第137話:炎の誘い
「見えてきましたわね。あれが目的地“ラスニア”ですわ」
馬車を護衛しながら進む一行の前に、ラスカトニアと比べれば小さめの村が見えてくる。
小さめとはいえ山奥の集落と比べればずっと大きく、活気がありそうだ。
ファイアロッドは馬車を連れ、先にラスニアへと歩みだす。
「ここから先は、わたくし一人で結構。皆様はしばしこちらでお待ち頂けますか? 報酬を持って参りますわ」
ファイアロッドはにっこりと微笑み、アニキ達に向かって言葉を発する。
アニキは両腕を組んだ状態で、眉を顰めながら返事を返した。
「ん? なんだってこんな草原のど真ん中で報酬渡すんだよ。別に街まで護衛すればいいじゃねーか」
至極当然の疑問を口にするアニキ。
ファイアロッドはその質問を想定していたようで、すぐに返事を返した。
「おっしゃる通りですわ。しかし、もう街は目の前ですから、最大の脅威であるモンスターは出現しません。あまり大人数で警護しているところを街にいる盗賊に見られて、不意を突かれる方が危険と判断したのですわ」
ファイアロッドは若干早口になりながら、アニキに向かって説明する。
アニキはため息を吐きながらその言葉を聞くと、面倒くさそうに返事を返した。
「ふーん……随分色々と考えてんだな。ま、いいや。じゃあ俺らはここで待ってるぜ」
「ありがとうございます。すぐに戻って参りますわ」
ファイアロッドは去り際にもう一度アニキに向かって微笑むと、馬車を連れてラスニアの街へと入っていく。
その後アニキ達は三人で草原の真ん中に立ち、吹き抜ける風を浴びながら空を見上げていた。
アニキは前面から吹いてくる風にそのまま押し倒される格好で、大の字になって草原に寝転がる。
そのまま流れる雲を見つめると、退屈そうに言葉を落とした。
「なんか暇になっちまったな。変に目も冴えちまったし、眠れやしねえ」
アニキは頭の後ろで両手を組んで枕にし、草原の真ん中で寝転がりながら風を浴びる。
空の青と雲の白しか映っていなかったアニキの視界に、輝くような白が流れてきた。
イクサはその輝く白い髪を押さえながら、寝転がるアニキを無表情のまま見つめる。
「あんだよ、イクサ。何か用か?」
アニキは頭に疑問符を浮かべながら、真っ直ぐにイクサの白い瞳を見返す。
イクサは咄嗟に視線を逸らすと俯き、垂れ下がった白い髪で自身の顔を隠した。
「……いいえ、マスター。なんでもありません」
「???」
いつもは真っ直ぐに目を見て発言するイクサが、今日はほとんど視線を合わせようとしない。
そんなイクサの様子を不思議に思ったアニキだったが、それ以上追求することはせず、やがて返事を返した。
「ふーん……ま、いいけどよ。悩みでもあんなら言っとけよな」
「っ!」
空に視線を移しながら不意に届いたアニキの優しい声に、両目を見開くイクサ。
胸元に手を当てると、激しい鼓動が響いてくる。
イクサはごくりと唾を飲み込むと、やがてアニキに向かって言葉を紡いだ。
「……あの、マスター。実は―――」
「アニキ様! お待たせいたしましたわ!」
勇気を振り絞ったイクサの言葉を遮り、ファイアロッドは片手を振りながら声を張って近づいてくる。
アニキはファイアロッドの声を受けて立ち上がり、ズボンに付いた草を取り払うと、イクサに向かって言葉を紡いだ。
「ああ、悪いイクサ。それで、どうしたって?」
アニキは両手をポケットに突っ込みながら、イクサに向かって身体を向ける。
イクサは咄嗟に顔を横に逸らし、アニキに対して返事を返した。
「―――いえ、なんでもありません。私の中の問題ですので、自分で処理致します」
「??? そう、か。まあ、俺に出来ることがあれば言えや。水臭いことすんなよな」
アニキはイクサへとぶっきらぼうに言葉を届けると、ファイアロッドに向かってその身体を向き直す。
イクサはそんなアニキの背中を見つめ、心の中で言葉を落とした。
『もう、少し……もう少しで、マスターに抱いている感情の正体がわかる気がする。でもそれは、自分で見つけなければならないこと』
イクサは決意を持った瞳で、アニキの背中をじっと見つめる。
そんなイクサの様子を見たファイアロッドは一瞬眉間に皺を寄せるが、やがてにっこりと微笑んで言葉を紡いだ。
「さて、アニキ様。こちらが今回の報酬ですわ。本当にありがとうございました」
ファイアロッドはにっこりと微笑みながら、報酬の入った封筒をアニキへと手渡す。
アニキは封筒を受け取ると興味がなさそうにそれを見つめ、やがてリースに向かって放り投げた。
「リース、わりぃけど鞄に入れといてくれや。俺が持ってると落としそうだからよ」
「う、うん……いいけど、なんか立場が逆じゃないかなぁ」
リースは首を傾げて頭に疑問符を浮かべながらも、封筒を鞄の中に入れる。
大人が子どもの持ち物を預かるというのはよくある光景だが、その逆はあまり見たことが無い。
もっともアニキという人間を考えるなら、逆も充分に有り得る話なのだが。
やがてアニキは空になった両手を頭の後ろで組むと、ファイアロッドに対して言葉を発した。
「しかしファイアロッド。おめえ結構強かったじゃねえか。今回の依頼、おめえひとりでも達成できたんじゃねえの?」
アニキは純粋な疑問を抱き、ファイアロッドへと言葉を発する。
その言葉を受けたファイアロッドは花咲くような笑顔を見せ、少しだけ首を傾げながら返事を返した。
「まあ嬉しい。アニキ様に褒められるなんて、人生最大の喜びですわ」
ファイアロッドはにっこりと微笑みながら、真っ直ぐにアニキの目を見返す。
アニキはボリボリと頭を搔くと、少し恥ずかしそうに返事を返した。
「別に俺ぁ、事実を言っただけだぜ。ゴーレムは強力なモンスターだがよ、おめえなら撃退できただろうって話だ」
女性と話すことに慣れないのか、頭を搔きながら返事を返すアニキ。
ファイアロッドはにっこりと微笑んだまま、そんなアニキに向かって返事を返した。
「そう、ですわね。ですが今回の任務は、アニキ様と一緒にすること自体に意味があるのです。わたくしひとりでは、アニキ様にアピールできませんもの」
「??? アピールって……どういうこった?」
アニキはファイアロッドの言葉の意味がわからず、腕を組んで首を傾げる。
ファイアロッドはそんなアニキの様子を微笑ましく見つめながら、柔らかな声で返事を返した。
「今回の任務の真の目的……それは、“わたくしの実力をアニキ様に知って頂く”ということ。そういう意味では目的は達成された、と言って良いですわ」
ファイアロッドは真っ直ぐにアニキを見つめながら言葉を紡ぐ。
その言葉を受け取ったアニキは頭の中で言葉を反芻させると、腕を組んで沈黙を守り、続きを促した。
「わたくしの実力は、良くわかりましたわね? ダブルエッジでも一目置かれているわたくしといれば、好敵手には事欠きません」
「…………」
アニキはファイアロッドの言葉に続きがあることを察し、黙ったまま続きを促す。
その様子を満足げに見つめたファイアロッドは、瞳を輝かせながら言葉を続けた。
「つまり、一言で言うと―――アニキ様、わたくしの仲間になって下さらないかしら?」
「っ!?」
右手をそっとアニキへと差し出して、柔らかな声でアニキを勧誘するファイアロッド。
その言葉を聞いたイクサは両目を見開き、言葉を失った。
「…………」
アニキは両腕を組んだまま、伸ばされたファイアロッドの細い右腕をじっと見つめる。
草原には相変わらず爽やかな風が吹き、嵐の前の静けさのような沈黙だけが、その場を支配していた。