第30話:病室にて
「みなさん。昼食の準備ができましたわ」
白いベッドがいくつも並ぶ病室に、デクスは車輪付きの台座に乗せた料理を運んで来る。
ベッドに横たわっていたリリィは、そんなデクスへと言葉を返した。
「ん、食事か。私も手伝おう」
ストリングスとの戦いから、約一ヶ月。
驚異的な早さでリリィの体は回復し、今では軽い運動程度は出来るようになっていた。
病室もリリィの正体を知っている人間とシリル以外は人払いがされ、リリィはミラージュマントを装備する必要もなく、リラックスできている。
「あら、リリィさんだって立派な怪我人ですのよ? ちゃんと休んでなきゃダメですわ」
「そうは言ってもな。どうも体がなまってしまう」
リリィは軽く肩を回し、まるで外に遊びに出られないわんぱく小僧のように落胆の色を見せる。
デクスは小さく笑うと、料理を乗せたトレイをリリィのベッドへと運んでいった。
「本来は絶対安静のはずなのですから、休んで頂かないと困りますわ」
デクスはストリングスとの戦いで痛めてしまった左肩を庇い、右手でトレイを運ぶ。
リリィは右手でそのトレイを支えると、デクスと一緒に自分のベッド横の机にトレイを置いた。
「わぁ、いい匂い。もうお昼なんですね」
リリィのベッド横で車椅子に座っていたシリルは、芳しい香りに反応して言葉を紡ぐ。
そんなシリルの隣でリリィのベッドに腰掛けていたリースは、悪戯に笑った。
「ほんとだ! いいにおいだねぇ。本に夢中で全然気付かなかったよ」
リースの声を聴いたシリルは、同じく花のような笑顔を見せた。
「あ、うんっ。私もそうなの。おんなじだね」
「ねー」
シリルとリースはくすくすと笑い、その様子をデクスは目を細めて見つめる。
リリィもまた嬉しそうに笑うが、シリルの笑顔を見ると、ほんの少しだけ表情が曇った。
「リリィさん? どうかしたんですの?」
そんなリリィの様子を不思議に思ったデクスは首を傾げながら、シリルに聞こえないよう声をひそめて質問する。
リリィは曇った表情のまま、言葉を返した。
「私は無力だな、デクス。結局、現状は何も変わっていない。シリルの両目を治してやることも、外を駆け回らせてやることも、私には―――」
デクスは言葉を紡ぐリリィに対して人差し指を立て、それ以上話さないよう制止する。
柔らかく微笑むと、デクスは口を開いた。
「シリルは、現状を悲しんでなんていませんわ。もちろん不便を感じることはあるでしょうが……彼女の脚は、いずれ高名な創術士に義足を作ってもらうつもりです。それに―――」
デクスは楽しそうに笑うシリルの横顔を見つめ、確信めいた何かを感じ、瞳に力が宿る。
リリィへと視線を戻すと、迷うことなく言葉を紡いだ。
「それに、シリルの瞳に光は無くとも、この世界には確かに、光が溢れている。たとえ彼女の目にその光が届かなくとも、彼女にしか、彼女だけに見える何かがある。わたくしはそう、信じてますわ」
「デクス……」
リリィはデクスを見返し、再びシリルへと視線を移す。
そこにはリースと一緒に楽しそうに笑う、年相応の少女の姿があった。
シリルの笑顔に影はなく、どこか解き放たれたかのようにも思える。
「そう、だな。すまないデクス。少なくともこれからは、シリルのような悲劇が生まれてしまうことはない。今はそれを、素直に喜ぶべきなのかもしれないな」
リリィはほんの少しだけ微笑みながら、子ども達の屈託のない笑顔を見つめる。
デクスもまた柔らかに微笑み、小さく息を落としながらリリィを見つめた。
「うおおおおおい! メシの匂いがすっぞ! もう昼なのか!?」
「「……はあ」」
柔らかな雰囲気をぶち壊す荒々しい声に、同時に溜め息を落とすリリィとデクス。
リリィは料理の乗ったトレイを持つと、一番奥のベッドへと歩みを進め、ベッド周りにかけられたカーテンを引いた。
「お、やっぱメシじゃねーか! さっさと置けよ!」
一番奥のベッドに横たわっていたアニキは勢いよく起き上がると、悪戯な笑みを見せる。
リリィはもう一度盛大に溜め息をつくと、料理のトレイをベッド横の机の上に置いた。
「貴様、毎日毎日騒ぐな。ちょっとは慎みというものを―――」
「んふぁ!? あんふぁいっふぁふぁ!?」(んあ!? なんか言ったか!?)
「こいつ……!」
アニキは怪我のせいでしばおらく動かない両手をダラリと下ろし、顔からトレイに突っ込むと、そのまま料理にがっついていく。
当然大量に料理は飛び散り、アニキの顔にはソースやらご飯やらが付着しまくっていた。
「相変わらず、まるでモンスターですわね」
デクスは胸の下で腕を組み、呆れた様子でアニキの食事風景を見つめる。
両拳に大怪我を負ったアニキは、かろうじて拳を握ることは出来るものの、その度に激痛が走り、実質両手が使えない状態が続いている。
後になってわかった話だが、あの柱には世界一硬いとされる鉱物”クレイジーデッドロック”が使われており、例え専用の機器や術士を集めたとしても、破壊に三ヶ月以上はかかる代物だったらしい。
それをほぼ素手で破壊したことも驚きだが、何よりその激痛に耐え続けていることが一番の驚きだと、後に救護班は語っていた。
「いや、モンスター以下だろう。ゴブリンの方がまだ気品がある」
リリィはアニキを睨みつけながら、両腕を組んで三度の溜め息を落とす。
デクスは眼鏡を指先で押し上げると、アニキの下にあったトレイを勢いよく引き抜いた。
「あぶっ!? 何すんだてめえ! とっとと返しやがれ!」
唯一の楽しみである食事を邪魔されたアニキは不機嫌そうにデクスを見上げ、まるで狼のような唸り声を上げる。
デクスはリリィの隣に移動してそんなアニキを見ると、表情を変えないまま言葉を紡いだ。
「どうします? リリィさん。あんなこと言ってますけれど」
デクスは眼鏡を指先で押し上げ、淡々と言葉を紡ぐ。
リリィは胸の下で腕を組み、言葉を返した。
「ふむ、そうだな。こうなればやることは一つしかないだろう」
「なるほど、愚問でしたわね」
「???」
表情を変えず、しかし威圧感のあるオーラを出しながらアニキを見るリリィと、その隣で眼鏡のレンズを怪しく光らせるデクス。
そんな二人の様子に疑問を持ったアニキは、いぶかしげな表情で二人を見上げた。
「おがあああああ! 離せ! 離しやがれがれああああああ!」
「リリィさん! もっとしっかり押さえて! 口に運べませんわ!」
「うむ。承知した!」
リリィはベッドに乗るとアニキの体を後ろから羽交い締めにして押さえ付け、デクスは大きめのスプーンに大量に乗せた料理をアニキの口へと運ぶ。
アニキはじたばたと暴れるが、すでにリハビリを開始しているリリィと比べ、今のアニキの腕力ではリリィの両腕を振りほどけなかった。
「やめろてめえらあああああ! ぶち殺すぞぁぁぁぁぁぁ!」
アニキは今にも噛み付きそうな勢いでデクスを睨みつけるが、デクスはかけらも臆さずにアニキの口に狙いを定める。
やがて半ば無理矢理、口の中へとスプーンを突っ込んだ。
「もがっ!? もががー!」
アニキは口の中に突っ込まれた料理を租借し、一瞬肩の力を抜く。
その瞬間自分の頭の後ろに、妙に柔らかいクッションがあるのに気がついた。
「??? ……!?」
最初はそのクッションの正体がわからなかったアニキも、租借しながら冷静になった頭で考えてみると、ある一つの恐ろしい結論が導き出された。
「も、もふぁ!? ふぇふぇ、あふぁはにあふぁっふぇんふぁよ!」
アニキはご飯粒を飛ばしながらリリィに向かって喚き散らすが、何を言っているのかさっぱりわからない。
リリィは頭に疑問符を浮かべるが、気にせず腕の力を強めた。
「もふぁああああああ!?」
アニキは顔を真っ赤にしながら奇声を部屋中に響かせる。
やがて口の中の料理を無理矢理飲み込むと、アニキはまるで解放された獣のように喚き散らした。
「てめえこのデカチチ馬鹿女! ちったぁてめえのことも気にしやがれ!」
「でかっ!? き、貴様、いきなり何を言うか!」
突然の卑猥な単語に動転したリリィがさらに腕の力を強めると、背中に押し付けられた大きな胸は潰され、上に押し上げられる。
ただならぬアニキの様子に疑問を感じたデクスは、客観的に今の状況を分析し、アニキの顔が赤い理由を突き止めた。
「あっ!? う……」
デクスはその事実に気付くや否や、すぐに下を向き、自らの胸元を確かめる。
そこには遮るものなど何一つ無く、手入れの行き届いた床板がバッチリと見えていた。
そこまで確認したデクスは顔を真っ赤にし、再び大量の料理をアニキの口に突っ込む。
「わっ、悪かったですわね! どうせわたくしには縁遠い話ですわ!」
「もふぁ!? ふぁんふぇふぇふぇーふぁふぉふぉっふぇんふぁほ!」(はあ!?なんでてめえが怒ってんだよ!)
「わ、わからん。誰か状況を説明してくれ」
リリィは何がなんだかわからず、とりあえずアニキを押さえ付ける。
アニキは食べ物を必死に租借し、飲み込むので精一杯。
デクスは顔を真っ赤にさせ、半泣きになりながら悔しそうに料理を突っ込んでいる。
ただの昼食のはずが、ここまで阿鼻叫喚の地獄絵図になろうとは、誰が予想しただろうか。
「あやー。なんか向こうは盛り上がってるねえ。いいなぁ」
シリルと一緒にパンをかじっていたリースは、うらやましそうにその光景を見つめる。
シリルはパンをちぎって食べていた手を止めると、デクスへと声をかけた。
「あ、あの、デクスさん」
「はいっ!? ……あ、し、シリル。どうかしたんですの?」
か細い声に反応し、涙目のままシリルを見つめるデクス。
声をかけてきたのがシリルとわかると、慌てて涙を拭い呼吸を整えた。
「あの、デクスさん。もし違ってたらごめんなさい。でも私、もしかしたらそうかなって思って……」
「??? ええ。わたくしに答えられることなら、なんでも答えますわ」
デクスは何を今更とでもいいたげに首を傾げ、シリルを見つめる。
シリルは意を決したように口元を結ぶと、顔を上げて言葉を紡いだ。
「デクスさん。デクスさんはアニキさんのこと、その……お好きなんでしょうか」
「ほぁっ!?」
デクスは奇声を上げ、予想外のシリルの言葉にぱくぱくと口を動かす。
咄嗟にリースの方に視線を投げかけるが、リースはぶんぶんと頭を振り、“二人の過去の話はしてないよ!”と意思表示した。
嘘をついているようにも見えなかったデクスは、かろうじて呼吸を安定させ、返事を返す。
「いやですわねぇシリル。わたくしがこんな、ご飯一つ満足に食べられない野蛮な男を、あろうことかす、好きになるなんてありえませんわ」
若干噛んでしまったことを悔いながらも、とりあえずデクスはシリルの言葉を否定した。
「そう、ですか。残念です。アニキさんもなんだか、デクスさんのことを気にしているような気がしたから……」
シリルは残念そうに頭を垂れ、言葉を落とす。
そんなシリルの意外な言葉に、デクスは少しだけ目を見開いた。
「あの男が、わたくしを? それは無いですわね、だって―――」
デクスたちの会話など気にもせず、アニキはガツガツとトレーにのった昼食にかぶりつく。
アニキを押さえつけていたリリィもさすがに疲れたのか、その動きを完全に静止することはできなかった。
「デクス! 会話中すまないが手伝ってくれ! この馬鹿……ええい、食うのをやめんか!」
「ふふぁふぇんふぁ! ふぉふぃふぉふぁふぉふぇふぁふぇふぁふぁふぉふぃふぃふぃふぇ……」(ふざけんな! こちとらこれだけが楽しみで……)
「何を言ってるかわからん! とにかくやめろ!」
リリィは再びアニキを押さえつけるが、再び振りほどかれるのは時間の問題だろう。
今は一刻も早くスプーンで料理を口の中に突っ込み、強引にでも食事を終えるしかない。
「っ! ごめんなさいシリル。わたくしやることが残ってましたわ!」
「あっ……」
デクスは慌ててベッドの上に落ちていたスプーンを拾うと、再びアニキの口の中に料理を突っ込んでいく。
これを食事と言えるかは疑問だが、少なくとも手を離せないのは間違いないだろう。
「あや……大変そうだね、デクスさん。でもシリル、アニキさんがデクスさんのことを気にしてるって本当?」
リースは頭に疑問符を浮かべ、シリルへと質問する。
シリルは軽く頭を振ると、穏やかな口調で答えた。
「うーん。アニキさんはデクスさんと話すとき、少しだけ声色が違うような気がしたんだけど―――わたしの気のせいなのかも」
「ふーん……」
リースはデクスとアニキの過去を思い出し、考えを巡らせる。
だが、まだ一桁の年しか生きていないリースに、色恋沙汰の洞察などできようはずもなかった。
「ふう、ごちそうさまでした。まあとりあえずさ、本の続き読も? 僕もう続きが気になっちゃって……」
リースはポリポリと頬を掻き、申し訳なさそうにシリルへと提案する。
シリルは小さく笑うと、リースと同じく食事を終え、にこやかに返事を返した。
「ふふっ、うん。ごめんねリース。ちょうどクライマックスのシーンだったもん、わたしも気になってるよ」
シリルはリースに対して返答し、ちらりとリリィの方に顔を向ける。
その姿は見えないものの、今がどれほど忙しいかはなんとなく理解できた。そのため、声をかけることもできない。
「…………」
シリルは少しだけ寂しそうに俯くと、微笑みながら頭を横に振る。
やがて顔を上げ、リースへと言葉を紡いだ。
「えっと……じゃあ続き、お願いできるかな?」
シリルは小さく笑いながら、リースのいる方角へ言葉を紡ぐ。
いつもと違うその笑顔は、まるで何かを誤魔化しているようにも思えた。
「うんっ! 任せてよ!」
リースはドンと胸を叩き、軽やかな口調で本を読み進めていく。
シリルはそんなリースの声を心地よさそうに聞きながら―――
いずれやってくるであろう別れに、胸を締め付けられていた。