第27話:リースの奮戦、そして……
「僕に腕力はないし、こんな硬い柱を殴ったりもできない。でも―――」
リースは鞄から一本のチョークを取り出し、白塗りの床へ、丸い円や線を引いていく。
呆然とするアニキを尻目にどんどんできあがってくるそれは、紛れも無く錬成陣だった。
「でも、少しだけアニキさんを手伝うことくらいは、僕にだってできるよ」
リースは真剣な表情で完成した錬成陣を見つめ、唾を飲み込む。
「そいつで何か、造ろうってのか? でも、おめえは確か―――」
「うん。確かに僕は実践経験はほとんどないし、これからやる“鉄甲錬成”も、一度だって成功したことないんだ」
えへへ。と恥ずかしそうに笑い、頬を染めるリース。
アニキは小さく笑うと、どこか感心したような目でリースを見つめた。
「この錬成はかなり複雑で、もし失敗すれば、僕の体だってタダではすまないかもしれない。でも―――」
「でも?」
言葉を詰まらせたリースに、続きを促すアニキ。
リースは一度瞳を閉じると、強く鞄の紐を握り締め、やがて意を決したように目を開き、言葉を紡いだ。
「でも。今ここで逃げちゃったら、みんなのことを真っ直ぐに見れなくなっちゃうような、そんな気がするから」
「…………」
どこか寂しそうに呟いたリースの横顔を、無言のまま見つめるアニキ。
やがて頭を振りながら優しげに微笑むと……
リースの頭を、思い切り齧った。
「ふえっ!? あいたたたたた!」
突然頭に響いた痛みに驚き、わたわたと両手を動かしながら走り回るリース。
アニキはふがふが言いながらリースの頭を噛み続け、やがて解放した。
「あ、アニキさん!? 一体どうしたの!?」
リースは涙目になりながら頭を押さえ、アニキを見上げる。
アニキはニヤニヤしながらリースを見つめると、言葉を返した。
「ま、景気付けだ景気付け。気合い入ったろ?」
「痛いだけだよぉ……」
リースは涙目になりながら頭をさすり、怨みがましい目でアニキを睨む。
だが青くクリクリした瞳で睨みつけられても、それほどの凄みは感じられなかった。
「ほらよ、リース。とっととおっぱじめようぜ」
「えっ?」
アニキは軋む両手を胸の高さまで上げ、錬成陣の上に掲げる。
アニキの意図するところがわからないリースは、ぽかんと口を開けてアニキを見上げた。
「はぁ。察っしの悪い野郎だな。おめえはこれから、俺が使う鉄甲を創造すんだろう?」
アニキの言葉に反応し、こくこくと頭を縦に振るリース。
そんなリースの様子にアニキは小さく笑うと、言葉を続けた。
「おめえは俺の手のサイズなんか、正確には知らねえだろ。もし創術に成功して、鉄甲が完成したとしても……サイズが合わなかったら、何にもなんねーだろうが」
「あっ!?」
アニキの指摘に目を見開き、再びポカンと口を開けるリース。
アニキは悪戯に笑うが、拳に走った鋭い痛みに、眉をしかめた。
「ぐっ。ま、そういうこった。俺の手に直接創造すりゃあ、サイズについては問題ねーだろ」
アニキはリースに対して勇ましく笑いながら、横目で自らの手の甲を見つめた。
「でもっ、そんなことしたら、僕どころかアニキさんの手だってどうなっちゃうか……」
リースは創造された出来損ないの鉄甲と、アニキの拳が融合された、最悪な状態をイメージする。
それだけで背筋が凍り、両足が震え出した。
「悪ぃな、リース。残念だが時間がねえ。ストリングスを倒してあの二人を救いだし、シリルの無念を晴らすには……もう、これしかねーんだ」
「…………」
リース自身、そのことには気付いていた。
しかし理屈だけで動けるほど、人は単純に出来ていない。
今一度の勇気が、リースには必要だった。
「リース。これは、誰でもない俺自身が決めたことだ。おめえに賭けると、この俺が決めた。どんな結果になろうと後悔しねえし、お前を攻めねえ。当たり前だがな」
「アニキ、さん……」
リースは少し気恥ずかしそうに微笑むアニキを見つめ、胸の中に生まれた小さな何かを感じ取る。
その“何か”は幼いリースの胸の中に確かに存在し、力強く揺らめく。
リースは一度瞳を閉じると、意を決したように見開き、自らの両手を錬成陣にかざした。
「わかった。僕、やるよ。絶対に成功させてみせる……っ!」
真剣な表情でアニキの両手を見つめ、精神を高めていくリース。
勇気の宿ったその姿は精悍だったが、まだその瞳には緊張の色が見え隠 れしていた。
アニキはそんなリースの姿を見ると、最後に一つだけ、言葉を贈る。
「リース。お前ならきっとできる。てめえを信じて思い切りやってみろ」
「っ!?」
微笑みながら言葉を贈るアニキを、驚いた表情で見上げるリース。
やがて無言のまま、錬成陣へ視線を戻すと、自然と笑みがこぼれた。
『なんか、お父さんみたい……かな』
物心ついた頃から母と二人で暮らし、父親のいなかったリースにとって、明確な“父親”というものに対するイメージはない。
だが、自分の中に去来するこの安心感と高揚感は何なのか。
その正体もわからぬまま、自然とリースの顔には笑みがこぼれていた。
どこかくすぐったそうに笑うリースに、恐怖心は欠片も残っていない。
少しだけあった手の震えも、気付けばどこかに吹き飛んでいた。
「じゃあいくよ、アニキさん。準備はいい?」
「おうよ! いつでもかかってこいやぁ!」
こんな時まで喧嘩腰のアニキに少しだけ吹き出し、リースもまた、悪戯に笑う。
やがて精神を集中させるように瞳を閉じると、創造するべき対象を、頭の中でイメージした。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
甲高い声がホールに響き、まるでその声に呼応するように、錬成陣から淡い光が昇り出す。
やがて頬に感じた違和感に、アニキは顔を上げた。
「―――風、か?」
アニキの頬を撫でる一陣の風。
締め切られたホールでは風が吹くことはない。
だからこそ感じた違和感だったが……アニキはその違和感が、次第に大きくなっていることに気が付いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「っ!? なんだ、こりゃ……突風!?」
傷付いた両手を、逆立った髪を大きく揺らす、突風。
アニキがその違和感にとらわれていた時、今度は自らの両手に、何かが乗せられたような感覚が走った。
「っ!? こりゃあ……」
アニキの両手の上には赤い板のような物が揺らめき、さらに別の形になろうとしているかのようにその姿を変えていく。
咄嗟に横へと視線を移すと、そこには苦しそうな表情のまま両手をかざしている、リースの姿があった。
風によって切れてしまったのか、その小さな体にはいくつもの傷が出来ており、かなり痛々しい。
瞬間的に膝の辺りに大きな切り傷が起こり、リースの体はふらつくが、倒れ込むことはない。
まるで見えない何かに支えられるように、リースはその両手を、練成陣に掲げ続けた。
「まだ、だ。まだ完成してない。ここで逃げちゃ、ダメなんだ……!」
風によって額が切れ、流れ込んだ血液が、片目を塞ぐ。
それでもリースは大きく息を吸い込み……そして、叫んだ。
「うあああああああ! 鉄甲錬成:シェルベルム!」
二人を取り巻いていた風はより強く激しく二人を打ち、リースの体も、ギシギシと軋む。
出血によって虚ろいゆく意識の中、それでもリースは、創術を続けた。
「完成、させるんだ。みんなを、助け―――」
リースはやがて意識を断ち切られ、その場に膝を着く。
その刹那―――
「ぐっう……!?」
アニキの両手に締め付けられるような、強烈な痛みが走る。
錬成陣から放たれる光はさらに強くなり、アニキから視界を奪う。
「っ!? あぐああああああああああ!」
目が眩むような痛みに支配されたアニキはその場に膝を着き、両手から力が抜けていった。
「っ舐めんな、クソがああああああああ!」
アニキは今一度咆哮し、両手を錬成陣の上にかざす。
まるでその行為に答えるように錬成陣は輝き、そして―――
「……っ!?」
三度目の、締め付けられるような、鋭い痛み。
度重なる出血と痛みで、一瞬アニキは、その意識を手放した―――
やがてホールには静寂が戻り、吹きすさんでいた風も、まばゆいほどの光も見当たらない。
砂埃が舞い上がるホールの中央に鎮座する柱の根元には、ボロボロの状態で横たわるリースの姿。
その隣には赤く揺らめく影があり、その影は一言も発することなくその場に揺れ、生気すら感じられない。
そんな二人の頭上数百メートルの位置、巨大な柱の外装が一枚、剥がれ落ちる。
度重なる拳による衝撃と、先程の突風によって剥がされた外装は、一直線にリースへと向かって落下し、まるで全ての終わりをもたらす、神の一撃のように思えた。
砂埃が徐々に地面へと落ち始め、揺らいでいた影は、赤い輪郭を露わにする。
俯いたままのアニキは、ただその場に立っているだけで、表情を伺い知ることすらできない。
そうしている間にも外装はみるみるうちに加速し、殺傷能力を供えた状態で、襲い来る。
一つの武器となった外装が、横たわったリースの体と重なろうという、その瞬間―――
「…………」
アニキは驚異的なスピードでリースを抱きかかえると、右拳を振り上げ、無言のままその巨大な外装を粉砕する。
まるで何かが爆発したような音を立て、外装は粉々に砕けると、周囲に四散していく。
細かくなった外装をさらに風が切り裂き、その場には、わずかな砂だけが残る。
アニキは振り上げた右拳を目の前まで下すと、両目を見開いた。
「…………」
見開かれたアニキの瞳の先には……赤い鉄甲を身に着けた、自らの右拳。
幾重にも重なった赤く細い鉄板は、ゆるやかなカーブを描きながら、アニキの拳全体を保護する。
手の平にはまるで膜のような材質の黒い布が巻かれ、鉄甲とアニキの拳が、まるで一つになったかのような錯覚すら思わせた。
「……イカスぜ」
アニキは優しく微笑みながら、腕の中で眠るリースを見つめる。
リースは安らかな寝息を立てながら、まるで泥のように眠っていた。
「さて、と。てめえの役目はここまでだ。ちっと退場しててくれや」
アニキはリースの体を揺らさないようホールの外へと運び、頑丈そうな柱の陰に、リースを寝かせる。
満足そうに微笑んだアニキは、再びホールへと戻ってきた。
ホールの中央で相も変わらず天井を支えつづける巨大な柱を見上げ、どこか嬉しそうに笑うアニキ。
両手に装着された鉄甲を見つめ、強く拳を握りしめた。
「リース。てめえの正義、確かに受け取った。後は、俺に任せな」
アニキは体勢を低く保ち、再び背中から、炎を吹き出させる。
右手を立てて顔の横まで持ってくると、次第に髪の色は鮮やかな赤へと変化し、炎の勢いは増していった。
「へっ……たく、楽しいなぁ。なあおい!」
アニキは柱に向かって怒号を飛ばし、ビリビリとした空気がホール内を走る。
より一層勢いを増した炎は、アニキの体の枠を越え、まるで生き物のように暴れ回る。
アニキは柱を見つめると、意を決したように眉間へと力を込め、そして笑った。
『さっきの攻撃で、ダメージは充分。となりゃあ、留めを刺せばいいってわけだ』
背中の炎は唸り声を上げながら、やがて掲げられた右手へと集約し、鉄甲をさらに赤く輝かせる。
足元から、背中から集まる炎が右手に集約され、赤くまばゆい光を放つ。
消えたと思われていた風が再び、騒ぎはじめた。
鉄甲からは熱風と炎が同時に吐き出され、すぐ傍に立つ柱を焦がす。
やがてアニキは両拳を打ち付け、右拳に蓄積されていた光を、左拳に分け与える。
そのままさらに体を下に落とし、右拳を地面スレスレの位置まで移動させる。
まるで狙いを定めるように、左手を柱に向かって翳すと、より一層強く、下ろした右拳を握りこんだ。
「これで、終わりだらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
耳をつんざくような爆発音がアニキの足元から響き、その衝撃に運ばれるように、アニキの体は一瞬にして柱に近接する。
勢いに乗ったまま下ろしていた右拳を突き上げ、アッパーカットを柱へと叩き込む。
炸裂音がホール中に響き渡り、柱の中にはアニキの拳が打ち込まれた。
「まぁだだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
背中から爆炎を噴出させたアニキは、右拳をそのままに、柱を駆け上がっていく。
柱の体には一直線に伸びる炎の道が描かれ、焦げて粉砕されていくその音は、まるで悲鳴を上げているかのようにも見えた。
そのまま天井近くまで駆け上がったアニキは、柱に蹴りを入れると少しだけ距離を取り、空中へと投げ出される。
輝きを失った右鉄甲からは燻るような煙が上がるが、アニキは気にもせず、目の前の柱だけを見つめる。
やがて左鉄甲を体の後ろに引き…………再び、叫んだ。
「おおおお……らあああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
アニキは左肩から炎を吹き出させ、体を高速回転させると、その勢いのまま左鉄甲を柱へと叩き込む。
その刹那、炎を伴った亀裂が柱全体へと走り、柱の限界を物語った。
「それで済むかよ! メテォォ……ハンドォォォォォオァ!」
アニキは最後の力を振り絞り、背中から再び爆炎を吹き出し、さらに鉄甲を柱へと減り込ませていく。
やがて耐久値が限界に達した柱の内部に、その体ごと突っ込んでいった。
「ぐぉああああああああ! だぁらぁ!」
アニキの拳と体は巨大な柱を貫通し、支えを失ったアニキは、真っ逆さまに地面へと落ちていく。
視界の隅に写るのは、ゆっくりと崩壊していく、柱の姿。
アニキは満足そうに微笑むが……やがて地面がすぐ近くまで迫っているのを感じると、すぐに下へと狙いを定めた。
「ちいっ……だぁらぁ!」
どんどん近づいて来る地面に対し、アニキはかろうじて左拳を打ち込み、衝撃を緩和する。
まるで人身事故にでもあったかのように地面を転がっていき、やがてその運動を止めた。
「…………」
アニキは無言のまま立ち上がり、崩れていく巨大な柱を見つめる。
その背中には猛る炎のような刻印が見えるが、全力を出しきった今となっては、その勢いも失っているかのように見える。
瞬間、両拳の鉄甲に複数付けられた赤く細長い鉄板が、まるで弾かれるように勢いよく開いていく。
開かれた鉄板と拳の間から、燃えるような熱さを持った水蒸気が、一斉に噴き出された。
「見ろよリース。俺達の勝ち、だ……」
アニキは噴き出される水蒸気の中で膝を落とし、その意識を手放す。
崩れゆく柱の残骸は、無慈悲にもそんなアニキの体に降り注ぎ―――
疲れきったその体を、完全に覆い尽くした。