第252話:なーんにも、考えない
刻まれるフレジットのステップ。そのステップに合わせて視線を上下させながら、アスカは両手の刀をゆっくりと構えた。
「あぐっ……!?」
しかし背中の傷は思った以上に深く、アスカは痛みによって片目を瞑りながらがっくりと両手を下ろす。
そのまま項垂れてしまったアスカを見て、フレジットは愉快そうに笑った。
「あはははっ! もう戦う気力もないって感じ? そりゃそうだ。正しいよ、あんた」
「……っ!」
フレジットの言葉を受けたアスカは悔しそうに奥歯を噛み締めるが、確かに圧倒的スピード差を見せ付けられ、背中に深い傷も入れられた今、アスカの心は折れかかっている。
―――いや、その心はもう折れていると言った方が正しいだろう。
事実アスカの瞳はほとんどの光を失い、ただぼうっと地面を見つめているだけだ。
そんなアスカを見たフレジットは満足そうに微笑むと、ニヤリと笑いながらさらに細かくステップを踏み始めた。
「じゃあ、ま、戦意も無くなったところで、そろそろ遊んじゃおっか♪」
「っ!?」
アスカはフレジットの言葉を受けた瞬間強烈な殺気を感じ、反射的に顔を上げる。
しかしその顔を、一瞬にしてフレジットは切り裂いた。
「あぐっ!? あああああ!」
アスカは強烈な痛みに耐えかね、叫び声を上げる。
その思考はまだ働き、どうすればフレジットを倒せるか考えてはいるものの、答えが出る気配はない。
そうしている間にもフレジットは驚異的なスピード“不可視”状態で中庭を駆け回り、アスカの身体に一瞬だけ近づくとナイフで次々と全身を切り裂いていった。
「ぐっ……あああああああ!?」
「あははははっ!」
フレジットの高笑いが響き、それと同時にアスカの鮮血が中庭に飛び散っていく。
アスカの返り血を浴びることすらなく、フレジットは余裕の笑顔を浮かべ、再び遠くからアスカの様子を観察した。
「はーっ……はーっ……」
アスカは乱れた呼吸を繰り返し、深く切られたわき腹を押さえながら乱れた呼吸を繰り返し、ただ無意味に地面だけを見つめる。
そしてそんな状態のアスカに向かって、フレジットは無慈悲な言葉をぶつけた。
「ふふっ、可愛そうだから、そろそろ終わりにしてあげる」
「っ!?」
その瞬間激烈な殺気を感じたアスカは、反射的に目を見開きながらフレジットを見つめる。
しかし既にフレジットの姿はそこにはなく、周囲を見回してもその姿を捉えることはできない。
その速さ、まさに不可視。
フレジットは動揺するアスカをあざ笑うように目の前に姿を現し、そのまま右手に持ったナイフを上段から思い切り振り下ろした。
「じゃあね、バイバイ。アスカちゃん♪」
「……っ!」
アスカは目の前に迫るナイフに目を見開き、その身体を硬直させる。
ダメだ、考えるのを止めては。それでは死んでしまう。この街の人たちの敵もとれなくなってしまう。フレジットのこの速さから、仲間の皆を守ることもできなくなってしまう。
では、どうすればいい?
どうすれば―――
「答えはぁ。諦めることだよ! あはははは!」
フレジットは完璧にアスカの思考を看破し、高笑いを響かせながらナイフを振り下ろす。
しかしそのナイフがアスカの身体を切り裂くその前に、振り下ろされたナイフはカレンの身体によって防御された。
「……っ!」
いや、防御というより、身を挺してアスカを守った、と表現する方が正しいだろう。
カレンは両手を左右に広げてアスカを庇い、その肩から先は完全に切断されている。
激烈な痛みに耐えるカレンは、途切れそうになる意識をかろうじて保ちながら、アスカに向かって言葉を紡いだ。
「あきらめ、ないで、アスカちゃん。考えているより、動いている方がアスカちゃんらしい、よ」
「おねえ、ちゃん……」
目の前で肩を切られたカレンの後ろでアスカは、両目を見開いてその姿を見つめる。
しかしやがてカレンは痛みに意識を手放し、アスカの懐のお札へと帰っていった。
「お願い、アスカちゃん。諦め、ない、で……」
カレンは最後ににっこりと微笑むとその姿を消し、アスカのお札に帰っていく。
そんなカレンの笑顔を見たアスカは懐のお札を握り締め、奥歯を強く噛み締めた。
そしてフレジットはその場に留まりながら、至近距離でアスカを見下しながら言葉をぶつける。
「へぇ、騎士を召還して守らせるなんて考えたじゃん。でもまあ、あんたが死ぬことに変わりはないけどね♪ あははははっ!」
フレジットは高笑いを響かせながら、俯いているアスカを見下す。
しばらくはフレジットの高笑いを聞いていたアスカだったが、やがて顔を上げると満面の笑顔で笑い始めた。
「あーっはっはっはっは! ほんと、お姉ちゃんの言う通りだ! 何を考えてたんだろ、この馬鹿なあたしがさ!」
アスカは大笑いを中庭に響かせ、どこまでも突き抜けるような青空を見上げる。
その表情にもはや迷いは無く、そんなアスカの表情を見たフレジットは苛立った様子で言葉を返した。
「はぁ? 何笑ってんのあんた。これから死ぬんだよ? 死ぬの、あんたは!」
フレジットは余裕のある獲物の姿が気に食わないのか、苛立った様子で言葉をぶつける。
そんなフレジットの怒号にも似た言葉を受けたアスカは俯きながらステップを踏み、二本の刀を力強く握り締めた。
「いやー、あたしってさ。何やってもお姉ちゃんに勝てなかったんだけど、剣の試合で一回だけ勝った事があったんだよね。その時は確か、初めて二刀流に目覚めた時だったかなぁ」
「は? あんた、何言って―――」
「その時はさ、あたしなーんも考えてなかった。ただ二本の刀に魂乗せて、両足に心を込めて駆け抜けることしか、頭に無かったんだよね」
「???」
フレジットは突然語り始めたアスカに驚き、言葉を返すこともできない。
しかしそんなフレジットに対し、顔を上げたアスカはにっこりと笑いながら言葉を続けた。
「だからあたし、もう一度やってみる。なーんも考えないで、ただ進んでみるよ」
「っ!?」
フレジットの瞳に映るアスカの笑顔は、あまりにも無垢で。
まるで子どものようなその笑顔に、フレジットは言葉を失った。
そして―――
「なっ!?」
突然フレジットの視界から消失する、アスカの姿。
どこを見回しても、その姿はない。
フレジットは動揺した様子で周囲を見回すが……アスカの姿は、どこにも確認できなかった。
『そんな……あたしの目で追えない速さなんて、そんなの、ありえない!』
フレジットは悔しそうに奥歯を噛み締めると、かろうじて気配を感じた一点に向かって一瞬でステップインして近づく。
しかしその場に到着しても、アスカの姿はどこにも無く。
フレジットは動揺した様子で、周囲を見回していた。




