第25話:リリィの剣
「貴様の戯れ事に付き合っている暇はない。私がたとえ何者であろうと、貴様を屠るという事実に変わりはないのだからな」
リリィはその赤の瞳に静かな闘志をたぎらせ、構えた剣の切っ先をストリングスへと向ける。
しかしストリングスはそんなリリィの殺気に物怖じすることなく、値踏みするような視線でリリィとデクスを見つめた。
「フフッ。まったくお二人とも、美しい脚をしていらっしゃる……是非一度、研究にご協力願いたいものです」
ストリングスは頭を下げ、言葉を紡ぎながら余裕の表情を見せる。
破れた両足のズボンは痛々しいものの、それ以外に大きな外傷は無く、戦闘に支障はない。
リリィはそんなストリングスの姿に苛立ちを感じ、言葉を返した。
「残念だが……いや、全く残念ではないが、貴様の研究に手を貸すなど一生涯有り得ん。貴様は研究室の端で、人形の脚でも愛でているがいい」
「…………」
リリィの言葉を聞いたストリングスの顔色が変わり、一瞬眉間に力が入る。
それをリリィが目視で確認した瞬間、事態は大きく動いた。
「いけません、いけませんよ。私の高尚な研究を、人形遊びと称するのは、感心いたしませんねえ……」
「なっ―――!?」
先ほどまで遠くに立っていたストリングスは今では息のかかるほどの距離に立ち、大きく見開いた両目と開いた瞳孔でリリィを見つめている。
瞬時に間合いを詰められたリリィは動揺し、対応が遅れる。
ストリングスが歩こうとしているのは、見えていなかったわけではない。
だが……
『一瞬完全に、“歩いている”気配が消えた。驚異的なスピードで近づいてきていることはわかるのに、目に見えているのに、距離感が掴めない。これが“歩行術”か……!』
リリィは悔しそうに奥歯を噛み締め、近すぎる間合いを広げようと、後ろへとステップを踏む。
しかし、その瞬間―――
「あっ、ぐ……!?」
リリィの腹部に拳大の鉄球が打ち込まれ、鳩尾に鉄球を受けたリリィは、一瞬呼吸を忘れる。
鈍痛が腹部から全身を走り、痛みに視界が歪んだ。
「貴様。何を、した!?」
リリィは腹部を抑え、呼吸を整えると、目の前のストリングスを睨みつ
ける。
ストリングスはスーツの袖口から垂れた鎖を手繰り寄せると、余裕の表
情で言葉を続けた。
「フフッ、これは研究の合間に片手間で作った武器でしてね。鉄製の筒の中で爆発を起こし、その衝撃で筒の中にセットした鉄球を飛ばすというものですが……いや、驚いた。石壁に穴を空けるくらいの威力はあるのですが、あなたは健在だ。これも竜族故に、ということですか」
ストリングスは袖口に隠していた装置に鉄球をセットし直すと、興味深そうにリリィの体を見つめる。
マントの裾から見える脚を見つけると、嬉しそうに目を細めた。
「竜族の脚、ですか。フフッ、あまり全体像は見せないで下さいね。その脚を見せられたら、そのまま果ててしまいそうだ」
ストリングスは瞳孔を開ききった眼で、リリィの脚を見つめる。
リリィは背中に走る悪寒を感じ、マントを掴んで自らの脚を隠した。
「下種が……っ! その性根、私が断ち切ってやる!」
リリィは恥ずかしさに頬を染め、殺気の篭った目でストリングスを射抜く。
ストリングスはそんなリリィを直視しないよう視線を外し、スーツに付着した土ぼこりを手で払い出した。
「おやおや。長寿で知られる竜族も、そちらの経験は浅いと見える。そんなことでは―――」
「はあああああああああ!」
リリィは片足に力を込めると、一瞬にしてストリングスとの距離を0にし、下段に構えた剣で切り上げる。
その剣閃は確実にストリングスの右肩を捉えていたが……
「おっと、いけませんねえ。人の話を遮るものではありませんよ」
ストリングスは足音一つ立てず、気付けばリリィの後方に、両手をポケットに入れた状態で立っている。
空振りしたリリィをあざ笑うかのようなその視線には、明らかに余裕の色が浮かんでいた。
「くっ……!」
リリィはすぐに体を反転させ、剣を構えると、再びストリングスを睨みつける。
ストリングスは穏やかな表情のまま、肩をすくめた。
「おやおや。まだ諦めないのですか? 先ほどもご説明した通り、あなたの歩幅、足運び、さらには剣筋にいたるまで、私には全てわかってしまうのですよ。“歩み”とはすなわち、全ての動作の基本―――それを極めた私に、もはや死角はありません」
「それが。それがどうした……!」
リリィの脳裏に、シリルの穢れ無き笑顔が浮かぶ。
脚を失い、光を失い、それでも彼女は、笑っていた。
しかし今は、その事実が最も、感情を荒らぶらせる。
「罪深き男がこうして笑い、罪な無き子どもが、あんなにも悲しい笑顔を見せる……そんなもの、私は絶対に認めん!」
「リリィ、さん」
鋭い眼光でストリングスを睨みつけるリリィの後姿を見つめ、デクスもまた、シリルの笑顔を思い出す。
本を読んであげている時も、車椅子を押している時も……彼女はいつもすまなそうにお礼を言い、こちらに気を使っていた。
本来はそうではない。彼女は子どもなのだから、誰にも気を使わず、自由に歩き、自由に本を読むことができたはずだ。
そしてこの場所、世界図書館は―――そのような本を愛する者たちのために作られた星の書庫。
そんな場所の中心で、この男と対峙している…………その事実が、デクスの胸を抉った。
「罪? 一体、何が罪だと言うのですか!? 私の高尚な研究のために、一人の少女の脚が失われた……いや、ただの脚であるより、この私の研究材料とされた方が、彼女も光栄でしょう! 何故そんな簡単なことがわからないのか、理解に苦しみますよ……っ」
「馬鹿に付ける薬は無い。馬鹿は死んでも直らない……ならば、断罪するしかあるまい。今ここで私が、貴様を裁く!」
リリィは剣の切っ先をストリングスへ向け、決意の炎を宿した瞳に、揺らぎは無い。
ストリングスは噴出すように笑うと、言葉を返した。
「フフッ。私に一太刀も浴びせられない剣士殿が、何を言うかと思えば……私を裁く? 罪無き者を裁くなど、神にも許されぬ行為でしょうに」
ストリングスは肩をすくめ、やれやれといった様子で顔を横に振る。
リリィはそんなストリングスの様子など気にも止めず、再び剣を構えるが―――
「そもそも、そんな状態の武器で戦おうなど、相手が私でなくとも無謀すぎますよ。有り余る力というのも、考え物ですね」
「何?」
ストリングスの目線を追い、自らの剣を見ると、その刀身には小さなヒビが入り、今にも折れてしまいそうなほど儚い。
リリィは奥歯を噛み締めると、剣の柄をより一層強く握り締めた。
「ま、当然でしょう。あれだけの力で振り回されれば、並大抵の剣じゃ耐えられない。見たところその剣も、もう限界のようですね」
「それでも。それでも私は、負けるわけにはいかない。貴様にだけは、絶対に……っ!」
リリィは両手で剣を持ったいつもの構えを解き、刺突中心の構えへとシフトする。
軽快なステップを踏み、鋼鉄のグリーブは規則的に地面を叩く。
ストリングスはうっとりとした表情でその音を聞くと、穏やかな声で言葉を紡いだ。
「美しい旋律だ……やはり、足音はいい。心を癒してくれる。あなたもそう思いませんか?」
ストリングスが余裕の表情でリリィへと視線を向けたその刹那、リリィの足は地面へと降り、砂埃を高く舞い上げたかと思えば、突き出された剣が、ストリングスの喉元を狙う。
ストリングスはリリィの足が地面へと下りた瞬間、小さな声を地面へと落とした。
「角度100。左右の比重7:3。なるほど、刺突ですか」
喉元を確実に捉えていたリリィの剣は空間を突き刺し、そこにストリングスの姿は無い。
両手をポケットに入れたストリングスはリリィの背後で、優しげな笑みを浮かべていた。
「言ったはずですよ、ミス・リリィ。歩みとは即ち、全ての基本……それを極めた私には、あなたの動きが手に取るようにわかる。ましてここは、私の研究室。庭のようなものだ」
ストリングスは足場を慣らしながら、余裕の笑みでリリィを見つめる。
リリィはそんなストリングスの言葉に返事も返さず、そのまま背後へとバックステップすると、逆手に構えた剣で、ストリングスの腹部を狙う。
「おっと。これはトリッキーな動きだ。少々驚きましたよ」
ストリングスは声を弾ませながら、今度はリリィの横に立ち、スーツに付いた埃を払う。
リリィは奥歯を噛み締めると、鋭い目つきでストリングスを睨み付けた。
「貴様が私の全ての動きを見切ろうと、絶対に諦めない。この命尽きようとも、絶対に貴様を屠る!」
リリィは再びストリングスへと向き直り、体勢を低く保つ。
そのまま何の事前動作もないまま加速すると、ストリングスの体の中心に沿って、縦一文字に切り上げた。
「ふふっ。いや、確かに、その調子でずっと戦っていれば、私の集中力も尽きてしまうかもしれません。ですが―――」
「あっ……あっ……!?」
「リリィさん!」
振り上げられたリリィの剣は空を裂き、代わりにその腹部には、拳大の鉄球がめり込む。
体全体に響く、何かが折れるような音と激痛。
リリィは悶絶し、口の端から紅蓮の血を流した。
「これはいい音がしました。3番と4番の肋骨、恐らくは折れているでしょうねえ?」
「リリィ、さん……」
悶絶するリリィの姿を、絶望したような表情で見つめるデクス。
リリィはそんなデクスの姿を視界の隅に認めると、微笑みながら言葉を紡いだ。
「案ずるな、デクス。私とて誇り高き竜族の端くれ。このような下賎の輩に、負けるつもりは無い」
リリィは体を起こし、剣を一振りすると、口の端の血を乱暴に拭う。
デクスはそんなリリィの姿に言葉が出ず、胸元に置いた両手を握り締めた。
「下賎の輩、ですか。しかし今のあなたの状況は、誰が見ても最悪だ」
「くっ……黙れ!」
リリィは剣を横に振り、ストリングスの胴体を狙う。
しかし―――
「がっ……あっ……!?」
火薬の力によって放たれた鉄球は慈悲も無くリリィの足を直撃し、何かがひび割れる音と共に、形容しがたい痛みが全身を走る。
リリィは思わず地面へと着いてしまいそうな膝を抑え、かろうじて踏みとどまった。
「ほう、あれを耐えるとは、さすがは竜族の剣士殿。しかしもう、立っているのがやっとではないのですか?」
ストリングスは壊れてしまったリリィの足を見つめ、口の端を歪ませる。
リリィは剣を杖にして体を起こすと、震える体を抑え、言葉を返した。
「ストリングス。貴様は確かに、強い。だが言ったはずだ。私は貴様のような下種になど、決して負けはしないと!」
リリィは強い意志を宿した瞳でストリングスを射抜き、今にも飛び掛りそうな気迫をぶつける。
その赤い瞳からは突き刺すような殺気が放たれ、ストリングスは一瞬、呼吸を忘れた。
「ふっ……フフッ。いくら強がったところで無駄ですよ、ミス・リリィ。あなたにはもう、この状況を打開する力など残っていないのですから」
ストリングスはこめかみに流れた汗を悟られぬよう、少しだけ体の角度を変え、言葉を返す。
リリィは口の端をほんの少しだけ引き上げると、乱れた呼吸のまま、ストリングスを見返した。
「それはどうかな。確かに貴様には、長年の研究の中で生まれた強力な歩行術と武器がある。だが、そんな貴様も持っていない大きな力を私は持っているんだ」
リリィは微笑を浮かべながら剣を持ち上げ、天井に向かって突き出す。
やがて剣の切っ先を床へと向けると、そのまま勢いをつけ、思いきり突き刺した。
「なぁっ……!?」
突き立てられた剣から、強力な衝撃波が伝わり、部屋の床を勢い良く揺らす。
「!? な……何を、しているのです? 気でも狂ったのですか?」
意味不明なリリィの行動に、困惑の表情を浮かべるストリングス。
リリィはそんなストリングスの表情を見ると、再び微笑を浮かべ―――
もう一度剣を、勢い良く振り上げた。