第209話:灰の谷へ
「そんなに大声を出さなくても、聞こえてますよ。君はリース=シェルベルムでしょう?」
興奮した様子のリースを睨みながら、レンはため息混じりに返事を返す。
そんなレンの言葉を聞いたリースは、花咲くような笑顔を見せながら言葉を返した。
「わぁ! 僕のこと覚えててくれたんだ! 嬉しいな!」
無邪気なリースの笑顔を見たレンは、気を抜かれたようにため息を落として小さく肩を落とす。
そしてそのまま、言葉を発した。
「相変わらず能天気ですね、リース。気を張っていた僕が馬鹿みたいだ」
「???」
肩を竦めながら言葉を紡ぐレンを、不思議そうに見つめるリース。
レンの言葉の意味はわからなかった。しかしとにかく、リースには聞きたいことが山ほどある。
あれほど創術を自在に操るには、どのような修練を積んでいるのか。
雷術の習得はどうやったのか。雷術の師匠はいるのか。
そして、どうしたらレンのように……強くなれるのか。
強い思いと疑問がリースの中を駆け巡り、上手く言葉にすることができない。
レンはそんなリースに構うことなく、気を取り直して言葉を続けた。
「ともかく、以前言ったように君と僕はライバル。つまり敵同士です。あまり馴れ馴れしくしないでください」
「そんな……」
突き放すようなレンの言葉を聞いたリースは、悲しそうに眉を顰めながら言葉を紡ぐ。
そんなリースの表情を見たレンは少し困ったように眉を顰めるが、奥歯を噛み締めて地面を見つめた。
しばらくリースはレンと同じように地面を見つめて落ち込んでいたが、ある事に気付くと顔を上げて言葉を紡いだ。
「でもレン。僕達は今合同作戦に参加してる。ということは―――」
「ということは、今のところ私達は“仲間”。そう言えるのではないかしらぁ?」
「ひぁっ!?」
セラはリースの言葉を引き継いで最後まで言葉を紡ぐと、細い指でレンの顎に手を当て、俯いていた顔を上に上げる。
そのまま自身の顔をレンに近づけ、その黄色い瞳をじっと見つめた。
「ふぅん……あなた、なかなか良いわぁ。リースほどじゃないけどね」
「なっ……なんですあなたは! 突然失礼な!」
レンは自身の顎に当てられたセラの手を右手で弾き、そっぽを向いて乱れた呼吸を整える。
セラの整った顔と花のような香りはレンの動揺を誘うには充分だったらしく、レンは自身の胸に手を置いて動悸の乱れを落ち着かせた。
「ぁん……乱暴ねぇ。そんなんじゃあの剣士さんと、仲良くなれないわよぉ?」
「お、大きなお世話です! 放っておいてください!」
レンはそっぽを向いたまま腕を組み、怪しい笑顔を浮かべたセラへと言葉をぶつける。
しかしそんなレンの様子に構わず、今度はアスカが突然レンを抱き上げた。
「おおー! レンちゃんか! 久しぶりぃ! 元気してたぁ!?」
「ほわっ!?」
アスカは背後からレンを抱き上げ、そのままぐるぐると回転する。
突然石鹸のような香りに包まれたレンは視界が回っていることにも動揺し、素っ頓狂な声を出していた。
「ふー、回った回った。レンちゃん楽しかった?」
アスカは抱きしめていたレンを開放すると、にっこりと笑いながら質問する。
無邪気なアスカの笑顔をしばらくぽかんと見上げていたレンだったが、やがて意識を取り戻すと声を荒げた。
「たっ、楽しいわけないでしょう! あなたは自由すぎます!」
レンは顔を真っ赤にして怒りをあらわにし、アスカへと怒号をぶつける。
そんなレンの声を受けたアスカは「あちゃー」と声を出していたが、少しも反省の色は見られなかった。
そしてリースはいつのまにかコロコロと変わっているレンの表情に驚き、ぽかんと口を開けていたが……やがて心配そうに眉を顰め、レンへと質問した。
「えっと、レン。なんかごめん。だいじょぶ?」
「っ!?」
リースの心配そうな声を聞き、ようやく自分が動揺していた事実に気付くレン。
しばらく壁の方を向いて赤くなった顔を隠していたレンだったが、やがて大きく深呼吸し、乱れた前髪を手ぐしで整えるとリースに対して身体を向けた。
「大丈夫です。君に心配されるほどヤワじゃありませんよ」
「そ、そっか。……そうだね」
落ち着いた様子のレンを見たリースは、レンの実力を思い出し、少し落ち込んだ表情で返事を返す。
その場を沈黙が支配し、静寂だけが降りてくる。
やがてリースが再び意を決して、強さの秘訣についてレンに質問しようと口を開いた瞬間、ダブルエッジ支部受付の男性の声がその場に響いてきた。
「合同作戦の開始時間だ! 作戦に参加する者は、“灰の谷”へ出発してくれ! あとさっきの姉ちゃん、合同作戦の用紙返せよ!」
「あ、やっべ! リースちゃん用紙用紙!」
名前を書いたまま用紙の返却を忘れていたアスカは、慌ててリースへと手を伸ばす。
リースは「あ、うん!」と返事を返し、持っていた用紙をアスカへと手渡した。
やがて受付へと走っていくアスカを見送ったレンは、踵を返してダブルエッジ支部の出口へと歩き出した。
「……どうやら、合同作戦が開始されるようですね。僕も灰の谷に向かわなくては」
レンは踵を返すとリースに視線を送ることもなく、すたすたと出口に向かって歩いていく。
そんなレンを見たリースは、慌てて言葉を発しながらその背中を追いかけた。
「あ! ま、待ってよレン! 一緒に行こう!?」
慌てて走り出したリースの後ろを、ニコニコと微笑んだセラが歩いていく。
結果的にレン、リース、セラの三人はほぼ同時に出口を出て、ダブルエッジ支部を後にした。
そして受付からそんな三人の様子を見たアスカは、「ちょ、待ってよぉ!」と声を張り上げ、急いで三人の背中を追いかけていった。