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第22話:研究室へ

 リリィは真剣な眼差しで廊下の先を見つめ、建物の2階から伸びている渡り廊下で歩みを進める。

 隣を歩いていたデクスはズレた眼鏡を指先で押し上げると、言葉を紡いだ。


「もうすぐストリングス卿の研究室ですわ。今の時間彼はそこにいるはずです」

「そうか、わかった。出来ることなら犯人でないことを祈るばかりだが……こればかりは、神に祈る他あるまい」


 リリィは小さくため息を落として軽く頭を横に振るが、歩くスピードは少しも変わっていない。

 その瞳の奥にはアニキと同じ光が宿り、平静を装ってはいるものの体の内側には、確かな炎が宿っているように思えた。


「そうですわね。あの馬鹿団長が考えた作戦も、やらずに済めばそれに越したことはないですもの」


 デクスはガラス張りの天井から空を見上げ、赤髪の男の笑顔を思い出す。

 憎らしそうに眉間に皴を寄せると、デクスはため息を吐きながらその頭を横に振った。


「ああ、その通りだ。しかしさっきからこう、落ち着かないな……」


 リリィは廊下の窓ガラス越しに外を見つめ、いつもより遙かに高い自らの視界に困惑する。

 地続きの場所をずっと旅してきたリリィにとって、地面から離れた場所を歩いているというのは、なんとも不可思議な感覚だった。


「それは、仕方ないですわ。彼の研究室は、当図書館の二階にあるのですから。……もっとも、他の研究員は皆一階に研究室を持っているわけですから、確かに特例ではあるのですけれど」


 デクスは少し苦笑いを浮かべながら、落ち着かない様子のリリィを見つめる。

 窓ガラスの多い渡り廊下を歩いていると、まるで自分が空中を歩いているような、そんな錯覚すら覚えてくる。


「しかし、贅沢な話だな。この世界図書館に出入りを許されただけでなく専用の研究室を、それも2階部分に作らせるとは……」


 リリィは眉間に皴を寄せて廊下の先を見つめ、もうじき到着するであろうストリングス卿の研究室を想像する。

 デクスは小脇に抱えたファイルから資料を取り出すと、すばやく全体に目を通した。


「ストリングスは代々歩行術の研究を進め、各国の軍隊や諜報機関から多額の支援金を貰っているようです。彼が今貴族の地位にいるのも、言ってしまえばお金の力が大きいですわ。もっとも、各国の諜報機関に協力しているわけですから、その分敵も多いのですけれど……」


 だからこそこれからの事情聴取は、慎重に慎重を重ねなければならない。

 それは言葉で伝えなくとも、リリィならばすでに考えているだろう。


「む……どうやら、空中散歩も終わりのようだな」

「ええ。ストリングス卿の研究室です。いよいよですわね」


 リリィとデクスは足を止めて目の前に聳え立つ、大きな扉を見つめる。

 一流の職人が丹精こめて作った美しい装飾はその扉を一枚のカンバスに見立て、見事な芸術作品を作り出している。


「では、行くとしよう。くれぐれも焦らぬよう。しかし―――」

「しかし注意は怠らず、ですわね。ではいきますわ……」


 デクスはその白く細い手の平を返し、その重厚な扉を、二回ほどノックしようと手を伸ばす。

 しかし―――


「っ!?」

「ひゃうっ……!?」


 目の前の扉はゆっくりと不気味な金属音を鳴らしながら、来訪者を歓迎するように自動的に開き、部屋の中から漏れた光がリリィとデクスを包み込んだ。


「自動で扉が開いた!? 何かの仕掛けか?」


 リリィは警戒心を見せ、剣の柄に手をかける。

 しかし剣を握り閉めたその手を、デクスの手の平がやんわりと包んだ。


「恐らくこれも、彼の研究成果ですわ。ストリングス卿は歩行術だけでなく、多方面の学会にも顔を出しています。彼の著書が世の中に与えた影響も大きい……これくらいで面食らっていては、だめですわよ」


 デクスは眼鏡の下から強い瞳でリリィを射抜き、リリィはその銀の瞳に確かな覚悟を感じ取る。

 やがてリリィは剣の柄から手を離すと、呼吸を整えた。


「すまない、デクス。では、行くとしよう」

「…………」


 二人は互いの顔を見合わせ、一度だけ大きく頷くと―――

 その光の中へと、一歩を踏み出した。






 ストリングス卿の研究室は人口の淡い光に照らされ、その姿を曝け出す。

 古ぼけた専門書は部屋中の本棚に敷き詰められ、歩行術の研究のためか、机には足跡や人間の足を描いた図面のようなものが広げられている。

 部屋の壁、柱に至るまでその全てが上品な輝きを放ち、素材の高級感が伝わってくる。

 ただ一つ、不自然な点を上げるとすれば―――


『この砂地の地面だけか。わざわざ薄く砂を張ってあるようだが、一体なぜ、こんなことを?』


 床板が敷き詰められた廊下と違い、研究室の地面には、薄い砂が敷き詰められていた。

 もしかしたらこれもストリングスの研究の一環なのかもしれない。

 ただしそれ以外は、一般的にイメージされる研究室と何ら変わりは無い。

 リリィはほんの少しだけ肩の力を抜き、安堵のため息を落とした。


「おや、これはこれはデクスさん。私の研究室に、何か御用ですか?」

「っ!? あ、す、ストリングス卿。失礼いたしましたわ。確かに用があったのですけれど、さっきそこの扉が自動的に開いて……」

「ああ、それは私の研究成果です。人の足音を感知し、歯車を使って自動的に開く仕組みなのですが、扉の前を人が通るだけで勝手に開いてしまって……フフ、出来の悪い研究でお恥ずかしい」


 ストリングスは頭を下げながら、上品な笑みで謙遜する。

 あれほど大きな扉が人の手を借りずに開くのだから、自慢して良いほどの技術だが、それでも彼にとってあの仕掛けは欠陥品らしい。


「おっと、失礼。そちらはどなたでしょうか? 先日シリルと一緒にいた方とお見受けしますが……」


 ストリングスは柔らかな笑みを浮かべ、リリィを見つめる。

 その茶色の瞳に濁りは無く、まるで少年のような純粋さを持っていた。


「あ、ああ、失礼。私の名は、リリィ。ダブルエッジ所属のハンターだが、今はここの臨時職員として雇われている」


 リリィは一瞬フードを取るべきかとも考えたが、もし仮に頭の角がバレてしまっては事情聴取どころではない。

 ここはどうにか、誤魔化す他ないだろう。


「重ね重ね申し訳ないが……先日のモンスターとの戦いで、頭を負傷している。このフードを取ることはできないが、了承頂きたい」


 それを聞いたストリングスは目を見開き、驚いた表情のまま言葉を返した。


「おお……それはそれは、ハンターのお仕事、ご苦労様です。どうか私の事は気になさらず、そのままで構いませんよ。元々私も、“貴族”と呼ばれるにはあまりに礼儀知らずな男ですので」


 ストリングスはにっこりと微笑み、柔らかな声で言葉を返す。

 リリィは軽く会釈すると、フードの位置を直した。


「ええと……それで、リリィさんとデクスさん。私の研究室に一体何の御用でしょう? 残念ながら私の研究に、お二人が興味を持たれるようなものは無いように思えますが……」


 ストリングスは困ったように眉をハの字に曲げ、やんわりとした口調で言葉を紡ぐ。

 デクスは一度呼吸を整えると、言葉を返した。


「ストリングス卿。あなたの研究は、世の人々に影響を与える、有意義なものだとわたくしは考えていますわ。ただ……今日のわたくしたちの目的は、貴方の研究とは別のところにあるのです」


 デクスは乱れそうになる呼吸を懸命に整えながら、一つ一つの単語をしっかりと租借し、いつも通りの声色を守る。

 そんなデクスの様子を見たリリィは、マントの下で剣の柄に手をかけながら、半歩デクスへと近づいた。


「フフッ、私のようなつまらない研究員に御用とは興味深いですね。私に出来ることであれば何でも協力しましょう。……ああ、まずは奥の茶室で、紅茶でもいかがです? 良い茶葉を知り合いの商人から譲ってもらったところですので」


 ストリングスはゆっくりとした仕草で奥の茶室を手の平で指し示すと、柔らかな笑みを浮かべる。

 その落ち着いた仕草と立ち振る舞いは、これまでリリィが出会ったどの貴族とも違い、洗練された“優雅さ”を感じた。


「あ、いや、お茶は結構ですわ。それほど時間を取るような用事ではありませんし……」


 デクスは両手を横に振り、ストリングスからの誘いを断る。


「わたくしたちは、そう、話を聞きに来たのですわ。半年前に起きた……あの、シリルが襲われた事件について」

「…………」


 デクスの言葉を聞いた瞬間、ストリングスの表情は一瞬の曇りを見せてその眉間に皴を寄せる。

 リリィは雰囲気の変わったストリングスに警戒心を強めながらも、殺気を表に出さぬよう心を平静に保った。


「あの事件、ですか……あれは私の人生の中でも、最も忌むべき出来事でした。私は彼女と……シリルと初めて会った時運命を感じたのです。世界図書館に行くに当たって、連れて行くべき助手は彼女しかいない、と」


 ストリングスは机の上に散らばっていた書類をまとめると、本棚の中へと整理しつつ言葉を紡ぐ。

 その表情は苦々しく、先ほどまでの余裕は欠片も感じられなかった。


「ですが、シリルをここに連れてきたことで、あの忌まわしい事件に巻き込んでしまった。彼女の全てを奪ったのは、私なのかもしれません……」


 書類を仕舞い終えたストリングスは俯き、砂の敷かれた床板を見つめる。


「ストリングス卿。そんなに、ご自分を責めないで下さい。わたくしたちはただ、ここ最近行方不明者が多発している原因を調べるため、あなたにお話を聞こうとしただけですわ。半年前の事件……犯人は未だ捕まっていませんが、何か知っている事があれば教えて欲しいんですの」

「行方不明者が、多発? それは物騒ですね。私が有益な情報を持っていれば良いのですが、あいにく心当たりはありません……」


 ストリングスは曲げた指を顎の下に当て、過去を思い出すように瞳を閉じる。

 協力的なその態度に、怪しげな気配など欠片も感じられず、むしろ“善意”だけがストリングスの仕草から感じ取れる。

 デクスは肩の力を抜くと、数歩ストリングスへと近づき言葉を続けた。


「ええ。まだ公に発表してはいませんが、行方不明者が多いのは事実ですわ。無論警備隊にも協力を要請するつもりですが、まずは内輪で調査しておくべきかと」

「確かに、賢明です。警備隊がこの図書館に来るとなれば、調査のせいでせっかくの静かな空間が壊されてしまうことも有りうる。まずは内輪で解決を試みるべきでしょう」


 ストリングスは真剣な表情でデクスを見つめ、言葉を返す。

 先ほどまでと違った少し強気な態度に、リリィはどこか違和感を感じていた。


『ストリングス卿。どこか、掴めない男だ。下手に出ていたかと思えば、不必要な場面でガラリと雰囲気が変わる…………変わり者で不安定な気質なのだと言われれば説明もつくだろうが―――』


 リリィはどこか腑に落ちない様子で、ストリングスの研究室の中を歩き回る。

 書類ひとつ本棚ひとつも見落とさず、注意深く観察するが、これといって怪しげなものは無い。

 ストリングス卿自身の態度も言動も、際立って不自然な部分は見当たらない。

 だが―――


『だが、何だ? この違和感は。ストリングス卿と会ってからずっと……言いようの無い違和感が、私の頭を支配している』


 引っかかる“何か”を、ストリングス卿は持っていた。

 リリィはそれが何かわからないまま部屋の中を歩き、観察する。

 それを見かねたデクスはズレた眼鏡を直し、リリィへと向き直った。


「リリィさん。あまり人の部屋をウロウロするのは関心しませんわね。確かにこの部屋は珍しいものも多いでしょうけれど……」


 デクスは注意しつつも今一度部屋の中を見渡し、ひとつひとつの物に注目する。

 しかしそこには書類や本、歩行術の試験用の器具など特に不可思議なものは見当たらない。

 しかしデクスの心にも、ある種の違和感が生まれていた。


『おかしい。この部屋には、決定的な何かが足らない。あるはずのものが無いような。そんな、感覚が……』


 いつのまにかデクスも部屋の中を見渡し始め、ストリングス卿は疑問符を浮かべながらその様子を見つめる。

 やがて自身を顧みたデクスは、慌ててストリングスへと向き直った。


「あっ。も、申し訳ありません、ストリングス卿。わたくしったら、とんだ失礼を……」


 デクスは引きつった笑みを浮かべ、両手を左右に振る。

 ストリングスは柔らかに微笑むと、優しげな声色で返事を返した。


「フフッ。構いませんよ。もっともお二人に楽しんでいただけるような物は、この部屋には無いと思いますが……」


 ストリングスは欠片の動揺も見せず、部屋の奥の本棚へと歩みを進める。

 やがて本棚の一番上の段から一冊の本を取り出すと、パラパラとページをめくり始めた。


「ふむ。半年前の私の日記を確認してみたのですが、やはり調査に有益な情報は無いようです。お役に立てず、申し訳ない」


 ストリングスは困ったように笑いながら、日記を本棚に戻そうと手を伸ばす。

 部屋の中を歩いていたリリィはいつのまにか、ストリングスのすぐ近くまで歩みを進めていた。


「いいえ、ストリングス卿。あなたが謝ることではありませんわ。こうなればわたくしとリリィさんで調査を続行……あっ!?」

「???」


 デクスはストリングス卿から目を離し、何かを追いかけるように地面へとその視線を流していく。

 ストリングス卿の日記に挟まっていた一本のペンが地面へと落ち、微量の砂埃を立てる。

 その様子を横目で見ていたリリィは即座に二人に近づくと、ペンを拾おうとその場に屈みこんだ。


「ああ、いや、申し訳ない。どうもおっちょこちょいなもので……」


 ストリングスは申し訳なさそうに頬を掻き、地面に屈んでペンを拾おうとするリリィへと言葉を紡ぐ。

 デクスは特に不思議に思うことも無く、その様子を見守っていた。


「っ!?」


 その場に屈んだリリィは一瞬息を飲み、静止した状態で地面を見つめる。

 その様子にただならぬ気配を感じたデクスは、咄嗟にストリングスへと話しかけた。


「ストリングス卿。今更ではありますが、この部屋に敷き詰められた砂は一体……?」


 何故かずっと屈んだままのリリィをフォローする意味もあったが、デクスは入室したときから頂いていた疑問をストリングスへぶつけた。


「ああ、これは私の歩行術の研究のためです。今は砂地での歩行術を見直しておりましてね……外の広場を借りてもよかったのですが、私の研究は集中力を要するもので」


 ストリングスは柔らかく微笑み、デクスの言葉に返答する。

 デクスはそんなストリングスの言葉に相槌を打ちつつ、視界の隅で屈んだままのリリィへと視線を送った。

 リリィはペンを拾ったその状態から動かず、ただ一点を見つめている。

 そして、その視線の先には―――

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