第205話:高級料理を食べよう
「ねぇリリィっち~、機嫌直してよぉ。ほら、このお肉美味しいよ?」
クロックオーシャンの高級宿屋にあるレストランで、アスカは猫撫で声を発しながら、フォークに突き刺したステーキ肉をリリィへと差し出す。
芳醇な肉の香りに一瞬怒りが緩みそうになるリリィだったが、やがて胸の下で腕を組みながらそっぽを向いてしまった。
「あのなアスカ。今我々の所持金は宿賃を抜けばゼロになんだぞ? それを肉ひとつで機嫌を直せなど、無理な話だ」
リリィは怒りながら言葉を返し、その眉間に力を込める。
そんなリリィを見たアスカは困ったように笑いながら、身体をリリィの顔の向いている方へと移動させた。
「だから、ごめんって~。なんとかするからさ、今は夕飯食べよう? 食事代は宿賃にも含まれてるんだから、食べなきゃ勿体ないって!」
「ぐっ。それはまあ、そうだが……」
もっともなアスカの言葉に声を詰まらせ、表情を歪ませるリリィ。
その瞬間アスカはフォークで刺したステーキ肉をリリィの口へと放り込んだ。
「隙ありゃあ! どう!? 美味いっしょ!?」
リリィの口へと上手くステーキ肉を放り込んだアスカは、キラキラとした瞳をしながら言葉を紡ぐ。
そんあアスカの表情を横目に見ながら、リリィは口の中の肉を咀嚼した。
「ほ、ほんはもほへ、わはひほひへんははおはんほ……」
(こ、こんなもので、私の機嫌は直らんぞ……)
「いやぁ。そんなニコニコしながら食べてちゃ説得力ないよ、リリィっち」
よほどステーキが美味しかったのか、リリィは思わず笑顔になりながら言葉にならない声を発する。
それを指摘したアスカの言葉を聞いたリリィは、ステーキを飲み込むと真剣な表情に戻った。
「ば、馬鹿を言うな! 誰が笑顔になどなるものか!」
「いやいや、完全に笑ってたよぉ? 実際めちゃ美味しかったっしょ?」
「それは……っ、まあ、美味しかった、けど」
リリィは少し頬を膨らませ、悔しそうに言葉を紡ぐ。
素直なリリィの言葉を聞いたアスカは、再び嬉しそうにステーキをリリィの口へと運んだ。
「でしょでしょ!? 食べ放題だからどんどんいこう! ほらほら!」
「むぐっ!? い、いひなひふひへひへふは!」
アスカにステーキ肉を放り込まれたリリィは口の中を肉汁でいっぱいにしながら、しっかりと肉を頬張る。
頑張って食べているリリィが可愛らしいのか、アスカは調子に乗ってどんどん料理を詰め込んでいった。
「ありゃ……リリィさん凄いね。もう三人前は食べてるんじゃない?」
リースはぽかんと口を開きながらその様子を見つめ、行儀良く食事をしていた手が止まる。
そんなリースを見たセラはいつのまにか隣の席に移動すると、テーブルに肘をついて妖しい笑顔を浮かべた。
「ねぇ、私達も同じ事しましょうか」
「……えっ?」
リースはセラの言葉の意味がわからず、不思議そうに首を傾げる。
そんなリースを満足げに見つめたセラは、海草で作られたサラダをフォークで突き刺し、それをリースの口へと近づけた。
「はいリース。あーん♪」
「えっ!? えっ!?」
楽しそうにフォークを差し出すセラと、困惑した様子のリース。
しかしセラはそんなリースに構わず、さらにフォークを突き出した。
「あーん♪」
「あ、あーん……むぐむぐ」
リースは困惑しながらもセラから放たれる無言のプレッシャーに押され、サラダを一口頬張る。
そんなリースの口からフォークを抜いたセラは、満足そうに微笑みながら言葉を紡いだ。
「リース。美味しかったぁ?」
「う、うん……美味しかったよ」
リースはいまだに困惑しながらも、こくこくと頷いて返事を返す。
そんなリースの返事を聞いたセラは、嬉しそうに微笑んだ。
「あ、そうだ! お返しに僕も食べさせてあげるよ! はいセラさん、あーんして!」
「……え?」
リースは無邪気に笑いながらテーブルの上にあったパンを一口分ちぎり、セラの口元へと差し出す。
突然の事態にセラは目を白黒させながら、かろうじて返事を返した。
「え、えっと、私はいいわぁ? それよりリースがもっと食べれば―――」
「そんな事言わないで、食べてみてよ! このパンすっごく美味しかったよ!?」
リースは相変わらず無邪気に笑いながら、セラの口元に向けてパンを差し出す。
周囲にいる客達はいつのまにかセラとリースを微笑ましく見つめており、二人は明らかに視線を集めている。
これだけ目立つ外見をしていれば当然だが、大量の視線を受けているセラの頭は沸騰寸前だった。
できれば今すぐに逃げ出したい。しかし、リースのこの純粋な笑顔を見ているとそれもできない。
やがてセラは顔を真っ赤にしながら俯くと、しばらく沈黙した。
「…………」
「あれ、セラさん? パンは嫌だったかな……」
俯いてしまったセラを見たリースは、困ったように眉を顰める。
その表情から笑顔が消えたのを見たセラは意を決して顔を上げ、控えめに口を開いた。
「あ、あーん……」
セラはまるで餌を待つひな鳥のように、背中の羽を伸ばしながら開いた口をリースへと突き出す。
赤く色づいた唇はどこか扇情的で、周囲の男性客からはざわめきが起きていたが……リースは欠片もそのことを気にせず、丁寧な手つきでパンをセラの口へと運んだ。
「はい、あーん♪」
「むぐっ……むぐむぐ」
パンを頬張ったセラはそれを咀嚼しながら、自分自身の行動をかえりみる。
そうして冷静に自分の行動を見直したセラは、あらためてその頬を赤く染めていった。
やがて耳まで赤く染まったのを見たリースはさすがに不思議に思ったのか、首を傾げながらセラへと質問した。
「あれ、セラさん顔赤くない? 気のせいかな」
「っ!?」
リースに顔の赤さを指摘されたセラは目を見開いて膝を抱えると、自身の翼を使ってその体を覆い隠す。
突然視界に白の羽のカーテンを引かれたリースは驚きながら「なにごとっ!?」と声を荒げた。
「え、ちょ、セラさん。どうしたの!? 具合悪いの!?」
リースは心配そうに眉を顰めると、セラの翼を掴んでがくがくと揺さぶる。
翼の中に包まれたセラは真っ赤な顔を抱えた膝に押し当てながら、小さな声で「勘弁してぇ……」と呟いていた。
一方同じテーブルに座っていたアニキはそんなセラとリリィを見ることも無く、一心不乱に肉だけを食らっていく。
その勢いにキッチンは大忙しで、ウェイターですら乾いた笑いを浮かべていた。
「むぐむぐ……何してんだあいつら? 食わなきゃもったいねえだろうが」
「おっしゃる通りです、マスター。しかしマスターの場合、少々食べ過ぎかと思われます」
既に七人前以上の肉を食らっているアニキに対し、冷静なツッコミを入れるイクサ。
しかしアニキは一行にその手を止めず、手元の皿を空にするとウェイターに向かって声を張り上げた。
「お、肉無くなっちまった。おおい兄ちゃん、肉追加な! あと酒もくれや!」
「は、はいぃ……」
ウェイターは滝のような汗を流すが、最高級の部屋に宿泊している客に文句を言うこともできず、急ぎ足でキッチンへと駆け込んでいく。
その後キッチンからは料理長らしき男性の「また追加だぁ!? どういう珍獣が客にいるんだコラァ!」という罵声がホールにまで響いてきた。
「あっはっは! 珍獣たぁおもしれえな。結構楽しい店じゃねえか」
アニキはテーブルに残ったサラダを口の中にかきこみながら、豪快な笑い声を響かせる。
恐らくアニキは、その珍獣が自分自身のことを指しているとは欠片も思っていないのだろう。
そんなアニキを見たイクサは、小さくため息を落とした。
「リリィ様の苦労、今なら少しだけ分かる気がします」
「???」
珍しくため息を落としたイクサを不思議に思いながら、次々と皿を空にしていくアニキ。
イクサはそんなアニキを見つめながら、再び大きなため息を落としていた。