第191話:死闘の後
港町ワームサイドに続く街道の上を、リースがゆっくりとした歩調で歩いていく。
その背中にはリリィが担がれ、リースは両足に力を込めて一歩ずつワームサイドに向かって進んでいた。
普段から鍛えているとはいえ、リースの筋力でリリィの身体を運ぶのはそもそも無理がある。
重い防具は道具袋に入れたので魔術機構の働きによって重さは感じないが、それでもリリィの長身を考えると、リース一人で抱えていくのは無茶である。
しかし無理は承知でリースはリリィの身体を背中で支え、引き摺りながらも街を目指していた。
「ぜったい、あきらめない。ふたりで帰るんだ……!」
リースは小さく言葉を落としながら歯を食いしばり、遠くに見える街を目指してその足を一歩ずつ前に進める。
セラとリリィの激闘を森の中に隠れて見上げていたリースは、リリィがどれほど無理をして戦い、そして倒れたのか理解している。
クレーターの中央で意識を失ったリリィにどれほどリースが呼びかけても、その意識が戻ることはなかった。
胸の鼓動は聞き取ることができたが、それもなんだか弱弱しい。
今リリィを助けることができるのは、自分しかいない。
それに何より“生きて欲しい”という強い願いが、重くなるリースの身体を動かしていた。
「はぁっはぁっはぁっはぁっはあっ……」
リースの乱れた呼吸音だけが、広い平原の風に乗って流れていく。
ワームサイドの姿はまだ遠く、リースは自身の意識も次第に薄れていくのを感じた。
「くっ……だめ。気を失っちゃ、だめだ……!」
リースは口の端を犬歯で強く噛み締め、その痛みによってかろうじて意識を保つ。
口の端からは血が流れ、整備された街道には赤い跡が点々と続く。
しかしリースの体力もやがて限界を迎え、リースは浮遊感と共にその意識を手放していった。
『ごめん。リリィ、さん……』
リースは自身の力不足を心の底から悔いながら、ゆっくりとその意識を手放していく。
やがて帰りの遅いリリィを心配したアスカ達が、倒れたリースとリリィを発見するのは、すっかり日が暮れてからのことだった。
「まさかこの馬鹿が、ここまでやられる相手がいるとはな……」
ワームサイドの宿屋の一室。リリィが横になっているベッドの横で、アニキは腕を組みながら不機嫌そうに言葉を落とす。
リリィのベッド横で座っているアスカは涙を下瞼に溜めながら、そんなアニキを見上げて返事を返した。
「アニキっち、どぉしよう。リリィっち大丈夫かな」
今にも泣き出しそうな瞳で見上げてくるアスカの言葉を受け、アニキは小さくため息を落とす。
やがて壁の方を向きながら、アニキは言葉を続けた。
「心配いらねぇよ。その馬鹿が、簡単に死ぬタマか」
アニキは相変わらず不機嫌そうに腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言葉を落とす。
そんなアニキの真意を汲み取ったアスカは手の甲で涙を拭き、そして頷いた。
現在リリィとリースはひとつの部屋のベッドで眠り、イクサが呼んできた医師に診てもらっている。
イクサは部屋の隅に立ちながら、二人の様子を見ている医師の姿をじっと見つめていた。
やがてリリィとリースを診ていた医師は身体を起こし、アニキ達へと身体を向ける。
医師は小さく微笑みながら、言葉を発した。
「お子さんの方はだいぶ疲れているようですが、しばらくすれば目を覚ますでしょう。お母さんの方はかなり衰弱していますが……幸い応急処置を早くできたおかげで、大事には至っていません。じき目を覚ますと思いますよ」
医師はゆっくりとした口調で言葉を紡ぎ、その言葉を聞いた一行は大きく安堵のため息を落とす。
アニキは両腕を組んだまま、そんな医師へと返事を返した。
「まあ、その二人は母子じゃねえんだが……とりあえず、ありがとな。後は俺達が介抱しても問題ねぇんだろ?」
「そうですね。応急処置は済みましたし、後はゆっくり静養させてあげてください」
医師はにっこりと微笑みながら、アニキの質問に回答する。
そんな医師の言葉を聞いたイクサは、割り込む形で言葉を発した。
「先生、ありがとうございました。夜も遅いですので、ご自宅までお送りします」
「ああ、いやいや。お嬢さんに送って頂くわけにはいきませんよ。お代はいつでも良いですから、何かあれば呼んでくださいね」
医師は人のよさそうな笑顔を浮かべ、そのまま部屋を後にする。
イクサはそんな医師に深々と頭を下げながら、ドアが閉まるまでその頭を下げ続けていた。
「さて……後は俺達がこいつら二人をきっちり守ってやるだけ、だな」
アニキは部屋の壁に背を預けながら腕を組み、眠っている二人を見つめながら言葉を紡ぐ。
アスカは安心した様子でにっこりと微笑むと、そんなアニキへ返事を返した。
「だね。野良モンスターや盗賊にリリィっちがやられるなんて考えられないし、そうなると“誰か”にやられた……って考えるのが自然だもん」
「問題はその“誰か”が不明という点ですが―――今はまず、お二人の回復を待つべきと思われます」
アスカの言葉を聞いたイクサは淡々とした調子ながらも、心なしか安心した様子で言葉を発する。
そんなイクサの微妙な感情に気付いたアスカは、微笑みながら頷いた。
『しかし、この馬鹿を倒すほどの相手、か……』
アニキは無言で窓の外に見える街の夜景を瞳に映しながら、その拳に力を込める。
暖かな風は二人の眠る部屋の窓を微かに揺らし、街の穏やかな光は二人を包み込むように輝いていた。