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第23話:正体

「ストリングス卿。私からも一つ、質問させてもらえないだろうか」


 リリィはペンを持ったまま立ち上がり、ストリングスへと向き直る。

 ストリングスはしばらく呆然としていたが、やがて言葉を返した。


「えっ。ええ、どうぞ。私に答えられることなら……」


 射抜くようなリリィの視線にストリングスは動揺し、一瞬視線を泳がせる。

 その様子を見たリリィは、間髪入れずに言葉を続けた。


「先ほど、研究のためにこの部屋を砂地にしていると言っていたが……実は私は先ほどから、この部屋には何かが足りないと、違和感を感じていたのだ」

「違和感?」


 頭に疑問符を浮かべるストリングスをよそに、リリィは自らの足に触れ、

 確かめるように数歩砂地の上を歩く。

 足防具によって刻まれた砂はその形をハッキリと残し、足跡は部屋の入り口から、今のリリィの位置まで続いていた。


「その違和感の正体―――それは、“足跡”だ。……デクス、地面を良く見てみるがいい」

「えっ……? あっ!?」

「…………」


 デクスが慌てて地面へと視線を落とし、周囲を確認すると、確かにそこにあるはずのものが足りない。

 背筋に走る悪寒を押さえつけながら、デクスは言葉を返した。


「ありま、せんわ。ストリングス卿の足跡が、どこにも……」


 今立っているその場所に、自分の足跡は刻まれている。

 リリィが立っている周囲にも、くっきりとした足跡が存在する。

 しかし―――ストリングスの周りにだけ、それがない。

 もちろん歩行術の研究者なのだから、それくらいは出来て当然なのかもしれない。

 しかし問題は、そこではなく……


「そう。ストリングス卿の肩書きを思えば、この事態は不思議ではない。だがそもそも、“何故そんなことをする必要があるのか?”ということだ」

「…………」


 リリィはデクスへと言葉を紡ぎ、デクスはリリィの瞳を見つめ返す。

 ストリングスは両腕を組み、考えるように数歩歩くと、リリィへ言葉を返した。


「フフッ。いや、申し訳ない。実はついさっきまで、私自身の体で、砂漠での歩行術を研究していたのです。足跡を付けずに歩く歩行術なのですが……どうやら、癖になってしまったようです」


 ストリングスは余裕の表情で頭を横に振り、リリィの瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。

 リリィはそんなストリングスの言葉に反応を示さず、言葉を続けた。


「何故、そんなことをする必要があるのか……? その答えは簡単。“この部屋に自分がいたという痕跡を残したくない”ただそれだけだ」

「―――っ!」


 自分の言葉を無視したリリィに憤慨したのか、それとも核心を突かれたのか……ストリングスは両目を見開き、初めて動揺の色を見せる。

 しかし深い呼吸を繰り返しながら少しずれてしまったネクタイを直し、ストリングスは落ち着いた様子で、言葉を返した。


「フフッ。それではまるで、昨今の行方不明事件の犯人が私で、その事実に気づいた貴方達を、私が消そうとしている……と、そういう風に聞こえますね」


 ストリングスは“そんなことありえない”とでも言いたげに、少し呆れた様子で言葉を紡ぐ。

 デクスは持っていたファイルを抱きしめると、ストリングスへと言葉を返した。


「あ、いえ、ストリングス卿。何もあなたを疑っているという訳ではありませんの。ただ―――」

「ただ、あと一点……これだけはどうしても聞いておきたいことがある。答えてもらえるか? ストリングス殿」

「っ!? り、リリィさん!」


 自分の言葉に被せ、さらに質問しようとするリリィを驚いた表情で見つめるデクス。

 リリィは構わず、言葉を続けた。


「この研究室。見たところこの部屋と、奥の茶室しか無いようだが……たった二部屋しか、貴公は借りていないのか?」


 リリィは鋭い目付きでストリングスを睨みつけ、剣の柄に手をかける。

 ストリングスはそんなリリィの手の動きを目で追いつつ、相変わらず柔らかな笑みを浮かべて言葉を返した。


「ええ。もちろん、その通りです。私の研究に、それほど沢山の部屋は必要ありませんので」


 余裕の表情で、リリィの質問に答えるストリングス。

 その様子を見たデクスは歩く速度を上げ、リリィまであと一歩の距離まで迫っていた。


「―――そうか、よくわかった。なら……っ!」

「っ!?」


 デクスが瞬きをした、その刹那―――リリィはその場から短く跳躍し、一瞬にしてストリングスとの距離を詰める。

 ストリングスはため息を吐きながら横へと足を運び、一瞬にしてリリィの跳躍から逃れた。


「はああああああああ!」


 自らの進行方向にストリングスはいないにも関わらず、リリィは空中で抜刀し、剣を構える。

 そして―――


「なっ!?」

「…………」


 部屋の壁に、深々と剣を突き立てた。

 剣の突き刺さった壁にはヒビが走り、やがて装飾に彩られた壁面は瓦礫へと姿を変える。

 そんな壁の向こうに、隠されていたのは―――


「これ、は……!?」


 立ち並んだ巨大なビーカーと、それに入れられている、様々な“足”と“脚”。

 大型モンスター、小型モンスター。昆虫や鳥、そして―――


「人間の、脚!?」


 最も大きなビーカーに敷き詰められた、人間の脚。

 デクスはその巨大ビーカーを見上げ、込み上げてきた吐き気と嫌悪感を、口元を押さえた手の平で封じ込めた。

 天井の高い部屋―――いや、ホールとも呼ぶべきその場所には、そんなビーカーが所狭しと並び、禍々しいオーラを放っている。

 リリィは奥歯を噛み締めると、ストリングスへと向き直った。


「これは一体、どういうことか……説明してもらおうか。ストリングス=ムーンムーン=ウォーカー!」


 鋭く殺気立ったリリィの目に射抜かれたストリングスは、頬に一滴の汗を流し、その視線から逃れることなく言葉を返した。


「フフッ。見事です、リリィさん。さすがハンターの方は、勘が鋭い」


 ストリングスは頬に流れた汗をハンカチで拭うと、ゆっくりとした足取りでホールの中へと歩いていく。

 壊された壁を見つめ、ため息を落とすとリリィへと向き直った。


「勘、だと? 舐めるな、外道が。さっき貴様の足元の砂を見たとき、通常ではありえない変化が起こっていた。それは―――」

「それは、このホールから流れてくる微量の風が、足元の砂を微かに動かしていた、でしょう? もちろんわかっておりますよ、ハンター殿」


 ストリングスは余裕の笑みを浮かべたまま視線を床に落とし、小さく息を落とす。

 挑発的な視線はやがてリリィを射抜き、張り詰めた糸のような緊張感がその場を支配した。


「っ!? そう、だったんですの。リリィさんは、足元の砂を間近で見つめて……」


 デクスは先ほどまでのリリィの姿を思い浮かべ、このホール全体に流れる、微量の風を肌で感じる。

 天井近くに空けられた空気口から流れた風はホール全体を走り、やがて部屋とホールとの間を塞ぐ壁のわずかな隙間から、部屋の地面の砂を揺らす。

 しかしそれは、地面にうつ伏せになり、注意深く砂を見つめても、見つけられるかどうかという微妙な変化のはず。

 一体何故、そんな微妙な変化を、リリィは見抜くことができたのか。

 デクスはリリィの横顔を見つめ、思案に暮れた。


「フフッ。まったく、そんな微妙な砂の変化を見抜くなど、人間技ではありませんね……あ、いや、失礼。最初から貴方は、人間などではありませんでしたね」

「えっ―――?」

「…………」


 ストリングスの言葉に方眉を動かし、反応を示すリリィ。

 部屋に入る前から覚悟していたことではあったが、それでも不安な気持ちは消えない。

 リリィはデクスの方を向き、寂しそうにその瞳を見つめた。


「確かに、その通りだ。だが今は、貴様の正体こそ明かしてもらう。そしてもし私の推測が当たっていれば、その時は―――」

「その時は、その銀の剣で私を貫く……と? フフッ、まあ、それも良いでしょう」


 ストリングスはゆっくりとした足取りでホールの中へと歩みを進め、自らが執筆したであろう一冊の論文を手に取る。

 ストリングスは退屈そうにその本の数ページをめくると、リリィたちへと向き直った。


「これは私が、若かりし頃に書いた論文でね……中身は、そう、はっきり言って“駄文”です。この頃の私は“歩行”というものをまるでわかっていない。ただ目的地に到達するための手段……その程度の認識しか、持っていなかったのです」


 ストリングスは論文をまるでゴミのように地面へ捨てると、そのままビーカーへと歩みを進め、冷たいガラスの表面を、そっと手の平で撫でる。

 その表情は恍惚そのもので、まるでこの世の全ての幸せを手に入れたかのようだ。


「歩くというのはね……ただ、前に進むためのものじゃない。私にとって歩くとは、即ち―――」

「っ!? デクス! 避けろ!」

「えっ!?」


 油断していたデクスの眼前、そこには狂ったような笑みを浮かべたストリングスが、まるで探るようにデクスの瞳の奥を見つめている。

 デクスは反射的に地面へと氷を走らせ、反撃するが……走った氷はストリングスの足の数センチ横に反れ、ストリングス自身にダメージはない。

 ストリングスはその笑みを崩さぬまま、言葉を続けた。


「私にとって“歩く”というのは……“支配する”ということ。私の足に踏みにじられた大地は、即ち私のものとなり、私の一部となる。歩くとはつまり、支配すること。若かりし頃の私は、そんな当たり前のことすら、よくわかっていなかったのですよ」

「くっ、デクス!」


 リリィは一瞬にして立っていたその場から跳躍し、ストリングスの頭へと一閃を浴びせる。

 しかしその刃も、ストリングス自身を捕らえることはできず、空しく宙を切った。


「フフッ。そう、そうなのですよ。あなたたち俗人は、すぐに跳躍だの、走るだの、愚かな行為に走る……そんなものでは、この大地を支配できない。そんなものでは、何も感じられないというのに! 歩かなければ、何もわからないというのに!」


 ストリングスはいつのまにかビーカーの傍まで移動し、両手を広げて声を張り上げる。

 その瞳は相も変わらず純粋な茶の色を守り、曇りひとつ見られない。

 リリィはバランスを崩したデクスを助け起こすと、再びストリングスへと向き直った。


「貴様は、貴様は一体、何を言っている? 気でもふれたのか……!」


 リリィは剣の切っ先をストリングスへと向けて殺気をぶつける。

 ストリングスはそんなリリィに見向きもせず、言葉を続けた。


「そんな真理に気づいてしまった、ある日です。私はもう一つ、大きな発見をした! これで我がウォーカー家の続けてきた歩行術の研究は、ようやく完成する! 何人も追いつけない次元へと、私の研究は昇華される! その発見が、この子たちなのですよ!」


 ストリングスは愛しい我が子を愛でるように、恍惚の表情で人の脚が詰まったビーカーに頬を擦り付ける。

 デクスは背筋にうすら寒い何かを感じ、数歩後ずさる。

 リリィは奥歯を噛み締め、その様子から目を離さない。

 ストリングスは大きなため息を落とすと、ビーカーに付いてしまった指紋を拭き取り、向き直った。


「現代の医学では、人の記憶は全て脳にあるとされている。いや、“信じている”と、そう言った方が良い。だがそれは違う。違うんですよ……!」


 ストリングスは乱れてしまった髪を片手で強引に戻し、両目を見開いてリリィを見つめる。

 やがて自分自身の脚を大事そうに摩ると、言葉を続けた。


「人の記憶はね、その“脚”にも、確かに刻まれているのですよ。そこを流れる血液に、筋繊維の一本一本に、その脚の持ち主の記憶は刻まれている……いや、“経験”が刻まれていると、そう言い換えても良いでしょう」


 ストリングスは自らの両足を、まるでわが子のように撫で摩りながら、言葉を続ける。

 リリィは奥歯を噛み締め、体の内の衝動を押さえつけながら続きを待った。


「だから、だから私はね……“欲しい”と、そう思った! 優秀とされる騎士の脚が! 美しいとされる貴婦人の脚が! 世界最強と謳われた剣士の脚が! だってそうでしょう!? 彼らの脚を奪えば、その経験は私のものとなる! そして私はもっと、高みへと昇っていけるのだから!」


 ストリングスは両手を広げ、再び自らの空想と妄想をぶちまける。

 その表情に先ほどまでの余裕はなく、あるのはただ、“狂気”だけ。

 焦点の合っていないその瞳に、濁りも、陰りも、何も見えなかった。


「―――馬鹿な。この男、完全に狂っている……!」


 リリィは鋭い眼光でストリングスを睨みつけ、剣の柄を握る手に力を込める。

 デクスはファイルの束を抱きしめ、呆然とその姿を見つめていた。


「フフッ。狂っているとは、心外です。ならばもう、現物を見てください。私の数十年に渡る研究の成果を、その目でね!」


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