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第184話:色のない世界

 空には夜の帳が下り、オレンジ色の街灯の暖かな光だけが街を照らし出す。

 港町ワームサイドの一角。レンガ造りの一軒家の窓辺で、セラはその金色の髪と白い翼を広げながら外を見つめている。

 その視線の先では街灯に照らされた黒いマントの剣士が、ゆっくりと街道を歩いていく。

そんな剣士を見つけると、セラは取り出した望遠鏡を通してそれを見つめた。


「ふぅん。あれがターゲット、ね。強そうで嫌になっちゃうわぁ」


 隙のない動作で歩くリリィを見たセラは、面倒くさそうに呟きながらため息を落とす。

 その後リリィが一軒の宿屋に入るのを見送ると、望遠鏡をベッドに投げ捨てて空を見上げた。


「はぁ……もう。渇くわぁ」


 セラは自身の髪を指先で遊びながら、キラキラと輝く星達を見上げる。

 街灯が少ないせいもあり、ワームサイドでは星が良く見える。

 しかしそんな星達の光すら煩わしそうに、セラは視線を下に向けて俯いた。


「あ―――風、良いかも」


 セラの長い髪と白く大きな翼を、緩やかな風が優しく撫でる。

 暖かな風に包まれたセラは自然とその目を閉じ、風に抱かれるような感覚を覚えた。


「本当にこの街は良い風が吹く……わ……」


 セラは窓枠に預けた身体をゆっくりと倒し、すぐ隣にあったベッドへ横たわる。

 星の光は変わらずそんなセラを照らし出し、窓から吹いてくる暖かな風はセラを守るように、その身体を包み込む。

 その暖かさに触れたセラは安心するように息を吐き、ゆっくりとその意識を手放していった。





 色の存在しない、冷たい世界。

 視界にはただ直線と曲線だけがぼやけて存在し、風はおろか空気の存在すら感じない、無機質な世界。

 セラはそんな世界の中を、一人でずっと歩いている。

 誰かいないのか、最初は探し回った。

 しかし、誰もいない。

 何かないのか、最初は探し回った。

 しかし、何もない。

 色の無いその世界を、セラはずっとさ迷い続けている。

 ずっと歩いていると、涙が出てくる。しかしその涙の感触さえも、その頬には感じない。

 視界がずっとぼやけていて、自分の泣き声だけが響いている。

 そんな世界の中でセラは時々、赤い花を見つける。

 美しく輝くその花はセラにとって何よりも眩しく、そして手に入れたい存在だった。

 赤い花にすがりつくように近づき、セラは手の甲で涙を拭ってその花を摘み取る。

 しかし―――


「あ……あっ……!?」


 摘み取った花はすぐにその色を失い、気付けば両手には黒い砂だけが冷たく残る。

 その周りに咲いていた花を見つけるとセラはすがりつくように飛びつき、その花を摘む。

 色とりどりの花。爽やかな香りは無機質な世界の中では唯一の救いで、セラはどうしてもその花が欲しかった。

 でも、手に入れることはできない。

 全ての花々はセラが触れるだけで……いや、酷いときには近づいただけで、その色を失う。

 そうしてセラは再び、色の無い世界に戻される。

 セラは顔を横に振りながら黒い砂の付いた両手で目を覆い、ポロポロと涙を流した。


「い、や……いや。ひとりに、ひとりにしないでぇ……!」


 両手の下に隠されたその瞳から、とめどなく涙が溢れる。

 しかし世界は冷たいまま、セラに救いの手を差し伸べることはない。

 色の無い世界で一人、セラは泣き続けている。

 きっとこれからもずっと、彼女は泣き続けるのだろう。

 その手に希望を手にすることもなく。ずっと……ずっと。






「―――っ!? は、あ。はあっはあっ……」


 セラはベッドの上で目を覚まし、自身の身体がぐっしょりと汗をかいていることに気付く。

 目の端からは一本の涙の線が流れ、自分がずっと泣いていたことを物語る。

 そしてそんなセラを優しく抱き起こすように、窓からの風が彼女を包み込んだ。

 風に吹かれたセラは片手で頭を抱えながらベッドから降り、まるで風に導かれるように、フラフラと窓に向かって歩みを進める。

 風は優しくセラの金色の髪を揺らすが……セラ自身は青い顔で、ずっと俯いていた。


「かわ、く。本当に渇く、わ……」


 セラは自身の身体を抱きしめ、快楽に溺れたくなっている自分自身を必死で抑える。

 背中の翼はそんなセラを包み込むように動き、乱れていたセラの呼吸を次第に整えていく。

 呼吸が整えば、大丈夫。悪夢のことなんて忘れて、いつもの自分に戻れる。

 セラはそう自分に言い聞かせて呼吸を整えると、窓の外に広がる街の風景を見つめる。

 そうして正常に戻ったセラの思考はやるべきことを思い出し、ベッドの横に落ちていた望遠鏡を拾い上げた。


「…………」


 セラは面倒くさそうに息を落としながらも、リリィ達の入っていった宿屋の入り口へ望遠鏡の先を向ける。

 望遠鏡の先では丁度入り口のドアをリリィが開き、外に出かけようとしているようだ。

 そしてそんなリリィに話し掛ける、金髪の少年がひとり。

 リースはいつものように太陽のような笑顔を見せ、金色の髪は光を反射して美しく輝く。

 そしてリースを見た瞬間、セラの身体を何かが貫いた。


「―――ふふっ。あははははっ」


 セラは望遠鏡をベッドへ投げ捨てると、お腹と口元を押さえて笑い出す。

 やがてその笑いが収まると、妖しい笑顔を浮かべながら、遠目に見えるリースを見つめた。


「良いもの、見つけちゃったわぁ♪ ふふふふっ……」


 セラはぞくぞくと背中を駆け上がってくる何かの存在を感じながら、両目を見開いて震えるように微笑む。

 その時自身の身体が汗ばんでいることに気付き、小さく息を落とした。


「ふふっ。でもまずはシャワー……ね」


 セラは余裕のある笑顔を浮かべると部屋のドアを開き、バスルームに向かって歩いていく。

 やがてバスルームからはシャワーの音が響き、美しい歌声が小さく響いていた。

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