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第10話:車輪の少女

「ううむ。どうにも、要領を得ん。だいたいこの本は、一体何なのだ?」


 “ラッフィルム・ストーリーズ”と表紙に書かれた、一冊の本。

 見た目はなんの変哲もない冒険小説で、特別な所は見当たらない。

 いつのまにか外には夜の帳が降り、満点の星空が廊下のガラス張りの天井へ光を注ぐ。

 月は街壁の向こうにぽっかりと浮かび、柱の間から吹いてくる風は冷たくリリィの身体を包み込む。

 熱気の篭った部屋にいたせいか、夜風が身体に心地良かった。


「はあ。ともかく、別棟に行ってみなければ何もわからん、か。といいつつ、もう着いたわけだが」


 リリィの目の前には、重厚なるその扉。

 “第十五番書庫”と書かれた木製の看板は少々傷みが激しく、普段はあまり使われていない部屋である事が想像できる。

 数ある書庫の中で最も小さなこの第十五番書庫は、世界図書館の中でも珍しく人の出入りが少ない場所だ。

 リリィは一度唾を飲み込むと、意を決して扉を開く。

 錆びた金具が痛々しい音を立て、部屋の中へと続く道を示す。

 しかし、部屋の中から漏れてくるであろう光は、その輝きの一切を失っていた。

 早い話が―――――真っ暗だったのだ。それも、この上なく。


「む。なんだ、この部屋は。灯りが全くないではないか。ともかく灯りを―――」

「あの……そこに、誰かいますか?」

「うおおおおお!?」


 灯りを灯そうと部屋をウロウロしていたリリィの背後から、か細い声が響く。

 不意を突かれたリリィは剣の柄に手をかけ、素早く振り返った。


「あっ。ご、ごめんなさい、驚かせてしまって。あの、今、灯りを点けますから……」

「??? 女の子……か?」


 暗闇の向こうから届く、か弱く細い、その小さな声。

 リリィが精一杯目をこらすと、次第にその輪郭があらわになった。

 少女は何か車輪の付いた椅子のようなものに座り、ふらふらと点灯装置らしきものに向かって進んでいく。

 リリィは両目を見開き、すぐに少女の下へと足を運んだ。


「あ、いや。大きな声を出してしまって、すまない。灯りなら私がやろう」


 車輪の付いた椅子に座った、小さな少女。

 動揺している心はもちろんあったが、それよりもまず、足の不自由な少女が灯りを点けようとしている事実が、リリィの頭を支配する。

 咄嗟に足を進めたリリィは、手を伸ばして部屋の明かりを点灯させた。


「…………」


 リリィの背後に座る少女は、一言も声を発さず、リリィの後姿を見つめる。

 そんな様子を不思議に思ったリリィは、ゆっくりとした動作で振り向いた。


「驚かせてしまって、本当にすまない。こんな成りをしているが、私は怪しい者では―――!?」

「あ……灯り、点けてくださったんですか? ありがとうございます」


 視線の先に存在する、一人の少女。

 リリィは、考えていた。身長が高く、全身黒ずくめの人間が突然部屋に来たら、きっと驚いているだろうと。

 しかし、そんな懸念はまったくの無意味である事を……少女の瞳に巻かれた黒い包帯が、物語っていた。


「あっ、ご、ごめんなさい。驚かれましたよね……私はこの図書館で本を閲覧させてもらっている、シリルといいます」


 シリルと名乗った少女は慌てた様子で、リリィに向かって言葉を紡ぐ。

 しばしの間、言葉を詰まらせていたリリィだったが……やがて意識を取り戻すと、シリルと同じく、慌てて言葉を返した。


「あっ、ああ。私は、リリィという」


 とりあえず名乗って見せたリリィだったが、その心の動揺は消えていない。

 シリルは小首をかしげると、さらに言葉を続けた。


「リリィさん、ですか。よろしくお願いします。えっと、リリィさんは……泥棒さん、ですか?」


 シリルはさっきとは逆方向に小首をかしげ、頭の上に疑問符を浮かべる。

 予想だにしないその言葉に、リリィは思わず声を詰まらせた。


「なっ!? ち、違う! 断じて違うぞ! 私は、そう……今日この図書館に配属された、臨時職員だ!」


 リリィは身振り手振りを交え、誤解を解こうと必死になって言葉を紡ぐ。

 それを聞いた少女は口元を手で隠し、慌てた様子で言葉を返した。


「ふあっ!? ご、ごめんなさい! あの、普段聞いたことのない声だったから、泥棒さんかと思ってしまって」

「い、いや。わかってくれればいいんだ。度々大きな声を出して、すまなかった」


 リリィはばつが悪そうに頭を掻き、やがて被っていたフードを頭の後ろへと移動させる。

 この少女の前で姿を隠した所で、まったくの無意味……いや、むしろ隠さない方が良いのかもしれない。


「「…………」」


 二人の間に下りてくる、気まずい沈黙。

 何分かの静寂の時の後……先に声を発したのは、シリルだった。


「あっあの。リリィさんは、職員さんですよね? ここには、一体何を?」


 シリルは小首を傾げながら、リリィのいるであろう方向へと顔を向ける。

 リリィはそんなシリルの言葉を聞くと、目を見開いた。


「あっ!? そ、そうだ! 忘れていた!」


 リリィはデクスに渡された一冊の本を取り出し、その表紙を再び見つめる。

 しかしそこには、無機質な装丁があるだけで、何も教えてはくれない。


「ラッフィルム・ストーリーズか。確か昔、故郷で読んだ記憶はあるが……これが、一体何だと言うのだ?」


 リリィは片手で本を遊びながら、まるでシリルのような仕草で小首をかしげる。

 しかしシリルはリリィの言葉を聞いた瞬間、まるで餌を出された子猫のように、椅子から身を乗り出した。


「えっ!? ら、ラッフィルム……じゃあ、今日はリリィさんが、本を読んでくださるんですか!?」

「へっ!?」


 シリルは両手を身体の前で組み、満面の笑みで大きなえくぼを見せる。

 黒い包帯に包まれているはずのその瞳は、心なしか輝いているようにも思えた。


「よ、読むとは? あ、いや、そういうことか……」


 リリィは曲げた人差し指を顎の下に当て、考えるような仕草を見せる。

 先程のデクスの態度と言動そして、目の見えぬこの少女。

 これらの状況を統合するなら……考えられる結論は、一つしかない。


「シリル……もしかして普段は、デクスに本を読んでもらっているのか?」


 光を失ったその瞳で、文字の羅列を追うことはできない。

 目の前の少女が読書好きでないことを祈りながら、リリィは言葉を紡いだ。


「あ、はい。でも今日は、中央書庫で何かあったみたいなので、読んでもらえないかなって、思ってたんです」


 シリルは大きな声を出してしまったことに頬を赤く染め、ちょいちょいと指先を合わせる。

 リリィは目を細めて微笑むとガントレットを外し、その小さな頭を優しく撫でた。


「いや、まあ、大丈夫だ。デクスほど上手に読めるかわからないが……今日は、私が本を読もう」

「!? ほ、本当ですか!? ふわああ、やったぁ……!」


 シリルはその小さな両手をぎゅっと握り締め、満面の笑みを見せる。

 リリィはその辺りに置いてあった椅子をシリルの車椅子の横に置いて腰を下ろすと、太ももの上で本を開いた。


「ふふっ。喜んでもらえて、何よりだ。では、準備は良いか?」


 リリィはどこか勇ましい表情で笑うと、目の前のシリルへと視線を送る。

 装丁を開くと細やかな文字の羅列が、まるで何かを歓迎するようにびっしりと刻まれていた。


「はいっ! もう、いつでもどーぞ!」


 シリルは素早く両手を膝の上に置き、ぴんっと背筋を伸ばす。

 その仕草に、リリィは目尻を緩めて。

 ゆっくりと、冒頭の一文を読み始めた―――






「ふぅ。ようやく、終わりが見えてきましたわね」


 薄暗い廊下に響く、ヒールの音。

 びっしりと文字の刻まれた書類に目を通し、承認欄に自分のサインを残すか、内容に不備があればコメントを残していくだけの単調な作業。

 数時間に渡ってその地獄の海を泳いできたデクスだったが、それにもようやく終わりが見えてきた。


「さて、と。一応、様子くらいは見ておかなければいけませんわね」


 デクスは書類の束を持ち直すと、先ほどリリィが通っていた道を同じように歩いていく。

 やがて目の前には、“第十五番書庫”と書かれた看板が、くたびれたその体を夜風にさらしていた。


「まったく。いくら人が来ないとはいえ、この看板はひどすぎますわね。後で担当部署にお灸をすえてやらねば」


 デクスは胸の下で腕を組み、まるで希望がすべて吸い取られたかのようなその看板をジト目で見つめる。

 デクスが第十五番書庫の担当部署を確認しようと、手帳に手を伸ばした瞬間……部屋の中から微かに声が漏れてきた。


『へあああ!? すごい。まさかこんな結末になるなんて、思いもしませんでした』

『ふふっ。ああ、そうだな。私も読み終わった当初は、それはもう驚いたものだ』

『えっ!? リリィさんもこの本読んだことあったんですか!? じゃあじゃあ、この後私のお部屋で、お話しませんか!? この本について!』

『へっ!? あ、いや、しかし、私には仕事も残っているだろうし、大体子どもはもう寝る時間―――』

『っ……やっぱり、だめですかぁ?』

『ぐ。だから、そう泣きそうな声を出さないでくれ……ちょっとくじけそうになる』


 部屋の中から響いてくる、楽しげな二人の会話。

 デクスは小さく微笑むと、踵を返して再び廊下を歩き始めた。

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