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第256話:拳

「くっく……馬鹿だなぁ、おい。俺は本当、馬鹿野郎だ」

「???」


 ヴォルグはアニキの言葉を受けると不思議そうに目を見開き、頭に疑問符を浮かべる。

 次の瞬間アニキは目を見開くと、さらに言葉をぶつけた。


「今この時考えることなんて、何もねぇ! てめえにこの拳をぶつける以外考えることなんて、何もいらねえ!」

「っ!?」


 アニキは気迫をその瞳に込め、右拳を握りこむと、ゆっくりとした歩調でヴォルグに近づいていく。

 そんなアニキを見たヴォルグは生まれて初めて自分の中に発生した感情が理解できず、困惑した様子で目を白黒させた。


『なん、だ。この感情は、なんだ。この男が一歩近づく度に体が震え、力が入らない。冷たい汗が流れて、しかし頭の奥の奥は熱く煮えたぎっている』


 ヴォルグはふらつく足を押さえながら立ち上がり、ゆっくりと近づいてくるアニキを見つめる。

 そしてその目を再び見た瞬間、ヴォルグは自分の中にある感情を理解した。


『そうか。これが……これが“恐怖”か』


 ヴォルグはもはや残骸となったハルバードを捨て、右拳を武骨に構える。

 生まれて初めての感情だが不思議と、心は落ち着いている。

 そうだ、自分はまだこの男に負けていない。

 この男に―――


「それに、だ。こんな楽しい喧嘩、途中で止められねえよ。そう思うだろう……? あんたも!」

「っ!?」


 ヴォルグを真っ直ぐに見つめ、それでも笑ってみせたアニキ。

 その笑顔を見た瞬間ヴォルグの中の何かが折れ、心が凍りつく。

 そして気付けばヴォルグの目の前まで、アニキが迫っていた。


「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ……」


 ヴォルグは安定しない視線でアニキを見つめ、唐突に乱れた自分の呼吸に動揺する。

 今まで一度だって、自分の身体を自分でコントロールできなかったことはない。

 しかし。しかしこの男の前でだけ、自分は自分ではなくなる。

 ヴォルグは己の身体の震えを悟られないよう、竜の咆哮を響かせながら右拳を突き出した。


「お、お、おおああああああああああああああああ!」


 ヴォルグは咆哮を響かせながら、その巨大な右拳をアニキの顔面に叩き込む。

 その衝撃は周囲の城壁を吹き飛ばし、アニキの立っている場所以外の石畳を引き剥がしていく。

 しかし肝心の拳を受けたアニキはぴくりとも動かず、炎を纏った左手でその拳を受け止めていた。


「っ!?」


 少しも動かないアニキの身体に恐怖を感じたヴォルグは、咄嗟に自身の身体の前で両腕をクロスさせ、アニキからの一撃に備える。

 しかしそんなヴォルグを見たアニキは、眉を顰めながら言葉を発した。


「あん? なんだそりゃあ。てめえの本領は、そんなもんじゃねえだろう?」

「……くっ! ニンゲン、ごときが。調子に乗るなああああああ!」


 心中を看破されたヴォルグは半狂乱になりながら、アニキに向かってもう一度右拳を突き出す。

 しかし今度はアニキもただ受けるようなことはせず、その右拳に合わせて、カウンターの右ストレートをヴォルグの顎に叩き込んだ。


「おっせええええええええええええ!」

「ぶぐっ!?」


 ヴォルグはアニキのカウンターを受けるとついに頑丈な城壁を打ち破り、空中へと打ち出される。

 やがて自然落下するヴォルグに合わせて、アニキは空中を進んだ。


「…………」

「ひっ!?」


 両足から炎を噴き出し、無言で近づいてくるアニキ。

 そんなアニキの姿を見たヴォルグは炎の大精霊の姿をそれに重ね、恐怖で再び両腕をクロスさせた。


「てめぇ……そんなもんで俺の拳が、止まると思ってんのか。クソがああああああ!」

「はぐっ!?」


 アニキはヴォルグの腹部に拳を叩き込み、そのまま地面に向かってめり込ませる。

 強烈な拳撃を受けたヴォルグの身体は地面にめり込み、そんなヴォルグを中心として巨大なクレーターが発生した。


「かっは! はぁっはぁっはぁっ……」


 ヴォルグはかろうじて立ち上がると、目の前のアニキを恐怖に満ちた瞳で見つめる。

 そんなヴォルグの姿を見たアニキは、無言のまま右拳を身体の後ろに引き、右肩の後ろに巨大な炎の翼を作り出した。

 炎の翼は王城の敷地内を越え、王国全土を覆うほど広く、大きく伸びていく。

 その力に自身の死を感じたヴォルグは反射的に咆哮を響かせ、自身の身体を鼓舞すると―――その右拳を、強く握り込んだ。


「この我が、ニンゲンごときに。ニンゲンごときに、負けてたまるかああああ!」


 ヴォルグに残ったのはもう、その意地だけ。

 そうして突き出された、信念なき拳。

 アニキは頭突きする形でそんなヴォルグの拳を受け止めると、額から血を流しながら言葉を発した。


「歯ぁ、食いしばれ。―――その歯だけ、この世に残してやる」


 アニキはヴォルグの拳に顔の半分を覆い隠されながらもそう言葉を発し、一瞬ヴォルグの身体は完全に硬直する。

 そしてそんなヴォルグに、溜めに溜めたアニキの右拳が襲い掛かった。


「メテオォォ、ハンドォォォォアアアアアアア!」

「はぐああああああああああ!?」


 突き出されたアニキの拳には王城ほどの大きさの炎が纏わりつき、その炎はやがて塊となってヴォルグの身体を焼き崩す。

 その炎の塊は直線状にある全てを焼き尽くすと、それだけでは足りぬと大陸を駆け抜け、大いなる海に到達するとようやくその運動を止める。

 アニキの突き出した拳の先には山すらも残らず、ただ一直線に海までの道が精製された。


「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ……」


 消し炭すら残らぬヴォルグの体。それを見たアニキは、乱れた呼吸を整え、やがて言葉を落とした。


「……わりぃ。歯も、残らなかったな」


 アニキは立てた親指を勢い良く地面に向かって突き立て、小さくそう言葉を落とす。

 そしてその瞬間強烈な眠気が、アニキを襲った。


『へっ。ざまぁねえ。結局俺も、限界が来てやがらぁ……』


 アニキは前のめりに倒れると、右拳を作ったまま眠りにつく。

 そうして穏やかな寝息だけが響く王城の敷地には―――爽やかな風だけが、強く吹き抜けていた。

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