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第17話:デクスの決意

「―――よいしょ……っと」

「えっ!?」


 目の前で起きた出来事に、少女は言葉を失い、一点をただ、見つめ続ける。

 紅蓮の炎は十字架の下部を包み込み、解けた鉄が、馬車の床へと滴り落ちる。

 開かれたアニキの手の平には、無残にもその半身を失った十字架が、焦げてしまった鎖と共にその姿を晒していた。


「―――っ!」


 瞬間、破裂音が馬車の中に響き、アニキの頬が少女の手の平と同じ大きさで赤に染まる。

 生まれて初めて人の頬を叩いた少女は、ヒリヒリとする感覚に戸惑いながら、言葉をぶつけた。


「あ、ああああ、あなた、なんてことを!? それは由緒正しい十字架で、私の家が代々―――!?」


 一人称が変わった少女の表情を見返し、アニキは悪戯に笑う。

 悪びれもせず、後悔もせず笑うその表情に少女は次の言葉が出てこなかった。


「わりぃな。俺、馬鹿力だからよ。ちょっと強く掴みすぎちまったぜ」

「なっ!?」


 目の前の出来事を未だ飲み込めていない少女は、アニキの顔をただ見返すことしかできなかった。

 アニキは柔らかく微笑み、言葉を続ける。


「だがよ……これでお前は、“選択”できるぜ。てめえで決めた、てめえ自身の道をな」


 アニキはどこか嬉しそうに笑いながら、悪びれもせず少女へと言葉を送る。

 少女は目を白黒させながら、かろうじて言葉を返した。


「自分自身の、道? あなた、何を言ってますの……?」


 アニキは十字架の炎を四散させ、温度を下げると少女の手の平に十字架を戻す。

 少女は口を開いたまま、十字架には目もくれず、ただ呆然とアニキを見つめた。


「別におめえの母親とか、バアちゃんを否定するつもりはねえよ。ただ俺には……その十字架に、おめえの未来を決めるほどの力があるとはどうしても思えねえんだ」

「???」


 少女はアニキの言葉の意味がわからず、混乱したまま、アニキの迷いのない瞳を見つめる。

 銀色に輝くその瞳に満足したアニキは、微笑んだまま、言葉を続けた。


「最後に一つだけ、聴くぜ。おめえが本当に“好き”なのは、その立派な十字架か? それとも、積み上げてきた伝統か? でなきゃ……ちっぽけなその、薄汚れた本なのかよ?」

「―――っ!?」


 楽しそうに笑いながら紡がれていくアニキの言葉が、少女の小さな小さな胸を貫く。

 少女は息をするのも忘れ、言葉も全て忘れて、アニキの言う薄汚れたちっぽけな本を今一度強く抱きしめる。

 その姿を見たアニキはどこか恥ずかしそうに頭を掻くと、馬車の椅子から立ち上がり、ドアへと手をかけた。


「腕の良い創術士に頼めば、その十字架、すぐに直してくれるだろ。だがよ、おめえ自身の未来は、他の誰にも直せやしない。取り戻せもしない。まだ年端もいかねえガキにゃあ、てめえの未来を選択する権利ってもんがあらぁな」


 アニキはドアノブに手をかけながら、呆然と自分を見上げる少女の銀の瞳を見つめる。

 本を抱きしめたその姿に、もう何も、心配なんていらなかった。


「まっ、後の事は、おめえ次第ってこったな。がむしゃらにやってりゃ、いいことあんだろうぜ」


 アニキは馬車のドアを開き、日の光が馬車の中へと流れ込む。

 少女はその眩しさに一瞬目を細めるが……やがて我に返り、言葉を紡いだ。


「あなた、一体何を言ってますの!? わたくしは由緒正しいシスターの家柄で、わたくしの使命は―――っ!」

「聞いてたよ、ちゃんとな。だから俺ぁ、てめえの中の正義に従ったんだ」

「せい、ぎ……?」


 意味がわからないといった様子で、少女は小首をかしげる。

 アニキは面倒くさそうに頭を掻くと、馬車を降りて体を伸ばした。


「んーっ。まあともかく、てめえは何も心配しねえで、その十字架を親父さんに見せてみろ。その時……てめえ自身が本当はどうしたいのか、答えを出しゃいいだろうぜ」

「わたくしが、どう、したいのか……」


 少女は俯き、手の平の上の十字架と、抱きしめたままの本を交互に見つめる。

 荘厳なその姿を失った十字架には、少女を縛る力はない。

 その小さな胸の中には、確かな火種がくすぶり始めていた。


「もし、その十字架の事でおめえが責められることがあったら……“クロイシスのハンター支部団長にやられた”と、そう言いな。俺ぁ普段からこんなことばっかしてるからよ。きっとおめえの親父も納得するだろうぜ」


 アニキは凝り固まってしまった腰を鳴らしながら、言葉を続ける。

 少女はそんなアニキの言葉を受けると、弾かれたように言葉を返した。


「!? そんな、そんなことを言ったらあなた、どうなるかわかりませんわよ!? いえ……最低でも、牢獄に入れられることは間違いないですわ!」


 少女は本を抱きしめながら、アニキへと言葉を返す。

 その言葉を受けたアニキは振り返ると、つかつかと馬車へと近づき、少女の襟首を掴んだ。


「えっ!? ちょっ、何をす―――!?」


 少女の言葉も空しく、アニキは掴んでいた襟首ごと少女を馬車から引き抜き、空へと放り投げる。

 空中へと放り投げられた少女は、これまで見たこともないほどの青空と、遠くに見えるブックマーカーの町並みを、確かにその瞳に焼き付けた。


「うぉぉぉぉぉ……だあらぁ!!」


 アニキは馬車のドアから飛び出すと右拳を握り締め、高熱の炎で馬車を焼き尽くす。

 後に残ったのは黒焦げになった馬車と、逃げていく2頭の馬の姿。

 やがて浮力を失った少女の体は重力に引っ張られ、アニキの腕の中へと落下した。


「なっ……あ……!?」


 少女は突然の出来事に頭の処理が追いつかず、ぱくぱくと口を動かす。

 アニキはそんな少女をそっと地面へ立たせると、粉砕された馬車を見つめ、満足そうに頷いた。


「うっし。これで俺ぁ、ハンター本部への報告書に“女の子を助けるために馬車ごとモンスターをぶん殴りました。そのとき十字架も溶けました”って書いとくからよ。それで全部解決だろ?」


 アニキは満足そうに笑いながら、見事に粉々になった元・馬車を見つめる。

 少女はようやく意識を取り戻すと、声を荒げた。


「なっ、ばっ、馬鹿じゃありませんの!? そんなわけのわからない報告、一体誰が信じるんです!?」

「おおっ!? 誰が馬鹿だ誰が! いーんだよこれで! 後は力ずくで何とかなんだろ!」


 アニキは腕を組みながら豪快に笑い、迷いのない瞳で少女へと視線を移す。

 少女はばっちりと合ってしまった目を逸らし、混乱する頭を必死に整理した。


「いや、ち、力ずくって。もう、あなたという人がわかりませんわ……」


 少女はふらふらと後ずさり、街道横の岩へ自然と腰掛ける。

 そんな少女の様子を見たアニキは悪戯な笑みを見せ、両腕を組んだ。


「おう! ま、わかんねえだろうな! てめえはガキらしく、細けえことは気にすんな!」

「あなたは気にしなさすぎですわ!? 一体何を壊したのか、本当にわかっていますの!?」


 少女は噛み付くように言葉をぶつけ、目を尖らせる。

 アニキは嬉しそうに微笑むと、両拳同士を打ち付けて言葉を返した。


「へっ。ちゃんとわかってるっつーの。だからこうして馬車ごと吹き飛ばしたんじゃねえか」

「ああもうっ、だからそれでは解決にならないと言っているんです……っ!」


 少女は本を膝の上に置くと、頭を抱えて俯く。

 アニキは小さくため息を落とすと困ったように微笑み、やがて大きな声を張り上げた。


「まっ、あんな十字架くれえたいしたことねえよ。あの十字架が無くても、てめえの母ちゃんやバアちゃんの名誉が傷つくわけじゃねえ。そもそも責められるのは俺一人だからな」

「そんなことわかってますわ! 絶対にやり返してやりますから、覚悟していなさい!」


 少女はいつのまにか涙目になりながらも、力強くアニキを指さす。

 そんな少女の姿を見たアニキは、楽しそうに笑い声を響かせた。


「あっはっはっはっは! あんな十字架壊したくれえでこの俺がビビるかよ! んなことよりおめえは、てめえ自身のこれからを考えな!」

「ぐっ……い、言われるまでもありませんわ! わたくしはわたくし自身の意思で、立派なシスターになって……なってみせます、わ……」


 威勢のよかった少女の声も、後半につれて小さくなり、最後は消え入りそうな大きさで言葉を紡ぐ。

 アニキはため息を落としながら、面倒くさそうに頭を掻いた。


「そーかい。ま、好きにしてくれや。おめえがこれからセレンブレイアに行ってシスターになろうが、故郷に戻ろうが……それとも、ブックマーカーに行こうが、俺にゃあ関係のねえ話だ」

「…………」


 少女はアニキの言葉を受けると、本を抱きしめたまま考え込むように俯く。

 アニキがそんな少女の姿に眉をひそめ、声をかけようと口を開いたその刹那―――


「アニキさぁぁぁぁん! 代わりの運転手さん連れてきましたよ~♪ あとついでに、代わりの馬車も♪」


 小型の馬車に乗ったソフィアが、アニキの元へと戻ってきた。

 ぶんぶんと手を振るその姿に緊張感など欠片も無く、ぽやぽやとした笑顔が夕日に良く映える。

 いつのまにか太陽は傾き始め、夕日の赤く美しい光が街道全体を包み始めていた。


「おっ、ソフィアの奴やっと来やがったか。しかし代わりの馬車まで用意するたぁ、俺の行動読んでやがるのか?」


 アニキはボリボリと頭を掻きながら、能天気なソフィアの笑顔を見つめる。

 やがて少量の砂埃を立てながら馬車は到着し、ソフィアは軽い足取りで馬車を降りた。


「やーやー、ご無事で何よりです、アニキさん。後はこのソフィアにお任せあれ!」

「お、おう。頼んだぜ」


 ソフィアは元から大きな胸をめいっぱい張らせてこぶしを握り、自らの胸をぽよんと叩く。

 街道横の岩に腰掛けていた少女は本と十字架を抱きしめながら、おそるおそるソフィアへと近づいていった。


「おお~♪ この子が馬車の中にいた子ですねぇ? もう大丈夫ですよぉ。この運転手のおじさんに行き先を言えば、安全に目的地まで連れてってくれますからね~」

「あっ、は、はい。わかりましたわ……」


 ソフィアの言葉を受けた少女は、馬車に乗る運転手へと視線を送る。

 屈強な体つきの運転手は、まるで歯ブラシのポスターのような笑顔で親指を立てた。


「あ、そうだアニキさん。この子どこに行く予定だったんですか? 目的地を決めなくちゃなんですけど……」


 ソフィアは馬車とアニキを交互に見つめ、少女の行き先を尋ねる。

 馬車の用意はできるが、目的地がわからなければ出発のしようが無かった。


「あん? そんなこと俺が知るかよ。そのガキに直接聞きゃあいいだろ? ……とりあえず、俺ぁ帰るぜ。もう仕事は済んだからな」

「えっ……」


 アニキは片手を軽く振りながら、クロイシスの方角へと歩みを進めていく。

 少女は少し驚いたような表情で、その後姿を見つめた。


「ええっ!? ちょっ、アニキさん! 歩いて帰るんですかぁ~!?」


 ソフィアの声にも反応を返さず、アニキはただ真っ直ぐにクロイシスへと歩いていく。

 軽く頬を膨らませるとソフィアは膝を折り、少女と視線の高さを合わせた。


「ごめんなさい。私もアニキさんと一緒に街に帰らないといけなくて……1人で大丈夫?」


 ソフィアは心配そうに少女の瞳を見つめ、少女もまた、その瞳を見返す。

 透き通るような水色に移る自分の姿をしばし見つめていた少女は、やがて我に返ったように言葉を返した。


「あっ。は、はい。大丈夫ですわ。目的地はもう……」

「もう?」


 少女は続く言葉が出てこないのか、再び俯き地面を見つめる。

 その様子を見たソフィアは困ったように眉をハの字にし、もう一度アニキを呼ぼうと口を開くが―――


「もう、目的地は決まっていますわ。―――いえ、たった今、わたくし自身が決めたんです」


 力強い少女の声に、ソフィアはその口を閉じた。

 少女は確かな意思の宿った瞳でソフィアを見返し、力強く言葉を紡ぐ。

 そんな少女の姿をアニキは遠くから確認すると、小さく笑って空を仰いだ。


「そ、そう。わかった。じゃあ後はよろしくお願いします。運転手さん」


 年端もいかぬ少女とは思えないその瞳に気押されながら、ソフィアは返事を返し、運転手へと言葉を渡す。

 運転手はソフィアからの要請を受け、再び親指を立てる。

 その様子を見たソフィアは楽しそうに笑いながら、少女の頭を一度だけ撫でた。


「それじゃあ、頑張ってね。その運転手さん強いから、もうモンスターに怯えなくて良いですよ~?」


 ソフィアの暖かな手の平が少女の心を溶かし、欠片ほど残っていた恐怖心を取り除く。

 少女は本を抱きしめ、十字架を胸元に隠すと……確かな意思の宿った瞳で、力強く言葉を返した。


「ええ。本当に、ありがとうございました。わたくしはこれから、変わる。いえ……変わってみせますわ」

「???」


 決意の宿った少女の瞳に疑問符を浮かべながら、ソフィアは小首をかしげる。

 少女はそんなソフィアの様子を見ると、困ったように微笑んだ。


「えーっと、それで嬢ちゃん。俺ぁどっち方面に行きゃいいんだ?」


 運転手は頭をボリボリと掻きながら、少女へと質問する。

 少女は一度瞳を閉じて、本を抱きしめると……意を決して振り返り、言葉を紡ぐ。


「ええ、ごめんなさい。今答えますわ。わたくしの、目的地は―――」


 その日、一台の馬車が、クロイシス周辺の街道を、ひた走る。

 馬車の中に乗った、一人の少女。

 少女はエルフ耳をぴくぴくと動かし、楽しそうに、夜空を見上げる。

 大きく開かれた窓からは、何よりも大きく、美しい星空が、どこまでも広がっていた。

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