第129話:その感情は何か
「イクサさん、どうしたの? 具合悪い?」
俯いた状態で歩いているイクサを、心配そうな表情で見上げるリース。
その言葉を受けたイクサは、顔を上げて返事を返した。
「いえ、なんでもありません。ただ―――」
「ただ?」
心なしか言いにくそうな雰囲気で言葉を発するイクサに対し、疑問符を浮かべながら続きを促すリース。
その様子を見たイクサは、目を伏せながら言葉を続けた。
「リリィ様やリース様、アスカ様達とお話をしているとき、私の中には暖かな感情が宿っています。しかしマスターと話している時は、それとはまた別の熱さが胸の中に篭っているような気がするのです」
イクサはどこか困惑した様子で、リースへと言葉を発する。
リースは無言のままイクサを見上げ、続きを促した。
「マスターの言葉が理解できない時、私の言葉が理解してもらえない時……いえ、マスターといるときはいつも、胸の奥が熱くなります。この感情は一体、何なのでしょう?」
自身の頭の中に残るアニキとの思い出を見つめながら、イクサは困惑した様子で言葉を紡ぐ。
リースは困ったように眉を顰め、そんなイクサへと返事を返した。
「そっ……か。イクサさんはアニキさんのこと、“嫌い”なの?」
リースは心配そうにイクサを見上げ、質問する。
その質問を受けたイクサは、迷いのない表情で返事を返した。
「―――いえ、それはありません。“嫌い”という感情とは、まるで違うものと思われます」
イクサはリースの言葉を受けると、きっぱりと返事を返す。
その言葉を受けたリースは安心して胸を撫で下ろし、言葉を発した。
「ああ、よかった。それならまあ、焦らなくていいんじゃない? そのうちその感情が何なのか、わかる時が来るよ」
リースはにっこりと微笑みながら、イクサに向かって言葉を発する。
しかしイクサは眉を顰め、息を落としながらアニキの背中を見つめた。
『焦ることはない……確かに、その通りです。しかしマスター。私はこの感情を知りたいと強く思っています。それは、悪いことなのでしょうか?』
イクサはぎゅっと握り締めた右手を自身の胸元に当て、前方を歩くアニキの背中を見つめる。
そんなイクサの様子を見たリースは、不安そうな表情で眉を顰めた。
『だいじょぶかな、イクサさん。思い詰めなければいいんだけど……』
リースは鞄の紐をぎゅっと握り、目を伏せた状態のイクサを見上げる。
やがてその視線に気付いたイクサは、いつもの無表情で言葉を紡いだ。
「……すみません、リース様。ご心配をおかけしました」
イクサは淡々とした調子ながらも、リースに向かって謝罪の言葉を届ける。
リースはわたわたと両手を動かすと、そんなイクサへと返事を返した。
「あっ、ううん、だいじょぶだよ。イクサさんこそ、あんまり考えすぎないでね」
「はい、リース様。ありがとうございます」
イクサはその白い瞳でリースを見返しながら、こくりと頷いて返事を返す。
リースはそんなイクサの言葉を受けると、にっこりと笑って頷いた。
「あ、そういえばね、あれから僕、“好き”って何なのか考えてみたんだ」
リースは頭の後ろで手を組み、ぶらぶらと歩きながら言葉を紡ぐ。
イクサは興味深そうに視線をリースへと向け、無言で続きを促した。
「あのね……僕、リリィさんもアニキさんもアスカさんもイクサさんも、みんなみんな大好きなんだ。きっとこの“大好き”がたーっくさんになったら、毎日がもっと楽しくなる気がするんだよ」
リースはキラキラと瞳を輝かせ、両手を左右に大きく広げながら言葉を紡ぐ。
イクサはその白い両目を見開くと、楽しそうに笑うリースを見つめた。
「“大好き”を、いっぱい……ですか」
「うん! 大好きをいーっぱい! 考えただけで、楽しくなってくるよね!」
リースは歯を見せて悪戯に笑いながら、広げた両手をぶんぶんと上下に振る。
その様子を見たイクサは、頭上に広がる大空をそっと見上げた。
『リース様が皆さんに持っている感情が“大好き”。……なら、私の中のこの感情は―――?』
イクサは胸の中にある熱い鼓動を自身の手のひらで感じながら、どこまでも広がる青空を見上げる。
そうして思考の海に落ちようとしていたイクサを、アニキの大声が覚醒させた。
「おーい! てめえら何モタモタしてんだ!? もうダブルエッジ支部に着いちまったぞ!」
アニキは両腕を組みながら、ダブルエッジ支部の前で二人に向かって声を張る。
リースは慌てて片手を振ると、そんなアニキへと駆け寄った。
「あ、はーい! 行こう! イクサさん!」
「あっ……」
イクサはリースに手を引かれ、転びそうになりながらアニキへと駆け寄っていく。
段々と近づいてくるアニキの姿を瞳に映すと、イクサは再び眉を顰めた。
『また、私の中で何かが脈打っている。これは、一体……?』
イクサは再び目を伏せ、流れていく地面を見つめる。
その瞳はいつものように白一色で、何の感情も見られない。
しかしその胸の奥では、確かに灯された熱い何かが、いつまでも燻っていた。




