先まで真っ赤に紅潮させ、リリィから数歩後ずさった。
「あ、あのっ、だ、大丈夫ですわ! あ、あれ……?」
「アリスタシア!? 大丈夫か!?」
リリィは突然尻餅をついてしまったアリスタシアに驚き、右手を差し出しながら言葉を放つ。
アリスタシアはその手を取って立ち上がろうとするが、足がガクガクと震え、立ち上がることができない。
それも当然だろう。いち学生が突然命の危機にさらされたのだから。
「立てない、か……仕方ない。少しの間、我慢してくれ!」
「ひあっ!?」
リリィはアリスタシアを抱きかかえ、そのまま保健室に向かって歩いていく。
アリスタシアは間近に迫ったリリィの横顔をずっと見つめながら、その頬を紅潮させていた。
「ここが保健室か……随分立派なものだな」
リリィはアリスタシアを抱えながら器用に保健室の扉を開き、ベッドにアリスタシアを寝かせて布団を整えると、優しい声で言葉を紡いだ。
「突然の事で災難だったな……どこか痛むところはないか?」
「……っ!」
アリスタシアは相変わらず頬を紅潮させ、ぶんぶんと顔を横に振った。
「顔が赤いな……熱があるんじゃないのか?」
「ひあっ!?」
リリィは手甲を外すとアリスタシアの額に触れ、熱を測る。
しかしその状態を続けていると、どんどんアリスタシアの体温は上がっていった。
アリスタシアはあわあわと口を動かしながら、かろうじて言葉を発する。
「あ、あのっ。だ、だいじょうぶですわ! 次の競技があるのですから、どうかお戻りになって!」
「え? いや、しかし、大分熱があるようだが……」
「ね、寝てれば大丈夫ですから! 早く行ってください!」
アリスタシアはばっと布団の中に顔を隠し、そのまま言葉をぶつける。
納得いかないながらも、アリスタシアの言うことももっともなので、リリィは保健室を後にすることにした。
「わかった。救護の先生を呼んでおくから、ゆっくり休むといい」
「…………」
布団をかぶったアリスタシアから、返事は返ってこない。リリィはそんなアリスタシアの様子を見ると、ため息を落とした。
『やはり、私のことは嫌いか……参ったな』
手甲をつけるとリリィはポリポリと頬を搔き、ため息を落としながら保健室を後にする。
アリスタシアはリリィが部屋を出たことを確認すると、布団から顔を出し、小さく呟いた。
「む、胸が、ドキドキしますわ……。これ、一体なんですの?」
アリスタシアはもう一度布団にもぐり、紅潮していく顔と早くなっていく鼓動と向き合う。
その後救護の先生が入ってくるまで、アリスタシアの頭の中は、リリィの花のような香りと、端正な横顔だけがグルグルと回っていた。
「おーリリィっちおかえりー。アリスタシアちゃん大丈夫だった?」
「ああ、恐らくな。後は救護の先生に任せておけば問題ないだろう」
リリィはクラスメイトの下へと戻り、話しかけてきたアスカへ返事を返す。
アスカは頭の後ろで手を組み、悪戯に笑った。
「そかそか。そりゃよかった。じゃあリリィっちは着替えなきゃね、背中のとこ破れちゃってるし!」
「あっ、おいアスカ!? 引っ張るな!」
アスカはリリィの手を引き、教室に向かって引っ張っていく。
リリィはアスカに手を引かれながら、慌ててその足を進めた。