第20話:疑惑
「大分、落ち着いたようですわね……」
「…………」
シリルはリリィのマントを握りしめ……こっくりと大きく頷く。
デクスは少し安心したようにため息を落とし、乱れてしまったブランケットを直した。
「あっ。ご、ごめんなさい、わたし、動転しちゃって……」
シリルは恥ずかしそうに俯き、胸の上に両手を置くと頬を赤く染める。
そんなシリルの様子を見たデクスとリリィは顔を見合わせ、クスリと笑った。
「シリル、お前はまだ子どもなのだから、動転するくらい何てことはないぞ」
「そうですわ。うちの職員なんて、あなたの数百倍は動転してますわよ? それも年中ですわ」
デクスはズレた眼鏡を指先で押し上げながらどこか悪戯っぽく微笑み、言葉を紡ぐ。
シリルの脳裏には、いつも怒鳴られている職員たちの声と足音が鮮明に蘇った。
「ぷっ。デクスさん、それはちょっと酷いですよぉ」
シリルはクスクスと笑いながら口元に手を当て、声を抑える。
その様子を見たデクスとリリィは柔らかに微笑み、胸を撫で下ろした。
「ともかく、これで事情は大体わかった。そして次に行くべき場所がどこなのかも、な」
リリィはゆっくりと立ち上がり、夜の空に浮かぶ月を鋭い目付きで睨みつける。
デクスはそんなリリィの様子を見ると、同じように立ち上がった。
「ええ。確かに、そうですわね。この件を解決する鍵を握る人物……いやもしかしたら、彼自身が鍵なのか―――出来ればその可能性は、あってほしくないですわね」
デクスは胸の下で腕を組み、同じように空を見上げる。
シリルはそんな二人の様子に何かを感じたのか、慌てて言葉を紡いだ。
「あ、あの、もしかして……ストリングス様のところに行かれるんですか!? だとしたら、あの、謝ります! さっきわたし、ストリングス様にしか行く先を言わなかったって言いましたが、それはその、本当にたまたまで、普段は誰にでも言っていたんです!」
「シリル……」
あたふたと身振り手振りを交えながら、必死にストリングスの弁護をするシリル。
リリィはその姿を悲しげな瞳で見つめ、言葉を返せずにいた。
「安心なさい、シリル。別にストリングス卿が犯人と思っているわけではありませんわ。ただ半年前の事情を知っていそうな人に、話を聞きに行くだけですもの」
デクスは膝を折り、シリルと同じ視線になりながらゆっくりと言葉を紡ぐ。
その言葉を聞いたシリルは肩を撫で下ろし、柔和な笑みと共に言葉を返した。
「あ、は、はい。よかった……わたしのせいでストリングス様に何かあったら、本当にどうしようかと」
シリルは心底ほっとした様子で息を落とし、胸の前に置いた手をきゅっと握る。
その様子を見ながらリリィはゆっくりと瞳を閉じ、言葉を紡いだ。
「シリル。わたしたちはもう行かねばならない。今日は本を読んでやれないかもしれないが……また明日、今度は2冊読んでやろう」
「っ本当ですか!? わぁぁ、嬉しい……!」
シリルはくすぐったそうに笑いながら、ブランケットを握りしめる。
まるで恋する少女のように頬を赤らめたその姿は、年相応の輝きを放っていた。
「では行きましょう、リリィさん。それと、シリル……すぐに迎えの職員が来ますから、それまで鍵、閉めておきますわね」
「あっ、はい、デクスさん。よろしくお願いします」
シリルはぺこりと頭を下げ、デクスの立ち位置を少しずれた場所に笑顔を向ける。
デクスはそんなシリルの様子に微笑むとヒールを鳴らし、部屋を後にした。
『すまない、シリル。私は一つ、嘘をついてしまった』
「???」
リリィは部屋を出る直前、シリルに向かって振り向くと、目を細めて心の中で謝罪する。
シリルはその雰囲気に首をかしげながらもその正体まではわからず、疑問符を浮かべた。
「あ、あの、リリィさん」
「っ!? どうした……シリル?」
背後から響いた声に一瞬驚きながらもリリィはなんとか平静を保ち、言葉を返す。
シリルは一瞬考えるように俯くがすぐに顔を上げ、言葉を続けた。
「あのっ。ストリングス様に会ったら、伝えてください。“お手伝いできなくて、ごめんなさい”……って。あ、あと、わたし、こんな体になってしまって、ストリングス様の研究を全然お手伝いできてないのに、ここに置いてもらって、ありがとうございます……と」
シリルは心の底からすまなそうな様子で言葉を紡ぎ、恥ずかしそうに俯く。
恩師への感謝の言葉すら直接伝えられない事を恥じているのか、シリルは強くブランケットを握り締める。
その様子を見たリリィは奥歯を強く噛み締めると、できるかぎりゆっくりと言葉を紡いだ。
「……わかった。必ず、伝えよう」
「っ! あ、ありがとうございます! わたしも、もう少し目が見えないのに慣れたら、直接言いにいきますね」
シリルは眉をハの字にして、困ったように笑う。
リリィはそんなシリルの姿を見つめると瞳を閉じ、踵を返して歩き始めた。
そんなシリルを置いたまま重厚な扉は閉じられ、外からデクスは頑丈な鍵をかける。
錠前に閉ざされたドアは頑丈に、確実にその空間を遮断する。
その鍵を閉めたのが自分であることに、デクスは小さく苦笑いを浮かべた。
とにもかくにも、これで少女の命は保障されるだろう。
後は―――
「後は、諸悪の根源を叩くのみだ……!」
リリィは突然その瞳に闘志の炎を宿らせ、強く右手を握りしめる。
その様子を見たデクスは驚き、慌てて口を動かした。
「っ!? 諸悪の根源って……リリィさん、犯人がわかったんですの!? まさか―――」
「ああ。犯人は間違いなく、ストリングス卿だ」
「ま、間違いないって……」
一体どこからそんな自信が出てくるのか。それとも何か、明確な根拠があるのか。
デクスは思ったことを包み隠さず、言葉にした。
「何か、根拠がありそうですわね―――よかったら、聞かせてほしいですわ」
デクスは胸の下で腕を組み、真剣な眼差しでリリィを見つめる。
リリィはそんなデクスの視線を受け取ると、デクスへと向き直り言葉を紡いだ。
「先日シリルに本を読んだ後、ストリングスがシリルを尋ねて来たんだ」
「っ!? それは、初耳ですわね。あの二人は半年前の事件以降、ほとんど会っていないはずですわ」
デクスは口元に手を当て、両目を見開く。
リリィはその時の様子を思い浮かべると、出来る限り落ち着いた口調で言葉を続けた。
「ストリングスに会ったシリルは……どう考えても、異常だった。ストリングスの足音を聞いただけで体が震え、声を出すことすらままならない。そんな状態だ」
リリィは当時のシリルの様子を思い出し、自分が今丁度その場所に立っていることに気付く。
ストリングスが歩いてきていた方角に視線を向けると、眉間に強い力を込めた。
「震えって、まさか……」
「ああ。間違いなくシリルは、ストリングスに“恐怖”を感じていた。もちろん本人は否定していたが……傍で見ていれば、一目瞭然だ」
リリィは目を細め、透明な天井の先に見える満天の星空を見上げる。
その美しさとは裏腹に、リリィの心の中には、耐え難いほどの軋みが生まれていた。
「そう。なら彼の……ストリングス卿の事情聴取は、ますます必要になりましたわね。もっとも、相手はシリルの保護者……そうめったな動きは取れませんわよ?」
明確な証拠がなければ逮捕できないし、早とちりなどもっての他だ。
まして相手は貴族。疑ってかかった上に冤罪などということになれば、自分たちだけでなく、ストリングスにとって不利な証言をしたシリルにも危害が及ぶだろう。
「ああ。もちろんわかっている。私とて、シリルの泣き顔は見たくないからな……」
リリィは苦虫を噛み潰したような顔で、真っ暗な廊下の先を見つめる。
“貴族”などという人間の作り出したくだらない仕組みの中とはいえ、シリルも、デクスも、今は自分自身ですらその中で生きているのだ。
ならばその法に従わねばならない。
「では早速、参りましょう。ストリングス卿については、道すがらお話しますわ。後は―――」
「わりぃがその話、最初から話してくんねーか? 俺にゃあよく、事情が飲み込めねえんでな」
「っ!? あなた……いつのまにそんなところに!?」
「…………」
廊下の角の向こうから赤い髪が揺れ、こちらへと近づいてくる。
リリィは大きくため息を吐くと、ぶつけるように言葉を吐いた。
「誰かいると思えば、やはり馬鹿団長か。できれば、知ってほしくはないのだがな」
リリィはやれやれと頭を振り、目の前の赤髪を見つめる。
アニキはそんなリリィの視線に悪びれる様子も無く、言葉を続けた。
「この間俺達が会った、スチリングス、だっけか? あの野郎、どーもキナくせえんだよ。あいつの事知ってんなら、今ここで話しな」
アニキは両腕を組み、デクスに向かって悪戯な笑みを見せる。
その屈託のない笑顔に、デクスの中であの馬車から見つめた空と青年がフラッシュバックする。
思わず顔を逸らすと、噛まないよう丁寧に返事を返した。
「ハンターの勘、というやつですの? 残念ですがその程度の理由では、お客様の個人情報を教えるわけにはいきませんわね。それと彼の名前は“ストリングス”ですわ」
「―――いや、デクス。どうやらこの男にも、事情を話すべきのようだ。というか我々が
事情を話さなくても、貴様は勝手について来る。だろう?」
リリィは呆れたように肩を落とし、アニキを軽く睨みつける。
アニキは満足そうに笑うと、言葉を返した。
「おうよ! あったりめえだろが! てめえよくわかってんじゃねーか!」
「「はあ……」」
屈託のないアニキの表情に、再びため息を落とすリリィとデクス。
やがてリリィは、これまでの事情とシリルの過去について簡潔に説明した。
「……と、いうわけで、シリルの一件について、今はストリングスの証言をとっておきたいのだ。とはいえ―――彼が怪しいというのは、私も貴様と同意見だが」
リリィはあくまで話をしに行くだけだということを強調しつつ、アニキへ状況を説明する。
リリィの話を聞いていたアニキは終始無言で口を挟むことも無く、黙って耳を傾けていた。
しかし話が進むにつれ深い赤色だった髪は次第に鮮やかな赤へと変わり、背中には逆巻く炎が走りはじめる。
それはどんな言葉や表情よりも雄弁に、アニキの心情を表していた。
「そうか。やっぱあのガキ、野郎の手で両目も両足も、失っちまったんだな。そうか。そうかよ……」
アニキは瞳の奥に一瞬影を落とし、整備された床を見つめる。
しかし瞬きをした次の瞬間にはその瞳の奥に紅蓮の炎を宿し、荒々しい羽の様な炎が、背中を駆け上がった。
「上等っ! 上等だぜあの野郎。喧嘩するにゃあ充分過ぎる理由だ!」
アニキは炎を纏った拳を廊下の壁へ突き出し、その後には焼け焦げ崩れ落ちた壁が残る。
その様子を見たデクスは、弾かれたように声を上げた。
「あっ、あなた、話を聞いていなかったんですの!? 彼はあくまで重要参考人であって、加害者かどうかはまだわからないんですのよ!?」
デクスは壊されてしまった壁を横目に見ながら、ぶつけるように言葉を紡ぐ。
アニキは暗闇に閉ざされた廊下の奥を真っ直ぐに見つめながら、迷い無く言葉を返した。
「俺の勘が、あの野郎を悪だと言ってんだ。とりあえずぶっ飛ばして、後の事はそれから考える!」
「ああ、もう……っ!」
一点の曇りも無く言ってのけるアニキに対し、頭を抱えて地団太を踏むデクス。
リリィは頭をかきながらため息を落とすと、アニキに対して言葉を紡いだ。
「正直に言ってしまえば、私も貴様の言わんとすることはわかる。確かに彼は、うまく口では説明できないが“危険”だ。これも結局は、私の勘だがな」
リリィは腕を組み、やんわりとアニキの意見を肯定する。
アニキは悪戯に笑うと、言葉を重ねた。
「だろ!? やっぱあの野郎一発のしてから話聞きゃいーじゃねえか!」
アニキは勢いよく手の平に自らの拳を打ち付け、その間から火花を飛び散らせる。
ちっとも話を聞かない目の前の男に立腹しているのか、デクスは頬を膨らませ、まるで破裂するように言葉を浴びせた。
「だから、のしちゃダメですわ! もし仮にストリングス郷が犯人だったとしても、余罪の追求だって必要なんですのよ!?」
デクスは頬を膨らませ、赤くなった頬でアニキを睨む。
アニキはその様子にたじろぎながらも、かろうじて返事を返した。
「お、おう。わかってんよ。でももし野郎が逃げようとしたら捕まえなきゃなんねえし、勢い余って数メートルぶっ飛ばしちまうこともありうるだろ?」
「一体どういう状況ですのそれは……さっぱり理解できませんわ」
デクスは強くなっていく頭痛を感じ、伸ばした指先をこめかみに当てる。
眼鏡に乗っていた銀の髪は、その手に触れてはらりと落ちた。
「それに捕まえると言っても簡単にいくかどうか。ストリングス郷は、ただの学者や貴族の計りでは計れませんわ」
「それは……どういうことだ?」
リリィは難しい顔をしているデクスに対し、疑問符を浮かべながら質問をぶつける。
デクスはゆっくりとした口調で、語り始めた。
「ストリングス=ムーンムーン=ウォーカー。彼の生まれたウォーカー家は、種族戦争時代よりもっと以前……それこそ貴族制度が生まれた頃から、たった一つの研究に人生の全てをかけてきたのですわ。彼の先祖も彼自身も、それは例外じゃない」
デクスは太古の昔から変わらぬ夜空を見上げ、どこか不安そうに言葉を紡ぐ。
リリィは出来るだけいつも通りの声色で、続きを促した。
「それは随分と長い歴史の研究だな。それでウォーカー家とは、一体何の研究をしてきた家系なんだ?」
「―――口で説明するより見てもらったほうが早いですわね……」
デクスは視線を夜空から外し、数歩前へと歩みを進める。
突然のデクスの行動に疑問符を浮かべるリリィに対して向き直ると、少しだけ呼吸を整えた。
「「???」」
アニキとリリィは事態が呑み込めず、ただ目の前のデクスを見つめる。
デクスは自分とリリィとの間の距離を目測で確認すると、足先を見つめながら、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「っ!?」
デクスはゆっくりと歩みを進め、リリィに向かって近づいていく。
リリィは両目を見開き、その様子を見つめる。それは隣に立っていたアニキも例外ではなく、その場を完全に、静寂が支配していた。