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第13話:震え

「―――おや。これは失礼。足音を忍ばせ、シリルを驚かそうと思っていたのですが……職員さんがいらっしゃったのですね」

「…………」


 長く暗い廊下の先から現れた35歳程の、その男。

 灰色のスーツには皺ひとつなく、革靴の底は小気味いい音を出しながら、男の体を前へと運ぶ。

 深みある声で言葉を紡ぎ、男は慣れた手付きで被っていた帽子を外すと、うやうやしく頭を下げる。

 紳士的なその装いには、見事なまでに隙一つなく……一点の淀みもない立振舞には、どこか寒気すら感じられた。


「失礼ついでに、もう一つ。実は先ほどの会話、もちろんたまたまですが……私も、聞いてしまいましてね。シリルのこと、どうかよろしくお願いします」


 男は上品な仕草で頭を下げ、ほんの少しの笑みを浮かべる。

 やがて頭を上げると、足音を廊下に響かせ、シリルの元へと足を運んだ。


「ふふっ。よかったですね、シリル。本の感想をお互いに共有するというのは、実に良い時間の過ごし方だ」

「―――は……い……」


 シリルは自らの体を懸命に抱きしめ、震えを懸命に抑えながら、言葉を返す。

 男とシリルの関係を聞こうと、リリィが口を開いた瞬間―――まるで遮るように、男の声が響いた。


「おっと、重ね重ね失礼しました。私の名は、“ストリングス=ムーンムーン=ウォーカー”……どうぞ気軽に、“ストリングス”とお呼びください」


 男はおっとりとした笑顔を浮かべ、まっすぐにリリィの顔を見つめると、言葉を紡ぐ。

 深い黒を宿したその瞳の奥を、伺い知ることはできない。


「シリル。今日はリリィさんの言う事をよく聞くんですよ? ご迷惑をかけないように……」

「っ!? は、い。わかり、ました……」


 ストリングスは両手をシリルの肩に置き、つぶやくように言葉を落とす。

 シリルは大きく肩をいからせると、震える声を必死に整えながら、返事を返した。


「さて。私もそろそろ、研究室に戻ります。では皆様、良い夜を……」


 ストリングスは丁寧な動作で頭を下げると、再び帽子を被り、そのまま廊下の奥へと消えていく。足音の消えたその歩みに現実感は無く、まるで闇の中に溶け込むように、ストリングスは歩みを進める。

 やがて革靴が地面を叩く音が、遠くに響いた時……シリルは吊された糸が断ち切れた人形の様に体を揺らし、溜まっていた息を吐き出した。


「は、あ……はあっはあっ……」


 シリルは胸元に手を置き、乱れた呼吸を整える。

 こめかみに流れた一滴の汗が、その瞳を覆う黒い包帯に染み込み、その一部の色を変えた。


「シリル、大丈夫か!?」


 リリィは剣の柄から手を離し、ガントレットを外すと、シリルの背中を優しく撫でる。

 徐々に呼吸が整ってきたシリルは、胸元に手を置いたまま、返事を返した。


「だ、大丈夫、です。ちょっとした発作みたいなものですから……」


 シリルはぎこちない微笑みを浮かべ、その手は未だ、小さく震えている。

 リリィはその小さな手を両手で握り、体温を伝えた。


『何が、大丈夫なものか……明らかに様子がおかしいぞ。目上の者の前で緊張したとか、そんなレベルの話ではない』


 リリィはただ立っているしかできなかった己を悔い、眉間に力を込める。

 アニキはストリングスの去っていった廊下の奥をずっと見つめていたが、やがてリリィ達へと向き直った。

 そしてシリルは、ぽつり、ぽつりと自らの過去を話し始めた。


「わたしは―――孤児、だったんです。幼い頃に両親を亡くして、親戚のおじさん、おばさんの家で、暮らしていました。わたしの生まれた村は、あまり裕福ではなくて……おじさんも、おばさんも、いつも迷惑そうだったのを、よく覚えています」


 シリルの胸の奥が揺らめき、まるで消える前の灯火のように、あやふやな光が灯っていく。

 リリィは屈むと、シリルの手をそっと握った。


「だから、わたし……おうちの手伝いを、何でもしました。少しでも迷惑をかけたくなくて、早く大人になりたくて、おうちにある本で、たくさん勉強もしました」


 シリルの脳裏に、かつて自らの力で読み進めていた本たちが湧き上がる。

 その内容を思い出すだけで、シリルの胸の奥は、ほんの少しだけ軽くなった。


「おうちの手伝いは辛かったけど、夜こっそりと読んだ本はどれも面白くて……私はいつしか本を読むことに、没頭していました」


 ブランケットを握り締めていたシリルの手が、ほんの少しだけ緩む。

 彼女にとって故郷の村は、悪い思い出ばかりではない。

 そう思えたリリィは小さく、安堵のため息を落とした。


「おうちにはいくつかの本があって、それを読んでいる間は、本当に幸せでした。本を読む時間は寝る前にしか取れなくて、でも灯りを灯すとお金がかかるから……星明かりの下で、たくさんの本を読みました」


 シリルはここにきて初めて、ほんの少しの笑顔を見せる。

 リリィはそれにつられるように、穏やかな笑みを浮かべた。


「そんなある日。村に、貴族の方がやってきたんです。一体どんな用事があるんだって、村のみんなが騒いでいたのを、よく覚えています」


 シリルは失ってしまった瞳の奥に情景を思い浮かべながら、ゆっくりと話を進める。

 カーテンがかかっていたシリルの過去が紐解かれていく度に、リリィの心には、漠然とした不安が生まれ始めていた。


「煌びやかな馬車の中から降りてきたのは、ストリングス様でした。灰色のスーツには皴ひとつ無く、ゆっくりとした物腰で歩かれている姿に、あの時のわたしは本当に驚いたんです。わたしの村ではみんなが急がしそうで、一生懸命生きていて……あんな風に余裕がある人なんて、誰もいなかったから」

「…………」


 予想通りの名前が出てきてしまったことに、リリィは複雑な表情を浮かべながらもシリルの手を離すことは無かった。


「大好きだった本を抱きしめながら、びっくりしていたわたしの頭を撫でて……ストリングス様は、こうおっしゃったんです。“君は本が好きなんだね。よかったら、私のところに来ないかい?”って」


 シリルは少しはにかみながら、嬉しそうに言葉を紡ぐ。

 リリィは先日出会った男の姿を思い浮かべ、今のシリルの笑顔と照らし合わせるが、胸の奥の不安感は消えてくれない。

 それどころかシリルの話が核心に近づくたびに、心臓の鼓動は跳ね上がっていった。


「おじさん達に迷惑をかけたくなかったわたしは、すぐにストリングス様の馬車に乗りました。これでおうちの家計も、少しは楽になる。おじさんたちも今より美味しいご飯を食べれるんだって、本当に嬉しかった……」


 シリルは安堵の表情を浮かべ、膝にかけたブランケットをそっと撫でる。

 リリィはそんなシリルの心を壊さないよう、出来る限り深い呼吸を繰り返した。


「そうしてわたしは、この図書館にやってきたんです。ここに研究室を置くというストリングス様のお手伝いとして、本を読む閲覧者として、ここに来ました。初めてこの図書館の書庫を見た時のことは、今でも忘れられません」


 シリルは再び自らの身体を抱きしめ、まるで懺悔するように言葉を紡ぐ。

 黒い包帯の下から染み出してきた涙は、やがてシリルの頬を伝い、膝にかけたブランケットへ染みを作った。


「なのに! ストリングス様の足音を聞くと、どうしても身体が震えて―――止めなきゃって、止めなきゃストリングス様に失礼だって、わかっているのに……」


 シリルは再び震えてきた身体を押さえ付け、言葉を紡ぐ。

 リリィはそんなシリルの頭を撫で、言葉を返した。


「そうか。いや、誰だって原因もわからないまま、勝手に身体が動いてしまうことはある。何故シリルの身体が震えるのかはわからないが……ともかく、今は気楽にすることだ。それが何よりの薬になる」


 リリィは優しい手つきでシリルの頭を撫でながら、そっと言葉を落とす。

 シリルは安心したように息を吐くと、小さく笑顔を見せた。


「そう……そうですよね。きっとそのうち、治りますよね」

「うむ。安心するがいい」


 リリィは目を細めて微笑むと、シリルの額に付いた汗を、頬を流れる涙を、ハンカチで拭う。

 その様子をずっと見つめていたアニキは、ようやく沈黙を破った。


「ま、気にしてもしょうがねーだろ。ガキなんだから情緒不安定になることもあらぁな」


 頭をボリボリと掻きながら、アニキは少し恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。

 シリルが微笑みながら嬉しそうに返事を返すと、さらに気恥ずかしそうにそっぽを向き、腕を組んだ。


「…………」


 リリィはそんなアニキをじっと見つめ、何かいいたげに沈黙を守る。

 アニキはリリィの意図することがわかっているのか、その視線を受けると、途端に目付きを鋭くし、小さな声で言葉を紡いだ。


「チッ、わかってんよ。あのストリングスとかいう野郎、明らかに普通じゃねえ」

「ああ。竜族である私と、勘だけは鋭い貴様に気付かれることなく間合いに入るなど、ただの研究員にできることではない」


 リリィとアニキは小さな声で会話を終えると、どちらともなく視線を外し、小さく息を落とす。

 やがてリリィが、少し明るい声色で言葉を紡いだ。


「ふぅ。まあともかく、中央管理室にリースを迎えに行ったら、宿舎に向かうとするか」

「はいっ。リリィさん!」


 リリィの言葉に対し、満面の笑顔で言葉を返すシリル。

 こうしてシリルを加えた三人は、中央管理室に向かって一歩を踏み出した―――






 その後中央管理室にいたリースを無事迎えに行ったリリィ達は、それぞれの部屋へと戻っていく。

 無論リリィはシリルとの約束のため、シリルの部屋を訪れていた。


「それで、最後の戦いだろう? あの展開は熱くなったな」

「あ、はいっ! 私もです! ふふっ、おんなじですね」


 リリィとシリルは楽しそうにラッフィルム・ストーリーズの最終話の感想を言い合い、盛り上がっている。

 しかし話が一段落すると、突然シリルが俯いてしまった。


「どうした、シリル。具合でも悪いのか?」

「あっ、いえ、そうではないんです。ごめんなさい……」

「???」


 心配そうにシリルへ声をかけるリリィだったが、シリルはぶんぶんと両手を横に振って“なんでもない”と繰り返すばかり。

 リリィは少し踏み込んで、言葉を紡いだ。


「シリル。思っていることがあるなら、この場で正直に言っていいんだぞ? 私に遠慮することなど何もない」

「リリィさん……」


 シリルはリリィの優しさに触れ、ほんの少し肩を震わせる。

 その震えが治まった頃……シリルはぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「私、時々思うんです。私は何故ここにいるんだろうって。普段から司書さん達に読み聞かせなんて迷惑をかけて、今日もリリィさんに迷惑をかけてしまって。でも私、図書館のために何もできなくて……」

「…………」


 シリルの言葉は多少たどたどしいものがあったが、伝えたい思いは充分伝わってくる。

 つまりシリルは―――自分がこの図書館にとって足手まといになっていると、そう言いたいのだろう。

 しかしそれは、大きな間違いだ。


「シリル。そう自分を卑下するな。司書の皆も、そして私も、好きでシリルに本を読み聞かせているのだ。シリルがそんな風に自分を卑下してしまったら、そんなシリルを大切に思う皆に失礼になってしまうだろう?」

「リリィ、さん……」


 シリルは黒い包帯の下で涙を溜め、その包帯をわずかに滲ませる。

 リリィはガントレットを外した手でぽん、とシリルの頭に手を置くと、言葉を続けた。


「君が足手まといだと思うのなら、これから皆の役に立つような大人になればいい。皆シリルの笑顔が大好きだから、そのまま大人になってほしいから、シリルのお手伝いをしているんだよ」

「―――っ!」


 リリィの言葉に声を失い、とうとうシリルの瞳からは涙が溢れ出す。

 小さくしゃくり上げるシリルの目元の包帯は、ぐっしょりと濡れていた。


「大丈夫、大丈夫だ。何も心配いらないよ、シリル」

「リリィ、さ……うあああああああっ」


 リリィにそっと抱き寄せられたシリルは、その胸の中で大声で泣いた。

 そしてそれと同時に……リリィの中に、一つの決意が生まれた。


『この子の目と足。それがどうして失われてしまったのか、原因を探る必要がありそうだな。そして、必要とあれば―――』


 リリィは横目で部屋の隅に置いた自らの剣を見つめる。

 その後シリルはいつまでも泣き続け、リリィはその頭を、いつまでも優しく撫で続けていた。

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