第239話:鮮血
恵みの森からの帰路で、ヴァンはハルバードを肩に担ぎながらプロキアに向かって歩いている。
そのハルバードはヴァンの身長より大きく、振り回すにはかなりの腕力を必要とするだろう。
リースはそんなハルバードを見上げると、ぽかんと口を開きながら言葉を発した。
「すごい大きさ……ヴァンさん、力持ちなんだねぇ」
見るからに重そうなハルバードを見たリースは、ヴァンに向かって言葉を紡ぐ。
そんなリースの言葉を受けたヴァンは、にっこりと微笑みながら返事を返した。
「ふふっ、そうでもないさ。竜族なら皆、これくらいは振り回せるよ」
「そっかぁ……やっぱり、凄いんだなぁ」
リースは腕を組んでむむむと考え込み、その様子をヴァンは微笑みながら見つめる。
そうしてしばらく歩いていると、段々プロキアの姿が遠目に見えてきた。
「あっ、プロキアが見えてきたね。早く皆にモンスターを討伐したって教えてあげなきゃ」
リースは遠目に見えたプロキアに向かって駆け出し、嬉しそうに笑顔を浮かべる。
しかしそんなリースを、リリィは背後から呼び止めた。
「待て、リース! 何か様子がおかしい!」
「えっ?」
リースはリリィの言葉の意味がわからず、振り向きながら小さく首を傾げる。
そのままリリィはさらに目をこらし、プロキアの街の様子を見つめた。
「あの、煙は……? まずい!」
「あ、ちょっと! リリィさん!?」
リリィは何かに気付いた様子で駆け出し、猛スピードでプロキアに向かって進んでいく。
一行はそんなリリィを追いかけ、同じく急ぎ足でプロキアに向かって駆け出した。
「これ、は……」
「一体何が……」
プロキアに到着したリリィはその惨状を見て、小さく震えながら言葉を落とす。
隣に立っていたリースもカタカタと震えながら、強く鞄の紐を握り締めた。
美しかったプロキアの街はその面影すら残っておらず、目の前には建物の残骸と、血と肉が燃える匂いだけが充満している。
崩れた残骸には血痕が多く残っているが、中には鮮血も含まれており、まだ暖かさを感じることができる。
そんな血の残骸を見渡したリリィは、倒れている男の子を見つけ、その胸の鼓動が微かに動いているのを感じ取った。
「あ、あ……」
「っ! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
わずかに息が残っている男の子に近づいてその身体を抱え、賢明に声をかけるリリィ。
しかし男の子は間もなく息を引き取り、リリィの両手には鮮血だけが残された。
「なに、が……一体何が、あった? 何があったんだ! くそおお!」
リリィは悔しそうに地面を殴り、声を荒げる。
そんなリリィの後ろに立っていたアニキは宿屋の方角からも煙が昇っていることに気付き、両目を見開いた。
「あそこは……くそっ!」
アニキの脳裏に、リールとリルルの笑顔が思い出される。
気付けばアニキは、宿屋に向かって駆け出していた。
「ふざけんな。ふざけんなよ……!」
アニキは両手を握り込み、驚異的なスピードで宿屋に向かって駆け出していく。
そうしてしばらく走ったその先に待っていたのは―――無残に命を落とした、リールとリルルの遺体だった。
「……!」
アニキは声を発することもできず、その遺体にふらふらと近づいていく。
リールはリルルを庇うように覆いかぶさっているが、そんな二人を貫く形で、竜の紋章が刻印された剣が突き刺さっている。
「団長! あの二人は……!?」
アニキを追いかけてきたリリィは二人の遺体を目にし、驚愕にその目を見開く。
そんなリリィの声を聞いたアニキは、拳を握りながら言葉を返した。
「守れ、なかった。俺が守るって言ったのによ。言ったばっかなのに、こんな簡単に、壊されちまった……!」
「団長……」
アニキは拳に力を込めながら折れんばかりに歯を食いしばり、今はもう物言わぬ二人の遺体を真っ直ぐに見つめる。
その両目に涙は流れていなくとも、背中は全てを語っている。
リリィはそんなアニキの心情と二人の無念を想い、悔しそうに目を瞑った。
そしてそんなリリィに―――暖かな声が響く。
「そろそろいいかな? リリィ。僕と一緒に城に行こう」
「え……?」
当然のように言葉を紡いでくるヴァンに対し、信じられないものを見るような目を向けるリリィ。
しかしヴァンはそんなリリィの瞳の意味するところが理解できず、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい、リリィ。国が一つ滅びただけじゃないか。そんなことより、僕達の未来の話をしようよ」
ヴァンは穏やかな笑顔でその両手を左右に広げ、リリィに向かって言葉を続ける。
そんなヴァンの言葉を受けたリリィは、半狂乱になりながら返事をぶつけた。
「なに、を……何を言っているんだ、ヴァン! これだけの人が殺されたんだぞ!?」
リリィは右手を勢い良く右に振り抜き、ヴァンに向かって声を荒げる。
そんなリリィの言葉を聞いたヴァンは、肩を竦めてやれやれと顔を横に振り、やがて返事を返した。
「ニンゲンがいくら殺されたところで、僕らにはどうでもいい……いや、むしろ良い兆候じゃないか。一体どうしたというんだい?」
「なっ……」
リリィはヴァンの発言が信じられず、ワナワナと震えながら目を見開く。
そのまま言葉をぶつけようとリリィが口を開いた瞬間、近くに立っていたアニキが声を発した。
「ヴァン、とか言ったな。こいつは、お前ら竜族がやったのか?」
アニキはストレートな質問をヴァンにぶつけ、静かにその拳に力を宿らせる。
ヴァンは小さく息を吐きながら、面倒くさそうに返事を返した。
「ああ、まあ、そうだろうね。今回僕達の任務はリリィの迎えもあるけど、竜族騎士団の力試しもかねてたんだ。まあ力試しなら、プロキアの騎士団を潰せればよかったんだけど……少し、勢いが余ってしまったのかもね」
アニキに向かって返事を返すと、ヴァンはさらに「はははっ」と笑い声を続ける。
そんなヴァンの言葉を受けたアニキはさらに拳に力を込め、言葉を落とした。
「勢いが余った、だと? ただそれだけで、殺されたって言いたいのか、てめえは……!」
アニキは奥歯を噛み締め、背中に炎の翼を精製する。
そんなアニキの様子を見たヴァンは、両手を左右に広げながら言葉を続けた。
「だから、そう言っているだろう? そんなニンゲン二人、どうでもいいじゃないか。というか、竜族以外なんて最初から生きる価値もないけどね。あははははっ!」
ヴァンは大口を開けて笑いながら、傍に倒れていた人間の遺体を踏みにじる。
そんなヴァンの行動を横目で見たアニキはその目を見開き、一瞬意識を手放した。
怒りのあまり朦朧とする意識。その中で、リールとリルルの笑顔が浮かんでは消えていく。
この国を愛していた、普通の老人だった。
孫を愛し、世界を愛し、人を愛した気持ちの良い男だった。
祖父を尊敬し、その意思を継ぐことに微塵の疑問も抱いていない、宝石のような女の子だった。
その笑顔は花咲くように可憐で、穢れを知らない。この世でこれより美しいものなどないと、確信させてくれる。暖かい笑顔。
しかしもう―――彼らは、笑わない。
リールは最後の最後まで、孫を守った。リルルは最後の最後まで、リールの瞳から目を離さなかった。
もはや動かない遺体からわかるのは、たったそれだけ。
たった―――
「てめえはあああああああああああああああああああああああ!?」
突然意識を取り戻したアニキは背中から炎を噴き出してヴァンとの距離を詰め、その右拳を迷い無く振りぬく。
しかしそんなアニキの動きを見たリリィは、咄嗟に声を荒げた。
「っ!? やめろ、団長!」
しかしリリィの声は届かず、アニキの右拳はどんどんヴァンに向かって近づいていく。
ヴァンは自身に向かって突き出された拳を見るとつまらなそうに息を落とし、二本の指でそれを受け止めた。
「……っ!?」
アニキの拳の衝撃はヴァンを突き抜け、背後にあった残骸を一つ残らず山の向こうまで吹き飛ばしていく。
そんなアニキの拳撃を受けたヴァンは、さらに小さく息を落としながら言葉を紡いだ。
「ニンゲンにしては強いが……それでも、足りないな」
「ぐっ……!?」
ヴァンは受け止めた拳を握り締めて自身の方に引っ張り込むと、そのまま膝蹴りをアニキの腹部に叩き込む。
鈍い衝撃を受けたアニキは一瞬意識を手放し、その場に屈みこんだ。
「まあいい。王がどうなったかも気になるし、僕は王城に向かうとしよう。リリィ、待っているからね」
ヴァンはにっこりと微笑むと片手を挙げ、そのまま城に向かって歩いていく。
リリィはそんなヴァンに返事を返すことなく、アニキに向かって駆け寄っていた。