第186話:出会いの先
「下がっていろ、リース。この女……ただ者ではない」
「えっ!?」
セラの瞳に魅入っていたリースはリリィの低い声で覚醒し、その黒い背中を見上げる。
リリィはセラの背中に生えた翼と少し細めの脚を見つめ、小さく呟いた。
「ウォーレン(有翼族)か。私も実際に会ったのは初めてだ……」
リリィはセラが敵かどうかの判断がつかず、剣の柄に手を置いたままジリジリと距離を測りつつ言葉を紡ぐ。
そんなリリィの言葉を聞いたセラは、控えめにぱちぱちと拍手を送りながら楽しそうに返事を返した。
「ふふっ、せいかぁい。私の名前はセラ=ウォーレン=ハイウィンド。剣士さんの言う通り、ウォーレンよぉ」
セラはリースに向かって「女神様じゃなくてごめんねぇ」と小さく謝りながら、妖しい笑顔を浮かべる。
そんなセラと目が合ったリースはドクンと心臓が跳ねるのを感じ、鞄の紐を強く握った。
「ウォーレンは天空に住み、滅多に地上には現れない。出会えることも稀な種族のはずだが、何故こんなところに……?」
リリィは正体不明のプレッシャーを感じながら、ゆっくりとセラに向かって質問する。
最初にセラを見た瞬間から、リリィは正体不明のプレッシャーと微かな血の匂いを感じていた。
もっともそれは竜族であるリリィだからわかるレベルであり、一般的な種族ではまず気付かないだろう。
セラは警戒するリリィと視線を合わせると、小さく息を落とした。
「あら……あなただって珍しい種族じゃなぁい? 竜族の剣士、さん♪」
「っ!?」
セラは突然リリィの背後に出現し、優しい手つきでリリィの頭のフードを下ろす。
角があらわになったリリィは、その事実よりも簡単に背後をとられたことに驚愕した。
「くっ……何をする!」
リリィは振り向きざまに抜刀して背後に立つセラを切りつけるが、気付けばセラはもとの場所に戻り、空中からリリィ達を見下ろしている。
再び背後を取られたリリィは、驚愕に目を見開きながらセラを見上げた。
「すぐに抜刀するなんて、危ないわぁ。始めまして同士は、もっと慎重にならなきゃダメよぉ?」
「くっ……」
妖しく笑いながら自分を見下ろしているセラを、悔しそうに見返すリリィ。
そんなリリィを楽しそうに見つめていたセラだったが、視界の端にリースがいることに気付くと、すぐにそちらへと視線を向けた。
「でも私としては、あなたの方が興味あるわぁ」
「えっ……」
激しい劣情を宿した視線を、リースへと向けるセラ。
次の瞬間、リースの背後にセラが出現し、その白く細い腕でリースの身体は抱きしめられた。
「ふぁっ!?」
「んん~っ……最っ高。思ったとおり凄くいいわぁ、あなた」
セラは背後からリースを抱きしめ、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
ふわふわとした花の香りと背筋を走るような声に痺れたリースは、驚愕に目を見開いたまま一歩もその場を動けない。
そんなリースを見たリリィは、激昂して眉間に力を込めた。
「貴様……リースから手を離せ!」
リリィは剣の切っ先をセラに向け、驚異的なスピードで距離を詰める。
しかしリリィが一歩目を踏み出したその瞬間、セラはリリィの背後に出現し、再び囁くように言葉を落とした。
「ふふっ。やっぱりあなた、乱暴ねぇ」
「っ!?」
三度も背後を取られたリリィは動揺しながらも、咄嗟に自身の後ろに向かって裏拳を放つ。
しかしその拳がセラをとらえることはなく、気付けばセラは再びもとの場所で翼を羽ばたかせていた。
「くそっ! 一体、何がどうなっている!」
リリィは悔しそうに声を荒げながら、余裕の表情を浮かべているセラを見上げる。
そんなリリィの背中ごしにセラを見つめたリースは、一旦落ち着いて深呼吸を繰り返し、自身の思考を整理した。
『なんだろう、この感じ。あの人からは何ていうか、“邪悪”さを感じない。どちらかと言えば、リリィさんと同じような匂いがする』
実際にリースが、二人の匂いを嗅ぎ分けているわけではない。
しかし今リースの胸の中には、不思議な確信が渦巻いている。
あの人はきっと、悪い人じゃない。
上手く言葉にすることはできないが、リースの中にはそんな確信が腰を下ろし、その身体を動かそうとはしない。
直感とも言えるその確信を信じたリースは、意を決して言葉を紡いだ。
「リリィ、さん。その人って悪い人……なのかな」
リースの中で、確かな確証があるわけではない。
しかし自分の感覚では、どうしても彼女を“悪”だと、“敵”だと判断できない。
リースの言葉を受けたリリィは今一度セラを見直し、そしてあらためて言葉を発した。
「確かに今のところ、あの女から直接的な被害はない。だがあの女からは、血の、血の匂いがするんだ……!」
リリィは背中越しにリースの言葉を聞き、一度冷静になって思考を整理するが、やはり自身の鼻に届く血の匂いは間違いない。
実際に攻撃されたわけではないが、かといって警戒を解くような気分にはなれなかった。
「うーん、僕も上手く言えないけど……その人、そんなに悪い人じゃない気がするんだ。あくまでただの、直感なんだけど」
リースは自信がなさそうに眉を顰めながらも、リリィに向かって言葉を続ける。
そんなリースの言葉を受けたリリィは、再び背中越しに返事を返した。
「しかし、リース。この女は―――」
「ごめんなさぁい、坊や。私……結構悪い人かも」
「えっ……」
突然響いてきたセラの言葉を受けたリースが呆気に取られ、一度瞬きをしたその刹那。
リリィの正面にセラが出現し、いつのまにか手にしていた大鎌で、リリィの首を横に払う。
「っ!?」
突然の出来事にリースは言葉を失い、元々大きな目をさらに見開く。
しかしリリィは咄嗟に身体を屈め、セラの一撃をギリギリのところで回避していた。
「はっ……はあっ。はあっはあっはあっ……」
リリィはリースを抱えながら瞬時にバックステップを踏み、やがてリースを地面に下ろすと、それを庇う形で剣を構える。
セラは余裕のある表情で小さく微笑むと、その青い瞳でじっとリリィを見つめていた。