プロローグ
社会での地位や野心的な欲望なんてものは、才能に恵まれた者にのみ、求めることが許された贅沢品だ。
最低限の衣食住ができる環境と、安全の保障。ついでにネット環境とゲーム機が揃っていれば世はこともなし。そんな生活を続けているうちに、もう二年も経ってしまった。
果てしなく広い世界の中で、ぽつんと一ヶ所だけ隔離されたような、この部屋。くたくたの布団やら、そこら辺の床にポツポツ散らばっている文庫本やら、コンセントに繋ぎっぱなしのゲーム機やら……。何もかも、二年前から大して代わり映えのしない光景だ。中学を卒業して以来、僕はずっとこの部屋に引きこもっている。
このままで、いいのだろうか。
このままで、いいわけないか。
パソコンの動画サイトをあさりながら、いつものようにナーバスな気分になっていると、「トントントン」と三回、部屋のドアがノックされた。僕はビクッと肩をすくめた。
「真守、起きてる?」
母さんだ。父さんじゃない。
そりゃそうか、まだ昼だもんな。不規則な生活を長く続けているせいか、どうも最近、時間の感覚が鈍い。
「……なに?」
僕は、素っ気なく答えた。
「なっちゃんがね、真守にって、梨をお裾分けしてくれたのよ。切っておいたから……」
そう言うと、母さんは、皿を乗せたバットを部屋の前に置いた。
なっちゃんというのは、小学校からの僕の幼なじみである藍原七夏のことだ。互いの親同士の仲が良く、昔はよく一緒に遊んでいた。もっとも、今となっては親同士の付き合いだけで繋がってる縁だ。今回の梨だって、僕のためなんかであるはずがない。親のおつかいついでに、社交辞令を言っただけに決まっている。
「……真守?」
と、不安げな母さんの声が、またドアの向こうから聞こえてきた。
「なに?」
「そろそろ部屋にばかり引きこもってないで、将来のこと、考えてみない?」
「…………」
「高校受験に失敗して、滑り止めの高校に行っても友達と馴染めなくて……。それは母さんもわかってるつもりよ。だからこそ、ちゃんと話し合いがしたいの。今夜、お父さんも一緒に……」
「やめろよ!」
僕が声を荒げると、母さんは押しだまってしまった。
「ごめん、でも今は放っておいてくれないかな……」
それを聞くと、母さんは、覇気のない足音をたてながら、部屋の前から去っていった。
その後しばらく経ってから、僕は部屋の鍵を外し、ドアを開け、母さんの置いていった梨を部屋へもちこんだ。
七夏か……。
もうあいつとも二年以上会っていない。やはり昔よりオシャレな女子になっているのだろうか。髪とか染めてたりして。まあ、僕にわかるはずもないか。僕は二年間、この家から出ていないのだから。二軒先にあった建物が今どうなっているのかすら、僕は知らないのだ。
……駄目だな。どうにもナーバスな気分から抜け出せない。
こんな時は、動画でも見て、現実逃避するに限る。僕は梨をかじりながら、再びPCの前に座った。
すると、さっきから開いていた動画サイトのトップページから、急に見覚えのないページへと、画面が移り変わった。
「んだよこれ、広告か?」
そう思って、マウスカーソルを画面の右上へと持っていったが、そこには、ページを閉じるためのⅩマークがなかった。
……なにかおかしい。
そう思って、ようやくそのページを真剣に眺めてみると、そこに大きく記された表題が、僕の目に飛び込んできた。
『おめでとう、強き願いを持つもの。君は選ばれた』