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第24話:咆哮

 デクスはファイルの束を抱きしめ、呆然とその姿を見つめていた。


「フフッ。狂っているとは、心外です。ならばもう、現物を見てください。私の数十年に渡る研究の成果を、その目でね!」

「―――なっ!?」

「っ!?」


 ストリングスはスーツのズボンを破り捨て、自らの足を、白日の元に晒す。

 その両足は、不気味な色の筋繊維がいくつも重なり合い、心臓の鼓動に合わせて、ドクドクと脈打つ。

 紫と赤、青と緑。

 深いそれぞれの色の筋繊維は不気味に重なり合い、ストリングスの上半身を支える。

 ストリングスはその筋繊維の塊を愛おしそうに撫でると、言葉を続けた。


「フフッ。驚いて、声も出ないでしょう? この赤い筋繊維たちは、様々な英雄たちの死体から拝借したのです。この繊維を私の足に加えたとき―――私の中にかつてない、膨大な量の“記憶”と“経験”が、流れ込んできました。そのおかげで、今はほら―――」

「っ!?」


 ストリングスは小刻みに脚を動かし、砂埃を立てていたかと思えば、一瞬にしてその場から姿を消す。

 急に対象を見失ったリリィは辺りを見回し、やがて自らの背後へと、剣の切っ先を向けた。


「フフッ。見抜かれるとは、さすがです。でも初動の瞬間、私の姿、見えなかったでしょう? 英雄たちはこれほどのスピードで、地面を駆けていたと、そういうことです。―――ああ、誤解してもらっては困りますよ。さっきのはあくまで“速歩”。走るのとは根本的に違いますから、勘違いなされないように……」


 ストリングスは頭を垂れ、リリィとデクスに対して、まるで講義をするように言葉を紡ぐ。

 リリィは眉間に皴を寄せ、ぶつけるように言葉を返した。


「悪いが、貴様の下らん講釈を聞いている暇は無い。私が聞きたいのは、たった一つだけだ」


 リリィは剣の柄を折れそうな力で握り締め、今にも切りかかりそうな眼光で、ストリングスを睨みつける。

 ストリングスは自らの足を一度撫でると、微笑みながら返事を返した。


「ほう。その聞きたいこととは、一体なんです? 今更私に隠し事をする気などさらさらありませんから、どうぞ遠慮なさらず」


 ストリングスは手の平を使ってリリィを指し示し、『どうぞご質問を』と言わんばかりの表情でリリィを見つめる。

 リリィは一瞬、隣に立つデクスを見つめ、再びストリングスへと視線を戻すと、ゆっくりと確かめるように言葉を紡いだ。


「あの子の脚を、光を奪ったのは……貴様で、間違いないのだな? 今はただそれだけを、確かめておきたい!」

「リリィ、さん」


 奥歯を噛み締め、言葉を紡ぐリリィの脳裏に、車椅子の上で笑顔を見せる、あの少女の姿が思い出される。

 本来はもっと光放つはずだったその笑顔も、今は黒く冷たい包帯の下で、微かな光を放つのみ。

 リリィは剣の切っ先を少しもブレさせることなく、ストリングスへ向ける。

 ストリングスはまるで何かを思い出すように、顎の下へ曲げた人差し指を当て、俯く。

 やがて顔を上げると、いつものようににこやかな笑顔で、言葉を返した。


「ああ、シリルのことですか。確かに、彼女の脚を奪ったのは私です。ですがそれが、どうかしたのですか?」


 ストリングスはその笑顔を崩さぬまま、ゆっくりと余裕のある口調で、言葉を紡ぐ。

 リリィはさらに眉間へと皴を寄せ、言葉を続けた。


「先ほど貴様は、人間の経験が“脚”に宿ると、そうほざいていたな。―――では……ほとんど何の経験も記憶もしていないシリルの脚を、何故欲した?」

「…………」


 デクスは隣に立つリリィの顔をじっと見つめ、ファイルを抱きしめる。

 冷静さの下に隠れた、尋常ならざるほどの怒り。

 ピリピリとした感覚がデクスの肌を走り、言いようの無い恐怖と高揚感が体を包む。

 リリィを見つめるデクスの脳裏に、アニキの姿が、思い浮かぶ。

 それに驚いたデクスは頭を振り、ストリングスの方へと視線を向けた。


「答えろ! ストリングス! 何故、何故シリルの脚を、光を奪った!? 何故彼女は、あんな目に遭わなければならなかったのだ!」


 リリィは声を荒げ、ストリングスへ回答を迫る。

 ストリングスは呆れたようにため息を落とすと、微笑みながら答えを返した。


「そんなもの、理由なんて一つしかありません。単純に、子どもの脚に興味があったから……ただ、それだけですよ。別にシリルでなければいけなかった理由などありません。未成熟な脚はどんな筋繊維を持っているのか、知りたかっただけです」


 ストリングスは微笑みながら素早く移動し、人の脚が入ったビーカーへと近づく。

 うっとりとした表情でそれを見上げ、言葉を続けた。


「フフッ。ああ、美しい。成熟された脚というのは、何よりも美しい芸術品だ。確かにシリルの脚から採取した筋繊維は、美しかった。美しかったが―――」


 ストリングスはビーカーに近づき、そこに浮く脚に、筋繊維の一本一本に注目し、言葉を続ける。

 その瞳の裏には泣き叫ぶ少女の悲鳴が、まるで子守唄のように穏やかに流れていた。


「でもね、あの少女の脚はあまりに、若すぎたのですよ。あれでは、私のこの美しい脚の一部にはなれない! 若いだけでは不十分だった! それが彼女の脚を得てわかった、私の研究成果ですよ!」


 ストリングスは前髪をかき上げると、笑い声をホール中に響かせる。

 デクスはそんなストリングスの姿を見ると、小さな声で呟いた。


「この男、狂ってる。いえ、腐ってますわ……!」


 デクスは両手からファイルを落とすと、ストリングスの元へと歩みを進めようと、一歩踏み出す。

 しかしその進行を、ガントレットに包まれた細い腕が阻んだ。


「やめろ、デクス。奴にはまだ、聞かねばならんことがある」

「リリィさん、でも……!?」


 自らを阻んだリリィを見上げ、思わず息を飲むデクス。

 その間にストリングスは笑うのを止め、呼吸を整えていた。


「ストリングス。それで、奪ったシリルの脚は……どうした?」

「??? “どうした”とはどういう、意味でしょうか? よく意味が、わからないのですが」


 ストリングスは頭に疑問符を浮かべ、言葉を返す。

 リリィは無言のまま、そんなストリングスを見つめていた。


「ああ、そうか。研究した後どうしたか、という意味でしょうか? そんなの、決まっているでしょう?」


 ストリングスは部屋の隅へと歩き、大きな鉄製の箱の前で立ち止まる。

 ストリングスの身長より大きなその鉄製の箱には蓋が取り付けられ、その蓋には、たった三文字のシンプルな言葉が刻まれていた。

 即ち、“廃棄物”と。


「いらないものは、捨てる。そんなの、当たり前のことでしょう? あんな脚など、私には不要。用が済めば、捨てるに決まっているでしょうに!」


 “おかしなことを聞く人だ”と、ストリングスは、再び笑う。

 次第にリリィの中で黒の炎が湧き上がり、その体温を上昇させていく。

 瞳の奥は熱く、視界がぼやけ、自分がどこに立っているのかすら、わからない。

 ただ一つ、わかっているのは―――


「何故、シリルの光を奪うような真似をした? 貴様の目的は、脚だけ……それだけだったはずだ」

「…………」


 ただ一つわかっているのは……この質問の答えを聞いた時、自分は自分自身を見失うだろう、ということ。

 せめて隣に立つデクスだけは傷つけぬようにと、リリィは自分自身に言い聞かせながら言葉を紡いだ。


「えっ!? シリルの目を、どうして見えないようにしたか!? そんな、そんなことって……」


 ストリングスはここに来て初めて目に見えて動揺し、ふらつきながら鉄の箱に寄りかかる。

 まるで人外を見るような目でリリィを見つめると、ストリングスは言葉を続けた。


「なんて、馬鹿な質問なんだ。彼女はあの美しい脚を、失ったんですよ? もう動かない自分の下半身を見つめてその一生を終えるなんて、あまりに悲劇だと、そう思いませんか?」

「―――な、に……?」


 リリィはストリングスの言葉の意味がわからず、言葉にならない声を漏らす。

 ストリングスはまるで汚物を見るような目でリリィを見つめ、吐き捨てるように言った。


「なんて残酷な人だ……あんな年端もいかない少女が、脚を失った自分自身を背負って、生きていけるわけがない。だから私は―――」


 ストリングスはまるで子どもの頭を掴むように両手を前に出し、その時の光景を思い浮かべながら、口を動かす。

 笑いながら頭を上げたその目に、光はない。


「だから私は……あの子の両目を、この手で見えないようにしてあげたんですよ。失ってしまった両脚を見つめて生きるより、その方がずっと、幸せでしょう?」


 ストリングスは、まるで聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、優しい声色で、言葉を紡ぐ。

 その言葉を聞いたリリィは両目を見開き、瞳孔を開ききった状態で、その姿を目に焼き付けた。


「なん、て……なんて、男ですの!? 許せない。絶対に許してはいけませんわ! そうでしょう!? リリィ、さ……!?」


 隣に立つリリィへと顔を向けたデクスの瞳に、リリィの横顔が写る。

 いつのまにか、顔にかかっていたフードは外れ、その表情も髪も、そして竜族たる証である角も全て、白日の下に晒される。

 しかし今のデクスに、そんな角など、視界に入っていなかった。


「……っ」


 開ききった瞳孔に、何の感情も写っていない表情。

 デクスはリリィの放つ圧倒的な“怒り”の感情に押し潰され、声も出ない。

 やがてリリィは、ストリングスの言葉を脳内で反芻し、そして―――


「貴様ぁぁぁああああああああ!?」


 猛る竜の咆哮を、部屋中に響かせた。


「っ!? り、竜……!」


 その瞬間、デクスの耳には……確かに、聞こえていた。

 怒り狂う、竜の咆哮が。


「グォアアアアアアアアアア!」


 猛る咆哮と共にリリィは一瞬にしてストリングスとの間合いを詰め、その剣を振るう。

 ストリングスは先ほどと同じように砂埃を舞い上げ、回避しようと脚を動かすが―――


「なっ!?」


 リリィの抜刀した剣は一瞬早くストリングスの体を捉え、垂れ下がっていたネクタイごと、背後にあった鉄の箱を一刀両断する。

 その一閃の衝撃波はそれだけでは収まらず、そのままホールの奥にあった巨大なビーカーや本棚、そして脚たちを切り裂き、そのまま外まで吹き飛ばす。

 頑丈な岩石で作られた厚さ10メートルほどの部屋の壁は真っ二つに引き裂かれ、まるでその中に吸い込まれるように、砂も、ガラスも、鉄の箱も吹き飛ばされていく。

 結果的にストリングスの後ろには、舞い上がる砂が僅かに残っただけだった。


「ば、かな。滅茶苦茶だ。一体どういう力をして……!?」

「ガァアアアアアアアアアアアアアア!」


 再びリリィは竜の咆哮と共に、返す刃でストリングスを薙ぎ払う。

 ストリングスは己の中の知識と経験を総動員し、その攻撃を数センチのところで回避した。


「はあっはあっはあっはあっはあっ……落ち着け、落ち着け。私に避けられない攻撃ではない。避けられないわけはないんだ……!」


 ストリングスはこれまで感じたことの無い圧迫感に押さえつけられながら、経験通りに足を運ぶ。

 事実リリィの剣は、一度もストリングスの体を捉えてはいない。

 捉えてはいないが―――


「アアアアアアアアアアアア!?」

「ひっ……!?」


 その剣の一振り一振りが部屋中の物を薙ぎ払い、吹き飛ばしていく。

 剣の起こした風に触れるだけで、皮が裂け、血が吹き出る。

 この一撃を食らったら、自分は一体どうなってしまうのか。

 人は常に起こりえる可能性全てを見つめ、恐怖してしまう生き物。

 とうに壊れているこのストリングスという男も、それは変わらなかった。


「くっ。ふふっ、なるほど……確かにあなたは、強い。ですがその剣は、一度も私の体を捉えてはいませんよ?」

「グッ……!」


 リリィは赤い瞳を見開き、自分の死角へと移動するストリングスを睨みつける。

 確かにストリングスの体には、皮を切られ、血の流れる箇所はあっても、致命傷には至っていない。

 リリィはかろうじて呼吸を整えると、再び剣を構えてストリングスと対峙した。


「そんなことは、百も承知。何代にも及ぶ歩行術の研究をほんの数分で崩せるなど、私も考えてはいない。だが……」

「だが?」


 ストリングスは上がっている自らの呼吸を悟られぬよう、出来るだけ素早く返答を返す。

 リリィはゆっくりと呼吸を整えると、言葉を続けた。


「だが。例え何百、何千と避けられようとも、私は貴様を、絶対に許さん。地の果てまでも追いかけて、忌まわしいその両足、切断してくれる!」

「ふっ……フフッ、執念深い、方だ……」


 リリィの鬼神のようなその眼光に背筋が凍り、ストリングスは、うまく声を出すことができない。

 乱れた呼吸を整えることもできず、ストリングスはただひたすらに、口を動かした。


「くふっ。しかしあなたのその動き……人間離れしている。その足音、咆哮、そしてその角から察するに……あなたは竜族だ。そうでしょう?」

「―――っ!」

「えっ?」


 デクスはストリングスの言葉が理解できず、突然現れた竜族という単語を頭の中で反芻する。

 竜族といえば、かつての種族戦争時最も人間を忌み嫌い、敵対した種族。

 今では山奥等の僻地に集落を作り、暮らしているという噂だったが、人間に対する差別意識が非常に強く、自種族の情報を外に出さないため、ほとんど集落の外には出ないと聞いている。

 それ故に竜族と出会ったことのある人間はそのほとんどが、種族戦争時代を生き抜いた老人か、山奥へ出かけた冒険者くらいのものである。

 もっとも出会った人間のほとんどは、竜族に殺されているわけだが……


「そんな……ありえませんわ。いえ、でも―――」


 しかし、自分はついさっき、確かにリリィの口から、竜の咆哮を聞いた。

 そして目の前のリリィの頭には、竜族の証たる角が、黒く輝いている。

 それらの事実は全て、リリィが竜族であることを示していた。

 デクスはリリィの大きな背中を見ながら、思案を巡らせる。


『確かに、リリィさんの正体が竜族である可能性は高い。でも今はもっと、大事な事がありますわ』


 デクスは頭の中で結論を出し、どこかスッキリとした様子でリリィの背中を見つめていた。

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