第176話:黒の炎
「まだ、まだああああああああああ!」
両目を見開いたリリィは水晶を切り裂いて横にあった山肌を駆け上がり、どんどんウィルドとの距離を詰めていく。
壁のような山肌を駆け抜けたリリィはウィルドを射程圏内に納めると跳躍し、回転しながらウィルドへ襲い掛かった。
「せあああああああああああ!」
空中を回転したリリィはその力も刃に乗せて、ウィルドへと渾身の一撃を振り下ろす。
しかしウィルドは穏やかな笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと足を運んでリリィの振り下ろしの一撃を回避した。
ウィルドの元々立っていた場所に、リリィの一撃が叩き込まれる。
地面に突き立てられた刃を中心として巨大なクレーターが生成され、衝撃によって土煙が立ち上る。
土煙によって視界が奪われたリースが必死で目をこらすと、土煙の中で銀色の光が走っていることに気が付いた。
「はあああああああああああ!」
リリィは細かいステップインを繰り返し、高速の剣を次々ウィルドに向かって振りぬく。
その剣撃の威力は凄まじく、空振りした先の山肌が大きく切り裂かれるほどだった。
しかし―――
「当たらなければ、意味が無い」
「なっ……!?」
突然目の前に、ウィルドの整った顔が現れる。
吸い込まれそうなウィルドの青い瞳を見たリリィが一瞬身体を硬直させると、ウィルドは再びリリィの額にデコピンを打ち込んだ。
「あぐっ!? あああああああああああ!」
先ほどよりはるかに大きな衝撃がリリィを襲い、遠くの山肌まで吹き飛ばされると、冷たい岩に体が埋め込まれる。
頭部からの出血で視界が真っ赤になったリリィは、薄れゆく意識の中でウィルドのいる方角を真っ直ぐに見つめた。
「リリィさん!? リリィさん!」
リースの声が……遠くに聞こえる。
頭がぐるぐる回って、気持ちが悪い。
頭部にもはや痛みはない。ただこみ上げてくるような吐き気と、真っ赤になった視界が残るだけ。
リリィは奥歯を噛み締め、その眉間に精一杯の力を込めながら―――
やがてその意識を、完全に手放した。
「……ここは、どこだ?」
気付けばリリィは一人、真っ暗な空間に立っていた。
冷たい風が吹くそこはリリィの身体を凍えさせ、背中に冷たい何かが走るような感覚を覚える。
リリィは腰元にあるはずの剣を抜こうとして、自身の腰に剣が無いことに気付く。
仕方なくリリィは両手を前に差し出し、手探りのような状況で一歩ずつ前に進んだ。
「ここは、一体? 私は、戦っていたはずなのに……」
リリィは真っ暗な視界に違和感を感じながらも、一歩ずつ前へと歩みを進める。
すると、微かな音を暗闇の先から感じ取った。
「これは、声? しかし、一体誰の……」
リリィは微かな音のした方を目指し、空中に両手をさ迷わせながら先に進む。
すると次第にその音がはっきりし、リリィはそれが唸り声であることに気が付いた。
しかし気付いた時には既にその声は目の前で響き、突然赤い炎が目の前を照らした。
「っ!? あ、あ……」
『グルルルルルル……』
初めて開けた視界の中に映るのは、赤い炎に包まれた黒きドラゴンの姿だった。
ドラゴンはその全身に銀色の太い鎖を巻きつけられ、身体の自由を奪われている。
その赤い瞳は血走った状態でリリィを見つめ、この世界の全てを呪っているようにも思えた。
「このドラゴンは一体……いや、私は、知っている……?」
リリィは口元に手を当てながら、痛々しい姿を晒す黒きドラゴンを見つめる。
やがて自身の黒い髪を手に取ると、それとドラゴンを交互に見つめた。
「そう、だ。このドラゴンは、私自身の中にいる。ならばここは、私の心の中、ということか?」
リリィは助けを請うようにドラゴンへと問いかけるが、ドラゴンは何も答えない。
低く地の底から響くような唸り声を、リリィへ打ち付けるばかりだった。
そんなドラゴンを見たリリィの頭に、ウィルドの言葉が思い出される。
『君の中にある黒い感情と、正面から向き合うこと。それができれば、何かが変わる』
「私の中の、黒い感情。それがこの、ドラゴンだというのか」
リリィは何かに導かれるように、黒きドラゴンへと近づいていく。
黒きドラゴンはかろうじて動く頭を可動させ、リリィへとその顔を近づけた。
「お前はずっと、私の中にいたな。お前を使いこなすことができれば、もっと力を得られる……のか?」
『グルルルルル……』
少しずつ近づいてくるリリィを、血走った瞳で見返すドラゴン。
リリィは震える片手をもう片方の手で押さえながら、ドラゴンの顔へとゆっくり手を伸ばした。
「そうだ。力だ。私にもっと、力をよこせ……!」
リリィの震える指先が、黒きドラゴンへと近づく。
そしてその指先がドラゴンに触れた瞬間、黒く燃える炎がリリィの身体に纏わりついた。
「っ!? あつい……熱い!」
黒の炎に焼かれ、リリィは必死に身体を振るが、炎はリリィの身体に纏わりついて離れない。
やがてその炎が全身に広がると、リリィの瞳から光が消えていった。
「あ……あ……」
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
リリィの姿を見たドラゴンは全身の鎖を引き伸ばし、自由を奪われながらその咆哮を響かせる。
リリィはそんなドラゴンを最後に視界に収めると、再びその意識を手放していった―――




