第260話:リリィ=ブランケッシュ
ヴァンは両肩にハルバードを担ぎ、リリィから踵を返して満足げに歩いていく。
これでもう、自分のリリィを奪う者は現れない。何故なら彼女の全てを、自分は奪ったのだから。
ヴァンの心は、邪に晴れやかだった。
プロキア王国に吹き込んだ風を受け、ヴァンは爽やかな笑顔を浮かべる。
そうしてゆっくりと進む、ヴァンの足音。
その足音に混ざって―――微かなノイズが、ヴァンの耳に届いた。
「っ!?」
ノイズに気付いたヴァンは反射的に、リリィの倒れている場所を見返す。
そこにはただリリィの遺体だけが横たわっており、先ほどと何も変わっていない。
ただ一つ、変わっていたのは―――
「な、ない!? あの美しい角が、翼が、尻尾が、無くなっている!」
ヴァンはその事実が信じられず、同時に強い怒りを覚えながらリリィの遺体を見つめる。
そんなリリィの姿、自分は認めない。そんな姿、自分は―――
「っ!?」
気付けばリリィの遺体からは赤いオーラが立ち上り、それは遠く離れたヴァンですら視認できるほど大きくなっていく。
そして赤いオーラに包まれたリリィは、ヴァンが一度まばたきをしたその隙に、その場から姿を消した。
「なに!? どこに、どこに消えた!?」
ヴァンは動揺した様子で周囲を見回すが、どこにもリリィの姿はない。
しかし次の瞬間、ヴァンの背後数メートル先から低い声が響いてきた。
「どこを探している? 私はここだ、ヴァン」
「っ!?」
突然背後を取られたヴァンは完全に動揺しながらも、声を殺して背後に向かって振り返る。
そこには赤いオーラを放つ、角も翼も尻尾もないリリィが、真っ直ぐにヴァンを睨みつけていた。
「なん、だよ、それ。なんだよ、それぇ……!」
「…………」
ヴァンは両手に持っていたハルバードを落とすと、両手をさ迷わせながらリリィへと近づく。
そしてそのまま、右拳を力強く握り込んだ。
「ダメだ、そんなの。そんな姿、ダメだあああああああああああああ!」
ヴァンは半狂乱になりながら、驚異的なスピードでリリィとの距離を詰め、右ストレートを打ち放つ。
しかしリリィは首を少しだけ横に曲げると、その運動だけでヴァンの攻撃を回避した。
「!?」
「遅い、な。ヴァン。遅すぎるよ」
リリィは悲しそうな瞳になりながら、真っ直ぐにヴァンを見つめる。
そんなリリィの目を見たヴァンは、ふらつきながら二歩、三歩と後ろに下がった。
「何故、だ。君の全ては僕が奪ったのに。僕が負けるはずないのに。何故だ、何故……!」
ヴァンは両手で顔を覆うと、ふらふらと背後に下がる。
そのまま石柱に背をぶつけたヴァンは、リリィに向かって怒号をぶつけた。
「なのに何故だ、リリィィィィィィィィ!」
ヴァンが竜の咆哮を響かせると石造りの部屋は揺れ、傍にあった石柱は気迫だけで粉々に粉砕される。
しかしそんなヴァンの咆哮にリリィは少しだけ髪を揺らすと、ヴァンに向かって言葉を返した。
「違うんだよ、ヴァン。私達はずっと、勘違いしていたんだ。真の強さは外に出て見えるものではない。真の強さとは、この中。身体と心の中にあるものなんだ」
少なくとも私はこの旅で、それを学んだ。そう続けるリリィの表情は、どこか晴れやかで。
リリィの握り締めた右手の中には、旅の中で出会った様々な人々の“笑顔”や“強さ”が溢れていた。
そしてそんなリリィの言葉を受けたヴァンは、その言葉を理解できず。ただ両手で頭を抱える。
愛する人が、醜くなってしまった。
そんなつまらない想いだけが今、ヴァンの中に渦巻いている。本当に大切なことは、そんなものではないというのに。
両者の胸にある想いは、まるで違う。その重さが、まるで違う。
そしてその違いこそが……この死闘の決着を、決定付けたのだ。
「認め、ない。認めないぞ、僕は。そんな君は、認めない!」
そしてヴァンは咆哮しながらリリィへと駆け寄り、右拳を突き出す。
リリィは悲しそうな表情を浮かべると、そんなヴァンの拳を指二本で受け止めた。
「残念だよ、ヴァン。本当に……残念だ」
リリィは悲しそうな表情を浮かべると、自身の右拳をゆっくりと握り込む。
そして最初で最後の一撃を、ヴァンに向かって叩き込んだ。
「っ!?」
腹部に突き刺さる、リリィの一撃。
その一撃はヴァンの身体を内側から破壊し、その全身は粉々に粉砕される。
そしてそのまま打ち抜かれた一撃は―――城の天井をも粉々に粉砕し、その先の空を、そしてその先の星達すらも、全て破壊した。
「さよならだ……ヴァン」
リリィは最後に一言だけ言葉を落とすと踵を返し、青空の下、振り返らずに歩いていく。
そうしてリリィが歩き出すと同時に、城は急激に崩壊を始めた。
「っ!? まずいな。脱出しなければ」
自分はリースに、「いってきます」と言った。
ならば必ず、生きてリースの下に帰らなければならない。
「いってきます」を言ったのなら、「ただいま」を言わなければ。
考えてみれば人は皆……その繰り返しの中で、生きているのかもしれない。
そんな事を考えながらリリィは、脱出するための一歩を確かに踏み出した。
「―――あ、あれ……?」
しかしリリィの身体は、もはや限界を超えていて。
指一本すら、今は動かせそうもない。
そうしてリリィは、ゆっくりと意識を手放して―――
崩れゆく城の残骸に、その身体を埋め尽くされていった。




