第194話:走れ!
ワームサイドの宿屋の一室で、リリィはゆっくりとその目を開く。
すると目の前にぱちぱちと瞬きする青い目があることに気付き、リリィは思わず掛け布団を抱きしめて声を荒げた。
「ひゃぃ!? り、リースか!?」
「あ! リリィさん起きたんだ!」
どうやらリリィの顔をタオルで拭っていたらしく、リースは近距離で太陽のような笑顔を見せる。
リリィがその上半身を起こすと、それに合わせてリースは身体を引き、ベッド横の椅子に腰掛けた。
「その様子では、どうやら無事のようだな。よかった……」
元気なリースの姿を見たリリィは、にっこりと微笑みながら言葉を紡ぐ。
そんなリリィの言葉を受けたリースは、困ったように笑いながら返事を返した。
「それは僕のセリフだよぉ。もうずっと起きないんじゃないかって心配だったんだから」
でも、起きてくれてよかった! と言葉を続け、悪戯な笑顔を浮かべるリース。
そんなリースの笑顔を見たリリィは微笑みを返しながら、窓の外へゆっくりと視線を移した。
「そうか……私は、随分と眠っていたのだな」
外から差し込んできた日の光に目を細め、リリィは小さく言葉を落とす。
そんなリリィの言葉を受けたリースは俯きながら、呟くように言葉を発した。
「―――ごめんね、リリィさん。僕が無力だったから、リリィさんに負担をかけちゃった」
リースはリリィの顔を拭っていたタオルを握り締めながら、床を見つめて言葉を落とす。
そんなリースの言葉を聞き取ったリリィは、リースの頭に手を乗せながら返事を返した。
「気にするな。リースは今できることを全部やったんだから、胸を張るといい」
「えっ……」
リリィの言葉を受けたリースは、驚いた様子でぽかんとその口を開ける。
そんなリースの表情を見たリリィは、不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうかしたか?」
リリィは首を傾げ、リースに向かって質問する。
リースは慌てて両手を横に振ると、やがて返事を返した。
「あ、ううん。アニキさんもリリィさんと同じこと言ってくれたな……って」
「あいつが、私と同じ事を? ……そうか。ふふっ」
リリィはなんだか可笑しくなって、口元に手を当てながら小さく笑う。
そんなリリィの姿を見たリースは頭に疑問符を浮かべながら首を傾げ、言葉を紡いだ。
「なんかリリィさん、雰囲気変わったね。ちょっと柔らかくなったというか……そんな感じ」
「そうか? 自分ではわからないが……変わったと言えば、そうかもしれないな」
リリィは自身の中の黒い衝動、黒き竜と和解したことを思い出し、窓の外の青空を見上げる。
穏やかなリリィの姿を見たリースは安心したように息をつき、さらに言葉を続けた。
「でも、本当によかったよ。大鎌に刺された時は本当に、死んじゃったかと思ってたから」
リースは嬉しそうに笑いながら、リリィに向かって言葉を発する。
しかしそんなリースの言葉を聞いた瞬間、リリィの中にセラのイメージが復活し、その両目を見開かせた。
「そうか……そうだったな。リース、あの女はここにやってきたか?」
リリィは険しい表情を浮かべながら、リースに向かって質問する。
質問を受けたリースはここ数日のことを思い出し、リリィに向かって返事を返した。
「ううん、来てないと思うよ。誰かしらリリィさんの傍にいたから、間違いない」
「そうか……なら、行かねばならんな」
「えっ!?」
リリィは突然ベッドから降り、足防具とガントレットを身に付ける。
やがてマントに全身を包んだ頃、リースはようやく現状を理解して声を荒げた。
「ちょ、ちょっと待ってリリィさん! そんな身体でどこに行くの!?」
リースはその身体を使ってリリィを止め、言葉を発する。
しかしリリィはそんなリースを一瞬でかわすといつのまにかドアの前に立ち、そして言葉を続けた。
「すまない、リース。だが奴は恐らく、私を狙って来た刺客だ。ならば私自身が決着をつけねばならない」
リリィはいつのまにか剣をその腰に装着し、マントを一度大きく広げると、ドアを開いて宿屋の外に駆け出していく。
そんなリリィを呆然としながら見送ったリースだったが、やがて正気を取り戻してその背中を追いかけた。
慌てて自身の鞄を肩にかけたリースは、遠くに消えたリリィの背中を追いかける。
走り去った方角を考えると、リリィはあの時セラと出合った崖に向かっているのだろう。
このまま放っておけばリリィは再びセラと出会い、そして殺しあうことになる。
リースはぶんぶんと顔を横に振ると、その両足に力を込めて走り出した。
「セラさんにどう接するべきか、僕の中でまだ答えは出てない。でもリリィさんはセラさんを殺したら、きっと後悔する……!」
あんな寂しい眼をした人を、リリィさんは殺しちゃいけない。
リリィさんはきっと気付く、あの人の瞳の奥にある寂しさに。
そうしたら、殺した後できっと後悔する。そしてその後悔は、いつまでも消えることはない。
リースはそんな最悪のシナリオを思い浮かべながら、細い両足に力を込めて賢明に街を走りぬける。
いつのまにかリリィの背中が見えなくなってもリースはその足を止めることはなく、あの時の崖に向かって真っ直ぐに街道を走っていった。