第49話:お姉様
女生徒は岩から手を離すと、深々と頭を下げる。
しかしブレイクは、女生徒の顔に向かって、竹刀を振り下ろした。
振り下ろした……が、その竹刀が女生徒をとらえることはなく、リリィの指二本によってピタリと停止させられた。
「いい加減にしろ……顔はまずいだろう。顔は」
「なっ……!? なんだ貴様!」
「リリィさん!? いつのまに!?」
シルフィはいつのまにか移動していたリリィに驚き、思わず声を上げる。
リリィは怒りに満ちた表情でブレイクを睨みつけながら……その指先で、竹刀を受け止めていた。
昔多くの子どもを相手に剣術を教えてきたリリィにとっては、教師として横暴とも言えるブレイクの動きには我慢ならないものがあったのだろう。
その結果一人の女の子の顔が傷つけられようとしているのであれば、なおさら我慢ならない。
「くっ……この、生徒の分際で俺様に逆らうとは、覚悟は出来てるんだろうな!」
「ふん……こんな脆弱な力では、覚悟もできんな」
「何いいい!?」
ブレイクは侮辱されたことに怒り、声を荒げる。
そのまま数歩バックステップで距離を取ると、リリィに向かって竹刀を構えた。
「その腰の剣……飾りではあるまい? 抜けぇ! 特別に勝負してやる!」
ブレイクは怒りで顔を紅潮させ、リリィへと声をぶつける。
リリィはため息を落とすと、剣には手をかけず、右手をブレイクへと掲げた。
「??? な、何の真似だ?」
ブレイクはリリィの行動の真意がわからず、頭に疑問符を浮かべる。
リリィはもう一度ため息を落とすと、さらに言葉を続けた。
「ふん。貴公ならこの右手一本で充分だ。いや……正確には、指二本でも充分だが」
「!? き、貴様、どこまで教師を馬鹿にする! 俺は教師なんだ! 貴様らより偉く、貴様らより強い! そして常に正しい! 当然だろうが!」
ブレイクは完全に舐めきったリリィの態度に怒り、半狂乱になって言葉をぶつける。
リリィはそんなブレイクに哀れみを帯びた視線を向け、言葉を続けた。
「愚かな……成長を忘れた者に明日は無い。もういいから、かかってこい」
リリィは右手の手甲を外し、ブレイクへと言葉をぶつける。
その言葉を受けたブレイクは、まるで野獣のように咆哮した。
「貴様ああああああああああああああああああ!」
ブレイクはリリィへとダッシュし、一瞬にしてその距離を縮める。
その速さはかなりのもので、ブレイクが何重にも肉体強化の魔術をかけているのは明らかだった。
「はやいっ!? リリィさん! 危な―――」
シルフィはブレイクの速さに目を見開き、声を荒げるが……次の瞬間ブレイクの体は、まるで木の葉のように空中を舞っていた。
「ぷげぇっ!?」
「えっ……!?」
ブレイクは空中を舞っていたかと思うと、続くリリィの右ストレートで校舎まで吹き飛び、壁に思い切りめり込む。
外していた手甲を右手にはめると、リリィはため息混じりに言葉を吐いた。
「肉体強化術で強化していて、よかったな。おかげで貴公はまだ、生きていられる」
「あ……が……」
ブレイクは白目を剥いた状態で壁にめり込み、完全に意識を失っている。
それはすなわち、リリィの完全勝利を示していた。
「す……凄いです、リリィさん! あのブレイク先生を倒しちゃうなんて!」
「ひゃほうやったぜリリィっち! 完・全・勝・利!」
シルフィとアスカは同時に駆け出し、リリィへと近づく。
リリィは二人に囲まれると、困ったように頬をかいた。
「あ、いや……頭に血が上っていた。しかし参ったな……さすがに教師を倒したのはまずかったか」
リリィはバツが悪そうに呟き、白目を剥いたままのブレイクを遠目に見つめる。
シルフィはぶんぶんと顔を横に振り、そんなリリィへと言葉をぶつけた。
「いいえ、そんな! 今のは誰が見てもブレイク先生に非がありますもの! リリィさんが気に病むことはありません!」
「お、おお、そうか。ありがとうシルフィ」
言葉を受けたリリィは、シルフィへと少し安心した様子で微笑む。
そんな柔らかな雰囲気のリリィを遠目から見つめていた生徒達は、一人、また一人とリリィへと歩みを進めた。
「お姉様……」
「リリィお姉様だわ……」
「素敵! リリィお姉様!」
「えっ!? へっ!?」
リリィは突然女生徒達に囲まれたことに動揺して、キョロキョロと周りを見渡すが、そこには尊敬の念を込めた瞳で見つめてくるクラスメイト達の顔が溢れていた。
「ちょ、ちょっと待て! お姉様とはなんのことだ!?」
リリィは混乱し、頭を抱えて言葉を紡ぐ。
シルフィは落ち着いた様子で、リリィへと説明した。
「“お姉様”とは、この女子校舎で最も尊敬すべき方に送られる呼称のことです。さすがはリリィさん。クラスメイトの皆の支持を得ましたね!」
シルフィの言葉を受けたリリィだったが、相変わらず混乱した様子で、あわあわと言葉を続けた。
「い、いや、わかったがわからん! 何故私がいきなりお姉様なのだ!?」
「成績優秀で容姿端麗、さらにお強くていらっしゃって……私達のお姉様はリリィさんしかいませんわ!」
「そうよそうよ!」
「間違いありませんわ!」
「え、ええええ……参ったな」
リリィはこれほど多くの女性に慕われた経験がなく、本当に参ったという様子で頬をかく。
そんな時リリィ達を取り囲むクラスメイト達の後ろから、一際大きな声が響いた。
「わっわたくしは、認めませんわ! そんなどこの馬の骨ともわからない方をお姉様だなんて!」
声の主は両手をぶんぶんと上下に振りながら、必死に大声を張り上げる。
そんな声の主の名を、シルフィは小さく呟いた。
「アリスタシアさん……」
「アリスタシア? 彼女も……確か、クラスメイトだったな」
リリィは自己紹介の際に壇上に上がった時のことを思い出し、言葉をこぼす。
今目の前で声を荒げている彼女は確かに、同じクラスの生徒だったはずだ。
アリスタシアと呼ばれた少女は金色の縦ロールが印象的で、大きな青い瞳とバランスのとれた体が印象に残る。
アリスタシアは興奮した様子で、さらに言葉を続けた。
「とにかく、皆さんが認めてもわたくしは認めませんわ! そんな方はお姉様じゃありません!」
スタスタと踵を返し、アリスタシアは教室に向かって歩いていく。
その他のクラスメイトにもみくちゃにされながら、リリィはシルフィへと質問した。
「しっシルフィ。アリスタシアというのは、いつもああなのか? こう、人を寄せ付けないというか……」
リリィは少し言いにくそうにしながら、シルフィへと声を張る。
シルフィは少し言いにくそうにしながら、リリィへと言葉を返した。
「あ、いえ! アリスタシアさんはその……少し貴族意識の高い方なので、リリィさんのような平民の方には抵抗があるのだと思います」
「なるほど……アリスタシア。貴族の娘、か」
リリィはアリスタシアの消えていった校舎の方を、ただ見つめる。
なおその後、取り囲んでいた女生徒たちから脱出するのに、かなりの時間がかかったのは言うまでもない―――
その後リリィの噂はあっというまに女学園中に広まり、リリィは朝の登校をするだけで周囲から注目され、誰からも挨拶される存在となっていた。
「お、お姉様、おはようございます!」
「あ、ああ、おはよう」
突然挨拶をしてきた女生徒に対し、少し戸惑いながらも片手を上げて返事を返すリリィ。
女生徒は挨拶を終えると、友達らしき女生徒の下へと走っていった。
「キャー! 挨拶しちゃった!」
「やったねー!」
「な、なんだか、見世物小屋の獣になった気分だな……」
リリィは大粒の汗を額に流し、嬉しそうに走っていく女学生を見つめる。
ブレイクの一件から数日が経過し、大分学園に馴染むことができたリリィは、シルフィの弟ルルの情報を周囲の生徒に聞いて回っていたが、未だ有力な情報は得られていない。
特にアリスタシアはあの一件からリリィを毛嫌いしている部分があり、リリィはおろか、いつも傍にいるアスカやシルフィに対しても、棘のある態度を取ることが多く、話を聞くどころではない。
後になってシルフィから聞いた話では、アリスタシアは女学院の生徒会長らしく、是非とも話を聞いておきたいのだが……
「すまない、シルフィ。私の力不足でなかなか弟君の足取りを掴めていないな……」
状況が進展しないことに、リリィは申し訳なさそうにシルフィへと頭を下げる。
シルフィはぶんぶんと両手を横に振り、そんなリリィへと返事を返した。
「いえ、そんな! これだけ聞き込みが出来たのも、リリィさん達のおかげです。今ではもう、お話を聞けていないのは―――」
「アリスタシアだけ、か」
リリィとシルフィの二人は、校舎の入り口で靴を履き替えているアリスタシアを遠目から見つめる。
アスカはそんな二人の間に割り込むと、二人の背中をぽんと叩いた。
「まあまあ! アリスタシアちゃんって生徒会長なんでしょ!? だったら有力な情報を持ってるかもしれないじゃん! 元気出して行こうよ!」
アスカは元気一杯の笑顔で、二人へと言葉を送る。
その笑顔に曇りはなく、見ているだけでこちらまで元気になれそうだ。
「アスカ……ああ、そうだな。我々がしょげても仕方ない」
「そうですね! 頑張りましょう!」
シルフィとリリィはいつも通り元気な笑顔を浮かべるアスカに対し、同じく笑顔で返事を返す。
しかしリリィはアリスタシアの後ろ姿を視界の中に映すと、考え込むように眉間に皺を寄せた。
『とはいえ、どうやってアリスタシアから話を聞くか……難しいな』
リリィは難しい顔をしながら、校舎に向かうアリスタシアの後ろ姿を見つめる。
アリスタシアはそんなリリィの視線に気付くことなく、校舎の中へと入って見えなくなった。
「えー、皆さん、おはようございます。では、朝のホームルームを始めます」
担任教師の声が、朝の教室に響く。
リリィは机に肩肘をつき、朝のホームルームを進める教師の顔をボーっと見つめ、どうしたらアリスタシアと話ができるだろうかと思案に暮れていた。
「では今日は、一週間後に迫った運動会の出場者決めをしてもらいます。では実行委員の方、前へどうぞ」
「あっ、はい! わかりました!」
教師の言葉を受けた一人の女生徒が、とことこと壇上に上る。
その姿を見たリリィは、小声でシルフィへと質問した。
「シルフィ……ウンドウカイというのは?」
「あ、ごめんなさい。運動会というのは、文字通り生徒の運動力を競う大会のことです。肉体強化系の魔術及び魔術全般の使用もOKですから、リリィさんも全力で競技にのぞむことができますね」
シルフィは右手を立て、ひそひそ話の要領でリリィへと返事を返す。
リリィはそんなシルフィの言葉を受けると、腕を組んで返事を返した。
「運動会……か。ふぅむ。調査に有益な情報を得られるとは思えないが、これも学校行事では参加せざるを得ない、か」
「というよりむしろ、リリィさんは強制的にでも参加させられてしまいそうですね。だって―――」
言葉を紡ぐシルフィの言葉を遮るように、周囲からの声がリリィの耳に届く。
その全てが、リリィの働きに期待する女生徒達のものだった。
「ねえ、私達のクラスにはお姉様がいるんですもの、絶対優勝よね」
「ええ! 間違いありませんわ!」
「ですわよね!」
「―――だって、これほど期待されているんです。参加しないわけにはいかないですよ」
「うう、む。努力しよう」
シルフィは少し困ったように笑いながら、リリィへと言葉を紡ぐ。
リリィはそんなシルフィに、眉間に皺を寄せながら返事を返した。
『運動会……か。どうにかアリスタシアとの距離を縮められればいいのだが……』
リリィはふと、アリスタシアの方へと視線を向ける。
するとアリスタシアもリリィの方を向いていたようで、目線が合ったが、すぐに嫌悪感をあらわにしてそっぽを向いてしまった。
「距離を縮めるのは……やはり難しい、か」
「???」
がっくりと項垂れたリリィに対し、頭に疑問符を浮かべるシルフィ。
リリィはそんなシルフィの疑問に応えることはなく、その後のホームルームを憂鬱な気分で過ごしたのだった。