第35話: 鉄【クロガネ】の街の少年
「わあ! すごいすごい! 本当に触れるんだねえ!」
マウレア山からさらに数十キロ離れた名も無き街道で、リースはアスカの姉、カレンと握手をしている。
カレンは少し恥ずかしそうにしながらも、リースと握手を交わしていた。
リースは瞳をキラキラさせ、そんなカレンを見つめている。
「でっしょー? これも私の陽術のたまものですじゃ」
「その語尾はなんだ語尾は……」
リリィは唐突に変わったアスカの語尾にツッコミを入れつつ、片手で頭を抱える。
和気藹々としている三人だが、そんな三人の会話にアニキが割って入った。
「ところでよ、次の目的地ってどこだ? できればつえーモンスターがいるところがいい」
アニキは両手を頭の後ろに組みながら、なにやら物騒な事を言い始める。
リリィはため息を吐きながら、地図を広げた。
「はあ。貴様の戦闘好きにも困ったものだな……次の目的地はほら、鉱山の街ロックシューターだ」
リリィは広げた地図に印をつけると、アニキへと手渡す。
アニキは地図を広げると、その印のついた場所をじっと見つめた。
「ふーん……で、つええモンスターはいんのか?」
「他に聞くことないのか貴様は!? そんなもの行ってみなければわからん!」
しつこく聞いてくるアニキに対し、声を荒げるリリィ。
アニキにとっては大事かもしれないが、毎度毎度言われてはいい加減うんざりしてしまう。
リースはそんなリリィをなだめるように「まあまあ。落ち着いてリリィさん」と声をかけた。
そんな三人の様子を見ると、アスカはゆっくりとした動きで空をあおいだ。
「やー、それにしても良い天気だねえ。なんだか眠くなっちゃう」
アスカはぐーっと体を伸ばし、突然その場に寝転がる。
リースは「あ、僕も僕も!」と、そんなアスカの横に並んで寝転んだ。
「確かに、こんだけ良い天気だと眠くならぁな。モンスターもいねえし……ふああ」
アニキもリースと同じようにアスカの横に寝転がり、のんびりと流れる雲を見つめる。
その後三人は、空を見たままぼーっと流れる雲を追いかけた。
「「「ほげー……」」」
「自由かお前ら! 街道の真ん中で寝るんじゃない!」
もはや寝る寸前の三人に対し、できるだけ大きな声で怒号を飛ばすリリィ。
三人はそんなリリィの声に反応し、のろのろと体を起こす。
「ちっ。なんだよちょっとした冗談じゃねえか」
「冗談だと!? 完全に寝るつもりだっただろうが!」
街道のど真ん中でまさかの昼寝をしようとしていたアニキに対し、言葉をぶつけるリリィ。
多くの人々が行き交う道の真ん中で寝ようとすれば、怒られるのも当然だろう。
アスカはそんなリリィの肩をぽんと叩き、親指を立てながら言葉を紡いだ。
「まあまあリリィっち。旅の恥はかき捨てっていうじゃない?」
「お前達は捨てすぎだ! ただでさえ目立つのだから、それ以上に目立つ行動は控えろ!」
一応竜族の追手から逃げるという目的もある以上、出来るだけ目立つような行動は避けたいリリィ。
もっともそれ以前に、普通に恥ずかしいというのが一番の理由だったが。
「はぁーい……ん!? も、もも、モンスターだああああああ!」
「何!?」
突然驚き声を荒げるアスカに反応し、その視線の先へ振り返りながら抜刀するリリィ。
そしてその視線の先では、極小サイズのネズミ型モンスター“パンチャーラビット”が、しゅっしゅっとシャドーボクシングをしていた。
その体は白い体毛に覆われ、ピンと立った耳とモコモコした見た目が印象的なモンスターだ。もっともサイズが手のひらサイズなので、戦闘を行う必要はなさそうだが。
アスカはそんなパンチャーラビットを見ると、その愛らしさに目を見開いた。
「かあいい~♪ ねえリリィっち。この子飼わない?」
「チュウ! チュウチュウ!」
「早速攻撃されながら何を言う……まあ、そのサイズでは脅威にはならないが」
足の親指をパンチャーラビットにぽこぽこと殴られながら、常識外の提案をするアスカに対し、リリィは片手で頭を抱えて返事を返した。
「ちえー。これもダメかぁ。あっ!?」
突然声を上げたアスカに反応し、アスカの方へと顔を向けるリリィだったが、先ほどまで足元にいたパンチャーラビットがいなくなっていることに気付いた。
「今度はなんだ……って逃げられているではないか。まあ、逃げてくれる分には問題ないか」
リリィはパンチャーラビットの逃亡に気付きつつも、特に気にする事もなく先に進もうと一歩踏み出す。
しかしそんな中アスカはパンチャーラビットを探そうと、慌てて街道横の森の中へと飛び込んだ。
「ラビットちゃん! ちょっと待ってぇ!」
「あ、おい!? お前がちょっと待てえええええ!」
リリィは飛び込むアスカへと手を伸ばすが、その右手がアスカの体をとらえることはない。
アスカは森の中に入ると、そのままどたどたと走りながら、懸命に先ほどのパンチャーラビットを探した。
リリィはそんなアスカの行った方角を呆然と見つめていたが、やがて意識を取り戻し、声を荒げた。
正直言ってもう放っておきたいが、仲間である以上置いていくわけにもいかなかった。
「ああもう! 仕方ない。二人とも、追いかけるぞ!」
「はーい」
「おーおー、そうだな。森のほうがモンスター出そうだし」
リースは素直に返事を返し、アニキはまたなにやら物騒な事を言っているが、リリィはもうツッコむのも面倒になり、そのままアスカを追った。
「はう~♪ かあいいよぉ♪ ほっぺスリスリしちゃう」
アスカは森の草むらをかき分けて探し出したパンチャーラビットを拾い上げ、スリスリと頬ずりをしていた。
パンチャーラビットはチュウチュウいいながら、そんなアスカの手から逃れようと手の中でもがいている。
「モンスター相手に何をしてるんだ何を……」
「ちっ。モンスターっつってもこいつ一匹じゃ面白くもなんともねえな……ていっ」
アニキはアスカの手の中で暴れていたパンチャーラビットへデコピンを入れ、アスカは驚きに思わず声を出す。
それを受けたパンチャーラビットはますます暴れ、ついにアスカの手の中から脱出した。
「あっ!? ウサちゃん待ってぇ!」
アスカは飛び出してしまったパンチャーラビットを追いかけるが、パンチャーラビットは真っ直ぐにアニキへと向かって走っていく。
そしてそのままアニキの右足の親指に、右ストレートを叩き込んだ。
恐らくだが、デコピンのお返しなのだろう。痛みはちょっと刺された程度でしかないが、それでも足の親指だとかなりの不快感があった。
「痛ってえ!? てんめえ何しやがる!」
「あ、おい!? じっとしてられないのかお前達は!」
パンチャーラビットはとたとたと走り、怒鳴るアニキから逃げ出す。
アニキは逃げたパンチャーラビットを追い、草むらの中へと突っ込んでいった。
リリィはその後ろを追いかけ同じように草むらに入るが、すぐにアニキの背中に顔をぶつけた。
「わぷっ!? き、貴様。急に立ち止まるな! 一体何……を……」
「…………」
アニキはリリィの言葉に反応を返さず、ただ一点を見つめている。
そんなアニキの視線の先から、少し高い声が響いてきた。
「はああああああああああ! 999!」
無言で立ち止まっているアニキの視線を追うと、その先では一人の少年が、一心不乱に一本の大樹を殴っている。
大樹は大きく抉れており、少年の行為が昨日今日始めたことではないのは明らかだった。
しかし今、もっとも気になるのは―――
「っ!? あの少年。右手がボロボロではないか!」
リリィは痛々しい状態になっている少年の右拳を見つめ、声を荒げる。
少年はそんなリリィの声に気付くと、大樹を殴っていた手を止め、こちらへと体を向けた。
「……ん? なんだあんたら。サーカス団か?」
「誰がサーカス団だ!」
「うぷぷっ。サーカス団だってリリィっち。マジ奇抜」
少年のあんまりな表現にウケたアスカは、笑いながらリリィを指差す。
しかしリリィはそんなアスカに対し、冷静に言葉を返した。
「いや、その中には間違いなくお前も含まれているぞ?」
「majide!?」
アスカはリリィの言葉を受け、ガーンという効果音と共に体を震わせる。
アスカの着物はかなり珍しいものなので、それも無理はないだろう。もっともこのパーティ全体が、そもそも奇抜ではあるのだが。
リリィは驚いているアスカを相手にせずに、少年へと言葉を紡いだ。
「少年……その右手、かなりひどいな。今すぐ医者に見せたほうがいい」
「はぁ? なんだあんた。別に関係ないだろ」
「それは、そうだが……」
心配する気持ちからリリィは声をかけたが、少年からの返事は冷たいものだった。
リリィは少年の返答に言い返せず、言葉を詰まらせる。
少年はその間に、さらに言葉を続けた。
「それにこれは、必要だからやってるだけだ。来るべき時のために……」
「来るべき、時……? 何かの準備、ということか?」
リリィはいまいち腑に落ちない少年の言葉に反応し、言葉を紡ぐ。
少年は面倒くさそうにしながらも、返事を返した。
「そうだよ。それにこんな傷。すぐに直るんだ……こいつでな」
少年は置いてあった鞄の中からピンク色の液体を取り出すと、それを右拳に垂らす。
するとボロボロだった右拳がみるみるうちに回復し、周囲には甘ったるいどこか嫌な匂いが充満した。
少年の拳からは煙が立ち上り、少年は拳の傷は癒えているにも関わらず、苦しそうに呼吸を荒げた。
そんな少年の様子を見たリリィは、ある一つの事実に気付いた。
「それは……“リリスの劇薬”!? 一体どこでそんなものを!?」
リリィは驚愕に目を見開き、少年の使った薬を見つめる。
「リリィさん、“リリスの劇薬”って?」
リースは頭に疑問符を浮かべ、そんなリリィへと質問した。
「あ、ああ。その昔種族戦争時代に用いられていた、禁断の薬だ。使用すればたちまち傷が治癒するが……使用者の寿命を縮めるという代償が発生する。確か戦争終結時、製造を中止されたはずだが……」
リリィはリースからの質問に対して言葉を返すが、少年はそんなリリィの言葉に割り込んで声を発した。
「うるせえ、な。あんたには関係ないだろ、が」
乱れた呼吸のまま少年はリリィを睨みつけ、言葉を紡いだが、次の瞬間少年の体は倒れ、その体をアニキが咄嗟に支えた。
「おっと……こいつ、この薬を使うのは今日初めてじゃねえな。傷が治る代わりに、意識をもっていかれてやがる」
「…………」
少年は無言のまま、アニキの腕に支えられていた。どうやらアニキの言う通り、完全に意識を失っているようだ。
「な、なんかわかんないけどやばそうじゃん! 街に連れて行ったほうがいんじゃない!?」
「ああ……その通りだな。恐らくこの少年は、ロックシューターの住人だろう。どうせ我々の目的地でもあるんだし、連れて行くとしよう」
リリィは珍しくアスカの意見に同意し、腕を組んだままこくりと頷く。
その言葉を聞いたアニキは「おっしゃ! じゃあ行くか!」と、少年の体を担ぎ、そのまま森の中を走り出した。
リリィはそんなアニキへと手を伸ばすが、その手は空を切る。
「あっ、おい!? くっ……掴まれ、リース! あの馬鹿、街とは違う方向に走ってるぞ!」
「ええっ!? う、うん! わかった!」
リースはリリィの言葉に応え、ぴょんとジャンプしてリリィのマントに掴まる。
アスカはその様子を見ると、右手をしゅばっと上げてリリィへと言葉を発した。
「はいせんせー! あたしも運んでほしいです!」
「お前は自分で走れるだろう!? いいから行くぞ! 置いていかれる!」
緊急時でも平常運転なアスカに対し、声を荒げるリリィ。
アスカは口を3の形にしながら、駆け出したリリィを追って走り出した。
「ぶ~。いけず~」
アスカは不満そうに口をとがらせ、言葉をリリィへとぶつける。
やがてアニキに追いつき、リリィとアニキがいつものように口論になるまで、それほど時間はかからなかった。