第119話:買出しに行こう
ラスカトニアにある宿屋の一室で、男女の声が鳴り響く。
女性の方の声は抑揚がなく、感情が灯っていないように思えるが、会話の内容はちょっとした言い争いのようだった。
「マスター。戦闘とは対象を抹殺または戦闘不能にするために行われるべき行為であり、戦闘には何らかの理由が必要となります。そのためマスターのおっしゃっている内容は、理に適っていません」
イクサは寝転がったアニキに向かって、淡々とした口調で言葉をぶつける。
アニキは面倒くさそうにイクサへ身体を向けると、さらに面倒くさそうに口を開いた。
「だーかーら。俺が戦うのは“つえー奴と戦いたいから”ただそれだけだって。戦いに理由なんざ別にいらねえんだよ」
アニキは耳の穴を小指でほじりながら、イクサへと返事を返す。
その言葉を受けたイクサは、さらに言葉を返した。
「しかしマスター。各国の歴史書を確認したところ、全ての種族は領地の拡大や権力の誇示など、何らかの理由があって戦闘しています。その視点からマスターの戦闘記録を見ると、理由が不明であると言わざるを得ません。先日百匹ほど周辺の凶悪モンスターを退治した際もマスターは“暇だったから”と言っていましたが、それも戦闘の理由にはなりません。何故なら―――」
「んだぁぁ! なげぇよ! 簡潔にまとめろ!」
アニキは苛立った様子で頭を搔き、イクサへと言葉をぶつける。
イクサは「了解しました」と頷くと、しばらく考えたあと言葉を続けた。
「つまり、マスターの戦闘には“理由”が見当たりません。よって、戦闘理由の説明を求めます」
イクサは白い目を見開いたまま、アニキに向かって質問する。
アニキは片手で頭を抱えると、そんなイクサに言葉をぶつけた。
「だーかーら! 俺ぁただつええ奴と戦いたいだけだって! 凶悪モンスターの退治は……あれだ。戦わないと体がなまるんだよ!」
「なるほど。まったく理解できません」
「クソが! 即答かよ!」
アニキは頭を掻き毟り、どうしたものかと頭を悩ませる。
しかししばらく考えると、何かを思いついたように目を見開いた。
「そうか。何も馬鹿正直に答えてやる必要もねえな。よし、寝よう」
「あ」
イクサが小さく声を落とすと同時に、アニキは仰向けに寝そべり、大口を開けてイビキを響かせる。
板張りの部屋の入り口で寝始めたアニキの姿を見ると、イクサは小さくため息を落とした。
「……このままでは病気になる可能性がありますね。ベッドに運ばせて頂きます」
イクサはアニキの身体を持ち上げるとベッドへと運び、そっと掛け布団をかける。
アニキは欠片も目を覚ます様子は無く、豪快にベッドに大の字になって寝息を立てていた。
そんなアニキの横に立ったイクサは、アニキを見つめながら小さく声を落とす。
「マスター。あなたは……本当に、理解不能です」
小さく呟いたイクサは、そっとアニキの頬に手を当てる。
手のひらから伝わる熱い体温を感じたイクサは、さらにアニキの顔に自身の顔を近づけていった。
「…………」
無言のまま徐々に近づいていく、イクサとアニキの顔。
互いの顔が眼前にまで迫った時……イクサの髪がアニキの顔にかかった。
「ふがっ!? ふぁ……ふぁっくしょい!」
「っ!?」
アニキは鼻にかかった髪の毛のせいか、豪快なくしゃみをイクサの顔面に浴びせる。
イクサはその顔にくしゃみを浴びると、身体を起こしてハンカチで顔を拭いた。
「本当に、理解不能……です」
心なしか怒っている様子のイクサは、その白い瞳でアニキを見下ろす。
アニキは右手で一度鼻をすすると、再び豪快なイビキを響かせ始めた。
その時部屋のドアに、小さなノック音が響く。
「はい、どうぞ」
イクサは身体をドアの方へと向けると、ノックの主を真っ直ぐに見つめる。
ゆっくりと開かれたドアからは、リースがひょっこりと顔を出した。
「あれ? イクサさん? ここってアニキさんの部屋だったよね?」
リースはドアノブに手をかけたまま、不思議そうに首を傾げる。
そんなリースに近づくと、イクサは淡々と言葉を紡いだ。
「おっしゃる通り、ここはマスターの部屋です。ですがマスターは今睡眠中ですので、ご用件は私が承ります」
「あ、そうなんだ。うーん、どうしよっかリリィさん」
リースは廊下の方へと声をかけ、その廊下から、今度はリリィが部屋へと入ってくる。
リリィは腕を組むと爆睡しているアニキを確認し、ため息を落とした。
「まったく馬鹿団長め、こんな時に限って寝ているとは……しかし、これは弱ったな」
リリィはうーんと唸りながら、遠目からアニキを見つめる。
その言葉を受けたイクサは、リリィへと身体を向けて返事を返した。
「リリィ様。ご用件は何でしょう? 私にできることなら、ご協力させて頂きます」
イクサは相変わらず淡々とした様子で、リリィへと言葉を紡ぐ。
そんなイクサからの言葉を受けたリリィは、「ふむ……」と曲げた人差し指を顎に当てると、やがて言葉を続けた。
「実は水の備蓄が底をつきそうなので、リースと一緒に街へ買出しに行ってほしかったのだ。私が一緒に行ければよいのだが、あいにく道具の手入れがまだ残っていてな」
リリィは小さくため息を落としながら、イクサに向かって言葉を紡ぐ。
できればリースには色々な世界を知ってもらいたい。そのためこの大きな街でおつかいに行ってほしいのだが、子ども一人ではあまりに心もとない。
そこでアニキに荷物持ち&ボディガードを任せようと思ったのだが、本人が寝ているのではどうしようもないだろう。
「そういうことでしたらリリィ様、私がリース様に同行します。それで現状の問題は、全てクリアされると思われます」
リリィの話を聞いたイクサは、淡々とした調子で返事を返す。
その言葉を聞いたリリィは何かを考えるように腕を組み、言葉を紡いだ。
「ふむ……なるほど、確かにそうだな。先のダークマター戦でイクサの実力はわかっているし、あの馬鹿団長と違って寄り道することもない。むしろあの馬鹿より適任かもしれんな」
リリィはうんうんと頷きながら、大口を開けてイビキをかいているアニキに視線をぶつけて言葉を紡ぐ。
その言葉を受けたイクサはこくりと頷くと、リースに向かって歩みを進めた。
「それでは早速、街の方に参りましょう。先ほど地図を見ましたので、道は全て記憶しています」
「おお。頼もしいな。頼んだぞ、イクサ」
「はい。お任せください」
ぽんっと肩を叩くリリィに応え、こくりと頷くイクサ。
やがてイクサはリースと手を繋ぐと、宿屋の廊下をゆっくりと歩いていった。
「よろしくね、イクサさん! じゃあリリィさん、いってきまーす!」
「行ってまいります」
手を繋いだイクサとリースは、リリィに向かって言葉を発すると、そのまま一階への階段を下りていく。
リリィはそんな二人に小さく手を振りながら、返事を返した。
「ああ! 気をつけるんだぞ!」
リリィはにっこりと微笑みながら二人を見送ると、旅で使う道具が大量に置かれた自分の部屋へと戻っていく。
そんなリリィが二階の窓から外を見ると、イクサと手を繋いだリースが鼻歌交じりに歩いていた。
「イクサはしっかりしているし、リースも最近成長してきた。ラスカトニアは比較的治安も良いし、何も問題はない。しかし……なんだこの、妙な胸騒ぎは」
リリィは自身の胸に去来する始めての感覚に戸惑い、頭に疑問符を浮かべて首を傾げる。
やがて気のせいだろうと結論付け、リリィは部屋へと戻っていくが……道具を整備する間もその胸騒ぎは、決して無くなることがなかった。