第29話:断罪のリリィ
「っ!?」
部屋の地面に一瞬にして無数のヒビが走り、ついにその体を四散させる。
ストリングスは跳躍していた状態から、空中へと投げ出された。
「ひっ。ひ、ひああああああ!?」
ストリングスは空中で脚をバタつかせるが、その脚は空中を蹴るばかり。
一度口の端を強く噛み、痛みを走らせると、無理矢理心を落ち着かせた。
『落ち着け、落ち着け。空中に投げ出されたといっても、それは相手も同じだ。動じることはない……っ!』
ストリングスはかろうじて正気を取り戻し、周囲へと視線を向ける。
無数の瓦礫が自分と共に落下し、まるで宙を舞っているかのような錯覚に陥った。
リリィの姿が見えないことに安堵し、ストリングスが息をついた、その時―――
「言ったはずだ、トリングス。貴様だけは、絶対に許さんと」
「っ!?」
一枚の大きな瓦礫に剣を突き立て、空中を落ちていくリリィの姿。
その肩にはデクスが掴まり、リリィと同じようにストリングスを睨みつけていた。
「ひゃっ……あっ……ひあああああ!?」
ストリングスは半狂乱の状態で発射装置の火薬を装填すると、滅茶苦茶
に鉄球を発射する。それは図らずも、リリィの剣に直撃した。
限界を迎えていた剣はヒビの部分から真っ二つに折れ、リリィはグリーブのヒールをかろうじて瓦礫に打ち込むと、なんとか体勢を維持した。
「ひひ、やった、やったぞぉ!」
思ってもない事態の好転に、歓喜の声を響かせるストリングス。
デクスはリリィの剣の惨状を見ると、青ざめた表情で声を荒げた。
「そんな! ここまで追い詰めていて、剣がもたないなんて……!」
デクスは悔しそうに奥歯を噛み、リリィの横顔を見るが、そこに絶望感は微塵も見当たらない。
やがてリリィは無言のまま、ストリングスに向かって跳躍した。
「案ずるな、デクス。たとえ折れた剣でも、あの男を断罪するのは容易い」
「リリィ、さん……」
デクスは少しの動揺の色も見せないリリィの横顔に言葉を失う。
やがて意を決したように前を見ると、デクスもまた迷いのない瞳でストリングスを睨みつけた。
「そんな、んな折れた剣で、何ができる!? ほざくなよ、ハンター風情がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ストリングスは空中を進んで来るリリィに対し、再び鉄球を発射するが―――その鉄球は剣の柄によってあっさりと打ち落とされ、階下のホールへと落ちていった。
「なめるなよ、ストリングス。確かに貴様の鉄球はスピードも速く強力だが、距離をとっていれば充分対応できる速さだ」
リリィは剣を体の後ろに引き、体を軸にしてまるで弾丸のように空中を進んでいく。
それでもストリングスを睨みつけたまま動かぬ赤い瞳は、今一度ストリングスを射抜いた。
「やめ、ろ。やめろ」
ストリングスは言いようのない恐怖を感じ、自分が意識するよりも先に、言葉が出る。
リリィはその回転力を増していき、やがてストリングスへと近接した。
「覚えておくがいい、ストリングス。例え折れた剣でも、事を成すのだということを」
「っ!? よせえええええええええ!」
リリィの瞳に何かを感じたストリングスの顔は恐怖に歪み、言葉をぶつける。
やがてリリィの剣は、ストリングスの体を捉え―――
「うおあああああああああああああああ!」
リリィの雄叫びと共に、ストリングスの四肢が、空中で四散する。
おびただしい量の出血が、ホール上空を赤く覆った。
「いあっ!? あがががががあああああ!? 私のあし、私の脚があぁぁぁぁ!?」
ストリングスは筆舌に尽くしががたい痛みよりも、自らの体から切り離された両脚を見つめ、悲痛な叫び声を上げる。
その間にも出血は続き、絶命は時間の問題だった。
「っ今だ、デクス! このまま奴を死なせる訳にはいかない!」
リリィは声を荒げ、肩に掴まったままのデクスへ言葉を送る。
デクスは一瞬リリィの言葉の意味を考え、やがて頷いた。
「っ!? そう、か。わかりましたわ! はああああああ!」
デクスはリリィの体から離れ、ストリングスの体に触れると、四肢の切断面を厚い氷で覆う。
おびただしい量の出血は停止し、デクスはため息を落とした。
「ああ。私のあし。私のあしが、ああ……」
ストリングスは出血が止まったことにも気付かず、パクパクと口を動かす。
その目は虚ろで光も無く、意識があるのかどうかすらわからなかった。
「この男、最後まで脚だなんて……本当に生かしておいて良かったんですの?」
デクスは汚物を見るような目でストリングスを見つめ、口元を押さえる。
リリィはストリングスから視線を外さずに、言葉を返した。
「ああ。これでいいんだ。死は確かに恐怖だが、こいつの罪を償う罰にはなりえない。そもそもこの男には、死ぬ資格すら無いだろう」
四肢を切断され、生きて行かねばならぬ生き地獄。
多くの人々を絶望の淵に叩き込み、シリルの全てを奪ったストリングスに、慈悲の心は欠片も湧かなかった。
リリィは長い緊張から解き放たれ、ようやく全身の力を抜く。
「さて、と。そろそろ地面だな。デクス、準備は良いか?」
リリィは無表情のまま自分の足元に視線を移し、小さくため息を落とす。
その刹那、絹を裂くような悲鳴が響いた。
「えっ? へっ? ……きゃあああああああああああ!?」
自分が落下していることを忘れていたのか、思い出したようにデクスは悲鳴を上げ、どんどん迫って来る地面を見つめる。
瞬きしたその一瞬に、地面は数メートルの位置まで近づき、そして―――
「はぁぁぁぁ……せぁ!」
リリィは四肢を失ったストリングスの体を掴むと、地面に思い切り踵落としを打ち込み、その反動で三人の体は宙へと打ち上げられる。
そのまま重力に沿って落下し、リリィはその両足をしっかりと地面に着け、着地した。
「ふう。どうやら、うまくいったようだな」
リリィはため息を落とし、踵落としによってクレーターが出来てしまった地面を見つめる。
落下による加速と踵落としの力が加わったその一撃は、石造りの床を簡単に粉砕した。
「し、しぬかと、おもいましたわ……」
デクスはリリィのマントを掴んでいた手を離し、へなへなと床に尻餅を着く。
乱れた銀の髪は汗ばんだ首元に張り付き、その時初めてデクスは、自分が汗をかいていた事に気付いた。
「デクス女史ぃー! ご無事ですかー!?」
「あっ……」
ホールの入口から女性職員が複数の警備員を引き連れ、どたどたと駆け寄って来る。
部屋の柱と二階部分をほぼ全て破壊したのだから、他の職員に気付かれるのは当然だった。
リリィはそんな職員の姿を見ると咄嗟にフードをかぶり、自らの正体を隠した。
「でっ、デクス女史、お怪我はありませんか!? ていうか何ですかこの惨状。敵が攻めて来たんですか?」
女性職員は大粒の汗を流しながら、瓦礫だらけになったホールの惨状を見つめる。
散乱した瓦礫に女性職員が気を取られている間に、リリィはストリングスを抱え、警備員へと引き渡した。
「すまないが、この男の身柄を預かって貰えないか? 半年前に起こった傷害事件の犯人だ。もしかすると、何件か殺人も犯している可能性がある」
リリィからストリングスを手渡された警備員は驚愕に目を丸くし、言葉も出ない。
無理もないその反応にリリィは溜息を吐きながら、言葉を続けた。
「詳しい罪状については、後ほど私とデクスから説明する。悪いがこの男を捕まえるために、私もデクスも随分と負傷してしまったのでな……」
リリィは右肩を抑えるデクスへと視線を移し、言葉を紡ぐ。
そのマントの裾からはおびただしい量の出血が続き、立っているのが不思議なくらいだった。
「あ……あ……」
リリィの手に抱えられたストリングスは、ただ単音を口の端からこぼすのみで、もはや言葉が話せるようには見えない。
困惑する警備員に対し、遠くからその様子を見つけたデクスは立ち上がり、声を張った。
「その男は複数の来館者の脚を切断し、閲覧者番号325542354、シリル嬢の両目を切り裂いた張本人です。治療の後、ただちに投獄を命じます!」
デクスの言葉を聞いた警備員は驚きつつも敬礼し、ストリングスを部屋の外へと運んでいく。
リリィは一度溜息を落とすとデクスに対して向き直った。
「疲れている時にすまないな。やはり素性の知れぬ私より、デクスの言葉の方が影響力は強いようだ」
リリィは腹部の辺りを抑え、苦笑いしながら言葉を紡ぐ。
デクスは落ち着きの無い様子で視線を巡らせながら、言葉を返した。
「あ、いえ。これがわたくしの仕事ですし、当然ですわ……」
「???」
どこか落ち着きの無い様子で辺りを見回すデクスの姿に、リリィは疑問符を浮かべる。
デクスは瓦礫の山の間を歩いたり、廊下の方を見に行ってみたりしながら、キョロキョロと辺りを見回す。
リリィが声をかけようとしたその時、廊下から甲高い声が響いた。
「リリィさん! デクスさん! 二人とも大丈夫!?」
声のした方角に振り返った二人の目に、廊下の方からひょこひょこと歩いて来るリースの姿が目に入る。
リリィは両目を見開き、思考よりも先に言葉が飛び出した。
「リース!」
タガが外れたようにリリィはリースへと駆け寄り、その小さな体を抱きしめる。
あの、瓦礫の量だ。不安が無かったわけではない。
リースの身に何かあったらと、考えなかったわけではないのだ。
「ああ……よかった。リース。本当に良かった……」
リリィはリースを抱きしめ、安堵の表情を浮かべる。
まるでお菓子のような甘い匂いをリースから嗅ぎ取ると、リリィはどこか安心したように、涙の粒を瞼の裏に宿した。
『んっ……むっ……んむうううううううーっ!』
「あのーリリィさん? リース、息できてないみたいですわ……」
リリィはデクスの言葉に我に返ると、胸元のリースへと視線を落とした。
「あっ!? す、すまないリース。大丈夫か!?」
リリィは慌ててリースを引き離し、心配そうな表情を浮かべる。
リースは酸欠で赤くなった顔で、少し咳き込みながら言葉を返した。
「けほっ……う、うん。だいじょうぶだよ」
リースは肩で息をしながら、なんとか呼吸を整える。
それを後ろから見つめていたデクスは、どこか安心したような表情で言葉を紡いだ。
「リース。無事で何よりですわ。怪我をしているようですが、なんとか生きてますわね」
デクスはしゃがみこんでリースと同じ視線になると、安堵のため息を落とす。
リリィは頬を赤く染め、空咳きを一つ落としながら立ち上がった。
「あー、まあともかく、リースが無事で何よりだ。詳しい話は後で聞くとして、今は治療が優先だな」
リリィは切り傷だらけになったリースの体を見つめ、少しだけ顔をしかめたものの、小さく安堵のため息を落とす。
怪我をしているとはいえ、治らないレベルではない。
あれだけの惨事からこの程度の怪我なら、むしろ幸運と言えるだろう。
「確かに、そうですわね。あなた! 今すぐ治療班の手配を! 特に外傷に強い担当者を呼んできてください!」
デクスは近くにいた女性職員に声をかけ、命令を下す。
女性職員は返事を返すと、どたばたと瓦礫の間を駆け抜けていった。
「あっ!? そ、そうじゃなくて! 今はそんなことより、アニキさんが! アニキさんが、いないんだ!」
リースはリリィとデクスへと体を向け、体全体を使って言葉を二人にぶつけた。
そしてさらに、言葉を続ける。
「二人で柱を壊そうとして、それで僕、創術を使って気を失っちゃって……気付いたらアニキさん、もういなかったんだ……っ!」
「―――えっ?」
涙をポロポロと流しながら言葉を紡ぐリースの顔を、呆然と見つめるデクス。
頭に響いてきた言葉を反芻できず、ただ呆然とその場に立ち尽くす。
リースは鞄の紐を強く握り、言葉を続けた。
「もしか、したら、ぼくを、ぼぐをかばっで、アニキざんがぁ……!」
リースは最悪のシナリオを頭の中に思い浮かべ、溢れ出る涙を止められない。
しゃくりあげながら紡がれるその言葉には、強い想いが込められていて―――
デクスの両足を、瓦礫の山へと向かわせていた。
「……っ!」
「!? デクス、一体どうするつもりだ!?」
デクスは走って瓦礫の山へと近づき、両手で持てるギリギリの大きさの瓦礫をかき分けていく。
鋭利に尖った瓦礫は容赦なくデクスの両手を切り裂き、鮮血が地面へと滴った。
「認めません……認めませんわ、そんな! あの男、勝手にわたくしの前に現れて、勝手にいなくなるなんて。勝手にも程がありますわよ!」
デクスは必死に瓦礫の山をかき分け、大きな瓦礫の下や、ちょっとした影の中まで目を凝らす。
大量に出血したデクスの両手を見たリリィは、咄嗟にデクスの腕を掴み、その動きを制止した。
「!? 離してください、リリィさん!」
「…………」
デクスはリリィの両手から逃れようと体をよじり、両手を動かすが、その拘束から逃れることはできない。
しかし次の瞬間、リリィの両手に冷たい感覚が走り、気付けばガントレットの表面部分は、氷に覆われていた。
「なっ!?」
リリィの両手からするりと抜けたデクスは、驚くリリィに見向きもせず、瓦礫の中へと再び駆け出していく。
リースは自分も加わろうと両足に力を込めるが、膝を切った怪我が思ったより深く、歩行を妨げる。
デクスは両手がどうなろうとも構わず、瓦礫のひとつひとつをどかし、目を凝らした。
「なん、で……あの男は、いつもいつも、わたくしの前から……っ!」
デクスは瓦礫の山を睨みつけ、鬼気迫る表情でアニキの姿を探し続ける。
リリィはガントレットを脱ぎ捨てると、後ろからデクスを押さえ込んだ。
「デクス、もうやめろ! 両手が……っ!」
デクスの両手には大小多くの切り傷や擦り傷ができ、下手をすれば今後の生活にすら支障が出てしまうだろう。
しかしデクスは再び体をよじり、両手を動かせないまま、言葉を紡いだ。
「や、だ……やだよ……っ!」
デクスの両目からは、いつの間にか大粒の涙が溢れ、頬を伝って流れていく。
デクスの目の奥は熱く、視点が定まらない。
その頭の中には、アニキの言葉が、笑顔が、ずっと繰り返されて―――
「おめえ、そんなところで何やってんだ? なんか捜しもんかよ?」
隣から聞こえたその声と、完璧に重なった。
「へっ……?」
デクスはポカンとしながら隣に立つアニキを見上げ、声を失う。
アニキはボロボロになった両拳をダラリと下ろし、疑問符を浮かべながらデクスへと言葉を紡いだ。
「うわっ、両手ボロボロじゃねーか。馬鹿だなおめーは。この後どうせ瓦礫を片付けんだから、そん時探せばいいだろ」
アニキは不思議そうに頭を傾けながら、デクスの行動を見つめる。
次第にデクスの顔は紅潮し、耳の先までもが、真っ赤に染め上げられていった。
「あ……あ……」
デクスは言葉が出ず、真っ赤に紅潮した顔でアニキを見上げる。
アニキはばつが悪そうに眉をひそめると、言葉を続けた。
「まあ、それだけ大事なもんを探してたってことだろうがよ……泣くほど大事なもんって、一体なんだ?」
アニキはデクスの捜し物の見当が付かず、頭を傾ける。
デクスの頭の中には、先ほどまでの自分の台詞が、何回も響き渡り―――
「いやあああああああ!」
アニキの顔面を、アッパーカットで殴り飛ばした。
「おぶふぉあ!? い、いきなり何しやがんだてめえ!」
アニキは突然顎を突き上げられた衝撃に驚きながらも、かろうじてデクスを睨み付ける。
デクスは涙目のまま頭を横に振り、アニキへと覆い被さった。
「うるさいうるさい! 忘れなさい記憶を無くしなさい全てを無かったことにしなさい!」
「やめっ……おっ……ぶ!」
デクスはアニキに馬乗りの状態で涙目になりながら、力の入らない両手で顔面を平手打ちし続ける。
リリィはデクスとアニキの間に片腕を入れ、恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
「あーその、気持ちはわかるが、落ち着けデクス。さすがの奴ももう限界だろう」
顔がパンパンに腫れ上がったアニキの惨状を見て、大粒の汗を流すリリィ。
その後ろで怪我をした脚を引きずっていたリースは、かろうじてアニキの元へとたどり着いた。
五体満足なアニキの姿を見たリースは、まるで花咲くような笑顔を見せた。
「あっ!? アニキさん! よかった、無事だったんだね!?」
「おう、顔はパンパンだがな」
アニキはボロボロの状態で横たわり、リースへと手を挙げて応える。
一方デクスはリリィにくっつきながら、すんすんと涙を流していた。
「よしよし、つらかったな」
リリィはガントレットを外し、出来るだけ優しく、デクスの頭を撫でる。
デクスは耳の先まで真っ赤にしながら、ぐすぐすと鼻を鳴らした。
「ううっ。いっそ死にたいですわ」
リリィはデクスのつぶやきを聞くと、苦笑いを浮かべ、自分の体の状態を顧みる。
見た目こそダメージは少ないが、肋骨の殆どは粉砕され、内臓にも影響を及ぼしている可能性がある。
リースは全身に無数の傷、デクスは両手と肩にダメージがあり、アニキに至っては、今後しばらく両手は使えないだろう。
ともかく、今のリリィにできるのは―――
「救護班、急いでもらうとするか……」
全員の怪我の治療を、優先することだけだった。
リリィは戦いの末に、さらに高くなってしまった天井を見上げ―――
シリルの笑顔を、今一度思い出していた。