第113話:究極魔術・ダークマター
「ふむ……少々驚いたぞ、アスカ。陰の属性を持ちながら、そこまで陽術を自分のものにしているとは。これも才能か」
ダークマターはゆっくりと地面に降り立つと、両腕を組んだままアスカへと言葉を発する。
玉藻と別れたアスカはダークマターの方へと振り返ると、ダークマターの黒い瞳を真っ直ぐに見返した。
「お姉ちゃんがいたから……お姉ちゃんの暖かさをもう一度この手で感じたかったから、あたしはここまで強くなったんだ。別に、天才ってわけじゃない」
「アスカちゃん……」
カレンは凛々しい表情をしたアスカの横顔を見つめ、申し訳なさそうに眉を顰める。
アスカはその視線に気付いているのか、カレンの方を向いて言葉を続けた。
「お姉ちゃん、ありがとう。さっきお姉ちゃんに抱きしめられてから、色んな事を思い出したよ。昔は三人で一緒に、遊んでたんだよね」
アスカはどこか吹っ切れたような笑顔を浮かべながら、隣に浮かぶカレンへと言葉を紡ぐ。
そんなアスカの笑顔を見たカレンは穏やかに微笑み、そして頷いた。
「ダークマター……いや、君乃塚セイ。お前のことは許せないし、許すつもりもない。でも―――今から王国騎士団に出頭するなら、あたしはお前と、これ以上戦わない」
「っ! アスカちゃん……」
カレンは驚愕に両目を見開き、アスカの横顔を見つめる。
しかし迷いの無いその顔を見ると、どこか安心したように息を落とした。
「ふふっ……何を言うかと思えば、今更自首しろとでも言うのか? この私に?」
「…………」
片手で頭を抱えながら笑うダークマターを、無言で見返すアスカ。
やがてダークマターは顔を上げ、見開いた瞳でアスカを射抜くと、言葉をぶつけた。
「調子に乗るなよ、小娘が! 私は絶対にこの世界を許さない。この世界の全てを破壊しつくすまで、自首など絶対に有り得ない!」
ダークマターの黒い瞳の奥では、粉々にされたカナデの宝物が、淡い光に照らされたカナデの笑顔が、今も写り続けている。
彼の世界に対する“抵抗”は、恐らく彼自身がその生命を終えるまで、止まることはないのだろう。
絶望に染まったダークマターの姿を見たアスカは目を細め、悲しそうに呟いた。
「……そう、わかった。なら―――戦うしかないね」
アスカは刀を抜刀し、ダークマターに切っ先を向けて突き出す。
カレンもまた同じように剣を抜刀すると、その切っ先をダークマターに向けた。
「フン、闇の最上級魔術を回避したことで調子に乗っているようだが……特別だ。私が何故“ダークマター”の名を冠するに至ったのか、その由来である魔術を今、見せてやる」
「っ!?」
ダークマターは両手を左右に広げると、まるで黒い翼を広げるように、肩にかけたロングコートの裾を靡かせる。
広がったコートの内部に、これまで発生させてきた黒い霧よりはるかに深く、黒い闇が複数凝縮されていく。
アスカがそのただならぬ雰囲気にのまれ、躊躇しているその隙に、ダークマターは呪文を詠唱した。
「深遠の闇よ、狂乱なる慟哭の果てに、何を見る。全てを無に帰す、暗黒の一撃。”ダークマター”」
その呪文詠唱が完了すると同時に、ダークマターの肩から広がったコートの内側に、複数の暗黒球が生成される。
その暗黒球は渦巻くような模様を持ち、浅い黒と深い黒が混ざり合ったような、不気味な輝きを放つ。
ダークマターはその暗黒球の発生を確認すると、小さく笑いながら言葉を続けた。
「極東の“陰”と西洋の“闇”を融合した、世界で私一人だけが操る力……これが私の名の由来となった究極魔術“ダークマター”だ」
「ダーク、マター……」
アスカはダークマターの身体の横に浮遊する暗黒球を見つめ、ごくりと生唾を飲み込む。
見た目自体はただの暗黒球が浮遊しているだけで、先ほどの魔術と比べれば派手さはない。
しかしただならぬその存在感に、アスカの第六感は全力で警鐘を鳴らしていた。
「ふむ。不意に距離を詰めないところを見るに、こいつの恐ろしさを直感で感じ取ったか。さすがと言いたいが……どうせなら自分自身の身体で、その恐ろしさを体験するがいい」
「っ!?」
ダークマターは不意に右手を前に突き出すと、複数の暗黒球を高速でアスカへと飛ばす。
高速で向かってくる複数の暗黒球の軌道を読んだアスカは、横っ飛びをしてその直撃を回避した。
「危なかった……んっ!?」
アスカが小さく呟いたその瞬間、真っ直ぐに進んでいた暗黒球はその軌道を変え、横っ飛びしたアスカに向かって追尾してくる。
空中で体勢を変えられないアスカが、その暗黒球の直撃を受けようかという刹那、カレンはアスカの着物を掴み、思い切り別方向へと放り投げた。
「あっぶ……!? ありがとう、お姉ちゃん!」
「アスカちゃん、油断しないで!」
お礼を言うアスカに対し、大声で警鐘を鳴らすカレン。
その言葉の通り、暗黒球は再び軌道を変え、アスカに向かって真っ直ぐに飛んできた。
「っ! そう何度も、食らうかっちゅうのおおおおおおお!」
アスカは地面へと降り立つと、驚異的なスピードで部屋の中を駆け回り、暗黒球からの追撃を紙一重で回避する。
暗黒球は音も無く壁や地面に激突するが、そのまま何事も無かったかのようにアスカへの追撃を続けた。
永遠とも思えるアスカの回避行動だったが、アスカは咄嗟の思いつきで、突進してくる暗黒球の盾にする形でダークマターへの背後へと回り込む。
ダークマターに暗黒球が触れようかという刹那、暗黒球はその運動を停止し、ダークマターのコートの中へと帰っていった。
「ほう、私を盾にするとは。良く気付いたな」
「はあっ……はあっ……」
余裕の表情でアスカへと身体を向けるダークマターと裏腹に、乱れた呼吸で玉のような汗を流すアスカ。
その余裕のない表情を見たダークマターは、小さく笑いながらアスカの腰元を指差した。
「だが、今一度よく見るがいい。貴様の刀の鞘、そして着物がどうなっているかを」
「え……? っ!?」
ダークマターに指摘されたアスカは、自身の刀の鞘と着物の裾を見て両目を見開く。
その視線の先では、刀の鞘が半分ほどの大きさまで“消失”し、着物の裾もずっと短くなっている。
さらに部屋の中を見回すと、床や壁に無数の円形の穴が開き、そこから冷たい風が吹き込んでいた。
「これが私の魔術、ダークマターの力。すなわち“あらゆるものの存在をこの世から消失させる”能力だ。剣だろうが槍だろうが、たとえ隕石だろうが、私の暗黒球はその存在を消失させることができる。それが人の身体に当たればどうなるか……想像するまでもないだろう?」
ダークマターは余裕の表情で両手を広げ、再びコートの内側に複数の暗黒球を浮遊させる。
アスカは咄嗟に懐から一枚の札を取り出すと、ダークマターに向けてそれを突き出した。
「“上級陽術:千光破”!」
アスカが突き出したお札の前に、水面に石を落としたような波紋が複数生成される。
その複数の波紋の中から光のビームが発生し、真っ直ぐにダークマターへと襲い掛かった。
「ほう、上級陽術まで操るか。しかし―――」
「っ!?」
ダークマターが右手を盾のようにして身体の前に突き出すと、コートの中の暗黒球が飛んできたビームを全て消失させる。
ビームを消し去った暗黒球はその後も不気味に輝き、統率のとれた動きでコートの中へと帰っていった。
「言ったはずだ。“あらゆるものの存在を消失させる”と。それは光の魔術だろうが陽術だろうが関係ない。“陰”と“闇”を掛け合わせたこの魔術に、死角など無いのだ」
「……っ!」
両手を広げて見下しながら言葉を発するダークマターを、正面から睨み返すアスカ。
その瞳には今も、迷いは見られない。
しかし内面に蠢くその焦りを体言するように、アスカの頬には一滴の汗が流れ、やがて地面へと落ちていった。