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第12話:足音

「あっ、あの。お二人とも、宿舎に行かれるんですか?」

「ん?」


 下の方から響いた声に顔を向けると、そこには困ったように眉をひそめ、両手を握った状態で言葉を紡ぐ、シリルの姿。

 リリィはシリルの心情を察すると、穏やかな口調で言葉を返した。


「ああ、いや、心配するな。ちゃんとシリルを部屋まで送り届けてから、宿舎に行くつもりだ。確かシリルの部屋は、研究者用の宿舎エリアだったな? 実は連れにもう一人、リースという子どもがいてな。その子を迎えに行ってからになってしまうが……」


 リリィはガントレットを外すとシリルの頭を撫で、小さく微笑む。

 頭を撫でられた気恥ずかしさからか、シリルは頬を真っ赤に染めると、慌てて言葉を続けた。


「あっあの、そういうことではなくて、ですね。あの、ですね……」

「???」


 シリルはもじもじと指先を合わせ、口元をもにゅもにゅと動かす。

 何か言いあぐねているのはわかるが、何をして欲しいかはさっぱりだ。


「ははぁ。おめえ、意外と罪作りな野郎かもしんねえなぁ」


 アニキはそんなシリルの様子を見ると、少しだけ笑いながら、リリィの横顔を見つめる。

 フードに隠されたその横顔には、何かに気付いたような気配すら無い。


「? 貴様、何をよくわからないことを……私のどこが罪深いというのだ」


 リリィはアニキへと顔を向けると、不審そうな目でその姿を見つめる。

 アニキは頭をボリボリと掻くと、ため息をつきながら言葉を返した。


「ま、自覚症状のないのが一番の罪だな」

「???」


 頭の後ろで手を組み、悪戯に笑うアニキ。

 そんなアニキの笑顔を、リリィはいぶかしげな瞳で見つめた。


「あっ、あの、リリィさん! さっきもお願いしたんですが……この後、私と一緒にお話ししませんか!?」

「へっ?」


 突然足元から響いた大きな声に驚き、ぽかんと口を開けるリリィ。

 シリルは小さく震えながら、膝に敷いたブランケットを強く握りしめる。

 しばしの沈黙に耐えかねたのか、シリルは慌てて顔を上げると、言葉を続けた。


「あ、あのっ! ごめんなさい! でも、その、今日やっと最終巻を読めて、興奮してしまって……誰かとこの気持ちを、わかちあいたいんです」


 シリルはまるで怒鳴られた子どものように小さくなりながら、だんだんとその声を小さくしていく。

 元々か細く儚いその声は、後半ほとんど聞き取れなかったほどだ。


「あ、いや、その、私は……」


 儚げなシリルの姿が視界に飛び込み、リリィは反射的に言葉に詰まる。

 2度、3度と咳払いを繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻した。


「すまない、シリル……私は、忘れていたようだ」

「あっ……」


 リリィはそっとシリルの頭を撫で、困ったような……しかし穏やかな笑みを浮かべる。

 シリルは先ほどよりも強くブランケットを握りしめ、リリィの言葉を待った。


「私も、小説を読み終わった時は興奮して……よく父を、困らせていたものだ。あの頃の、胸の奥がくすぐったいような、あの感覚を……一体いつから、忘れていたのだろうな」


 良くも悪くも生物には、“慣れる”という機能が備わっている。

 それは辛い事や悲しい事、苦痛などを和らげてくれるが……時に形の無い、大切なものも色褪せさせてしまう。

 経験は何よりの力だが、世界の全てを輝かせることはできない。


『人間よりも寿命の長い我が種族は、思った以上に色々なものを見失っているのかもしれないな』


 リリィはシリルの頭を撫でながら、ふとそんな事を考えていた。


「うむ。今日はとことん、シリルに付き合おう。あれだけの長編作品を読み終わったのだ。一晩中でなければ、語りつくせないだろう?」


 リリィは優しげに目を細め、ぽかんと口を開けるシリルを見つめる。

 シリルは脳内でリリィの言葉を反芻するが……まだ現状が理解できていないのか、反応を返せずにいた。


「おう、おめえ。明日も朝から、仕事振られるんじゃねえのか? 徹夜なんざ―――」

「っ!」


 注意しようとしたアニキを鋭い目で睨みつけ、言葉を切り捨てるリリィ。

 シリルはじわじわと感動が胸を伝っているのか、全身を震わせ始めていた。

 そんなシリルの様子を見たアニキは、ため息を吐きながら言葉を続ける。


「ちっ。どうなっても知らねえぞ俺ぁ」


 面倒くさそうに頭を掻くと、アニキは両腕を組んでそっぽを向く。

 リリィは珍しく人に気を使ったアニキの姿に気付くと、その鋭い目を大きく見開いた。


「ほう、お前にも人を気遣う心があったとは……これは驚きだ」


 リリィは柔らかに微笑みながら、隣に立つ不器用な男の背中を見上げる。

 筋肉質の背中には、リリィが思っている以上に、色々なものが乗っているのかもしれない。


「ああん!? 相変わらず失礼な奴だな。冷血黒尽くめ女にゃ言われたくねえっつの!」

「ばっ!? 馬鹿者! 私の性別は秘密だと、道中あれほど言っておいただろう!」


 大声でリリィの性別を公言するアニキに怒号を浴びせるが、物音一つしない廊下には、必要以上に声が響いてしまう。

 すでに一部の関係者にはバレているような気もするが……世を忍ぶ旅なのだから、注意に注意を重ねるくらいで調度良いのだろう。


「ああ? おー、そういやそんなこと言ってやがったなぁ。忘れてたぜ」

「…………」


 耳をほじりながら悪びれもせず言葉を返すアニキに、リリィは言葉も出ずに頭を抱える。

 これはもう早急に、次のハンター支部に到着する必要がありそうだ。


「あ、の。りりぃ、さ……」


 シリルは口元を震わせながら、その小さな手を伸ばして、何かに触れようと空中を巡らせる。

 やがてリリィの黒いマントに触れると、それを強く握り締めた。


「ん。ああ、すまないシリル。放っておいてしまった」

「あ、いえ。私の方こそ、ごめんなさい。お話の邪魔をして……」


 シリルは眉毛をハの字に曲げ、どう自分の気持ちを伝えようかと頭を悩ませる。

 わかりやすいその表情に、リリィは思わず笑みを零した。


「ふふっ。じゃあ早速、シリルの部屋に向かうとしようか。シリルと本の話をするのは、私も楽しみだ」

「!? は、はい! ありがとうございます!」


 シリルは胸の奥がくすぐったく、呼吸が止まるようなその感情を、小さな手のひらの下に押さえつけ、言葉を返す。

 その頬はほんのりと朱色に染まり、これからの未来に心躍らせているのは、誰の目にも明らか。

 シリルは自分の背中を駆け抜ける不思議な感覚を、何よりも強い暖かさを、その小さな胸の奥に刻み込んでいた。


「ったく、マジで知らんぞ、俺ぁ」


 シリルの顔を見つめていたアニキは苦笑いを浮かべ、幸せそうな二人を見つめる。

 その光景は、遠き日の自分自身とあの小生意気な少女を、映し出しているようだった。


「―――チッ。ガラにもねぇ」


 アニキはその表情を隠すように顔に手のひらを当て、歯を食いしばる。

 過去を振り返らず、未来を見据えず、突き進む。それが自分だったはずだ。


「うっし、じゃあ決まりだ! とっとと宿舎とやらに行こうぜ! 俺ぁもう眠くてしょうがねえんだよ!」


 アニキは自らの拳同士を打ち付け、勇ましい表情で宿舎の方角を見つめる。

 これほど勇ましいおやすみ宣言も珍しいだろう。


「ええい、わかったから騒ぐな馬鹿者! 眠い奴の声量ではないぞ!」


 長い長い廊下には、アニキとリリィの声だけが響く。

 シリルは楽しそうに笑いながら、二人に話しかけようと口を開くが―――


「っ!?」

「ん―――どうした? シリル」


 シリルはただぱくぱくと口を動かすばかりで、声にもならない音が、その口から抜けていく。

 そんなシリルの様子を見ていたリリィとアニキだったが……廊下に響くその音に、ようやく気がついた。


「これは、足音か!? それも、かなり近い!」

「…………」


 リリィは腰元の剣に手をかけ、足音のする方角を警戒する。

 アニキは両腕を組み、つまらなそうに同じ方角を見つめた。

 もしもこの足音がただ響いてくるだけなら、特に二人は警戒心を強めることはなかっただろう。

 しかし―――


『この、シリルの様子……ただ事ではない』


 シリルは自らの体を抱きしめ、まるで寒さに凍えるように、その体を震わせている。

 その要因となっているのが、この広い廊下に響く足音であることは、誰の目にも明らかだった。

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