第126話:好きという感情
「うーん、どうしよう。まあでも、このまま帰るしかないよねぇ」
リースは頭の後ろで手を組みながら、夜のラスカトニアの街を歩いていく。
丁寧に舗装された石畳の道はオレンジ色の柔らかな街灯に照らされ、街全体を優しい光が包む。
イクサはリースの隣を歩きながら、淡々とした様子で返事を返した。
「はい。夜が更ければ危険も多くなり、何より開いている商店は皆無です。このまま宿に戻るのが賢明と思われます」
「だよねぇ……」
リースは至極もっともな事を言うイクサの言葉を受け、がっくりと両肩を下げる。
イクサはティアラの瞳のように輝く街灯を見上げると、ティアラと母親のやり取りを思い出し、小さく言葉を落とした。
「……リース様。私、“好き”がどういうことなのか、ほんの少しだけわかった気がします」
イクサは街灯の柔らかな光をその白い瞳に映しながら、リースに向かって言葉を紡ぐ。
リースはただ無言で、言葉の続きを促した。
「ティアラ様の“お母さん”への態度。あれが好きということなのですね。自分の中で最も考える時間が多く、触れるだけで幸せな気持ちになれる。それが“好き”という感情だと理解しました」
イクサは相変わらず淡々とした調子で、リースへと言葉を紡ぐ。
その言葉を受けたリースは、微笑みながら返事を返した。
「ん、そうだね。僕もそう思うけど……“好き”にも色々あるみたいだから、それが全部の答えじゃない、かもしれない」
「??? そうですか……難しいものですね」
イクサはリースの言葉が理解できず、首を傾げながら返事を返す。
リースは頭の後ろで手を組みながら、さらに言葉を続けた。
「うん。難しいよ。僕もね、ぜーんぜんわかんないや」
リースはわからないと言いつつ、どこか楽しそうに笑いながらイクサを見上げる。
その笑顔を横目で見たイクサは、真っ直ぐに進むべき道へと視線を戻した。
「……了解です、リース様。私、もう少し考えてみます」
「ん。だね。僕も頑張ってみるよ」
リースは歯を見せて笑いながら、イクサと一緒に夜のラスカトニアを歩いていく。
オレンジの街灯は今日も優しく道を照らし、二人の行く道をいつまでも示してくれているように思えた。
「……で、結局水は買えなかったと、そういうことなのだな?」
宿屋に戻ったリース達から事情を聞いたリリィは、腕を組みながら二人に向かって言葉を発する。
リースはしょんぼりと肩を落とすと、リリィに向かって返事を返した。
「はい……そうです。ごめんなさい」
リースは肩を落としながら頭を下げる。その隣ではイクサが同じようにリリィへと頭を下げていた。
「……はぁ。まあ、二人とも怪我が無くて何よりだ。水は後日買えば良いが、迷子はその瞬間に助けるしかないからな」
「リリィさん……」
にっこりと微笑んだリリィの顔を見上げ、同じように微笑むリース。
その様子を見たイクサは、淡々とした調子で言葉を紡いだ。
「申し訳ありません、リリィ様。お水は後日必ず入手して参りますので、本日は休息をとってもよろしいでしょうか?」
イクサは小さく首を傾げながら、リリィに向かって質問する。
その言葉を受けたリリィは、慌てて返事を返した。
「ああ、そうか。今日は大変だったようだしな。二人とも休んでくれていいぞ」
リリィはにっこりと微笑みながら、二人に向かって言葉を発する。
その言葉を受けたリースはぴょんぴょんと跳ねながらリリィの手を握った。
「わーい! じゃあじゃあリリィさん、僕の剣術の修行に付き合ってよ! 今日の分まだ練習してないんだ!」
「それは構わないが……ふふっ、リースは本当に元気だな」
宿屋の庭に出るため、リリィの手を引っ張って歩いていくリース。
困ったように笑いながらも手を引かれていくリリィは、階段の手前でイクサへと言葉を発した。
「ではな、イクサ。ゆっくり休むと良い」
「イクサさん! じゃあね! また一緒におでかけしよっ!」
ぶんぶんと片手を振るリースと、そのリースに引っ張られながら片手を上げて挨拶するリリィ。
イクサはそんな二人に軽く片手を上げて返事を返すと、静かになった廊下にひとり立っていた。
「……さて、私も参りましょう」
イクサは踵を返し、アニキの部屋へ向かって歩いていく。
やがて古びた木製のドアの前に立つと、控えめに二回ノックした。
「マスター、イクサです。ただいま戻りましたので、ご報告に参りました」
ドア越しに声をかけるイクサ。しかし部屋の中から返事はない。
ドアの向こうから微かに聞こえるいびきを聞き取ったイクサは、ゆっくりと目の前のドアを開いた。
「……失礼します、マスター。お休み中ですか?」
「ぐおーっ。むにゃむにゃ……」
アニキはベッドに大の字になって眠り、盛大なイビキを部屋の中に響かせている。
イクサは小さく息を落とすとアニキのベッドに腰掛け、アニキの顔をじっと見つめた。
「マスター。今日は“好き”という感情について学びました。一度はわかったつもりでいましたが、なかなか奥が深い感情のようです」
イクサは部屋でひとり言葉を発し、アニキは欠片も起きる様子がなくイビキを響かせる。
そんなアニキの様子に、イクサは小さくため息を落とした。
「宿を出る前にも議論しましたが……本当にマスターは、わからないことだらけです」
イクサはゆっくりとその左手を伸ばし、アニキの頬にそっと触れる。
それでもイビキを止めないアニキに、イクサはほんの少しだけ、眉を顰めた。
「私はこんなにも、あなたを知りたいのに……本当にあなたは、理解不能です」
イクサは心なしか寂しそうな瞳で、イビキをかくアニキの寝顔を見つめる。
その部屋の窓からは星の光が柔らかく届き、イクサとアニキの身体を優しく照らしていた。




