第199話:リースの決心
水の流れる音だけが耳の中に響き、流れる水の中から微かに見える景色は、すぐにその色を変えていく。
川の急流に流されているリースは、セラを強く抱き寄せながら周囲の状況を把握しようと賢明にその目を開いていた。
『このままじゃ、だめだ。なんとか、なんとかしなきゃ……!』
遅かれ速かれ、自分もセラと同様その意識を失うだろう。
そうなってしまえば、助かる可能性はほぼゼロに近くなる。
それだけはダメだ。今この手の中にある命を、そんなに簡単に見捨てちゃいけない。
リースには大人ほどの経験もなければ、膨大な体力があるわけでもない。
しかしそれでも、今自分がすべきことはわかっている。
だからリースは必死に水の中で目を細め、助かるための糸口を探していた。
『っ!? あそこ、岩が集まってる。もしかしたら掴めるかもしれない……!』
リースは考えるより早く視界に入った岩に手を伸ばし、力を振り絞ってセラの身体を水面へと押し上げる。
その後岩の上に自身の身体を上げたリースは、乱れた呼吸を整えながら周囲を見回した。
なんとか川から上がったとはいえ、危険が去ったわけではない。
この岩場とて、水かさが増せば川の底と大差ないのだ。
『っ!? やった……洞窟だ。洞窟がある!』
キョロキョロと見回したリースの視界の隅に、小さな穴が崖に空いているのが見える。
リースは最後の力を振り絞ってセラを抱き上げると、器用に岩場の上を渡って洞窟へと近づいていった。
『あきらめ、ない。あきらめる、もんか……!』
リースは奥歯を噛み締めながら、岩場の上を進んでいく。
やがて洞窟に到着したリースは身体を大の字にして横たわり、乱れた呼吸を繰り返した。
水に濡れた服は体力を奪うが、川に流されているよりはずっとマシだ。
次第に呼吸が整ったリースは、ゆっくりと身体を起こし、隣に倒れているセラの口元に手をかざす。
その手に呼吸らしき風が触れていることを感じ取ると、リースは安心した様子でため息を落とした。
安心しきったリースはがっくりとその場に座り込み、無機質な洞窟の天井を見上げる。
その脳裏には崖に落ちる寸前に見えたリリィの表情がチラつき、リースは眉を顰めながら言葉を落とした。
「―――ごめん、リリィさん」
リースは洞窟の冷たい壁に背中を預けながら、自分に手を伸ばしたリリィの悲しそうな表情を思い出す。
やがてリースは自分の小さな手を胸の前まで持ち上げると、その手をじっと見つめた。
「…………」
宿屋でアニキと交わした会話を思い出し、リースは小さく息を落とす。
どこか頼りない自身の小さな手を見つめたリースの脳裏には、真剣なアニキの言葉が繰り返し再生されていた。
『何が正しいかなんて、考えたってわからねぇさ。まして、他人に決めてもらうもんでもねえ。問題はおめぇが何をしたいか、何をすべきだと思ってるかだ』
「―――僕が今、何をすべきと思ってるか……か」
リースは自身の頼りない両手を見つめながら、どこか不安そうに眉を顰める。
しかしその視界の隅で弱弱しく身体を震わせているセラを見つけ、リースは真剣な表情でその姿を見つめる。
水に濡れた金髪は身体に張り付き、横向きに倒れた身体は小さく震える。
それはまるで、廃墟にひとり残された子どものようで。
リースは眉間に力を込めると、自身のその小さな両手を握り締めた。
「セラさんは確かに、リリィさんを殺そうとした悪い人だ。でも僕は今、セラさんを助けるべき立場にいる。いや……僕はセラさんを、助けたいんだ」
リースは何かを決心した様子で、自身の肩にかかった鞄の中からチョークを取り出し、洞窟の地面に練成陣を描いていく。
その瞳にはもう、迷いは見えず。
いつからか洞窟の中には、鮮やかな創術の光が輝いていた。