第227話:石の涙
『そん、な。レンが。レンの姿が……』
リリィは震える顔でレンの立っていた地面を見つめ、ポロポロと涙を流す。
元々レンが立っていたその場所には巨大な焦げ後だけが残り、レンの姿はどこにもない。
その様子から全てを察したリリィは悔しさに喉の奥を焼きながら、涙だけをただ流し続けた。
『なんてことだ。私のためにレンが、レンが……!』
リリィはもはや震えることも出来ない身体を抱えながら、ただ真っ直ぐにレンの立っていた地面を見つめる。
しかしメデューサはそんなリリィに構うことなくその身体を動かし、石化しているリリィへと体当たりを行った。
『シャアアアアアアアアアアアア!』
迫り来るメデューサの蛇の巨体と、立ちこめる死の匂い。
リースは奥歯を噛み締めて風を集め、自身の身体をリリィに向かって進めるが、現在地から推測するとメデューサの体当たりを阻止できないのは明らかだ。
その事実はリースが一番よく理解しており、届かないその右手をリースはリリィに向かって伸ばした。
「リリィさん。リリィさああああああああああああん!」
リースは賢明に右手を伸ばすが、その手はリリィに届かない。
そうしている間にメデューサの巨体はリリィに向かって真っ直ぐに進み、そして―――
「……騒がないでください、リース。折角成功したのに、失敗したような気分になる」
『っ!?』
そしてメデューサの巨体は、一人の青年によってその侵攻を止められた。
金髪のその青年は前髪を後ろに流しており、鋭く黄色い瞳でメデューサを睨みつけている。
右手と右足はそれぞれ黒い鎧のような鋼に変貌しており、右手は体当たりしてきたメデューサの巨体をしっかりと押さえていた。
「レン!? よかった、無事だったんだね!」
「当然です。君に出来て、僕に出来ないはずはない」
青年の身体になったレンは鋭い目線でメデューサを睨みつけながら、リースに向かって言葉を紡ぐ。
やがてメデューサが自身の身体を押さえているレンに気付き、その顔を近づけようとした瞬間、それを察したレンは鋼鉄の足で思い切りメデューサを蹴り上げた。
『っ!?』
圧倒的な力によって空中に打ち上げられたメデューサはじたばたと空中で暴れるが、翼を持たぬその身体では動くこともままならない。
最初はそんなメデューサを見上げていたレンだったが、視界の隅にいたリリィの姿を見るとその顔を青ざめさせた。
『あ、あ……』
リリィはもはや思考することもままならず、石化の呪縛はリリィの頭部にまでさしかかろうとしている。
そんなリリィの様子を見たレンは、眉間に皺を寄せながらリースに向かって言葉を発した。
「時間がない。リース! 奴が空中にいる間に仕留めますよ!」
「う、うん! でも、一体どうやって!?」
リースはそのスピードを生かしてレンの傍まで近づくと、金色の髪を風に揺らしながら頭上に打ちあがっているメデューサを見つめる。
そんなリースの言葉を受けたレンは冷静に思考を回転させ、やがて言葉を紡いだ。
「君にはスピードが、そして僕にはパワーがある。なら―――」
「なら、僕がメデューサの身体を沢山切りつけて、傷ついた部分をレンが貫けば、ダメージを与えられるね!」
リースは力強く鋼鉄の手を握り込み、レンに向かって言葉を発する。
そんなリースの言葉を受けたレンは、小さく息を落としながら返事を返した。
「……理解が早くて結構。では、行きますよ!」
「うん!」
レンは一本の雷を空に向かって放つと、その雷に黒い鋼鉄になった足を乗せ、その雷の上を滑るように上空へと移動していく。
一方リースは足元の逆巻く風と両腕から吹き出している突風を利用し、レンと共に空中のメデューサへと近づいていった。
「今です、リース!」
「はぁあああああああああああああああ!」
『グギッ……!?』
リースは風を操って空中を縦横無尽に移動しつつ、何度も何度もメデューサの身体を切りつける。
紫色の鮮血が空中に四散する中、レンは両手の間に雷を精製すると、それを媒体として巨大な槍を創造した。
「せああああああああああああああ!」
レンは大量の雷を空中に精製するとその上を滑るように移動し、リースと同じように空中を縦横無尽に移動しながら、槍による強力な一撃をメデューサの傷めがけて放っていく。
空中でいくつもの攻撃を受けたメデューサは次第にその身体をバラけさせ、空中で四散していった。
『グギャアアアアアアアアアアアア!?』
まるで金切り声のような断末魔を上げ、メデューサはその身体を失っていく。
やがて細切れのようにメデューサが砕かれたのを見たレンは、視線でリースへと合図を送った。
「っ!? よし、今だあああああああああああ!」
そんなレンの合図を受けたリースはその意図を察し、風を操るとバラバラになったメデューサのパーツをリースとレンの丁度中央に集める。
それを見たレンは、片手を空に掲げて頭上に雷雲を急速に精製した。
「くら、えええええええええええええ!」
レンはもはや叫び声すら上げられないメデューサのパーツに向かって、まるで神の怒りのように巨大な雷を落とす。
巨大な雷を受けたメデューサのパーツはやがて焼失し、その様子を見たリースはがっくりと両肩を落とすと、乱れた呼吸を繰り返した。
「はぁっはぁっはぁっ……た、倒し、た……」
リースはがっくりと両肩を落としながら、メデューサの消え去った空間を見つめる。
レンは谷間に精製した雷の上に立ちながら、そんなリースへと返事を返した。
「はぁっはぁっ……確かに倒しました、が。まだ終わりじゃない。リリィさんの石化を、コカトリスの血で、治療しなくては……」
レンはリースと同じようにがっくりと両肩を落とし、持っていた槍を消失させながら言葉を紡ぐ。
そんなレンの言葉を聞いたリースは返事を返しながら、ゆっくりとその意識を手放していった。
「そう、だ。コカトリスの血をリリィさんにあげれば、石化は解除されるは、ず……」
「リース!?」
リースはついにその力を使い果たしたのか、元の姿に戻りながら地面に向かって落下していく。
その両目は閉じられており、明らかに意識を失っている。
レンは急いでリースを助けようとするが、その瞬間自身の意識が薄れていくのを感じた。
「ぐっ!? く、そ。僕も時間切れ、か……!」
レンもまたリースと同じように元の姿に戻り、空中を落下していく。
こうして二人の少年は全身の力を抜き、地面に向かって猛スピードで落下していった。
ぐんぐん加速していく身体は地面へと一直線に向かい、死の香りが立ちこめる。
リリィは石化してもう見えなくなった瞳でその様子を見つめ、そして一滴の涙を流した。
全身が石化してしまったリリィにもはや、思考すらも存在しない。
しかしリリィは、それでも涙を流す。
二人の少年が落下していくのに、自分は何もしてやれない。
今まで一体自分は、何をしてきたのか。一体何のために、修行を積んできたのか。
全ては、この時のためではないのか。大切な誰かを守るため、自分は強くなったのではなかったのか。
そんな想いがリリィの中を駆け巡り、石化したその両目からは次々と涙が溢れていく。
そしてそんなリリィの涙を―――細く白い指が、そっとすくい上げた。
「急いできてみたけれど、なんだか大変なことになってるわねぇ」
セラはコカトリスの血液が大量に付着した大鎌を持ちながら、リリィの瞳から流れる涙を優しく指で拭う。
そしてそのまま大鎌を回転させ、一滴の血液をリリィへと垂らした。
「―――はっ!? はぁっはぁっはぁっ……!」
血液が垂れた瞬間、頭の先からリリィの石化は解除され、リリィは乱れた呼吸を繰り返す。
そんなリリィを見たセラは、のんびりとした声色で言葉を紡いだ。
「おはよう、剣士さぁん。気分はどうかしらぁ?」
「最悪だ! それより二人を助けるぞ!」
「ぁん。相変わらずせっかちねぇ」
リリィは背中の黒い翼を羽ばたかせ、落下するリース達に向かって飛行していく。
セラはため息を落としながらそんなリリィを追いかけ、空中へと飛び立っていった。